米ラスベガスで開催された世界最大のテクノロジー見本市「CES」が1月9日(米国時間)、閉幕した。このうち2026年の自動車業界はどのような方向に進むのか。
現地を訪れた日本工業大学大学院技術経営研究科の田中道昭教授は「2025年12月、中国車メーカーが世界の新車販売台数において日本を抜き、初の首位となる見通しが示された。これをどう読むかによって、CES2026の見え方は大きく変わる」という――。
※本稿は、富士通「テクノロジーニュース」の記事〈CES2026が示したモビリティ産業の次の競争条件〉(1月13日公開)を再編集したものです。
■CESで感じた「自動車業界」の変化
CES2026のモビリティ会場を歩いていて、強い印象を受けた。モビリティが次の段階へ進んだという、はっきりとした手応えだった。
今年、ハードとしてのクルマそのものは前面に出ていなかった。EVの新型車が並ぶ光景は、すでに日常の一部になっている。自動運転のデモに人だかりができる場面も、確実に落ち着いてきた。しかしそれは関心が薄れたからではない。技術が「見せる段階」から「使いこなす段階」へ移ったからだ。
展示やセッションで繰り返し語られていたのは、AIによるSDV(Software Defined Vehicle)の開発と運用、クルマを「売る」ことから「使い続ける」ことへ重心を移した更新・検証・責任の設計、そしてモビリティを社会インフラとしてどう回し続けるかという、より実装に近い議論だった。派手さはないが、産業として成熟するために不可欠なテーマが、会場の中心に据えられていた。

会場では、こんな言葉も頻繁に聞かれた。「EVシフトは、もはやトレンドではない」。一見すると、EVブームの後退や電動化への幻滅を示す言葉のようにも聞こえる。だが、CES2026の現場で共有されていた空気は、それとはまったく違う。EVが終わったのではない。自動運転が失敗したわけでもない。それらが“競争の主語”ではなくなったのである。
■競争の主語は「技術」ではない
では、主語は何に移ったのか。この問いを考えるうえで、見逃せない出来事がある。2025年12月、中国系自動車メーカーは世界の新車販売台数において首位となる見通しが示された。これをどう読むかによって、CES2026の見え方は大きく変わる。中国が日本を打ち負かした「勝利宣言」なのか。
それとも、巨大な国内市場が生んだ一時的な「バブル」なのか。
私の答えは、視点によってそのどちらでもあるということだ。短期的には、確かにバブルの要素は濃い。だが同時に、自動車産業の前提そのものが書き換わり始めていることも否定できない。CES2026が示していたのは、EV(Electrified Vehicle、電動車)かICE(Internal Combustion Engine、内燃機関)かや、自動運転か否か、といった技術選択の先にある世界だった。誰が、どの技術を持っているかではない。誰が、複線化した技術を前提に、産業全体を止めずに回し続けるOSを引き受けられるか。競争の軸は、すでにそこへ移っている。
本稿では、CES2026のモビリティ展示とセッションの現場で確認された事実を起点に、2025年中国車世界首位の意味、「EVシフト修正」は本当なのか、そしてこれからの競争条件は何なのかを、感情論でも技術礼賛でもなく、産業構造の視点から読み解いていく。CES2026は、派手な革命の場ではない。だが、静かな地殻変動の只中にいることだけは、疑いようもなく感じられた。
■かつては「未来の車」を見せる場だったが…
第1章:CES2026で何が起きているのか
――EV後・SDV後のモビリティ、その「語られ方」が変わった
CES2026のモビリティ展示を一通り見て、まず強く感じるのは、説明のされ方が根本から変わったという事実である。
かつてCESにおけるモビリティ展示は、「未来のクルマ」を見せる場だった。EVの航続距離、自動運転のレベル、車内UX、コックピットの演出――どれだけ先進的か、どれだけ派手かが、そのまま価値として受け取られていた。
しかし、CES2026では違う。各社の展示やセッションで繰り返し語られていたのは、その技術をどうやって量産に載せるのか、どう更新し続けるのか、障害が起きたとき誰がどこまで責任を引き受けるのかといった、極めて現実的で運用寄りの論点だった。そこにあったのは、「夢を語る空気」ではない。産業を成立させるための設計思想である。
CES2026では、EVもSDV(Software Defined Vehicle、ソフトウェア・デファインド・ビークル)も、もはや“主役”として扱われていなかった。EVは「選択肢」ではなく前提条件。SDVも「売り文句」ではなく、運用を成立させるための競争条件である。
だからこそ、議論の中心は次のような問いに集約されていく。SDVをどう安全に更新し続けるのか。ソフトウェア主導の車両開発を、どのスピードで回すのか。
不具合や事故が起きたとき、どこで止め、どう戻すのか。その責任を、誰が引き受けるのか。これらは、「クルマを作る話」ではない。クルマを止めずに回す話である。
AIについても、状況はまったく同じだ。数年前のCESでは、「AIを使った自動運転」そのものが主役だった。AIがどれだけ賢いか、どれだけ人間に近い判断ができるかが、展示の中心にあった。
■会場から「ハデさ」が消えたワケ
CES2026では、AIはもはや“見せる技術”ではない。開発工程の自動化、テストと検証の高速化、OTA(Over The Air、通信経由でソフトウェアを更新する仕組み)更新の安全管理、稼働データの分析、予兆検知――AIがなければ成り立たない運用が、静かに組み込まれているだけである。どの展示も、「AIがすごい」とは言わない。「AIがなければ、この構造は回らない」という前提で話が進む。ここでも、焦点は技術そのものではなく、構造であった。

この変化を一言で言えば、CES2026は派手さが消えた展示会である。だが、それは後退ではない。成熟である。EVが当たり前になった。SDVが当たり前になった。AIが当たり前になった。その結果、問われる次元が一段上がった。これらを前提条件として、産業をどう回し、どう収益を生み、どう持続させるのか。ここで初めて、モビリティは「技術競争」から「産業設計競争」へと移行した。
CES2026が、どこか重く、静かに感じられる理由はここにある。技術は出揃った。選択肢は見えた。
逃げ道はなくなった。あとは、誰がこの構造を引き受けるのかという責任の問題だけが残っている。そしてこの問いは、次章で扱う「エヌビディアが示したモビリティの構造転換」と、不気味なほどきれいに重なってくる。
エヌビディアはクルマを作らない。だが、モビリティの主語になりつつある。なぜ、そんなことが起きているのか。その理由を、次章で具体的に見ていく。
■エヌビディアが示した「構造転換」
第2章:エヌビディアはCES2026で何を提示したのか
――Cosmos(世界基盤モデル)/Alpamayo(推論AV)/Halos(安全)/CLA(量産実装)という「一つの構造」
CES2026のモビリティ文脈でエヌビディアを語るとき、最初に押さえるべき事実は、同社が提示したものが「自動運転の新機能」ではなく、世界を理解し、判断し、検証し、更新していくための“構造そのもの”だったという点である。エヌビディアのジェンスン・フアンCEOは、CES 2026の特別プレゼンテーションで、フィジカルAI(現実世界で動くAI)を前面に置き、その中核としてCosmosを“オープンな世界基盤モデル(open world foundation models)”として紹介した。ここで主語になっているのは車ではなく、まず「世界」である。
エヌビディアがCosmosについて繰り返し使った言い回しは、「計算がデータになる(Cosmos turns compute into data)」である。これはキャッチコピーではなく、モビリティの“学習と検証”の現場が直面している制約を、そのまま突いている。
現実走行データは貴重だが、危険なロングテール(まれにしか起きないが最重要な事象)は、そもそも現実で集めたくないし、集まらない。そこに対してCosmosは、プロンプトやシーン条件から生成を行い、さらに「行動が世界を変え、世界が次の入力になる」閉ループのシミュレーションを回せることを強調した。ここでの狙いは、見た目のリアルさよりも、「世界が整合的に反応する」検証可能な環境を大量に回すことにある。
■事故の場面で「どこで何が起きたか」
この「世界」を前提に、次に登場するのがAlpamayoである。エヌビディアはCES2026で、自動運転向けに“推論(reasoning)”を導入するための、オープンソースAIモデルとツール群のファミリーをAlpamayoとして発表した。ここでも、単に新しい運転ロジックを出したのではない。重要なのは、判断を「結果」ではなく「構造」として扱うために、Alpamayoが運転判断・理由・軌道の分離(Driving Decision/Causal Reasoning/Trajectory)という設計を明確に置いている点である。この分離は、AIを賢く見せるためではなく、事故やヒヤリハットの場面で「どこで何が起きたか」を人間側が追跡できるようにするための、監査可能性の設計である。
ただし、ここでエヌビディアが重要な“現実の一線”を越えていない点も見落としてはいけない。エヌビディアは、推論AIを単独で車に任せる設計を採っていない。むしろ、CES2026の資料では、Alpamayoを中核に置きつつ、その周囲をPolicy and Safety Evaluator(方針・安全評価層)、Classical AV Stack(従来型のAVスタック)、そして最下層にHalos Safety OSで包む多層構造を明示している。ここでのメッセージは単純で、「推論(賢さ)」は必要だが、それを量産の責任の中に置くには、別系統の安全レイヤーと“拒否権”を持つ監視構造が不可欠だ、ということだ。
■メルセデス・ベンツCLAの場合
この安全構造は、2025年にエヌビディアがHalosを「クラウドから車両まで」のフルスタック安全システムとして整理していた流れの延長線上にある。つまり、エヌビディアが売ろうとしているものは「自動運転ソフト」だけではなく、AI end-to-endスタックを含む開発・検証・安全の全工程である、という事業設計が一貫している。
そして、この一連の設計思想が「研究デモ」ではなく、量産車の文脈で提示されたことを示す具体例が、メルセデス・ベンツCLAである。エヌビディア自身が「NVIDIA DRIVE AV Software Debuts in All-New Mercedes-Benz CLA」として、CLAにDRIVE AVソフトウェアが搭載されること、そしてそれがMB.OS(Mercedes-Benz Operating System)搭載車としての位置づけを持つことを明確に述べている。ここで強調されているのは、派手なレベル表記ではなく、量産車に載せた上で、将来の機能強化や新機能をOTAで展開しうる構造である。
メルセデス側の情報を見ても、このCLAで提供される運転支援(MB.Drive Assist Pro)は、都市部を含むポイント・トゥ・ポイントの支援機能を持ちながら、ドライバー監視を前提とする“レベル2++相当”として説明されている。これは「レベル4を名乗る」話ではなく、責任分界を保ったまま、量産の機能として成立させるという設計判断である。ここに、エヌビディアが提示した多層安全構造(推論×安全評価×従来スタック×安全OS)が接続される。
■単なる部品供給者でも、AI企業でもない
以上を踏まえると、CES2026におけるエヌビディアの提示は、四つの要素が一体であることがわかる。第一に、Cosmosに代表される世界基盤モデルによって「検証可能な世界」を用意すること。第二に、Alpamayoによって判断を“理由付きの構造”として扱うこと。第三に、Halosを中心とした多層安全構造で、量産の責任と整合させること。第四に、それらを抽象論ではなく、CLAという量産車の文脈で提示すること。この四点が揃ったとき、エヌビディアは単なる部品供給者でも、単なるAI企業でもなく、自動運転を産業として回すための工程(開発・検証・安全・更新)を提供する企業として姿を現す。
最後に、事業構造として見たときの重要点を一つだけ押さえておきたい。エヌビディアは自動車メーカーではなく、運行事業者でもない。したがって、最終的な運行責任・製造物責任を直接引き受ける立場にはない。しかしだからこそ、責任主体が求める「検証」「説明」「更新」「安全保証」の工程を、プロダクトとして供給しうる。この工程が大規模に回れば回るほど、計算(GPU)・ソフトウェア・安全ツール・データが一体化したエヌビディアの提供価値は強くなる。CES2026で見えたのは、この構造が“モビリティ”においても実装段階へ入った、という事実である。
■自動車は「ソフトウェア産業」へ
第3章:AWSはなぜ「産業OSの裏側」を握りに来ているのか
――CES2026が示した、クラウド企業の静かな支配力
CES2026のモビリティ会場で、もう一つ強烈な存在感を放っていたのがAmazon Web Services(AWS)である。ただし、その存在感はエヌビディアとは性質がまったく異なる。エヌビディアが「表に出る主語」だとすれば、AWSは意図的に主語にならない主語であった。
AWSはクルマを作らない。自動運転アルゴリズムも自前では持たない。それでもAWSのブースでは、モビリティのほぼすべての議論が、最終的にAWSの上に着地していた。
CES2026のAWSブースに立つと、まず違和感を覚える。GPU性能の話はしない。AIモデルの賢さも誇らない。語られているのは一貫して、「どうやって回すか」「どうやって止めないか」「どうやって学習と運用を途切れさせないか」である。AWSが示していたのは、モビリティをソフトウェア産業として成立させるための前提条件であった。
自動運転やSDVの本質的なボトルネックは、もはやアルゴリズムではない。膨大で複雑な走行データを、どう理解し、どう検証し、どう改善ループに回し続けられるか。この「データ工学と運用」の問題に、AWSは正面から入り込んでいる。
■AWSが見ているのは「車」ではなく「循環」
CES2026でのAWS展示を貫いていた思想は明確である。車は単体で存在しない。必ず循環の一部になる。車は走りながらデータを生む。そのデータはクラウドに上がり、解析・学習される。結果はソフトウェア更新や運用最適化として、再び車に戻る。重要なのは、この循環が止まらないことである。AWSは、この循環を「個別最適」ではなく、「産業レベルでスケールさせる」ことを狙っている。その象徴が、「Amazon for Automotive」という枠組みだ。これは自動車向けクラウドサービスの集合ではない。自動車産業をクラウド運用産業として再定義する宣言である。
AWSブースで最も注目を集めていたデモの一つが、エヌビディア「Cosmos」の展示である。だが、ここで重要なのは「エヌビディアがすごい」ではない。CosmosがAWS上で回っているという事実である。
■自動運転トラックを「量産」に移すには
COSMOSやOmniverseが生み出すのは、膨大な合成データとシミュレーション結果だ。これらは一度きりの計算では意味を持たない。何千、何万、何百万という条件で回し続けて初めて価値になる。その「回し続ける力」を提供しているのがAWSである。エヌビディアが「世界を理解する脳」だとすれば、AWSはその脳を止めずに働かせ続ける身体だ。AWSはここで、エヌビディアと競争していない。エヌビディアが最も強くなる場所を提供している。
AWSブースで語られていた事例の中で、極めて示唆的だったのが、自動運転トラックをめぐるAUMOVIOとAuroraの事例である。ここで示されていたのは、「自動運転を量産に移すとき、何が一番大変か」という現実だった。走行データは毎日、爆発的に増える。危険シナリオはレアで、しかし重要だ。それらを人手で探し、検証し、評価することは不可能に近い。
AWS上では、エンジニアが自然言語で「雨天の夜間に、歩行者が飛び出したケースをすべて抽出せよ」と問いかけるだけで、該当シナリオが即座に浮かび上がる。ここで起きているのは、単なる効率化ではない。自動運転開発そのものが、データ産業として成立し始めているという転換である。
■富士通がCES2026で示したもの
CES2026で富士通が示したのは、EVや自動運転の機能ではない。ソフトウェア定義車両(SDV)を、どう作り、どう検証し、どう更新し続けるかという“開発と運用の全工程そのもの”である。
写真に示されているのは、SDV向けのMulti-AI Agentによる開発プロセス全体像だ。要件定義(Requirements)から、設計(Design)、実装(Implementation)、テスト(Test)、品質管理・セキュリティ(Management/Security)までが、一つの循環構造として描かれている。重要なのは、各工程に人間の作業を補完・代替するAIエージェントが明示的に配置されている点である。
たとえば要件定義段階では、トレーサビリティ生成AIや通信仕様生成AIが入り、設計段階では設計書生成AIやモデリングAIが作業を担う。実装ではソースコード生成AIやAUTOSAR設定AI、テストではテスト生成AIが動く。さらにレビューAI、品質評価AI、トリアージAIが全体を横断し、不具合やリスクを早期に吸収する構造になっている。
これらは単なる「AIによる効率化」ではない。ALM(Application Lifecycle Management)とCI/CD、シミュレーションテストを前提に、SDV開発を“止めずに回す”ための運用設計である点が本質だ。車載ソフトは出荷して終わりではない。更新され続け、テストされ続け、責任を持って管理され続けなければならない。その前提を、開発プロセス側から先に組み直している。
また、中央にAmazon Bedrockが配置されていることが示す通り、富士通はこの仕組みを特定AIに依存しない、クラウド前提の実装可能な形として提示している。研究構想ではなく、実務で回すための設計図である。
富士通がCES2026で示したのは、「SDVは何ができるか」ではない。SDVを社会インフラとして成立させるには、どんな開発・検証・更新の構造が必要かという、極めて現実的な問いへの回答である。これは機能競争ではなく、信頼と責任を内包した“運用競争”の提示だったと言ってよいだろう。
■「データと現場」の支配点
AWSブースで並んでいたスノーフレイク(Snowflake)とシーメンスの展示は、モビリティが製造と切り離せないことを強く印象づけた。
スノーフレイクが示したのは、車両データ・工場データ・品質データを一体で扱う「データの支配点」である。ここでは、データは保存されるものではない。予兆を計算し、判断を前に進めるための資源である。
一方、シーメンスが示したのは、デジタルツインを「見るための模型」から、「運用を先回りさせる実験場」へ変える思想だった。設計・検証・運用が一本の線でつながり、変更は現場に入れる前に仮想空間で潰される。AWSは、この二者をつなぐ土台である。現場とデータ、仮想と現実を、止めずにつなぎ続ける場所として機能している。
■Amazon LEOが示した「最後の前提条件」
CES2026でAWSがさりげなく、しかし決定的に提示したのがAmazon LEOである。これは通信の話ではない。SDVという概念を成立させる最後の前提条件である。ソフトウェア定義車両とは、更新できる車ではない。更新され続けることを前提に設計された車である。
だが、その前提は、通信が途切れないことを暗黙に要求する。都市部だけで成立するSDVは、未完成だ。Amazon LEOは、「車がどこを走っていても、運用ループから外れない」という保証を、アーキテクチャとして組み込もうとしている。AWSはここで、クラウド、AI、データに加えて、“つながること”自体を責任範囲に含めた。
CES2026で明らかになったのは、AWSがモビリティ産業の裏側のOSの一つになりつつある現実である。AWSは主語にならない。だが、主語が成立する前提条件をすべて握っている。エヌビディアが「考える脳」だとすれば、AWSは「止まらない循環」である。この二者が組み合わさったとき、完成車メーカーは、もはや単独では競争できない。
次章では、この構造が中国メーカーの台頭をどう支え、どう選別を生み出しているのかを見ていく。中国車は本当に「勝った」のか。その答えは、CES2026の現場にすでに示されている。
■中国車首位は「勝利」か「バブル」か
第4章:中国車は本当に「勝った」のか
――CES2026が示したのは勝利ではなく、冷酷な選別の始まりである
2025年12月、中国系自動車メーカーは世界の新車販売台数において首位となる見通しが示された。このことは、世界に強い印象を与えた。日本や欧州の多くの論調は、これを「中国車の勝利」「日本車の敗北」と短絡的に語った。しかし、CES2026の現場に立つと、この見方がいかに粗いかがはっきりとわかる。結論から言えば、中国車は「勝った」のではない。巨大な構造変化の入口に立ったにすぎない。
まず、この首位の中身を冷静に分解する必要がある。中国の乗用車市場は、年間3000万台規模という世界最大の単一市場である。その約7割を中国メーカーが占める。これだけで、すでに世界ランキングの見え方は大きく歪む。
加えて、世界販売ランキングはメーカー国籍別の合算で示される。BYD、吉利、上汽、奇瑞、小鵬――複数の中国メーカーの台数が積み上がる一方、日本や欧州は少数の大手に集約されている。この集計構造自体が、中国に有利に働いている。
CES2026の現場で中国メーカーの関係者と話すと、彼ら自身がこの点をよく理解していることに驚かされる。多くが口を揃えて、こう語っていた。
「これは最終的な勝利ではない。むしろ、ここからが本当の勝負だ」
■すでに選別が始まっている「次の勝者」
中国車躍進が「バブル」と言われる理由も、CES2026では隠されていなかった。中国国内では、すでに明確な供給過剰が起きている。生産能力は需要を上回り、新モデルは次々に投入され、価格競争が常態化し、利益率は急速に低下している。売れ残った車両は、ASEAN、中南米、アフリカへと輸出される。いわゆる「デフレ輸出」である。これは競争力の証明というより、国内で吸収しきれない供給圧力を外に逃がしている構造に近い。この側面だけを見れば、中国車首位は確かにバブル的である。
しかし、CES2026が示していたのは、ここからが重要だ。この過剰と混乱の中で、すでに次の勝者の型が選別され始めているという現実である。中国メーカーの本当の強さは、台数ではない。電池・電動部品・製造を一体で回す供給構造。低コスト量産を前提とした設計思想。OTAを組み込んだ更新前提の製品定義。これらは、EVかICEかという議論とは無関係に、元に戻らない産業構造になっている。重要なのは、すべての中国メーカーが、この構造転換の勝者になるわけではないという点だ。
■CESで見えた「中国メーカーの分岐点」
CES2026の文脈で見えてきた、中国メーカーの明確な分岐点は三つある。
第一に、更新責任を引き受けられるかである。OTAは入れれば終わりではない。不具合が起きたときのロールバック、セキュリティ対応、規制当局への説明責任まで含めて、自社で引き受ける覚悟と体制がなければ、SDVは成立しない。更新を外注に任せる企業は、ここで脱落する。
第二に、海外で流通OSを構築できるかである。価格だけで売れるフェーズは短い。販売金融、保証、整備、部品供給、中古市場まで束ねた海外流通網を、自前で構築できるかどうかが、生死を分ける。輸出で止まっている企業は、ここで詰まる。
第三に、残価を管理できるかである。中古価格が崩れれば、金融が組めず、法人フリートに入れず、ブランドも育たない。「売った後の価値」を管理できない企業は、長期では必ず沈む。
中国メーカーの中でも、この三点に対応できる企業と、できない企業の差が、すでに露骨に現れ始めているのだ。
■真の強みは「失敗コストの極小化」
最後に、中国の本当の強さは、EVや自動運転といった個別技術の優位ではない。CES2026の文脈で浮かび上がるのは、自動車産業における失敗コストを構造的に極小化しているという点である。中国メーカーは、低コスト量産と高速更新を同時に成立させることを前提に車を設計する。完成度を極限まで高めてから市場に出すのではなく、出してから直すことを標準運用とし、OTAによる改良を前提に車両を定義している。
また、巨大な国内市場を実験場として使える構造がある。年間約3000万台規模の市場で、新機能を即投入し、売れなければ即撤退する。その過程で得られるデータは次の改良に転化され、モデルの失敗は企業の敗北ではなく、産業全体の学習として吸収される。ここでは多くの企業が淘汰されること自体が織り込まれており、その結果として勝ち残った企業の競争優位性は、他国では再現しにくいほど際立ったものになる。
そして、電池、部材、製造、価格を一体で逆算設計できる点だ。性能やブランド価値を起点にするのではなく、「この価格で市場が回る構造」を先に決め、そこに仕様と性能を当てはめる。その結果、突出した性能はなくとも、コスト、供給、更新のいずれかで破綻しにくい車が大量に供給される。
中国のディスラプションは技術ではない。価値観、時間軸、リスク配分という前提条件そのものを変えたことにある。CES2026が示したのは、中国が勝ったかどうかではなく、世界の競争がすでにこの前提で始まっているという現実である。
■EVブームは本当に「終わった」のか
第5章:「EVシフトは修正された」は本当か
――終わったのはEVではない。「単線思考」である
CES2026のモビリティ関連セッションを通じて、最も頻繁に耳にしたフレーズの一つが「EVシフトは修正された」という言葉である。この言葉だけを切り取れば、EVブームの終焉、電動化の失敗、自動運転と同様の幻滅――そうした印象を与えかねない。しかし、CES2026の現場で共有されていた文脈は、まったく異なる。結論から言えば、修正されたのはEVではない。修正されたのは、EVだけで世界が回るという単線的な前提である。
CES2026の展示を見渡して、EVが否定されている場面は一つもなかった。EVは、もはや「選択肢」ではない。議論の出発点であり、前提条件である。誰も「EVかどうか」を問わない。問われているのは、「どの市場で、どのEVを、どう運用するか」である。これは、EVが失敗したからではない。EVが“当たり前”になったからこそ、次の問いに移ったのである。
■なぜ「EV一択」の前提が崩れたのか
CES2026で語られていた「修正」の本質は、三つの現実的な摩擦に集約される。
第一に、社会インフラとの摩擦である。充電インフラ、電力供給、災害時対応、寒冷地・高温地域での性能低下。EVは「作れる」ようになったが、「どこでも、無理なく、止まらずに使える」状態には至っていない。これは技術の問題というより、社会システムとの接続の問題である。
第二に、コストと所得水準の摩擦である。EVは確実に安くなった。しかし、多くの国・地域では、依然として大衆車としては高い。補助金がなければ成立しないモデルは、政策が変われば一気に揺らぐ。CES2026では、補助金前提の事業計画そのものを見直す動きが、各国メーカーから語られていた。
第三に、産業側の持続性の問題である。EV一辺倒に振り切った結果、サプライチェーンが特定地域に集中し、地政学リスクが高まり、利益構造が不安定になる。この現実に、各国政府も企業も直面した。CES2026では、「電動化は続けるが、単線では回らない」という認識が、ほぼ共有されていた。
■「複線化」が突きつけた運用の難易度
こうして浮かび上がったのが、EV/PHV/HEV/ICEを併存させる複線モデルである。これは後退ではない。成熟である。EVは、都市部・短距離・規制対応の主役。PHVは、過渡期と関税・規制対応の現実解。HEVは、新興国や中間層市場での安定解。ICEは、当面、信頼性とインフラが重視される地域で残る。CES2026で語られていたのは、「どれを捨てるか」ではない。「どれを、どの市場で、どう回すか」という、極めて運用的な議論であった。
ここで重要なのは、複線化が決して楽な選択ではないという点である。単線モデルであれば、技術開発も調達も製造も流通も、一つの前提で最適化できる。複線化すると、すべてが複雑になる。パワートレインごとの設計。部材の使い分け。製造ラインの柔軟性。流通・金融条件の設計。残価評価の違い。つまり、複線化とは「作る力」よりも、回す力が問われる段階への移行である。CES2026で見えてきたのは、複線化を語れる企業と、語れない企業の差であった。
■EVシフト修正は「入口」にすぎない
CES2026の現場で浮かび上がった答えは明確である。複線化で強くなるのは、技術を多く持つ企業ではない。複線を運用できる企業である。複数の技術を市場別に最適配分できる企業。残価・保証・金融を組み替えられる企業。更新と安全責任を一体で設計できる企業。これは、EVシフト修正という言葉の裏にある、本当の競争条件である。
結論として、こう言い切りたい。EVシフトが修正されたのではない。EVシフトだけで世界を説明する時代が終わったのである。CES2026で共有されていた空気は、失望でも後退でもない。次の段階に進んだという、静かな合意である。そしてこの合意は、不可避に次の問いを呼び起こす。――では、複線化した世界で、何が競争を決めるのか。その答えが、次章で扱う「次の競争条件=産業OS」である。
■「覇権」の定義が塗り替えられた
第6章:次の競争条件は何か
――CES2026が突きつけた「産業OS」という冷酷な現実
EVか、PHVか、HEVか、ICEか。自動運転はレベルいくつか。こうした問いは、CES2026の現場では、もはや中心的な議論ではなかった。語られてはいるが、決定打ではない。CES2026で本当に問われていたのは、まったく別の次元である。次に競争を決めるのは、「どの技術を持っているか」ではない。「産業全体を、止めずに回し続けられるか」である。
ここで、自動車産業における「覇権」を定義し直す必要がある。覇権とは、販売台数でも、技術スペックでもない。覇権とは、標準(規格)+供給網(部材)+製造(コスト)+流通(金融)+更新(ソフト)+残価(中古)これらを束ねた産業OSを設計し、制御することである。これらの要素自体は、昔から存在していた。だが、これまでは分断されていても成立していた。CES2026が示した決定的な変化は、これらが分断されたままでは、もう回らなくなったという点にある。
■中国勢の「強さ」と「弱さ」
理由は明確だ。EV/PHV/HEV/ICEが併存する複線化が進んだことで、あらゆる判断が同時並行で発生するようになったからである。どの市場に、どのパワートレインを投入するのか。部材をどう切り替え、コストをどう抑えるのか。売った後、ソフトをどう更新し、保証をどう引き受け、残価をどう守るのか。これらは一つでも欠けると成立しない。つまり、技術・製造・流通・金融・更新・再販が、一つのOSとして同時に設計されていなければならない。
CES2026の展示やセッションが「地味」に見えた理由はここにある。派手な技術は出尽くした。残っているのは、同時性と責任の設計だけである。
この文脈で見ると、中国メーカーの強さと弱さは、はっきり分かれる。中国メーカーは、産業OSのうち、供給網(部材)・製造(低コスト量産)・更新(OTA前提設計)では、すでに強い。だから価格を下げられ、台数を積み上げられ、世界市場に攻め込める。一方で、流通(金融・保証)・残価(中古・信頼)・更新責任の制度設計では、まだ粗さが残る。CES2026では、この「後工程」をどこまで自社で引き受ける覚悟があるかが、中国メーカー間でも明確な分岐点になっていた。短期では勝てる。だが中期以降、ここを握れない企業は、確実に脱落する。
■日本メーカーが持つ「最強の切り札」とは
日本メーカーは、この逆の位置にいる。EV・ソフト・スピードでは後れを取った。だが、日本が長年築いてきたのは、使われ続けることを前提にした産業OSである。販社網。金融スキーム。整備・部品供給。中古・残価。制度適合と信頼。これらは、CES2026の文脈では、決して時代遅れではなかった。むしろ、複線化時代において再評価される要素である。問題は、それらをEV/SDV/AI時代のOSとして再設計できているかだ。ここに失敗すれば、日本は確実に後退する。だが、ここに成功すれば――複線化時代の本命になり得る。
CES2026では、AIが前提条件になった。だが誤解してはならない。AIは覇権の主語ではない。AIは、需要予測を行い、製造を最適化し、更新リスクを検知し、残価を算定し、異常を先回りで潰す。つまり、産業OSの全レイヤーを横断して、自己最適化させるエンジンである。CES2026で語られていたAI×SDVは、「賢いクルマ」の話ではない。「産業を止めずに回すためのAI」の話である。
次の競争条件とは、EVでも自動運転でもない。複線化したモビリティを、産業OSとして回し続けられるかである。この問いに答えられる企業だけが、バブルの後に残り、構造転換の中核に立つ。そしてこの問いは、自然に次の章へとつながる。なぜ競争は、もはや「企業」単位ではなく、「エコシステム」単位になったのか。それを解き明かすのが、次章である。
■「強い企業」が気づかぬうちに負ける理由
第7章:エコシステム・ディスラプション
――「強い企業」が負け、「正しい位置」を取った企業が生き残る理由
CES2026を通じて、モビリティ産業で最も大きく変わったのは、競争の単位である。もはや競争は、企業対企業ではない。エコシステム対エコシステムへと完全に移行している。それにもかかわらず、多くの議論はいまだに「どのメーカーのEVが優れているか」「どの自動運転技術が先行しているか」という、企業単体・製品単体の視点から抜け出せていない。CES2026の現場で見えていたのは、こうした見方そのものが、すでに時代遅れになりつつある現実であった。
エコシステム・ディスラプションとは、製品や技術が壊される現象ではない。価値が成立する構造そのものが書き換えられる現象である。重要なのは、ここで壊されるのが、必ずしも既存の強者企業ではないという点だ。壊されるのは、価値の取り方、役割分担、儲け方、責任の所在といった、産業の暗黙ルールである。
自動車産業で言えば、「完成車メーカーが主語」「サプライヤーは補完」「販売はディーラー」「売ったら終わり」という前提が、いま静かに崩れている。
■「企業」ではなく「構造」で攻めてきた
理由は明確である。自動車産業は、エコシステム依存度が極端に高い産業だからだ。部品点数は数万点。サプライヤーは多層。規制・安全・保険が密接に絡む。社会インフラとしての責任が重い。この構造では、一社だけが強くても意味がない。全体が噛み合わなければ、価値は成立しない。逆に言えば、どこか一つの支配点を押さえられると、既存の強者であっても一気に立場が揺らぐ。CES2026で起きていたのは、まさにこの現象である。
中国メーカーの台頭は、個別企業の競争力によるものではない。起きているのは、完成車メーカー、部材、製造、販売、更新という役割分担そのものが、別の前提条件で再構成されたという事実である。低コスト量産と高速更新を前提に設計し、失敗を前提に学習し、淘汰を織り込んだ市場構造の中で競争を回す。これは企業が強くなったのではなく、価値が成立するエコシステムの設計が変わったという現象にほかならない。
■躍進の理由は「安いEV」ではない
中国メーカーの台頭を、「安いEVを作ったから」と説明するのは不十分である。彼らがやったのは、企業競争ではない。エコシステム競争への持ち込みである。電池・電動部品・製造を一体化する。OTA前提で更新を組み込む。国内市場を実験場として高速に回す。余剰を海外に流す構造を持つ。これは単なる製品戦略ではない。価値が成立する場そのものを、自分たちのルールで作ったという意味で、典型的なエコシステム・ディスラプションである。重要なのは、この戦略が既存プレイヤーの強みを正面から否定していない点だ。品質も、安全も、信頼も否定していない。ただ、それらが価値に転換される「位置」を変えただけである。
CES2026で最も印象的だったのは、「強い企業が負けている」というより、「正しい位置にいない企業が勝てなくなっている」という現象だった。これまで補完者だった企業が主語になる。これまで主語だった企業が、部品の一つになる。価値の中心が、完成車から、更新・運用・データへ移る。ここで起きているのは、勝敗ではない。主語の交代である。
■日本が直面している「本当のリスク」
日本の自動車メーカーは、いまも多くの点で強い。品質、安全、信頼、流通、残価。だが、エコシステム・ディスラプションの文脈では、「強いこと」自体がリスクになる。なぜなら、強いがゆえに成功体験があり、役割が固定され、境界を引き直しにくいからだ。CES2026で問われていたのは、「どれだけ技術があるか」ではない。何を自社で握り、何を手放し、どこで主語になるかという再配置の判断である。
この環境での勝ち筋は明確だ。エコシステムの中で、代替できない役割を占めることである。自動車産業において、日本が取り得るポジションははっきりしている。残価を設計できる、保証と更新の責任を引き受けられる、規制・安全・制度に適合させられる、社会インフラとして止めない。これらは、単なる強みではない。エコシステムを成立させるために不可欠な役割である。
エコシステム・ディスラプションとは、派手な破壊ではない。ある日突然負けるのではない。気づいたときには、主語ではなくなっている。CES2026で感じたのは、まさにこの空気である。技術は揃った。選択肢も出尽くした。あとは、誰が、どの役割で、このエコシステムを引き受けるのか。そしてこの問いは、自然に最終章へとつながる。
■モビリティは「夢」から「覚悟」の話へ
最終章:CES2026は「静かな転換点」である
――モビリティ覇権は、すでに次の段階に入った
CES2026を数日歩き、セッションを聴き、関係者と話す中で、一つの確信が生まれた。今年のCESは、革命の展示会ではない。だが、転換点の展示会である。EVも、自動運転も、SDVも、AIも、もはや「存在を示す」段階ではない。それらは前提条件になった。その代わりに問われているのは、それらを使って、誰が産業を引き受けるのかという、極めて重く、逃げ場のない問いである。
CES2026が静かに感じられるのは偶然ではない。技術は十分に見えた。選択肢は出尽くした。実験段階は終わった。あとは、「どう回すか」「どう止めないか」「どう責任を引き受けるか」の段階に入っただけである。モビリティは、夢の話から、覚悟の話へと移った。
中国メーカーが世界販売首位に立った事実も、この文脈で見れば意味が変わる。それは勝敗の結論ではない。この構造に入った、という入口のシグナルにすぎない。ここから先に待っているのは、淘汰と再編である。だが同時に、低コスト量産、電動化、ソフト更新、複線運用を前提とする産業OSが、世界標準として固まっていく。問われるのは、台数ではない。誰がOSの主語になるかである。
■日本車は「本命」になり得る
ここまで読んで、「日本はもう終わりなのか」と感じる読者もいるかもしれない。答えは、はっきりとNOだ。日本が長年積み上げてきた残価、保証、流通、整備、制度適合、信頼は、次の産業OSの中核要素でもある。問題は、それらをEV・SDV・AI時代のOSとして再設計できるかどうかだ。過去の成功体験にしがみつけば、確実に沈む。だが、これらを「次のOSの部品」として組み直せれば、日本は複線化時代の本命になり得る。
このCESで、最も重要だった展示やセッションを一言でまとめるなら、こうなる。EVでも、自動運転でも、AIでもない。モビリティの未来を決めるのは、「産業を止めずに回し続けられる構造」を誰が設計できるかである。CES2026は、その競争がすでに始まっていることを、派手ではないが、はっきりと示した。
最後に、この展示会は、勝者を決める場ではない。覚悟を問う場である。技術を持つ覚悟。構造を引き受ける覚悟。失敗も含めて運用する覚悟。CES2026は、モビリティ産業が次の10年を生き抜くために、何を捨て、何を引き受けるのかを、静かに問いかけていた。

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田中 道昭(たなか・みちあき)

日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント

専門は企業・産業・技術・金融・経済・国際関係等の戦略分析。日米欧の金融機関にも長年勤務。主な著作に『GAFA×BATH』『2025年のデジタル資本主義』など。シカゴ大学MBA。テレビ東京WBSコメンテーター。テレビ朝日ワイドスクランブル月曜レギュラーコメンテーター。公正取引委員会独禁法懇話会メンバーなども兼務している。

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(日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント 田中 道昭)
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