社会保険料の増大による「ステルス増税」は今後も拡大していく可能性が濃厚だ。作家の橘玲さんは「サラリーマンであるあなたにできる“抵抗”はマイクロ法人戦略しかない。
民主主義である日本には、このしくみを使った節税法が恒久的に機能する理由がある」という――。
※本稿は、橘玲『新・貧乏はお金持ち』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■進む「国民皆社会保険化」
前回記事(「やはり厚生年金は割が悪すぎる…厚労省がひた隠しにする『ねんきん定期便』に極小の字で書かれる不都合な真実」)で、パートの社会保険加入は、厚生労働省から見れば「一石四鳥」の「ステルス増税」だと指摘した。
「国民皆社会保険化」の流れの中で、中小零細法人が社会保険に加入しないままという実態を放置することはできず、年金事務所は所轄の法人に対して社会保険に加入する義務があるという通知書を送ったり、従業員10人以上の事業所には重点的に訪問調査を行なうなどしている。
役員一人のマイクロ法人や、従業員が家族だけの零細法人を、年金事務所が一軒一軒訪問するというのは考えにくいが(そもそもそれだけの人員がいないだろう)、それでも今後は、社会保険加入を前提にマイクロ法人の最適化戦略を考えなくてはならなくなった。
■年収を減らすことで社会保険料は抑えられる
マイクロ法人が社会保険に加入すると、個人負担分と会社負担分の両方の保険料を支払わなくてはならないので、きわめて負担が大きい。
社会保険料は、厚生年金と健康保険を合わせて収入の約30%だ。『新・貧乏はお金持ち』では磯野家をモデルに説明したので本稿でもそのまま踏襲するが、マイクロ法人から600万円の役員報酬を受け取っているマスオさんは180万円、役員報酬を300万円に下げても90万円の保険料を(労使合計で)納めることになる。
だが社会保険料は標準報酬月額によって決まるので、マスオさんは役員報酬をさらに引き下げることで保険料負担を軽減できる。
1カ月あたりの厚生年金の保険料の最低額は、東京都の場合、報酬月額9万3000円未満で1万6104円(年額19万3248円)、健康保険料(協会けんぽ)の最低額は、報酬月額6万3000円未満の場合の6716.4円(年額8万597円)だ。
最低額の報酬(月額6万3000円)は年額で75万6000円なので、マスオさんの年収をこれより少なくすれば、社会保険料を会社負担込みで年約27万4000円に抑えられる。
■マイクロ法人化で社会保険料を大幅削減
マスオさんが厚生年金に加入すると、サザエさんはこれまでどおり3号被保険者として、年金保険料を払わずに65歳以降は国民年金を満額受給できる。

さらに磯野家のように扶養家族が多い場合は、サザエさんはもちろん、カツオやワカメ、タラオ、あるいは波平やフネの健康保険も社会保険で賄(まかな)うことができる。
それに対してマスオさんがたんなる自営業者だと、国民年金はサザエさんと2人分で年額40万7520円。国民健康保険は、波平とフネが75歳未満の場合、サザエさんと子どもたちを含めた6人分の保険料が(所得がない場合の)均等割だけで年額44万3100円、これにマスオさん自身の国民健康保険料が加わる。
国民健康保険料の上限は110万円なので、マスオさんの総所得金額が1100万円を超えると、磯野家の国民年金・国民健康保険の負担はおよそ195万円になる。
独立したマスオさんは、マイクロ法人で社会保険に加入することによって、保険料負担を年間160万円以上(195万円-27万4000円)減らすことができたのだ。
磯野家はマイクロ法人化によって、月に1万6000円あまりの厚生年金保険料を払うことで、マスオさんの厚生年金のほかにサザエさんを無料で国民年金に加入させている。さらに月に6700円あまりの健康保険料しか払っていないのに、家族7人分の健康保険証が入手できた。
これはいかにも極端なケースだが、このように考えれば、磯野家にとってマイクロ法人化の恩恵がいかに大きいかわかるだろう。
■「生活するための資産」があれば実現可能
もっともこの場合、なぜ年収75万円(社会保険料を除いた手取りは47万6000円)で生活できるのかが問われることも考えられる。
もっともありうるのは、マスオさんが株式・投資信託などを保有するか、不動産を賃貸しているなどで、法人以外から一定の収入があるケースだろう。あるいは波平にそれなりの金融資産があり、子どもや孫に贈与しているかもしれない。
親や祖父母からの贈与は年間110万円まで非課税なので、波平はサザエさん、その配偶者のマスオさん、カツオ、ワカメ、孫のタラオを合わせて最大で年に550万円を贈与できる。

これなら法人の役員報酬を引き下げることが可能になる。ただし厳密には、波平からカツオやワカメへの贈与をマスオさんが生活費として使った場合、マスオさんへの贈与として課税されることになる。それ以前に、カツオやワカメはこうした“搾取”に抵抗するだろう。
■「法人」と「個人」ははっきり切り分ける
法人と個人で収入を分割する場合、それぞれの業務をはっきりと切り分けておく必要がある。
法人で本業を行ない、個人で株式投資や不動産経営をする(あるいは逆)なら問題はないが、同じような業務からの収入を便宜的に法人と個人に振り分けると、税務調査でどちらかの収入にまとめるよう指導されるだろう。
なお実務家のあいだでは、法人が社会保険に加入していても、役員報酬をゼロにすれば社会保険料は発生しないとされている(社会保険料は標準報酬月額に所定の料率を掛けて計算するので、報酬がゼロだと保険料もゼロになるという理屈のようだ)。
この場合は本則に戻って、法人の役員は国民年金と国民健康保険に加入することになる。
社会保険から合法的に抜けるこの“裏技”を使ったスキームも考えられるが、それは各自で考えてほしい。
■国家税収にとっての「悪夢」
ここまで見てきたように、マイクロ法人を設立することで、磯野家は大幅に家計を改善できた。それではなぜ、日本国はこのような過大な優遇措置を長年にわたって認めてきたのだろうか。
2006年度の税制改正で、国税庁は「同族会社の役員給与損金不算入」の規定を新たに導入した。これによれば、「同族関係者が90パーセント以上の株式を所有」し、「常勤役員の過半数が同族」の場合は、役員報酬の給与所得控除が認められなくなった。

磯野家の節税スキームのポイントは法人と個人で経費を二重に控除できることにあったが、この新規定では給与所得控除の全額が法人の益金となって、中小事業者にとっては大幅な増税になる。
国税庁が規制に踏み切ったのは、新会社法によって従来よりもはるかに簡単に法人が設立できるようになることに強い危機感を持ったからだろう。
全国に膨大な数のサラリーマン法人が誕生し、それらが磯野家と同じことをはじめたら、国家の税収に甚大な影響を及ぼすことは避けられない。これは税務当局にとってまさに悪夢なので、機先を制してあらかじめ経費の二重控除を封じておこうとしたのだ。
■「改革」はたちまち骨抜きに…
ところがこの改正は、自民党の支持基盤である中小企業(それらの大半は同族会社)の既得権を直撃することになった。
その反発は予想以上の激しさで、彼らが政治家に陳情攻勢を行なった結果、早くも翌年には規制が大幅に緩和されてしまった。
当初の改正では、零細法人を保護するため、「役員報酬と法人所得の合計額の過去3年間の平均」が800万円以下であれば適用を除外するとの救済策が盛り込まれていた。この金額が、政治圧力によって翌年には倍の1600万円になり、2010年にはなんと制度そのものがなくなってしまった。
■国税庁だけが知っていた
同族会社の給与所得控除をめぐる一連の経緯は、日本が民主国家である以上、この節税法が恒久的に機能することを教えてくれる。
与党から野党まで、どの政党にとっても地元の中小企業や自営業者は大事な票田だ。政権が誰の手に渡ろうとも、彼らの“米びつ”に手を突っ込むようなことができるはずはない。
いまはまだほとんどのひとが、フリーエージェントやマイクロ法人を自分には関係のない机上の空論だと考えている。
だが国税庁だけは、フリーエージェント社会の到来が税の根幹を揺るがすことに気づいていたのだ。

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橘 玲(たちばな・あきら)

作家

1959年生まれ。早稲田大学卒業。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部を超えるベストセラーに。05年の『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補に。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。著書に『「読まなくてもいい本」の読書案内』(ちくま文庫)、『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』(文春新書)、『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』(幻冬舎文庫)、『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』(集英社)など多数。

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(作家 橘 玲)
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