2025年12月に、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト3をお送りします。ビジネス部門の第2位は――。

▼第1位 ジャムなのに「瓶」を使わず大ヒット…老舗のアヲハタが突き止めた30~40代のジャム離れ"の意外な突破口"

▼第2位 1650円の中華そば目当てに朝8時から人、人、人…55歳で始めたラーメン店が「ディズニーより並ぶ店」になるまで

▼第3位 「シャウエッセンは焼くべからず」暗黙のルールを破り売上高過去最高…日本ハム社員たちが「夜味」にかけた情熱

■53歳でラーメンの世界に飛び込んだ「元プロミュージシャン」
東京・巣鴨の地にひっそりと暖簾を掲げる「麺創庵 砂田」。福島の白河ラーメンをベースとした淡麗ながら記憶に残る一杯を求めて訪れる多くのファンが開店前から列を作る。だが、この人気店が誕生するまでの道のりは、一般的なラーメン店のそれとは大きく異なる。店主・砂田裕史さん(61)がラーメンの世界に飛び込んだのは、なんと53歳。
音楽の世界から始まり、起業、失敗、サラリーマン生活と、波瀾万丈の人生を経ての遅咲きデビューだった。
裕史さんが音楽を志したのは、中学生の頃。ギターを手にし、「音楽で食っていく」という目標を早々に胸に決めていた。「高校は行かずに東京へ行きたい」――そう親に告げたが、さすがに認められず、兵庫県立西宮高校へ。そこには県立で唯一“軽音学部”があったのだ。
「高校は“音楽ができるから”行っただけです(笑)。親との約束でしたから」(裕史さん)
卒業後、念願の東京へ。専門学校ではギター、作曲、アレンジを学び、仲間とバンドを組んでは解散を繰り返す試行錯誤の日々が続いた。
やがて20歳頃からプロデビューを目指す本格的な活動をスタートさせる。
デビューが決まったのは27歳。バンドは6人編成だったが、レコード会社から「作詞や作曲ができる3人だけでデビューさせる」と告げられる。
「仲間を切るようでつらかったです。でも、プロの世界の現実を見せつけられましたね」(裕史さん)
■曲がテレビ番組に採用され、堂本剛に楽曲提供するも厳しい世界
ユニット名は「festa mode」(フェスタモード)。裕史さんの書いた曲がTBSのワイドショーのエンディングテーマに採用され、順風満帆なスタートを切る。当時から付き合っていた玲子さんとはデビュー後の1993年に結婚をした。
アルバム3枚、シングル11枚、ベストアルバム1枚。約6年の活動で全国を回った。だが、それでも食べ続けるのは難しいのが音楽の世界だ。ユニット解散後、裕史さんは作曲家として事務所に所属する。その後、堂本剛に楽曲提供をするなど活躍の場が広がっていった。

だが一方で、受け取るはずだったギャラが支払われないなど所属していた事務所は資金繰りに窮し、崩壊した。
「音楽を続けるべきか、初めて真剣に悩みましたね。しかし、この頃には自分の興味はインターネットに向かっていました」(裕史さん)
■「お金と人間関係のもつれ」に疲れた
音楽を離れ、裕史さんが向かったのは“インターネット”。急速に世の中がIT化していく流れの中で、ネットビジネスの構想を練り、起業に踏み切った。楽曲の印税でためてきた貯金を一気に資金としてつぎ込んだ。
メール認証システムの特許を取り、大手企業からの引き合いも舞い込み、事業は一気に軌道に乗るかに見えた。しかし、そう簡単にはいかなかった。
「お金のにおいがしだすと、人間関係がどんどん壊れていくんです。そこにすごく疲れました」(裕史さん)
技術者との溝、資金繰りの不安……。最終的には資金を使い切り、会社は解散することになった。
「借金は300万円ぐらいあり、息子も大きくなってきて、ここからお金がかかるという時期。これはまたイチから働き直さなければと思いました」(裕史さん)
40歳。
初めての会社員生活が始まった。音楽でも、起業でも、安定とは無縁の人生だったゆえ、収入の安心感は大きかった。
裕史さんは13年間、しっかり勤め上げた。ただ、その裏には常に「いつかもう一度、自分で何かをやりたい」という熱があった。
■タバコをやめたら「舌」が覚醒、料理に目覚める
ヘビースモーカーだった裕史さんは肺炎を患い、43歳の頃にタバコをやめた。すると、舌が敏感になり、料理の立体的な味わいを感じるようになった。特に蕎麦の香りに魅せられ、裕史さんは趣味で蕎麦打ちを始める。
さらには蕎麦つゆにもこだわるようになり、その頃にふと出会ったのが「ラーメン」だった。
「池袋にある『瞠(みはる)』というお店で、節のビシッときいた濃厚なラーメンを食べて衝撃を受けました。ここから日々ラーメンを食べるたびに、『何でこんなに人を惹きつけるんだろう』と考えるようになって、気づいたら、自分でスープを炊き始めていました」(裕史さん)
自宅でラーメンを作っては試食を繰り返し、そのうち、福島の白河の知人の経営しているホテルで月に1回ラーメンを出すようになった。自分の作った一杯を食べてもらう喜びに触れ、「ラーメン店を開きたい」という思いがどんどん膨らんでいく。子育ても落ち着き、家族としても新たなフェーズを迎える時期だった。

その時の裕史さんは既に53歳。53歳という年齢は、ラーメン業界では異例の遅さ。しかし、裕史さんは迷わなかった。
「53歳からでも遅いなんて思わなかった。やりたいなら今やるしかないと思いました」(裕史さん)
■55歳、コロナ真っただ中で開いた白河ラーメンの店
すべてを聞いていた玲子さんは、ため息をつきつつも笑う。
「“また始まった”って思いましたよ。でも……止められないんです、この人は(笑)」(玲子さん)
ここから「瞠」をプロデュースしていた渡辺樹庵氏のもとで2年間修業をし、資金も体力も限りがある中、開店準備を進めた。
「巣鴨の物件を見つけてから、この場所に合う一杯を模索しました。見た目はオーソドックスな中華そばながら、平打ちの麺や燻製チャーシューに特徴のある白河ラーメンがピッタリだと思い、試作を始めました」(裕史さん)
特に手打ち麺は今まで全く体験していなかった。ゼロからの試作だったが、小麦と毎日向き合い、完成させた。
こうして2020年4月、ついに「麺創庵 砂田」がオープンする。裕史さんは55歳、コロナ禍真っただ中でのオープンだった。
玲子さんは介護の仕事を続け、裕史さんがワンオペでお店を回した。
■「ディズニーより並ぶ店」で妻・玲子さんが助け舟
裕史さんの本気の一杯に口コミが一気に広がり、お店は大ブレーク。「TRYラーメン大賞」では新人賞醤油部門で1位となり、行列が伸びに伸びた。毎日打つ麺は9kg、10kgと日々増えていき、ついには限界に達した。
「仕込みが多すぎてだんだん家に帰れなくなり、妻にも仕事後に手伝ってもらわないと回らなくなってしまいました。次第に、駅前のホテルで寝泊まりするようになって、気づいたら宿泊費が年間90万円もかかっていました。このままでは厳しいと、妻は仕事を辞めて二人でラーメン一本の生活になったんです」(裕史さん)
「ディズニーランドより待った」というネットの書き込みが決定打となり、玲子さんも朝からお店に入るようになって、「砂田」はパワーアップした。長すぎた行列問題も緩和され、一日100杯前後出せるようになった。
■朝8時から「朝ラー」を始めた粋な理由
さらに「砂田」を語るうえで欠かせないのが、店の新たな柱となっている“朝ラー”だ。オープン当初は昼営業のみで、そこから夜も営業してみたもののなかなか売り上げが安定しない。そこで朝ラーを始めてみたところ、ふたを開けてみれば、平日・休日を問わず早朝から常連客が集まるようになった。
「最初は“朝にラーメンなんて食べてもらえるのかな”って半信半疑でした。
でも実際に始めてみたら、毎朝同じ時間に来てくださるお客さんが増えていって。想像以上でした」(裕史さん)
夏の暑い時期に外に大行列ができていて心苦しかった裕史さん。8時から店を開ければお客さんはまだ暑くない時間に並ばずに食べられる。そんな配慮もあった。
常連客の顔ぶれも多彩だ。仕事前に立ち寄る会社員、散歩の途中に来る近所の人、朝の静かな時間にゆっくり食べたいというシニアまで、層は広い。しかも驚くのは、朝専用の軽めのメニューだけが出るわけではないということだ。
「通常のメニューも普通に出るんですよ。むしろ“朝のほうが落ち着いて食べられるから”と頼んでくださる方もいて、こちらが驚くくらいです」(裕史さん)
朝限定で提供している「朝かけ節中華」もあるが、通常メニューもオーダーできるようにしたことで、客層が広がり、売上も安定した。朝から1650円の「特製ワンタン麺」が飛ぶように出ているのはすごい。結果的に、朝の時間帯が「砂田」らしさを感じてもらえる大切な場になっている。
「われわれも朝の4時半から仕込みをしていますが、朝は涼しくてとても気持ちがいい。ラーメン屋になって初めて朝がこんなに豊かなんだって気づいた気がします。店にとっても、自分にとっても大事な時間帯になりました」(裕史さん)
■順風満帆でない人生で辿り着いた小さなラーメン店
今では、多くのファンを惹きつける人気店となった「砂田」。店の空気がどこか温かいのは、夫婦の空気そのものが反映されているからだ。
「夫はやると言ったら聞かない性格ですが、50を過ぎてからラーメンの修行を始めて、自分のお店を持って、賞まで獲ってしまうなんて本当にすごいと思いました。尊敬しています。昔から『何とかなる』と思ってきたので、これからも何とかなると思います」(玲子さん)
裕史さんはしみじみと言う。
「子育てから家のことなど自分はほったらかしで、妻はずっと自由に私の好きなことをやらせてくれました。苦労もかけたと思いますが、今こうして毎日ラーメンを作れているのは妻のおかげですね」(裕史さん)
55歳でラーメン店開業。普通なら“遅い”と言われる年齢だ。しかし、「砂田」の一杯には、音楽の世界で磨いた感性、起業の失敗、サラリーマンとして積み重ねた忍耐、そして夫婦の歴史すべてが溶け込んでいる。
裕史さんの人生は決して順風満帆ではなかった。失敗も挫折も迷いも山ほどあった。それでも夫婦で歩き続け、たどり着いた場所に、この小さな店がある。
(初公開日:025年12月8日)

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井手隊長(いでたいちょう)

ラーメンライター、ミュージシャン

全国47都道府県のラーメンを食べ歩くラーメンライター。東洋経済オンライン、AERA dot.など連載のほか、テレビ番組出演・監修、コンテスト審査員、イベントMCなどで活躍中。自身のインターネット番組、ブログ、Twitter、Facebookなどでも定期的にラーメン情報を発信。ミュージシャンとして、サザンオールスターズのトリビュートバンド「井手隊長バンド」や、昭和歌謡・オールディーズユニット「フカイデカフェ」でも活動。

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(ラーメンライター、ミュージシャン 井手隊長)
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