※本稿は、和田秀樹『死ぬのも楽しみ』(廣済堂出版)の一部を再編集したものです。
■長生きを前提とした老後計画を立ててはいけない
「やることがもう少し片づいたら」とか、「数値が正常になったら」、「世の中が落ち着いたら」といった考え方は、自分がまだまだ生きていくこと、長生きすることを前提にしています。
ところが、長生きを前提にしてしまうと、今度はふたつの条件が加わってきます。言うまでもなく健康であり続けること、そしてお金です。
健康を維持するためには、とりあえず医者の指示に従うしかありません。健診で数値に異常が見つかればすぐに再検査を受けます。ところが、検査設備の整った大きな病院ほど、診療科はいくつにも分かれています。
細かく分かれた診療科を次々に受診しているうちに、それぞれの専門医から数値を正常に戻す薬を処方されます。
その結果、私がいつも非難している薬の多剤・多重服用で、高齢者の身体も精神もボロボロになっていきます。
多くの医者は、自分が診察できる狭い専門領域でしか患者と向き合いませんから、その領域内の数値を正常にすれば治療したことになるのでしょうが、そもそも正常な数値とされるものに根拠はありません。それぞれの領域で寄ってたかって薬攻めにされる患者の健康のことなど考えていないのです。
もちろん、薬だけではありません。これにさまざまな食事制限が加わります。
脂っこいものはダメ、塩辛いものもダメ、甘いのもダメ、お酒は控えめに、焼き鳥で日本酒を飲んで〆にラーメンなんて論外です。
■QOLを踏みにじる処方や政策
挙げ句に、コロナ禍の頃には外食や旅行の自由も規制されました。
こちらは感染予防のためですが、高齢者ほど死亡率が高く後遺症も残りやすいなどと脅かされましたから、都会でも地方でも高齢者は近所の散歩すらできず、自宅に閉じこもって好物も食べられず、テレビを見ながらぼんやりと過ごすしかありませんでした。もちろん、テレビもコロナ感染の不安ばかりを煽(あお)り立てました。
こんな不自由を強いられながら、我慢強い日本人は耐えてきたし、その結果、足腰が衰えて要介護となった人、気持ちが落ち込んでうつ状態になった老人も増えたことでしょう。
もちろん、ここでも国や医療関係者は言うでしょう。
「日本は、世界有数の長寿国のままだ」
「おかげでコロナの死者は少なかった」
「薬の服用が、結果として成人病の予防につながっている」
こういう表向きの言い訳はもう相手にしませんが、今回はひとつだけ指摘しておきます。
「生かせばいい」というだけの処方や政策は、QOLを踏みにじっていないのか、ということです。
「とにかく死なせないことだ」という方針は、自由に生きたいという私たちの根源的な意思とは相反するものでしかないということです。
■いつならお金が遣えるのか
長生きを前提にすると、もうひとつ保ち続けなければいけないものがあります。
例の「老後二千万円問題」を持ち出すまでもなく、「何かあったら」とか「いざというときのために」と不安があれば(たいていの人にあると思います)、どうしても節約を心がけます。
といっても給料もボーナスも、まして昇給もない年齢ですから、生活を切り詰めて出費を抑えるしかありません。
抑えられる出費となれば、「贅沢(ぜいたく)」や「無駄遣い」です。具体的には外食、旅行、ファッションといったあたりでしょう。
「たまには寿司屋のカウンターに座って、お任せで美味しい寿司を握ってもらいたい」とか、「仕事を退いたんだから、念願だったイタリア旅行をのんびり楽しめるな」とか、やってみたいことのほとんどが贅沢な無駄遣いになってしまいます。
「老人ホームに入るにしてもまだまだ先の話だし、それまでは資金を残しておかなくちゃ」と考えると、いま無駄遣いするわけにはいきません。
では、いつならお金を遣えるのか?
それは、「これで死ぬまで安心して暮らせる」と思えるようになったときです。または、「死んでも誰にも迷惑はかけないし、子どもたちにも少しは財産を残せるだろう」と安心できるようになったときです。
■お金を遣えるのは自分で自由に動ける間だけ
でも、その頃は贅沢をする気力も体力も残っていません。倹約が身についてしまえば、そもそも贅沢したいという気持ちもなくなっているはずです。長生きはできるかもしれませんが、自分がやりたいことはすべてあきらめて死ぬしかないのです。
それに「死ぬまで安心して暮らせるお金」はどうしても多めに見積もります。
いつ死ぬかなんて誰にもわからないし、予測してなかった出費がかさむかもしれませんから、多めに見積もってしまうのです。すると、ますますお金が遣えなくなってしまいます。意外な額の貯金を残して死んでいく高齢者が多いのです。
死ねば、お金は遣えません。
寝たきりになっても同じで、自分の好きなことややりたいことにお金を遣えなくなります。だとすれば、お金を遣えるのは自分で自由に動ける間だけ。つまり、「いま」です。
死んだあとのことまで心配すればキリがありません。親がたっぷりの遺産を残して、そのおかげでいままでやってこれた人なんて、めったにいないはずです。
たとえ、あなたが何も残さなかった親だとしても、子どもをちゃんと育ててきたのですから、死んでから恨まれたりすることもないでしょう。
下手に遺産を残すほうが子どもたちの相続争いを招いてしまいますから、自分のお金ぐらい、生きている間に自分で遣い切ったほうがいいのです。
■死ぬまで思い出づくりのできる人だけが笑顔で死んでいく
長生きを前提にしてしまうと、質素に暮らすことや規則正しく暮らすことが生活スタイルになってきます。それが自分に心地のいい生き方なら、何も言うことはありません。
たとえば、野菜中心の食生活、庭仕事や編み物で一日を過ごし、たまの買い物や散歩が楽しみという高齢女性は大勢いますが、それが彼女にとって幸せな毎日というのでしたらストレスはまったくないし、自然に長生きできるでしょう。
その場合でも、この女性は長生きなんか目標にしていません。そういうシンプルな暮らしが好きだから、楽しいから、自分に合っていると思うから続けているだけで、機嫌よく年を重ねていくはずです。
機嫌よく生きていれば、友人や近所の人とのつき合いも自然に生まれてきます。訪ねてきて一緒にお茶を飲んだり、おしゃべりしたりする人もいるでしょうし、誘い合ってグループで食事に出かけたり一泊程度の旅行に出かけたりします。
すると、肉や魚料理を食べたりするし、出歩けばいろいろな刺激も受けて、ますます機嫌よく年を重ねることになります。
このように幸せな日々を過ごす人は長生きして当たり前だし、「あと何年生きられるか」なんて自分の寿命のことなんか考えません。「明日、死んだとしても思い残すことなんかないよ」と笑えるようなおばあちゃんなら、もう死ぬことを怖がったりしないはずなのです。
こういう機嫌のいい高齢者には、家族や知人も気楽に会いに行けます。
「ちょっと、おばあちゃんの顔でも見に行こうか」とか「このお菓子、おばあちゃんの大好物だったな」と普段づき合いの感覚になります。
すると、そこでまた会話が弾み、旅行など楽しい計画が生まれたりします。こうした世代を超えたおしゃべりというのは高齢者の脳を刺激して気分を若返らせますから、ますます自分の年なんか気にしなくなります。
年を忘れるというのはその日、そのときを夢中で生きるということです。
そういう人は自分がいつ死ぬかなんてまったく考えていません。たくさんの楽しい思い出に満たされて一日が終わっていく人生なら、「死ぬのも楽しみ」と自然に思えるような気がします。
■主義・信条は捨てて、その場の気分で生きていい
生きていくうえで、自分なりの主義・信条を持つ人は大勢います。自分に対する約束事です。
60代までの現役世代はとくにそうで、「他人との約束は守る」「自分の仕事には責任を持つ」「周囲に迷惑はかけない」……そんなこんなの言葉で自分を戒めます。
でも、70代80代になったらもう、そういう主義・信条は邪魔なだけです。捨ててしまいましょう。
「他人との約束は守らなくていい」。もう期待なんかされてません。
「責任なんか持たなくていい」。仕事はとっくにやめています。
「やれることだけやる」。どうせ大きな役割はまわってきません。
「周囲には遠慮なく迷惑をかける」と大きく方針転換してください。
いや、方針も持たなくていいでしょう。自分が楽なように、楽しいように暮らしていけばいいのですから、すべてそのときの気分や「こうしたい」という欲求に従って、無責任に生きていいのです。
そういう生き方を50代がやれば間違いなく職場の老害だし、家庭では粗大ゴミ扱いされるでしょう。でも、もう現役ではないし一家の柱でもありません。これは男性でも女性でも同じです。
いっさいの責任を放棄して、自分の楽しみややりたいことだけ生活の真ん中に置くことができれば、少なくとも機嫌よく暮らすことができます。
主義・信条で自分を律する責任感の強い老人でも、それで不機嫌な顔ばかりしていたらそちらのほうが邪魔です。存在感はあるかもしれませんが、ただの扱いにくい年寄りになってしまいます。
むしろ、自分の好きなことばかりしてまったく頼りにならなくても、機嫌のいい年寄りならいるだけで安心だし、ひょいと何かを頼むこともできます。いくら責任感が強くても不機嫌な年寄りには頼みごともできないのですから、その意味では案外、頼りになるのです。
■不機嫌な年寄りには誰も近づかない
いつも機嫌のいい年寄りには、なんとなく周囲に人が集まってきます。あまり頼りにならなくてもいいのです。どっちみち無理をさせるわけにはいきません。
不機嫌な年寄りには誰も近づきません。その人がどんなにきちんとしている人で信頼できるとしても、気難しさを考えると気楽につき合えないとわかっているからです。
老いたら、もう無責任は恥ずかしいことではありません。頼ってくれる人がいないのも寂しいことではありません。
好き勝手に飄々(ひょうひょう)と生きていても、楽しそうに暮らしている老人のまわりに人は集まってくれるのです。
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和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、アメリカ・カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。幸齢党党首。立命館大学生命科学部特任教授、一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わっている。2022年総合ベストセラーに輝いた『80歳の壁』(幻冬舎新書)をはじめ、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『老いの品格』(PHP新書)、『老後は要領』(幻冬舎)、『不安に負けない気持ちの整理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』(SBクリエイティブ)、『60歳を過ぎたらやめるが勝ち 年をとるほどに幸せになる「しなくていい」暮らし』(主婦と生活社)など著書多数。
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(精神科医 和田 秀樹)

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