風邪やインフルエンザで病院にかかる人も多い冬、窓口でマイナ保険証を提示する人はさほど増えていない。政府肝いりの施策なのに、なぜ普及が進まないのか。
経営学者の舟津昌平氏は「マイナンバーカードやマイナ保険証がいまいち浸透しない理由は山ほどある。だからこそ、今から政府がとるべき施策はたったひとつだ」という――。
■微妙すぎるマイナ保険証の普及率
「マイナ保険証」が話題になっている。「普及に苦戦していて、取得しても利用率が44.4%(注1)にとどまっている」といったネガティブな話題で、だ。2024年12月2日以降、マイナ保険証への切り替えを促すべく、従来の健康保険証の新規発行は停止されており、2025年の12月2日をもって併用期間は終了した。
つまり従来の保険証はもう使えなくなったはず……なのだが、厚生労働省は2025年11月14日に「12月2日以降、期限切れに気がつかずに健康保険証を引き続き持参してしまった患者」に対して、暫定的に対応してもらうよう医療機関に周知を行った(注2)。この措置は暫定的ながら、今年の3月末までは続くそうだ。
この顛末は、マイナ保険証への切り替えの難航を示唆している。周知は医療機関に対してのみ行われており「国民には周知する予定はない」とのこと。国民に期限の延長を伝えると、安心してしまって切り替えを怠る方が出てくることを予想して周知しないのだと推察できる。
保険証以前に、マイナンバーカードの普及も思うようには進んでこなかった。政府は2022年末までに浸透をめざすという目標を設定しながらも、普及率は2025年12月14日時点で約8割である(注3)。
ここからさらに普及率を上げていくためにはさまざまな難所がありそうだ。
ちなみにマイナ保険証の取得率は、マイナンバー保持者のこれまた約8割程度であり、単純計算で国民の64%ほどしかマイナ保険証を持っていないということになる。そして窓口での利用率は先述のとおり44.4%であるから、マイナ保険証を持っていても、約半数以下しか窓口で利用していないことになる。

注1:厚生労働省「マイナ保険証の利用促進等について」、P.2図「レセプト件数ベース利用率」

注2:厚生労働省保険局医療介護連携政策課「マイナ保険証を基本とする仕組みへの移行について(周知)

注3:総務省「マイナンバーカード交付状況について
■行政のデジタル化が進むはずだったが…
なぜ日本では、マイナンバーカードやマイナ保険証の普及が進まないのだろうか?
2023年にデジタル庁が発表した文書によれば、「コロナ禍では、欧米諸国や台湾、シンガポール、インドなどで円滑に進む行政サービスが我が国では実現できないという事実に直面」したという(注4)。デジタルが威力を発揮する局面において、日本はデジタルを使いこなせなかったのだ。
他国をみると、「国民ID」が非常に浸透している国もある。国によって国民IDの定義や仕様が異なるため単純比較は難しいものの、諸外国、特にEU圏を中心にデジタル化が進む国に比すると普及が停滞している感はある。ただし、国民IDの普及率が高い国はいずれもIDの取得が義務化された国である。義務化していない日本での「8割」はなかなか善戦してもいるのだが……。
マイナンバー制度の最大のメリットは、行政のデジタル化による効率化だとみられていた(注5)。さまざまな情報の照合・転記・入力などに要する時間や労力をデジタル化によって削減し、それは結果的に利用者側の利便性や、他のサービスに予算を割り振る余裕にも繋がる。初期コストは必要なものの、長い目でみて省コスト性があることがメリットだったのである。


注4:デジタル庁「マイナンバーを巡る諸問題と対応について

注5:渡邊創.(2016). マイナンバー制度とマイナンバーカード. 映像情報メディア学会誌, 70(7), 593-602.
■現在は明らかに「ムダ」な状態
既存のオペレーションをデジタル化することで今後さまざまな業務が多面的に効率化されていくはずだ、と考えると、既存のオペレーションを残しながらデジタルなマイナンバー制度と併存させることはムダでしかないわけで、早期の「完全移行」が望まれる。
しかし現在は旧制度と新制度が併存している状況なわけであり、この状況が続くことはムダであり、またデジタル化のメリットが社会として十分に享受できていないことになる。
また、デジタル化のメリットは国民目線でいえば「間接効果」だ。先に全体効率の向上が起きてから、個人レベルに便益が波及してくるという順番になる。国民としてはデジタルに切り替えたところで即時にメリットを享受できるわけではないので、効果を感じにくいはずだ。
現時点でデジタル化のメリットは生じているとはいえないし、効果は間接的なので感じづらい。「マイナ保険証にする意味がいまいちわからんよね~」となっても、当然であろう。
「国民にメリットがある」という最大の目的は、実現まで時間がかかり、十分なデジタル化を達成してほとんど移行できた段階でしか効果を発揮しない。そのうえ、メリットは間接効果である。マイナ保険証の普及が停滞してしまっている原因は、この辺りにもありそうだ。
■新しいものは「普及しにくい」という定説
マイナ保険証が浸透しない別の理由として、マイナ保険証が新しい制度だから、という問題も考えるべきだ。
前提として、新しいものはふつう初期には受容されない。

切り替える手間が多い(スイッチングコストが高い)、本当に価値があるのかの判断がつきづらい(不確実性が高い)、などの理由から、新しいものを最初から評価する人は決して多くはない。
組織や人の行動には「慣性」が働くことも知られている。物体が動いていれば動き続け、止まっていたら止まり続けるという性質になぞらえて、組織や人が既存の行動をそのまま持続させることを指している。ほとんどすべての人は、リスク(変動)を回避し、変化を嫌うはずなのである。
それでは、どうすれば新しいものが普及していくのだろうか?
こうした問いに対して経営学においては、主にイノベーションの普及といった観点から研究が重ねられている。一般論としては、普及にはアーリーアダプターと正当性の存在が重要視される。
■「誰一人取り残さない」からこその難しさ
アーリーアダプターとは、初期に適応する人たちのことで、みなが迷っている初期にいち早く新しいものを取り入れる人々のことである。正当性とは、それ自体が当たり前で、適切だと感じさせる知覚のことである。「みんなやっている」とか「有名な人がやっている」といったことは正当性の確保につながる。最初にファンをつくって、そこで得られた正当性をフックに普及を推進するというイメージだ。
ただし、マイナンバー制度と企業のイノベーションには、隔たりもある。企業のイノベーションは顧客にウケて市場を獲得すればいいわけなので、万人に受容される必要はない。
なので、ターゲット顧客を絞り、その顧客に受容されるように戦略を練ればよい。対してマイナンバー制度は全国民を対象としたサービスであり、「誰一人取り残さない」ことが目標である。だから、とりあえずまだ持っていない2割の層に保有を促す必要がある。
■マイナポイントの配布はムダだったのか
2025年に国際大学の山口真一らが発表した、何がマイナンバーカード普及の障壁になっているかについての詳細な研究は示唆に富んでいる(注6)。
山口らはまず、まだ持っていない人(未保有者)はなぜ持っていないのかに着眼する。さらに未保有者のうち、取得はしようと思っているグループ(意向者)と取得意思がないグループ(非意向者)に分けてその傾向も分析している。
結果としては、「初期努力」と「プライバシーへの懸念」が保有しない要因として挙げられた。あえて意訳すれば「めんどくささ」と「不安」である。
さらにマイナポイントという「ニンジン」をどう評価するかについては、意向者はポジティブに受け取っていたものの、非意向者はその価値を評価していなかった。「ポイントつけるから取得してね」というメリットを軸にしたアピールは、非意向者には効果が薄いとみてよいだろう。
さらに非意向者の特徴として、「社会的影響」「IT革新性」「政府への信頼」の項目のスコアが低い傾向が見られた。それぞれ「自分にとって大切な人にマイナンバーを使ってほしいと思う」「新しいITに出会ったら使ってみたいと思う」「政府を信頼している」などにネガティブに回答していたのだ。

マイナンバーカードを持っておらず取得する気もない方は、ポイントで得するという誘因には興味を示さず、ITや政府といったものに関心がないか悪印象を持っているという状況がうかがえる。国民のうち、マイナンバーをまだ持っていないし持ちたがっていない人は、デジタルや政府に不安を抱えているのだ。

注6:Yamaguchi, S., Inoue, E., Oshima, H., Nakano, S., Katsumata, S., Ichikohji, T., & Ikuine, F. (2025). An empirical study on psychological barriers for promoting individual number card adoption in Japan. Social Sciences & Humanities Open, 12, 102152.
■日本人は「デジタル不安」を抱えがち
日本人がもつ不安の高さを裏付ける研究は他にもある。(現)大阪公立大の渡邊真治が2012年3月、マイナンバー制度導入前に行ったウェブ調査によると、その時点で導入反対は約4割に上っていた。当時の反対票をふまえると現在は浸透できている方なのだ。
また渡邊は、日本は国際的にみて不安を感じる割合が高いことを指摘している。渡邊も引用している「ICT関連動向の国際比較」では、7カ国を対象とした2009年の調査において、デンマークは10の不安要因のうち全てで高い安心を示していたのに対し、日本は10の要因のうち実に8つが調査国中で最高の値を示した。
世界経済フォーラムが毎年算出しているNetworked Readiness Index(NRI、ネットワーク対応度指数)によると、日本は2024年の世界ランキングで12位である。ちなみに2013年で21位だったそうで、だんだん順位は上がっている。デンマークは10位なので日本と大差ない。デジタルの浸透度にかかわらず、日本人はデジタル化に不安を感じているのである。
■「M-1」でもイジられる「情報の扱い」
こんなエピソードもある。

2024年のお笑い賞レース「M-1グランプリ」では、マイナンバーカードをネタにするコンビが登場した。病院に運び込まれた患者さんのマイナンバーカードから、氏名、年齢、血液型、既往歴、星座、MBTIのタイプ、趣味などが読み取れたという「ボケ」に対して、ツッコミ役が叫ぶ。
「やっぱりちょっとカード作るの怖いなぁー!」
このネタがまったくの創作だと笑い飛ばせればよいのだが、実際のところ我々は、マイナンバーカードによって何の情報がわかってしまい、逆に何がわからないままでいられるのか、それすら曖昧なのではないかと思う。昨今流行(はや)りの陰謀論などとの相性も良い。政府によって情報が管理されて悪用されているといった感覚に陥れば、自ら進んでマイナンバーを取得する人はいなくなるだろう。
他国に目を向けると、国民IDは一定のトラブルも引き起こしている。実際に米国や韓国では、国民IDに起因した「なりすまし」トラブルが起きてきたという。韓国では国民IDがあらゆることに用いられ、本人確認の認証コードとして用いられたケースもあったそうだ。
マイナンバーが便利になると、そのぶんマイナンバー情報の価値は増し、悪用の手段も増えていく。便利度を高めることと情報悪用の危険性は隣り合わせだ。それらの反省をふまえてか、日本のマイナンバー制度ではたとえば商用の利用はあまり想定されていない。危険度が低い代わりにあまり役に立たないという方向を選んでいるようにみえる。
■笑ってはいけない「黒丸問題」
そして、日本政府がここまでマイナンバー制度に関して信頼を十分に得てきたかといわれると、疑問符もつく。マイナ保険証に関しても、全国保険医団体連合会の調査では9割の医療機関でトラブルが生じているのだという。報告されたトラブルのうち一番割合が高いのが「●(黒丸)が出る」問題である。
不謹慎ながら(?)、ちょっと笑ってしまうような問題だ。いわゆる「文字化け」で、マイナ保険証を読み込むと文字コードのせいで「●」が出てしまうことがあるらしい。頻発する黒丸問題に対して行政の反応は頑なで、前デジタル大臣の河野氏は9月20日の記者会見において「黒丸が出てくるのは、トラブルではなく仕様」と説明した。厚労省も、同様に問題ないといった対応だ。
しかし、全国保険医団体連合会曰く、「医療機関は患者さんに『そのような仕様になっているので領収書や処方箋が“●”になっていても我慢してください』とは言えません。現場では、患者さんに確認し手作業で修正するなど事務手間が生じています。「黒丸問題」はシステム仕様上の致命的な欠陥と言えます」と訴える(注7)。正論に思える。
要は、システムの不備(行政側はそもそも不備ではない、と主張するのだが……)を、マイナンバー制度を設計した側ではない医療機関が尻ぬぐいすることになっているのである。

注7:全国保険医団体連合会「マイナ保険証トラブルで『一旦10割負担』12.7%・1894件発生 『マイナポータルでトラブル対応』はわずか5.1%
■政府は“ニンジン頼り”のままでよいのか
さて、結局どうすればマイナンバーやマイナ保険証は取得が進んでいくだろうか。
強調すべきは、現在マイナンバーやマイナ保険証がまったく浸透していないわけでもないし、あまりにも多くのトラブルで制度が崩壊している、というわけでもないという点だ。すべてがダメだから止めてしまえ、というのも暴論である。普及や利用は進んではいる。ただ、間接効果であるメリットを国民が享受するまでにはまだ時間がかかるだろう。
そして現状の失策として、トラブルが起きることを想定して危機に対応していくという手順がとられていないように思われる。先述の黒丸問題にしても、トラブルではない、不備ではない、と自身の無謬性をアピールする前に、困っている医療機関の声を聞こうとするべきではなかっただろうか。
雑駁な印象論ながら、昨今の政策は「あなたが得できますよ」という誘引材料、要はニンジンをぶら下げるようなものが多いように感じる。マイナポイントを軸に据えるといった政策は代表例である。ニンジンは普及の一因として寄与したかもしれないが、ここからはニンジンの効果は薄そうな非意向者を含めた未取得者にアプローチしない限り普及は進まない。
■メリットを強調する前にやるべきこと
そこで必要とされるのは、メリットの喧伝ではなく、丁寧に不安を取り除き、起きているトラブルをトラブルと認めて対処していくという地道な作業である。
どうやら特効薬はなく、国民の面倒くささと不安を取り除くしかないようだ。特に不安については、デジタル技術や政府への不信頼から発生しているように見受けられる。政府を信頼できないという人を説得したければ、ポイントで得するといったことより、安全性を丁寧に説かないといけない。
あなたは得できるよ、というコミュニケーションではなく、我々がやろうとしていることはこういうことだという方針を公明正大に伝え、問題があれば真摯に対処しようとする透明性を担保していくことこそが、結局は近道なのである。

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舟津 昌平(ふなつ・しょうへい)

経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師

1989年、奈良県生まれ。京都大学法学部卒業、京都大学大学院経営管理教育部修了、専門職修士(経営学)。2019年、京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。京都産業大学経営学部准教授などを経て、2023年10月より現職。著書に『経営学の技法』(日経BP社)、『Z世代化する社会』(東洋経済新報社)、『制度複雑性のマネジメント』(白桃書房/2023年度日本ベンチャー学会清成忠男賞書籍部門、2024年度企業家研究フォーラム賞著書の部受賞)、『組織変革論』(中央経済社)、『若者恐怖症 職場のあらたな病理』(祥伝社)など。

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(経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師 舟津 昌平)

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