■“カゾク”になるまで苦労した八雲
年末、明るい未来を予測させる感じで終わったNHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」。
新年からの第14週は、いよいよ錦織(吉沢亮)が見守る中で、松野家と雨清水家が顔合わせ。しかし、突然怒り「カゾク、ナル、デキナイ!」と言い出す、ヘブン(トミー・バストウ)。そう、トキ(髙石あかり)が借金や、三之丞(板垣李光人)に毎月お金を渡していることを隠していることが許せなかったのだ。
ドラマでは、それぞれが隠し事を詫び、和気藹々と終わったが、史実の八雲はかなり苦労をしていた。
実のところ、八雲とセツの結婚時期ははっきりとしていない。長谷川洋二『小泉八雲の妻』(松江今井書店 1988年)では、さまざまな説を紹介している。ここでは、セツが結婚した時期を12月とも1月ともいっていたことが明らかになっている。長谷川は、12月は恐らく旧暦で、実際には新暦の2月だったのではないかと考えている。
改めて、めちゃくちゃなスピード婚である。冬も厳しくなった1891年1月に、八雲はあまりの寒さに体調を崩してしばらく寝込んでいる。
(参考:出会いから"たった4カ月"のスピード婚…「ばけばけ」小泉八雲が"女中のセツ"に急速に惹かれた本当の理由)
■“二人の新居”を構えるのは早かった
その一方で、セツとの二人の関係は燃え上がっていたのだ。友人への手紙では「松江は寒い、体調が悪い」と愚痴をこぼしていた八雲だが、セツの前では別人だったに違いない。恋する男に、寒さなど関係なかったのである。
そして、2月には早くも夫婦同然の関係になっている。
どれだけ急いでいるのか。結婚後に女中として雇われた高木八百は、2月に冨田旅館を出た八雲が新しく借りた、京店の御掛屋(両替屋)地内の屋敷に勤めることになったと語っている(桑原羊次郎『松江に於ける八雲の私生活』山陰新報社1953年)。1月には病床で弱音を吐いていた男が、2月には新居を構えて新婚生活である。
この新居は、八雲がビールを買っていた山口薬局の裏にあたり、これまで住んでいた冨田旅館からも遠くない距離にあった。そのため、しばらくの間、食事はこれまで通り冨田旅館から運ばれていた(根岸磐井『出雲に於ける小泉八雲』八雲会 1930年)。この屋敷は既になく、土地は駐車場になっているが、「ばけばけ」の放送にあわせて埋められた古井戸に「八雲とセツ、物語の始まりの井戸」という看板ができた。
なんにせよ、あいもかわらず体調が悪い八雲にしてみれば、いろいろと腹立たしいことも多い冨田旅館から早く離れたいという思いもあったのではないだろうか。
■セツは“弱った八雲”を献身的に支え続けた
なにしろ、2月頃、八雲はセツとの関係を深めていく一方で深刻なノイローゼになっている。2月半ばと推定される、英語教師の西田千太郎に宛てた手紙では、不眠に苦しんでいたことも記している(池野誠『小泉八雲と松江:異色の文人に関する一論考』島根出版文化協会1970年)。
ようはノイローゼに苦しんでいた時期と、結婚した時期が一致するわけだ。
これは、別に変なことではない。八雲に松江の厳しい冬と、ノイローゼに耐える活力を与えてくれたのは、間違いなくセツだった。
なにしろ、この頃の松江は文明からも遠く離れた途上国の辺境ともいえる場所である。このまま病が重くなれば「ラフカディオ・ハーン氏客死」と自分が記事になってしまうことも、あり得ただろう。
仮の夫婦とはいえ、新居で始まった二人の生活。松江の厳しい冬の中で、セツは献身的に八雲を支え続けた。病で弱った異国の男を、若い娘が昼夜を問わず看病する。言葉も文化も違う。それでも、二人の間には確かな絆が生まれていた。
この時点で、八雲にとって、セツの存在は単なる看病人ではなく、人生の伴侶だったのだ。だからこそ、あれほど急いで新居を構え、夫婦同然の生活を始めたのだ。体調不良もノイローゼも、セツがいれば乗り越えられる……八雲はそう信じていたのだろう。
■“知事のお嬢様”に招かれた八雲
そして実際、その信頼は裏切られなかった。この冬の試練を二人で乗り越えたことが、その後の長い結婚生活の確固たる土台となったのである。
この2月の八雲の動向は、いまいち判然としない。西田千太郎も体調が悪化して寝込んでいたので、日記の記述も簡潔だからだ。ただ、八雲は自分も不眠とノイローゼに悩んでいるというのに、頻繁に西田を見舞っている。ここで気になるのが、2月18日の記述。ここには、こう記されている。
ヘルン氏同伴、籠手田令嬢ノ招ニヨリテ往テ古画類ヲ覧
そう、ドラマでは年末に決着のついたはずの県知事令嬢である。史実では八雲とセツが結婚したという時期にも、かなりグイグイ来ているのだ。
もしかすると、このことが八雲とセツの関係をさらに深めたのかもしれない。ライバルの存在は、恋を加速させる。セツにとって、県知事令嬢は決して無視できない存在だっただろう。
(参考:だから小泉八雲は「知事のお嬢様」を選ばなかった…朝ドラ・セツの「恋敵」が起こした前代未聞のスキャンダル)
■“2日に1回”訪問していた英語教師の西田
この後、冬も峠を越えると体調も戻ってきた西田だが、頻繁に八雲の家を訪ねるようになっている。4月に入ってからの日記を見ると、3日に八雲宅で昼食、4日も訪問、7日も訪問、9日は浜田の中学校長と共に訪問、14日は訪問して夕食、16日も訪問、22日も訪問、29日は八雲宅で夕食。30日は尋ねたら留守だったが、自宅に帰ると八雲がやってきた……。
新婚世帯に、ほぼ2日に1回のペースで押しかけている。しかも、これ以外にも外で八雲に会ったり、よそに出かけたりしている。
特に29日は、八雲の家で夕食を食べた後に、近くの芝居小屋でやっていたサイサイ節(明治に流行した横浜発祥の流行歌、ノーエ節とも)の興行を見物に出かけている。
ここで重要なのは、西田の目にセツがどう映っていたかである。当時の感覚からすれば、外国人教師が日本人女性を「妾」として囲うという構図は、決して珍しいものではなかった。
だが、頻繁に八雲宅を訪れる中で、西田の見方は変わっていったはずだ。セツの献身的な姿勢、八雲への気遣い、そして二人の関係性を目の当たりにして、西田は確信したのではないか。「先生は、いい人を見つけた」と。
というのも、この後、西田は二人のためにひと肌を脱ぐことになったからである。
■史実は朝ドラのように単純ではなかったはずだ
ドラマでは、ヘブンが顔合わせの席で激怒したことをきっかけに丸く収まったわけだが、実際には、こんな単純ではなかっただろう。なにせ、お互いに言葉はさほど通じるわけではない。
そうした中でセツは、実は自分が稼いで家族を支えているのだと、八雲に伝えたのだろう。普通に言葉が通じたとしてもなかなか話せないことである。それを、セツはきちんと伝えたはずだ。
対する八雲もどうだったか。
ごく一般的に考えれば、恋愛感情があっても、家族まで寄りかかってくるとなれば、そんな面倒くさい女性には幾ばくかのお金を渡して手を切りそうなものである。
おそらく二人の会話は、こんなふうだったのではないか。
片言の日本語と身振り手振りで、セツは必死に説明したはずだ。自分の収入で家族を支えていること。しかも、その家族には遊んでばかりで仕事もろくにしない弟までいること……そんな言葉にならない部分も、目で訴えただろう。申し訳なさと、それでも隠せなかった事実への後悔と、それでもあなたと一緒にいたいという思いが、セツの表情に溢れていただろう。
八雲は黙って聞いていた。そして、理解したのだ。セツが背負っているものの重さを。それでも自分のそばにいてくれることの意味を。
■西田が“セツ一家の問題解決”に動いた
こうして明らかになったであろう問題を、日本語が十分でない八雲に代わって、きちんと片付けたのが西田である。日記では6月に入って、このような記述が続く。
6月14日 節子氏ノ実母、小泉氏ノ依頼ニヨリ、ヘルン氏方ニ至リ談ズル所アリ。(註、経済的援助ノ件)
6月21日 小泉氏、玉城氏ト同伴、陳謝ノ為メ来訪。
6月22日 ヘルン氏、北堀町ニ転寓セラレ、正午車ヲ以テ予ヲ学校ヨリ迎ヘラレ、西洋料理の饗ヲ受ク。
つまり、6月までの間に夫婦として暮らすことを決意した八雲は、西田を通して、セツの一家が抱える経済的な問題を解決するように頼んだのであろう。
西田にとって、この依頼は決して軽いものではなかっただろう。しかし、彼は迷わず引き受けた。
なぜか。答えは明白である。4月から頻繁に八雲宅を訪れる中で、西田は二人が本当に幸せな夫婦として暮らしていることを目の当たりにしていたからだ。病から回復した八雲の明るい表情、献身的に尽くすセツの姿、そして二人の間に流れる確かな信頼関係。
ならば、自分がやるしかない。親友の幸せのために、自分が動くしかない。西田はそう決意したのだ。
■セツと八雲は“互いに正直”であろうとしたか
6月14日、西田はセツの母と向き合った。経済的援助の件について、おそらく西田は丁寧に、しかし毅然と話したはずだ。八雲がセツを心から愛していること、そしてセツの家族を支える覚悟があること。その一方で、きちんとした形で話をまとめる必要があることを……。
それらがすべて解決してからの引越である。6月22日の西洋料理に添えられたビールは、さぞやうまかったことだろう。
もちろん、それからの家族としての生活も苦労とは無縁ではなかった。とりわけ、ドラマではめちゃくちゃ反省している三之丞だが、史実のセツの弟・藤三郎は生涯を趣味人として自由奔放に暮らして八雲を激怒させている。
それでも、夫婦の深い絆がすべてを解決させてくれた。
2月からの、えらい勢いで始まった夫婦生活。恐らく二人は、何も隠し事をしなかったのだ。セツは自分の家族の問題を、片言の日本語で必死に八雲に伝えた。八雲もまた、自分の不安や苦しみをセツに打ち明けた。言葉の壁があっても、二人は互いに正直であろうとしたのだろう。
だからこそ、この結婚は長く続いたのである。
隠し事をせず、互いを信じ、支え合う。それが、八雲とセツが松江の厳しい冬に学んだことだった。そして、その教訓は、40年以上に及ぶ二人の結婚生活を支え続けたのである。
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昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。
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(ルポライター 昼間 たかし)

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