■移行がスムーズに進んでいない実態
従来の健康保険証が2025年12月1日に廃止され、マイナンバーカードを使った「マイナ保険証」に切り替わった。実際は、「医療現場の混乱を避けるため」という理由で、有効でなくなった健康保険証でも2026年3月末までは保険医療が受けられる。
また、マイナンバーカードを持っていない人には、加入する健康保険組合などから自動的に「資格確認書」が無償で交付され、これまで同様、それを病院の窓口で見せれば、保険診療が受けられる。
デジタル庁など政府のホームページには、従来の健康保険証は12月1日まで、12月2日からはマイナ保険証、と記載されているので、マイナ保険証でなければ保険診療は受けられないと思いがちだが、実際はそうはなっていない。
特例措置や資格証明書の発行など「従来と同じ方法」が温存されたのは、マイナ保険証の使い勝手が悪く、移行がスムーズに進んでいないからだ。厚生労働省が12月18日に公表した11月のマイナ保険証の利用率は、39.24%だった。「使えなくなる」と誤解させるような広報で、急遽「マイナ保険証」を登録した人もいると思われ、12月は増える見込みだが、それでもマイナ保険証への「一本化」が進んだとは到底言えない水準に留まりそうだ。
■マイナ保険証に変えるメリットを感じられない
2025年6月13日に閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針2025」いわゆる「骨太の方針」では、DX(デジタル・トランスフォーメーション)施策の柱として「医療DX」を掲げ、「医療DXの基盤であるマイナ保険証の利用を促進しつつ、2025年12月の経過措置期間後はマイナ保険証を基本とする仕組みに円滑に移行する」と高らかに宣言していた。だが、残念ながら政府の思惑通りには事態は進んでいない。
医療現場のDX化が進み、それが患者の利便性や、医療の質の向上につながるのであれば、国民をあげて歓迎すべきことだろう。しかし、DX化に当たっての基盤として「マイナ保険証」を「基本」とすることが本当に国民のためになるのか。これは便利だ、という事になれば、多くの国民が競ってマイナ保険証を使うに違いない。だが、そうなっていないのは、マイナ保険証に変えるメリットを利用者が感じていないからに他ならない。
マイナンバー制度が始まったのは2016年1月。
ちょうど10年が経ったことになる。にもかかわらず人口に対する保有率は昨年12月時点で80.8%に過ぎない。言うまでもなく、マイナンバー制度によって国民は基本的に全員、マイナンバーが割り振られている。番号自体は全員が持っているわけだが、カードとなるといまだに5人に1人が保有していないのだ。国民の2割を置き去りにしたまま、医療DXが推進されていることになる。
■「あると便利」から「ないと不便」への転換
導入以来、政府はマイナンバーカードの普及促進に必死だ。当初はマイナンバーカードがあればコンビニの端末で住民票の発行が受けられますといった「利便性」を強調していたが、国民の反応は鈍かった。
焦った政府は「アメ」を国民にばら撒くことで、マイナンバーカードを普及させることを考えた。カードを作れば「マイナポイント」を差し上げますというのだ。第1弾、第2弾で合わせて最大2万円分のポイントがもらえるようにした結果、2019年4月に普及率がわずか13%だったものが、2023年12月には普及率は73%に達した。
民間のクレジットカード会社などがポイントを付与するのは、作成後にカードを利用することによって、会社に収益をもたらすからだ。いわば宣伝広告費としてポイントを付与しているわけだ。
では、政府が国民に利益供与してまでカードを普及させるのは何のためなのか。この間、投じられた国費はおよそ2兆円にのぼるのだ。
「アメ」をばら撒くことで普及をはかったが、それでも8割に止まった。そこで政府が持ち出したのが「ムチ」だった。健康保険証を廃止し、マイナンバーカードに紐付けした「マイナ保険証」に一本化してしまえば、否が応でもマイナンバーカードを作らなければ不便になる。国民を、不便になるぞと脅すことで一気にマイナンバーカードを普及させようと目論んだのだろう。「あると便利」の戦略を「ないと不便」に変えたわけだ。
■老人ホームでは健康保険証を預けることが多い
だが、マイナンバーが無ければ保険診療を受けられないとなると国民の命にかかわる。国会での大議論を経て修正がはかられた。2024年12月2日をもってそれまでの健康保険証の新規発行を停止するとしたが、マイナ保険証と併せて、それまでの健康保険証も1年間は使えるようにした。さらに前述の今年3月までの特例や、「資格証明書」の自動送付などを決めたわけだ。
政府は医療機関にも働きかけを強め、マイナ保険証用のカードリーダーの設置などを支援した。
だが、使い勝手が良いとは言えず、窓口で混乱するケースが頻発した。だいぶ収まってはきたが、規模の小さい病院ではマイナ保険証の利用を積極的に勧めないところもあるようだ。
なぜ、マイナ保険証の普及が進まないのか。政府のDX戦略に疑問を持ったり、マイナンバーカード自体に疑問を持つ人も少なからずいる。だが一方で、高齢者でマイナンバーカードの作成がままならないという人も多い。
例えば、老人ホームに入っている高齢者の場合、施設に健康保険証を預けているケースが多い。定期検診だけでなく、とっさの体調不良などで医師にかかる場合に必要だからだ。だが大半の施設では、マイナンバーカードは預かってくれない。医療保険の「鍵」だけが必要なのに、本人認証を含めあまりにも多くの「鍵」が付随しているため、安全面で管理し切れないというわけだ。結局、大半の施設は、「資格証明書」を預かることにしたようだ。
■「プラスチックカード」の普及が目的に
さらに、銀行口座をマイナンバーカードに紐付け「公金受取口座」として登録している人の数になるとカード保有者の65%に過ぎない。保有者8割の65%だから、人口の半分しか口座を登録していないことになる。
やはりマイナンバーカード自体への国民の信頼度は高くないということだろう。
もともとマイナンバー自体は、すでに国民全員が保有している。長年、リベラル派が反対してきた「国民総背番号」は実現しているのだ。実際、銀行口座を維持するためにはマイナンバーの提示が求められているなど、マイナンバーの利用拡大も進んでいる。
ところが政府はマイナンバーカードというプラスチックカードの普及に血眼になった。そこにはプラスチックカードなどの利権が存在するという穿った見方もあるが、首相官邸の実情に詳しい政治家のひとりは、「マイナンバーカードの普及という目標を政治が設定してしまった結果、官僚機構の中で普及率引き上げが自己目的化した」と見る。
だが、首相が交代し政権が代わっても「カード」信仰は止まらない。世の中ではポイントカードなどのプラスチックカードはどんどん姿を消し、スマートフォンなどのアプリに替わっていっている。カードが姿を消しているのだ。政府も「カードの時代ではないだろう」というIT専門家の声を受けて、iPhoneとAndroidのスマートフォンを利用する仕組みの提供を始めた。
■政府の「本当の狙い」は何か
ところが、これはマイナンバーカードを作ったうえで、それをスマートフォンのウォレット機能などに搭載する仕組みで、カードの発行は必要になる。しかも、このスマホマイナカードは、運転免許証としては使えず、マイナカードを一緒に持ち歩くか、免許証を帯同する必要があるという。
これが日本政府が考える「便利になるDX」なのか。
マイナンバーカードを普及したい政府の本当の狙いは何なのだろう。かつて麻生太郎氏が財務相でポイント還元の議論が起きた際に、買い物時にマイナンバーカードを提示して、その金額に見合ったポイントを付与すれば良いというアイデアを開陳したことがあった。大臣がポロッと発言したのは、財務省内でそういう意見があるからだと見ていいだろう。
財務省からすれば、人々の消費行動を全て把握することができれば、その人の申告ベースの所得と消費額が一致しているのかどうか有効な判断手段になる。また、資産を補足するにも力を発揮するに違いない。今後、人口が大幅に減る中で、個人の所得を把握する重要性は益々増す。マイナンバーカードを全国民に持たせたい理由は、資産や所得の完全把握になるからではないか、そんな疑念を一定数の国民は抱いている。

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磯山 友幸(いそやま・ともゆき)

経済ジャーナリスト

千葉商科大学教授。1962年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。
著書に『国際会計基準戦争 完結編』(日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)などがある。

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(経済ジャーナリスト 磯山 友幸)
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