■享年75歳、直前まで元気だった
「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに 食ふは徳川」
この作者不明の狂歌から察するに、徳川家康という人は、「長生きをして、めぐり合わせが良くて、得をした人」というイメージが、すでに江戸時代からあったらしい。
織田信長が天下布武を謳って剛腕をふるい、今川、武田などの強敵を倒し、比叡山や一向宗などの難敵と戦って地ならしをし、その跡を受けた秀吉が関東や九州を平定してようやく統一した天下を、長生きをした家康がするりとかすめ取った……と。
当の徳川幕府自身、そう思っていたらしい。
この狂歌は作者不明でとらえどころも無いが、この歌をモティーフに「道外武者 御代の若餅」(嘉永2・1849年)という浮世絵を描いた歌川芳虎は、版元と共に手鎖50日という実刑を受け、版木も焼き捨てられてしまった。「当幕府の開祖を茶化した罪」が問われたのである。人は、痛いところを突かれると、過剰に反応するものだ。
織田信長、享年49歳。
豊臣秀吉、享年62歳。
徳川家康、享年75歳……
当時の平均年齢からすると家康は、非常に長生きであったのみならず、亡くなる寸前まで元気だった。それも「あいつは長生きで得をしたなあ」と思わしむる一助になっているのだろう。秀吉も当時にしては長生きの方ではあるが、晩年は歯も抜け落ち、睡眠障害や被害妄想などに悩まされ、失禁を繰りかえすなどだいぶ耄碌していたらしい。
しかし、ただ、漫然と長生きをして得をしたと思われては、家康が可哀想だ。
家康は、涙ぐましいまでの努力を重ね、長生きという珠玉のスキルを獲得したのだから……。
■趣味は薬をつくること・御医師家康
信長の相撲、能、茶道具収集、秀吉の建物道楽や大規模イベント開催などに比べると、書籍や鷹狩など実直嗜好の家康が、「薬作り」を趣味としていたことはよく知られている。
今も久能山東照宮に遺る『和剤局方』は、淵源は北宋時代の中国に至る古典的医薬処方集で、家康はこの書を戦場にも携え、ほとんど諳んじられるほどに熟読していたという。
また、1578年に明の李時珍によって纏められた『本草綱目』も入手し、海外などから珍奇な到来物があると、たびたびこれを引き合わせて医師たちとともに研究を重ねていたというから、こと薬学に関しては玄人はだしな一面もあった。
こんなエピソードもある。ある時、南蛮船より、一尺ほどの薄い石で、側が柏のようになったものが献上された。家康は、多くの医師にこれは何かと訊ねたが、知る者がなく、ただ一人、吉田意安だけが、「瑪瑙の花でしょう」と答えたという。後に『本草綱目』を検点した際に、意安の言うとおりであることが判明した――と『駿府記』に見える。そんな、武将の逸話としては面白くもない話が、家康の行状記の中に、盛り込まれているということ自体、その道に惑溺していたことの証左といえよう。
関ヶ原合戦の後は雨になった。
『徳川実紀』には、家臣や大名、公家、ブレーンの僧などが体調を崩すと、お手製の薬を与えた――という記事が多数記載されている。関ヶ原の合戦の際、鉄砲傷を負った家臣の井伊直政に、手ずから膏薬を塗ってやったという話はよく知られるエピソードで、この逸話から家康と直政は男色関係にあったのではないかと考える向きもある。
当時、病や血は「穢れ」と考えられていたから、たとえ戦場とはいえ主君が臣下の傷の手当てをするなどということは極めて稀であった。しかし家康は、自ら進んで病や怪我の手当てをかって出ている節があり、当時の武将たちは暗に「御医師家康」と揶揄していたという。
家康がこれほど薬学にのめり込んだのには、訳がある。
巷説だが、家康の生母於大の方は、三松平家の跡取り欲しさに、河鳳来寺の薬師如来に安産を祈願した。こうして生まれた家康は、周囲の人びとから「薬師如来の化身」と信じられていた――というのである。実際、死後に東照大権現という神として祀られた際は、その本地(仏教における本来の姿)は薬師如来とされている。薬師如来は、本来無一物の如来の中にあって例外的に、衆生を癒やすために薬壺を持つ存在である。
■何ごとも過ぎたるは及ばざるがごとし
実は秀吉にも「薬マニア」の側面があるが、家康のそれとはまったく異質だ。たとえば朝鮮に侵攻した加藤清正に、頭や腸など虎肉の塩漬を送らせているのは、一にも二にも精力増進のためで、秀吉はこうした方向に傾倒し過ぎたために、寿命を削った側面も見受けられる。
もちろん家康もオットセイの一物などを用いた八味地黄丸などの滋養強壮剤を用いてはいるけれど、何ごとも「過ぎたるは及ばざるがごとし」で抑制の緩急を心得ていた。
■鷹狩で身体を動かして、心身ともにリフレッシュ
また家康は、薬に頼るのみではなく、身体を動かすことも怠らなかった。
『徳川実紀』などを見ていると、家康という人が本当に鷹狩好きだったことが窺える。事あるごとに鷹狩に興じ、その数は記録されているものだけで1000回にもおよぶのだ。1000日ではない。この当時の鷹狩は、獲物を追いながら遠征を重ねるのが普通で、時に数日から数十日にも及んだ。ゆえに、かぞえあげればさらに膨大な日数に及ぶだろう。
同じく『徳川実紀』の中では、「おほよそ鷹狩は遊娯の為のみにあらず、遠く郊外に出て、下民の疾苦、士風を察するはいふまでもなし、筋骨労動し手足を軽捷ならしめ、風寒炎暑をもいとはず奔走するにより、をのづから病なども起こることなし」と語っている。「健康のためにやっているのだ」というのである。
家康は、身長が159cmほどで、体重は約70kg。晩年は胴回りが120cmに達し、「自分で下帯が絞められなかった」(『岩淵夜話』)――などという話もあるが、動きは敏捷だったようだ。理想的な標準体重は、身長(m)×身長(m)×22という式で求められるが、こと高齢者は話が変わってくるという。健康な高齢者の多くは、ぽっちゃりした体形で、しっかりと食べて、きちんと栄養を取ることが基礎的な体力維持には必要という説もある。家康はまさに、「健康なぽっちゃり高齢者」だった。
『中泉古老諸談』には家康の言葉として、「鷹狩の時は早起きをする。運動するから消化にも良いし、腹が減るからなんでも美味しく食べられる。夜は疲れてぐっすり眠るから、自然と閨房からも遠ざかって健康に良い」という意味の記述がある。多淫が過ぎて早死にした(かに見える)秀吉のことが、頭の片隅にでもあったのだろうか。このように、他人のふり見て、我ふりなおせる柔軟さも、家康が自重し、長命を保てた一因といえようか。
ところで、家康という人物をもう一歩踏み込んで考えると、「鷹狩は遊娯の為のみにあらず」という言葉の「のみにあらず」という文言が、際立ってくる。
『三河物語』や『鳥居家譜』には、今川氏の人質であった少年時代に、供として駿府に来ていた鳥居元忠に「百舌鳥を鷹のように飼いならせ」と無理難題を命じたり、隣家の孕石主水邸に鷹の取り落とした獲物を回収に行くたびに「三河の子せがれ」と嫌味を言われたりした――という話が出てくる。
捕らわれの身であった人質時代の家康にとって、ほとんど唯一といってよい心の慰めが、鷹だったのだ。あるいは自在に空を飛びまわる鷹の姿に、拘束された少年がなんらかの希望を投影していたと考えても、そう突飛なことではあるまい。あるいは幼い頃から、鷹にかずけてストレスを解放する術を心得ていたのかもしれない。してみれば、巧くストレスを解消することも健康の秘訣なのだろう。
■最晩年の家康が陥った人間の性ともいうべき病
そんな家康が病に倒れたのは、大坂の陣が終結した翌年、元和2(1616)年正月21日のこと。鷹狩に出ていた先で俄かな腹痛に襲われた。『慶長日記』や『武徳編年集成』によれば、胡麻油もしくは栢油で揚げた鯛をいつになく過食したことが、体調を崩すきっかけになったという。
鯛の天麩羅にあたった……ともいえるが、どうやら元々胃癌を患っていたらしい。食べつけない油っこい料理がトリガーとなり、老齢のために緩慢に進行していた病状が一気に悪化したようだ。
この時も家康は、自ら調合した万病丹という薬を用いている。しかし、この万病丹は劇薬であったため、侍医の片山宗哲(与安)が飲み過ぎを注意すると、家康は腹を立てて宗哲を信州高島に流刑にしてしまう。
あれほど薬学に通じ、医師たちとのディスカッションを重んじていた家康が、自分の薬を、処方を、けなされたと腹いせをしたわけだ。これが、秀吉も陥った「老蒙の病」であろうか。家康は、宗哲を流刑にした直後、元和2年4月17日に身罷った。
その2年後、後継の徳川秀忠によって宗哲は呼び戻され、復職している。父親の老蒙のフォローをした、2代目の介護のように思えなくもない。
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髙山 宗東(たかやま・むねはる)
近世史研究家、有職故実家
歴史考証家、ワインコラムニスト、イラストレーター、有職点前(中世風茶礼)家元。不肖庵 髙山式部源宗東。1973年、群馬県生まれ。東京大学先端科学技術研究センター協力研究員、大阪市ワインミュージアム顧問、昭和女子大学非常勤講師(日本服飾史)などを務める。専門は江戸時代における戦国大名家関係者の事跡研究、葡萄酒伝来史、有職故実、系譜、江戸文芸、食文化、妖怪。
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(近世史研究家、有職故実家 髙山 宗東)

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