「家族葬」が増加した結果、友人知人は故人を見送る機会が失われているという。『定年後、その後』が話題の作家・楠木新さんは「取材をしていても葬儀のような社会的なつながりを確認する場が細っているという声を聞く。
70代後半になったら、自分で“節目”をつくる意識が大切な社会になっているということかもしれない」という――。(第6回/全6回)
※本稿は、楠木新『定年後、その後』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■最終到達地点から「生」を考える
「定年後、その後」の世代(60代後半以降)を取材していて、これからの自らの老いを考える時に、その最終到達地点である「死」から見つめ直すのは意味あることだと感じるようになった。
還暦以降に20年も30年も時間があるのは、今までの人類の歴史の中で、現代に生きる私たちだけが享受できることである。
織田信長の時代は50年。たとえば「定年後、その後」世代が生まれた1951年当時の男性の平均寿命は59.5歳である。
それならば、70年を超えて生きることができれば、残りは極楽で過ごしていると考えてみてはどうだろう。「好きなことだけをやる」「嫌な人とは付き合わない」「嫌なことはしない」など、この世の極楽を謳歌(おうか)する姿勢を持ってみてはどうだろう。
■親の介護を通して自ら老いの過ごし方を考える
私の会社の先輩で、現役の時から今に至るまで30年以上お世話になっている人がいる。5歳年長で、私にとってはメンターのような存在だ。
彼は早期退職して、金融サービス関係の会社を起業した。その後に60代後半で引退した。

彼には、当時80代になる母親がいて、「母の面倒は全部自分でみる」と言って、母親を自宅に呼び寄せて、朝昼晩の食事もすべて自分自身で作っていた。
なぜそこまでするのかと尋ねる私に、彼は2つ理由を挙げた。
ひとつは「母には世話になったから」。もうひとつは「親の介護を通して、自分の老いの過ごし方を考えてみたい」ということだった。
■「人はやっぱり朽ちていく」
母親が90歳を過ぎて亡くなった後に彼に訊いたところ、「人はやっぱり朽ちていく。私が小さい時には万能だった母も無力になっていく」と言う。
自分の老いの過ごし方についてどう感じたかを尋ねると、「死ぬことやエンディングノートはまだまだ先にすべきだ。残された元気な時間をきちんと過ごすことが大事だということを思い知った」と語っていた。
70代半ばの彼に実際に何をするのか重ねて訊くと、彼は音楽が好きなので、仲間と一緒に演奏の練習や発表会をするのが一番の楽しみだという。
また彼は、お互い気楽に情報交換や助け合いができる井戸端会議のような場が大切だと感じている、と話していた。
高齢者問題を経済・財政の課題や世代間の摩擦などの観点から大上段に語るのではなく、彼のように高齢者側に視点を移して、老人の目で自分の生きている姿や今後の老いの姿を見つめるというアプローチは素晴らしいと思ったのである。
■合同墓の「墓友」の交流イベント
先祖が眠る墓地を閉じて合同墓の契約者同士が生前に親交を深める「墓友」という動きがあるという。
日本経済新聞(2025年3月15日)が「墓友」の交流イベントの様子を紹介していた。
NPO法人の施設に67~89歳の男女22人が集まった。彼らは皆、合同墓の契約者だという。
「たくさんの友人に出会えて本当に幸せ。どうか皆様、体を大事に」と、最近83歳で永眠した女性会員が生前に書き留めた墓友へのメッセージが代読されて、涙ぐむ参加者もいたそうだ。また、同じ高齢者向け住宅の入居者たちで共同墓地を建立した例も記事にあった。
「離婚や死別、独身など背景は様々だが、死後の不安や寂しさは共通していた」という入居者の言葉が紹介されていた。
■生きることの中に「死」が含まれている
ジャーナリストの加藤仁さんが、『定年後』で、メンバーがやめないことに特徴があった広島の女性コーラスグループのことを取材していた。
一人暮らしの先輩が、生前から「私が死んだときは白装束ではなく、コンサート衣装を着せてね」「読経よりも自分の好きな曲をメンバーが歌って見送ってもらいたい」と遺言のように語っていた。
彼女が亡くなった時にその通りにすると、後輩たちは「自分のときもそうして」と希望して、一段とコーラスグループの結束力が強まった、という。
本来、死という現象は、合理性や効率を中心とする日常生活には取り込めないので、逆に「生きることの中に死が含まれている」という事実を意識的に取り入れることが、生き方を豊かにする方法ではないかと考えている。
■「家族葬」が増えた結果起こること
現在80歳の男性は、新卒から65歳までメーカーで働き、その後取引先の会社に顧問として10年間ほど在籍した。
現在は引退して趣味などを中心に生活している。
最近は会社員当時の仲間や先輩・後輩、学生時代の友人が亡くなったという連絡をよく受け取る。
しかし、ほぼすべてが家族葬なので、葬儀に出席することはできない。相当親しかった友人、知人でも最後の言葉をかける機会がない。
かつては葬儀が会社の同期や友人が集まる機会だったが、それも失われているそうだ。
■細る「社会的なつながり」を感じる場
また、ある会社の退職者団体に勤めている社員の話によると、昔は亡くなった人がいると必ず団体から葬儀の際に弔慰金を持っていったという。ところが最近は、家族葬が中心になって遺族から団体に死亡連絡が入らないことがある。
その場合は死亡を確認次第、会費を入金する銀行口座に弔慰金を振り込むしかない。しかし相続の手配が始まってしまうと口座は凍結されるので、弔慰金が宙に浮いてしまうそうだ。
要は、昨今は死亡の際に家族以外の友人、知人が介在できる機会はないのである。
コロナ禍の時には、ある80代の女性が、「私の葬儀に誰も来てくれないとしたら、お世話になった人にどこで感謝の気持ちを伝えればいいの」と語っていた。
葬儀は、本来死を現実として受け入れるプロセスの一部であり、死者への敬意と感謝を表明する場でもある。
しかし今は、そのような社会的なつながりを確認する場が細っているのだ。
■「あんたも死んでごらんよ」
その時思い出したのは、「ターキー」の愛称で親しまれた元女優で、映画プロデューサーとしても活躍した水の江瀧子さん(1915―2009年)の生前葬のことだ。SKD(松竹歌劇団)のスターで「男装の麗人」として一世を風靡(ふうび)した。私と同世代だと、NHK「ジェスチャー」に出演していたことが印象に残っているだろう。
78歳の誕生日の前日だった1993年2月19日、都内のホテルに500人が集まって水の江さんの生前葬が開かれた。彼女は「生きている間に、お世話になった方々にお礼がしたい」と考えたという。
当日の葬儀委員長は森繁久彌で、実行委員長は永六輔。とても賑やかな会だったという。
水の江さんは翌日、永六輔に向かって「あんたも死んでごらんよ。いい気持ちの朝だよ」と話したそうだ。
■生前葬のすすめ
その16年後の2009年11月、水の江さんは老衰のため亡くなった。94歳だった。

新聞記事によると、近親者の一人は「静かに亡くなりました。生前葬も済ませてますので身内だけで静かに送りました」と語ったそうだ。
水の江さんのように、生前葬を通して、お世話になった人にお礼を述べるとともに、自分の人生に一旦区切りをつけて、新たなステップに進むという手もあるだろう。
大々的に催すのではなく、父方と母方の親族を集めて生前葬を行うことも考えられるだろう。家族や親族の絆を深める場にもなる。
死に向き合わないと、本当の意味での老いや死に至る準備はできないのかもしれない。
■人生の仮決算
もちろん誰もが生前葬を行えるわけではないし、しなくてもよいだろう。ただ、漫然と年齢を重ねていると大切なものを失うかもしれない、という感覚は必要ではないかと思っている。
80代や90代になったら、自分で何かしようと思ってもできないことも増えるだろう。体調が優れないこともあるだろうし、周囲に動いてくれる人がいない可能性もある。
それならば、どこかの時点で「人生の仮決算」をしてみたらどうか。
仮決算の内容は大きく分けて2つある。

ひとつは、今までお世話になった人にお礼をきちんと述べることだ。もうひとつは、今までの自分の人生はこういうものだったという整理をしたうえで次のステップに進むことだ。
■お世話になった人たちにお礼を伝えたい
前者についていえば、コロナ禍の際に多くの人の声として耳にしたものである。自分の人生を俯瞰(ふかん)した時に、お礼を伝えたい人は少なくないだろう。
実際に私のセミナーでも、70代になってお礼の行脚を始めた人がいる。相手は、会社員当時の同期や学生時代の友人ではなく、会社員から独立する際にお世話になった銀行の行員や起業家の先輩たちだという。
後者についていえば、自身の過去の人生を振り返り、それを他者に語り、または書き残すことでこれからの人生に向かうことに意味があると考えている。
■還暦後も、人生には「節目」が必要だ
文化人類学的に見れば、人の一生は「誕生」「命名」「入学」「成人」「就職」「結婚」「出産」「育児」「還暦」「死」などいくつかの節目からなっているという。これらの節目は、個人が属する集団内での身分の変化と新しい役割の獲得を意味している。
その儀式には「死と再生」のモチーフがあるという。これだけ寿命が長くなった時代には、還暦後にも節目が必要だ。
現実的には、70代半ばくらいまでは多くの人が健康を維持して自立した生活を送れることから、70代半ば以降あたりに節目を自分で作成してもいいだろう。
そういえば、水の江瀧子さんの生前葬は77歳だったのである。

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楠木 新(くすのき・あらた)

作家

1954年神戸市生まれ。1979年京都大学法学部卒業後、生命保険会社に入社。人事・労務関係を中心に経営企画、支社長等を経験。47歳の時にうつ状態になったことを契機に、50歳から勤務と並行して「働く意味」をテーマに取材・執筆・講演に取り組む。2015年に定年退職。2018年から4年間、神戸松蔭女子学院大学教授を務めた。著書には、『定年後』『定年準備』『転身力』(共に中公新書)、『人事部は見ている。』(日経プレミアシリーズ)、『定年後の居場所』(朝日新書)、『定年後、その後』(プレジデント社)など多数。

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(作家 楠木 新)
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