外国人労働者をめぐる議論が活発化している。労働政策研究・研修機構労働政策研究所長の濱口桂一郎さんは「日本の外国人労働政策の大きな特徴は、労使間の利害関係の中で政策を検討し、形成、実施していくというプロセスが事実上欠如してきたことにある」という――。

※本稿は、濱口桂一郎『外国人労働政策 霞が関の権限争いと日本型雇用慣行が招いた混迷の30年史』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
■労使それぞれの利害構造
外国人労働問題に対する労使それぞれの利害構造をごく簡単にまとめれば次のようになるでしょう。まず、国内経営者の立場からは、外国人労働者を導入することは労働市場における労働供給を増やし、売り手市場を緩和する効果があるので、望ましいことです。また導入した外国人労働者はできるだけ低い労務コストで使用できるようにすることが望ましいでしょう。この両者は「できるだけ安い外国人労働者をできるだけ多く導入する」という形で整合的にまとめることができます。
これに対し、国内労働者の立場から考えたときには、外国人労働問題には特有の難しさがあります。外国人労働者といえども同じ労働市場にある労働者であり、その待遇や労働条件が低劣であることは労働力の安売りとして国内労働者の待遇を引き下げる恐れがありますから、その待遇改善、労働条件向上が重要課題となります。
しかしながら、いまだ国内労働市場に来ていない外国人労働者を導入するかどうかという局面においては、外国人労働者の流入自体が労働供給を増やし、労働市場を買い手市場にしてしまうので、できるだけ流入させないことが望ましいのです。もちろん、この両者は厳密には論理的に矛盾するわけではありませんが、「外国人労働者を入れるな」と「外国人労働者の待遇を上げろ」とを同時に主張することには、言説としての困難性があることは確かです。
■国内労働者団体のとる立場
ほんとうに外国人労働者を入れないのであれば、いないはずの外国人労働者の待遇を上げる必要性はありません。逆に、外国人労働者の待遇改善を主張すること自体が、外国人労働者の導入を既に認めていることになってしまいかねません。それを認めたくないのであれば、もっぱら「外国人労働者を入れるな」とのみ主張しておいた方が論理的に楽です。
そして、国内労働者団体はそのような立場をとりがちです。
国内労働者団体がそのような立場をとりながら、労働市場の逼迫のために実態として外国人労働者が流入してくる場合、結果的に外国人労働者の待遇改善はエアポケットに落ち込んだ形となります。そして国内労働者団体は、現実に存在する外国人労働者の待遇改善を主張しないことによって、安い外国人労働力を導入することに手を貸したと批判される可能性が出てきます。
実際、外国人労働者の劣悪な待遇を糾弾するNGOなどの人々は、国内労働者団体が「外国人労働者を入れるな」という立場に立つこと自体を批判しがちです。しかしながら、その批判が「できるだけ多くの外国人労働者を導入すべき」という国内経営者の主張と響き合ってしまうのであれば、それはやはり国内労働者が拠ることのできる立場ではあり得ません。
いまだ国内に来ていない外国人労働者について国内労働市場に(労働者にとっての)悪影響を及ぼさないように最小限にとどめるという立場を否定してまで、外国人労働者の待遇改善のみを追求することは、国内労働者団体にとって現実的な選択肢ではあり得ないのです。
■非対称的な利害構造
この利害構造は、日本だけでなくいかなる社会でも存在します。いかなる社会においても、国内労働者団体は原則として「できるだけ外国人労働者を入れるな」と言いつつ、労働市場の逼迫のために必要である限りにおいて最小限の外国人労働者を導入することを認め、その場合には「外国人労働者の待遇を上げろ」と主張するという、二正面作戦をとらざるを得ません。外国人労働問題を論じるということは、まずはこの一見矛盾するように見える二正面作戦の精神的負荷に耐えるところから始まります。
労働政策は労使の利害対立を前提としつつ、その間の妥協を両者にとってより望ましい形(ウィン‐ウィンの解決)で図っていくことを目指すものです。外国人労働者政策もその点では何ら変わりありません。ただその利害構造が、「できるだけ安い外国人労働者をできるだけ多く導入する」ことをめざす国内経営者と、「できるだけ外国人労働者を入れるな」と言いつつ「外国人労働者の待遇を上げろ」と主張せざるをえない国内労働者団体では、非対称的であるという点が特徴なのです。

■法務省官僚の「強い意思」
日本の外国人労働政策も基本的には上述の労使間の利害構造の枠組みの中にあります。しかしながら、1980年代末以来の日本の外国人労働政策の大きな特徴は、そのような労使間の利害関係の中で政策を検討し、形成、実施していくという、どの社会でも当然行われてきたプロセスが事実上欠如してきたこと、より正確に言えば、初期にはそのような政策構想があったにもかかわらず、ある意図によって意識的にそのようなプロセスが排除され、労使の利害関係とは切り離された政策決定プロセスによってこの問題が独占され続けてきたことにあります。
本書の前半部で詳しくその経緯を追いかけることになる「雇用許可制」の提唱とその完全なる否定という一連の政策過程は、労働省の介入の余地を完全に断ち切りたかった法務省官僚の強い意思に基づきます。つまり、外国人を労働者として導入するという回路を極小化し、(労働者と同様に働くが労働者とは認めない)研修生と(労働者として働くが血縁に基づいて入国在留する)日系南米人に限って外国人労働者の入国を認めるという「サイドドア」政策に結実しました。
■「日本で労働している外国人」への政策が議論できなくなった
そのために、現実に日本において労働している外国人に対する政策は、労働問題として正面から議論されることすら不可能になってしまったのです。法務省官僚にとっては、労働省官僚の不当な介入を撥ね付けるための工夫であったのでしょうが、それが外国人労働政策を労働政策から排除する理由となり、労働政策の基本原則である「使用者」「労働者」「公益」を代表する三者構成原則による政策決定が否定され、重要な利害関係者である労働者団体が政策決定過程から排除される原因となったわけです。
とはいえ、この状態は肝心の労働者団体にとって必ずしもそんなに居心地の悪いものではなかった可能性があります。というのも、本来あるべき外国人労働政策の議論が正面から行われていたならば、一方でまだ入ってきていない者については「外国人労働者を入れるな」と主張しつつ、他方で既に入ってきている者については「外国人労働者の待遇を上げろ」と主張するという、一見矛盾するように見える二正面作戦を強いられてしまいます。
その意味では、労働政策ではなくなったがゆえに制度的な関与の余地が奪われてしまったことは、労働者団体としては、それが望ましいと正面切って言うわけにはいかないとしても、内心は外野席に座らされてしまっていることにほっとしていた面もあったのかも知れません。
■労働者団体の意思表示
もちろん、この政策過程の間、労働者団体は外国人労働政策に対して意思表示をし続けてきました。労働組合のナショナルセンターとしての連合は、1987年11月に民間労組が先行して統一して民間連合を結成し、2年後の1989年11月に官公部門も合流して「日本労働組合総連合会」(連合)を結成するという時期でした。その民間連合が1988年5月に出した昭和63‐64年度『政策・制度要求と提言』においては、「雇用・労働政策」の中に「外国人労働者対策の推進」として次のような事項が明記されていました。

6.外国人労働者対策の推進

(1)

外国人労働者の就労実態について、不法就労をも含めて早急に調査を行い、国民の前に明らかにすること。

(2)

政労使・学識経験者による「外国人労働者問題対策会議」を設置し、長期的視点にたち、未熟練労働力(単純労働力)の受け入れは行わないことを原則とし受け入れの基準、指針等対策を早急に策定し、国民合意形成をはかること。

(3)

不法就労者を雇用する者に対する罰則を明確化および強化するとともに、不法就労者を直ちに国外退去させること。その間、当該労働者を一時的に保護する措置を講ずること。

(4)

政府・民間ベースで海外研修生、留学生の受け入れを積極的に進めるとともに、日本語研修体制の整備、国内生活環境の改善などに努めること。同時に、研修生、就学生等を口実にした不法就労の実態を明らかにし、それを規制する措置を講ずること。
■「研修」を理由に「時給300円の労働者」を容認
こうした記述は、その後も毎年の『政策・制度要求と提言』の中で繰り返されていくことになります。とはいえ、分厚い政策制度要求の中にこれだけの記述が盛り込まれたからといって、それが現実の政策過程に何らかの影響力を及ぼせるかといえば、そのための政策回路は上述のようにあらかじめ外されているわけで、口先で文句を言っている以上の効果はありませんでした。
なにしろ、当時の政府部内の仕分けでは、この問題は「雇用・労働政策」ではなく、「法務政策」であり、実際に権限を握っている法務省にとっては「雇用・労働政策」の項に何が書かれようが顧慮するに値しなかったからです。
そして、この半ば二律背反的なスタンスを政策過程の大舞台の上で演じざるを得なくなることを免れるという意味において、この外野席のポジションは必ずしも居心地が悪いものではなかったのではないかと思われます。
日本人労働者であれば「他の労働者と同じように働いているのに研修生だから労働者に非ず、などという不条理は許されない」と叫ぶはずなのに、自分たちの手の届かない入管法上に非就労在留資格としての「研修」が規定されていることを理由に、事実上「時給300円の労働者」を容認していたことの背景には、この利害構造があったのではないでしょうか。
■規制改革関係会議が指摘した「不都合な真実」
こうして、本来労働者団体が立場上主張すべき「外国人労働者の待遇を上げろ」を主張し、そもそもその前提として「研修生を労働者として認めろ」と主張するという役割は、労働政策プロパーの世界では労働者団体の天敵であり、労働者の利益に反する主張ばかりする存在だと思われていた規制改革関係会議の手に委ねられることになりました。

本書第二部第一章で詳しく描写することになりますが、労働政策関係では何かと敵役として取り扱われがちな規制改革関係会議こそが、労働者保護を第一義に考えるべき労働省がその創設の経緯に縛られてきちんと指摘することができず、また労働者の利益を声高に叫ぶべき労働者団体がその利害構造の複雑性のゆえに突き詰めて主張することができなかった「研修生は労働者である」という不都合な真実を、あれこれ顧慮することなくズバリと指摘することができたことの意義は極めて大きなものがあります。
少なくともこの局面に関する限り、労働者性を剥奪された研修生という名の外国人労働者を本質的なレベルで救おうという動きを政府部内で提起し得たのは、規制改革関係会議(とその関係者が参加した経済財政諮問会議)だけであったことは、労働行政や労働組合関係者が繰り返し正面から向き合うべき苦い経験であるはずです。

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濱口 桂一郎(はまぐち・けいいちろう)

労働政策研究・研修機構労働政策研究所長

1958年大阪府生まれ。1983年東京大学法学部卒業。同年労働省に入省。東京大学客員教授、政策研究大学院大学教授を経て、2017年4月より、現職。専門は、労働法、社会政策。著作に『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ』(岩波新書、2009年)、『日本の雇用終了―労働局あっせん事例から』(労働政策研究・研修機構、2012年)、『若者と労働―「入社」の仕組みから解きほぐす』(中公新書ラクレ、2013年)、『日本の雇用と中高年』(ちくま新書、2014年)、『働く女子の運命』(文春新書、2015年)、『働き方改革の世界史』(共著、ちくま新書、2020年)等多数。

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(労働政策研究・研修機構労働政策研究所長 濱口 桂一郎)
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