■CESで異彩を放った「家電メーカー」
2026年のCESで、数多くのAI関連展示が並ぶ中、強く印象に残った企業がある。それが中国家電大手のハイセンス(Hisense、海信集団)だった。理由は単純ではない。AIを使ったデモが派手だったからでも、話題性のある製品を出していたからでもない。会場で目にしたのは、冷蔵庫、洗濯機、空調、調理家電といった一見すると成熟しきった家電群に、複数のAIエージェントを明確な役割分担で展開している姿だった。しかし、本当の意味で「脅威」を感じたのは、その視覚的・表面的な印象ではない。むしろ、展示の背後にある設計思想を想像したときである。
この企業は、どのようなデータを取得しようとしているのか。そのデータを使って、どのような価値を提供しようとしているのか。そして、その価値をどのような事業として積み上げようとしているのか。そこまで思考を進めたとき、ハイセンスの展示は、単なる「AI家電の進化」ではなく、生活の現場を起点にした新しい事業モデルの提示に見えてきた。
■単なる「安売り」の会社ではない
冷蔵庫は、単なる保管装置ではなく、家庭の食材の流れと判断を記録する装置になる。洗濯機は、衣類を洗う機械ではなく、生活リズムや失敗の履歴を蓄積する装置になる。空調は、温度を制御する機器ではなく、人の快適さとエネルギー消費のバランスを学習する装置になる。それらが個別に存在するのではなく、一つのプラットフォーム上で結び付けられ、役割を持ったAIエージェントとして連携する。
この構造が意味するのは、「便利な家電が増える」ことではない。生活の中で行われてきた判断そのものが、データとして蓄積され、再利用され、事業価値に転換されていくということだ。CES2026でハイセンスを見て感じたのは、「価格競争力のある家電メーカー」という従来のイメージからは、もはや完全に逸脱した存在になりつつある、という感覚だった。
本稿では、なぜハイセンスのAIエージェント展開が、単なる製品進化ではなく、生活データを起点とした価値創造と事業構想として脅威に映ったのか。その理由を、何をAI化しているのか、どのような消費者データを取得し、それをどう分析し、どのような価値とビジネスにつなげようとしているのか、という視点から整理していく。
■「日常生活」を丸ごとAI化する
第1章:ハイセンスは何をAI化・AIエージェント化しているのか
ハイセンスのAI戦略を理解するうえで、最初に押さえておくべき点ははっきりしている。同社がAI化している対象は、冷蔵庫や洗濯機といった個々の家電そのものではない。AIの対象になっているのは、家庭の中で毎日、ほとんど無意識のうちに繰り返されている「生活の業務」や「判断の連鎖」そのものである。
私たちは日常生活の中で、驚くほど多くの判断を行っている。食事の準備を始めるタイミング、洗濯を今回すか後にするか、空調をどの程度効かせるか、電気代をどこまで気にするか。これらは一つひとつが些細で、深く考えずに行われていることが多い。しかし、こうした判断が積み重なることで、生活には「失敗」や「無駄」や「小さなストレス」が生まれる。洗濯が乾ききらずにやり直すことになったり、料理の段取りがうまくいかず慌てたり、空調が合わずに何度もリモコンに手を伸ばしたりする。
ハイセンスがAIで引き受けようとしているのは、まさにこの判断の積み重ねである。そのために同社が採っているアプローチは、家庭内の主要な生活領域を、明確な「業務単位」として切り出し、それぞれをAIエージェントとして設計するというものだ。まず、調理と食に関わる領域である。
■生活を「業務単位」として切り出す
従来、冷蔵庫は食材を冷やす装置、オーブンは加熱する装置、食洗機は洗う装置として、それぞれ独立して存在していた。しかしハイセンスの構想では、これらはすべて「食事を成立させる」という一つの業務を構成する要素として扱われる。
冷蔵庫は、在庫や賞味期限、保存状態を把握し、「何が使われずに残りそうか」「何を優先的に使うべきか」という判断材料を提供する。調理家電は、その判断を受けて、どの加熱方式が適切か、どれくらいの時間が必要かを実行に移す。
同じ考え方は、洗濯の領域にも当てはまる。洗濯という家事は、一見単純に見えるが、実際には多くの判断を含んでいる。洗濯物の量は多いのか少ないのか、素材はデリケートなのか丈夫なのか、どれくらい汚れているのか、いつまでに乾いている必要があるのか。従来は、これらを人が経験則で判断し、「たぶんこのコースで大丈夫だろう」と選んでいた。その結果、乾ききらない、臭いが残る、シワがひどいといった手戻りが発生していた。
■「洗濯を回す」から「やり直しを防ぐ」へ
ハイセンスのAIエージェント化では、洗濯機が衣類の量や回転時の挙動、水の濁り具合などから状況を推定し、その都度、最も合理的な洗い方と乾かし方を生成する。目的は明確である。洗濯を「回せる」ようにすることではなく、やり直しが起きない状態をつくることだ。
空調の領域でも、考え方は一貫している。
■家庭全体を一つの「システム」とみなす
さらに、こうした個別の業務を束ねるのが、家庭全体を見渡すエネルギー管理と保守の領域である。どの家電が、いつ、どれくらい電力を使っているのか。今このタイミングで動かすことが、本当に合理的なのか。あるいは少し時間をずらした方が、電気代や生活リズムの面で望ましいのか。また、家電の調子がいつもと違う兆候が出ていないか。異常が起きる前に、対処できることはないか。
こうして見てくると、ハイセンスのAI化の輪郭は明確になる。同社がやっているのは、家電にAI機能を追加することではない。家庭の中に存在する複数の業務を、「判断・実行・振り返り」という単位で切り出し、それぞれをAIエージェントとして再設計することである。そして、それらをConnectLifeという共通基盤の上で連携させることで、家庭全体を一つの「運用システム」として扱おうとしている。
次章では、こうしたAIエージェントが判断を行うために、ハイセンスがどのような消費者データを蓄積しているのか、そしてそれがなぜ他業界では簡単に真似できないのかを、さらに深く掘り下げていく。
■「データの質」がまったく違う
第2章:ハイセンスが蓄積している消費者データの正体
ハイセンスのAIエージェントが判断を行える理由を突き詰めていくと、最終的に行き着くのは「AIの性能」ではなく、データの性質である。AIがどれほど高度でも、入力されるデータが曖昧であれば、出てくる判断も曖昧になる。逆に言えば、判断の質は、ほぼそのままデータの質を反映する。この点で、ハイセンスが持っているデータは、WebサービスやIT企業が扱うデータとは、性格がまったく異なる。多くのAIは、検索ログ、クリック履歴、テキスト入力、画像や動画といった人が意識的に発信した情報を主な材料としている。
一方、ハイセンスがConnectLifeを通じて蓄積しているのは、人が意識する前、あるいは言葉にする前に起きている生活そのものの挙動である。洗濯機は、衣類が投入された瞬間の重量、給水後の重量変化、回転時の振動の偏り、水の濁り方の推移を、人に気づかれないまま取得している。これらは単なる数値ではない。それらを組み合わせることで、「どんな素材の衣類が、どれくらい汚れていて、どの程度の負荷で回されているか」という状態が、ほぼリアルタイムで推定できる。
■AIが「判断」を学習するには
冷蔵庫も同様だ。庫内の温度や湿度、扉の開閉頻度、在庫が動かずに滞留している時間。これらはすべて、「この家庭で、食材がどう扱われているか」を示す直接的な証拠になる。空調においても、室温や湿度だけでなく、在室の有無や位置、人が動いた直後の環境変化といった情報が蓄積される。これによって、単なる「設定温度」では説明できない体感の違いが浮かび上がる。
重要なのは、こうしたデータが「点」ではなく、連続した時間軸の中で取得されているという点だ。一回の洗濯、一度の調理、一晩の空調。それぞれが単発のイベントとして記録されるのではなく、「どんな条件で行われ、その結果どうなり、その後、人は介入したのかしなかったのか」という流れとして蓄積されていく。ここで初めて、AIは「判断」を学習できる。ハイセンスがConnectLife上で扱っているデータは、単なる使用履歴ではない。人がどんな判断を下し、その判断がどんな結果を生んだかという、意思決定のログそのものだ。
■「失敗した理由」は家電だけが知っている
これが、一般的なIoTデータや行動ログとの決定的な違いである。さらに、ハイセンスのデータが強いのは、単一の家電に閉じていない点にある。調理の結果は、食洗機の負荷として表れる。洗濯の結果は、乾燥時間や生乾き臭として表れる。空調の結果は、設定変更の頻度や滞在時間の変化として表れる。
つまり、一つの判断の結果が、別の家電の挙動として返ってくる。この相互参照があることで、AIは「この判断は正しかったのか」を複数の角度から検証できる。
たとえば、「この洗濯設定で乾燥まで終えた」という結果が、追加乾燥を必要としなかった、翌日の着用に支障がなかった、といった事実と結び付くことで、初めて「良い判断だった」と学習される。逆に、設定後すぐに人がリモコンを操作した、追加工程が発生した、という事実が残れば、その判断は修正対象になる。こうした学習は、アンケートや満足度調査では代替できない。人は、失敗した理由を正確に言語化できないことが多い。しかし、家電の挙動は嘘をつかない。
■「フルライン」を持つ企業にしかできない
ハイセンスが蓄積しているのは、人の感覚ではなく、現実の反応である。ここで、なぜこの種のデータが他業界では簡単に集められないのかが見えてくる。家庭の中の物理現象は、ソフトウェアだけでは観測できない。センサーを持つハードウェアが、生活空間に常設されて初めて取得できる。
さらに、一台の家電だけでは、判断の全体像は見えない。冷蔵庫、洗濯機、空調、調理家電といった複数の家電が同一ブランド・同一プラットフォームで接続されているという条件が必要になる。この条件を満たせる企業は、実は多くない。ハイセンスは、家電フルラインを持ち、それらをConnectLifeという共通基盤で束ね、データを横断的に解釈できる立場にある。
つまり同社は、AIを家電に載せているのではない。家電が生み出す生活の一次データを起点に、AIが「判断」を学習できる環境そのものを構築している。
次章では、こうして蓄積されたデータが、どこで処理され、どこで判断され、どこで実行に変換されているのか。ハイセンスが採用しているクラウド・家庭内ハブ・エッジに分かれた三層構造を、さらに詳しく見ていく。
■ハイセンスが採用する「三層構造」の秘密
第3章:AIはどこで何をしているのか
ハイセンスのAIエージェント化を理解する際、多くの人が最初につまずくのが、「AIは結局、どこで判断しているのか」という点である。一つのAIが、すべてを見て、すべてを考え、すべてを動かしている。そうしたイメージを持つと、ハイセンスの設計はわかりにくく見えてしまう。
しかし、家庭という環境を冷静に考えれば、そのような構造が現実的でないことはすぐにわかる。家庭の中で起きる判断には、時間軸も、重要度も、許される失敗の範囲も、大きな差がある。数週間分の生活リズムを振り返り、「この家庭では、どのタイミングで洗濯を回すのが無理がないか」を考える判断と、洗濯機のドラムが偏心した瞬間に回転数を落とす判断は、同じAIが同じ場所で行うべきものではない。ハイセンスが採用している三層構造は、この違いを前提に設計されている。
■クラウド層:家庭全体を俯瞰して「方針」を考える
最上位に位置するのが、クラウド側で動作するAIである。このAIが扱っているのは、「今この瞬間」の制御ではない。数日、数週間、場合によっては数カ月にわたる生活の傾向や繰り返しを含んだ長い時間軸の判断である。
たとえば、この家庭では洗濯が週に何回行われているのか。どの曜日・時間帯に集中しやすいのか。その結果、夜間に追加乾燥が発生しやすいのか。電力料金の高い時間帯と重なっていないか。こうした問いに答えるには、一度きりのセンサーデータでは不十分で、過去の行動、文脈、成果、制約が一つの流れとして蓄積されている必要がある。クラウド側のAIは、これらのデータを使って、「この家庭にとって、何を優先するのが合理的か」という判断の方針を形成する。
また、料理の段取りを言葉で説明したり、「なぜ今回はこの運転方法を選んだのか」をユーザーに伝える役割も担う。ここでは、生成AIが力を発揮する。ただし重要なのは、このクラウドAIが直接、家電を動かしていないという点である。クラウド側で行われているのは、あくまで「考えること」と「説明すること」だ。
■家庭内ハブ層:現実の制約を踏まえて「調整」する
次に位置するのが、家庭内に置かれたハブの役割である。ハイセンスの場合、それは冷蔵庫の大型ディスプレイであったり、リビングに置かれたスマートTVであったりする。この層が重要なのは、家庭という場所が、クラウドから見える理想的な環境ではないからだ。
たとえば、クラウド側が「電力料金が高いので、洗濯乾燥は深夜に回すのが合理的だ」という判断をしたとする。しかし、その家庭ではすでに深夜に別の家電が動いているかもしれない。あるいは、集合住宅で騒音に配慮しなければならない事情があるかもしれない。家庭内ハブは、こうしたローカルな制約を踏まえて、「では、どの家電を、どの順番で、どの程度動かすか」という調整を行う。また、インターネット接続が一時的に不安定になった場合でも、最低限の連携や自動制御を維持する役割も担う。生活の中で、「ネットが切れたから何も動かない」という状態は許されない。この点でも、家庭内に判断を引き留める層を置く設計は合理的だ。
■エッジ層:その場で即座に「動かす」
最下層に位置するのが、家電そのものに組み込まれたエッジAIである。ここで行われているのは、ミリ秒単位で変化する現実への即応だ。洗濯機のドラムが回転した瞬間に生じる偏心、急激な振動の増加、給水直後の重量変化。エアコンであれば、人が部屋に入った瞬間の温度変化や、気流が直接当たったときの不快さ。これらは、クラウドに送って判断していては間に合わない。その場で、安全に、確実に制御する必要がある。したがって、エッジAIは「賢い判断」をする必要はない。求められているのは、決められた範囲の中で、速く、安定して、確実に動くことだ。
ここで重要なのは、生成AIが、この層には関与していない点である。生成AIは、意図を理解し、理由を説明し、選択肢を整理することは得意だが、物理世界を直接制御するのには向いていない。ハイセンスの設計では、生成AIは上位層で使われ、実際の制御は、検証済みのロジックとエッジAIが担う。この分業があるからこそ、AIは「賢い」だけでなく、「怖くない」存在になり得る。
三層構造が意味するもの
この三層構造の本当の意味は、技術的な効率化ではない。それは、AIにすべてを任せないための設計である。考える場所と、調整する場所と、動かす場所を分けることで、AIは生活に入り込みながらも、人の主導権を侵食しすぎない。これが、ハイセンスが目指している「条件付き自動化」、すなわち家電の自動運転レベル3の中核にある思想だ。
次章では、この三層構造のもとで、AIが実際にどのような分析を行い、どのように最適化の判断を下しているのかを、調理、洗濯、空調、エネルギー管理といった具体的な領域ごとに、さらに踏み込んで見ていく。
■AIが解く「家庭の多目的最適化問題」
第4章:AIは何を分析し、何を最適化しているのか
ハイセンスのAIエージェントが行っている分析と判断は、単純な「自動制御」や「おすすめ提示」とは性質が異なる。同社のAIが向き合っているのは、家庭という、正解が一つに定まらない環境における多目的最適化問題である。家庭生活において、「一番良い選択」は常に変わる。今日は早く洗濯を終わらせたい日かもしれないし、別の日には音を立てずに静かに済ませたい夜かもしれない。電気代を抑えたい月もあれば、多少のコストより快適さを優先したい日もある。
ハイセンスのAIは、こうした揺れ動く条件を前提に、その時点、その家庭、その状況にとっての合理性を探し続けている。まずAIが行うのは、「次に何が起こりそうか」を読むことである。これは未来を予言するというよりも、過去の生活データから起こりやすいパターンを見つけ出す作業に近い。
洗濯に関して言えば、曜日や時間帯、過去の稼働履歴から、「この家庭では、そろそろ洗濯が行われる可能性が高い」という予測が立つ。同時に、その時間帯が電力料金の高い時間なのか、夜間で静音が求められる時間なのかもわかる。冷蔵庫のデータからは、「この食材は、このまま使われなければ期限を迎える可能性が高い」という兆候が浮かび上がる。空調に関しては、気温や湿度、在室パターンから、「この後、不快を感じる確率が高い状態に入る」という予測が可能になる。こうした予測は、それ自体が価値を生むわけではない。価値が生まれるのは、次の段階で行われる「状態の推定」と結び付いたときだ。
■センサーではわからない情報を「推定」
AIは、センサーから直接取得できない情報を、複数のデータを組み合わせることで推定する。洗濯機は、衣類の素材をラベルで読み取っているわけではない。しかし、給水後の重量変化や回転時の挙動、水の濁り具合を見れば、「乾きにくい素材が多い」「汚れが強い衣類が含まれている」といった状態を、かなりの精度で推定できる。空調も同様である。人が暑いと感じているかどうかは、温度センサーの値だけではわからない。在室位置、活動量、湿度、そして実際にリモコン操作が行われたかどうかという結果を合わせて、「この状態は不快だった」という判断が形成される。
ここで重要なのは、これらの推定が一度きりで終わらない点だ。推定に基づいて行われた制御が、実際にどんな結果をもたらしたのか。人は介入したのか、しなかったのか。満足だったのか、不満が残ったのか。この結果が次の学習に使われることで、AIの判断は徐々に家庭に適応していく。こうして、予測と推定が揃った段階で、AIは最適化の判断に入る。ここでの最適化とは、「一番良い設定を選ぶ」ことではない。どの条件を、どこまで優先するかのバランスを取ることである。
■AIが「トレードオフ」を考慮する
洗濯であれば、早く終わらせること、静かに運転すること、完全に乾かすことは、しばしばトレードオフの関係にある。AIは、「今は夜で静音が重要だが、翌朝までに乾いている必要がある」という文脈を踏まえ、回転数を抑えつつ乾燥時間を長めに取る、といった判断を行う。空調でも、設定温度を下げるのではなく、気流や湿度を調整することで、体感の不快さを減らす選択がなされる。エネルギー管理においては、今この瞬間の快適さをわずかに犠牲にする代わりに、電力料金の高騰を避ける判断が行われることもある。
ここで重要なのは、ハイセンスのAIが「最適解」を一方的に押し付けていない点だ。家庭ごとに、何を重視するかは異なる。節電を最優先する家庭もあれば、快適さや時短を重視する家庭もある。AIは、これまでの行動や介入の履歴から、その家庭の優先順位を学習し、その枠内で最適化を行う。さらに、すべての判断が自動実行されるわけではない。影響が小さく、失敗してもすぐに戻せる判断は、自動で実行されやすい。
■「賢い提案」ではなく「ムダの構造改革」
一方で、生活への影響が大きい判断については、「このように動かしますが、よろしいですか」という形で提案される。実行された結果は、必ず記録される。その結果が次の判断に反映され、AIは少しずつ家庭に馴染んでいく。ここまで見てくると、ハイセンスのAIが生み出している価値の正体が見えてくる。それは、「賢い提案をしてくれるAI」ではない。日常の中で繰り返されてきた失敗や無駄を、構造的に減らしていく仕組みである。
洗濯のやり直し、料理の段取りミス、空調の設定変更、電気代への後悔。これらは、個々の家電の性能不足というより、判断が毎回、人の頭の中で行われていたことによって生じていた。
ハイセンスのAIエージェントは、その判断をデータとして引き受け、家庭というシステムの中で再利用可能な形に変換している。
次章では、こうした最適化が積み重なった結果、家庭の中でどのような価値の変化が生まれているのか、そしてそれが家電メーカーのビジネス構造をどう変え始めているのかを、さらに掘り下げて見ていく。
■「便利になる」よりも先に起きている変化
第5章:最適化の積み重ねが生む価値とは何か
ここまで見てきたハイセンスのAIエージェントは、家庭の中で行われてきた数多くの判断を、静かに、しかし確実に引き受け始めている。では、その結果として、家庭の中では何が起きているのだろうか。まず明確なのは、生活が「劇的に便利になった」と感じられる瞬間よりも前に、「気づかないうちに失敗が減っている」という変化が起きている点である。
洗濯が乾いていないことに気づいて、もう一度乾燥を回す。料理の段取りが悪く、別の家事と重なって慌てる。空調の設定が合わず、何度もリモコンを操作する。電気代の請求書を見て、「もう少し気をつければよかった」と後悔する。こうした場面は、一つひとつを見れば些細だ。しかし、日常生活の中で繰り返されることで、確実にストレスとして蓄積されていく。
■AIエージェント化の「価値の本質」
ハイセンスのAIエージェントが行っている最適化は、これらの場面を派手に解決するものではない。むしろ、そうした場面そのものが起きにくくなる方向へ、生活の流れを整えていく。洗濯であれば、乾きにくい素材や汚れが強い衣類が含まれていると推定された段階で、最初から追加乾燥や回転数の調整が組み込まれる。結果として、人が「失敗に気づいて介入する」機会が減る。料理においても、在庫や時間制約を踏まえた段取りが先に整えられることで、途中で慌てたり、やり直したりする場面が少なくなる。
空調では、体感を基準にした制御が行われることで、「なんとなく合わない」と感じて設定をいじる回数が減る。これは、快適さが上がったというより、不快に振れる場面が減ったと表現する方が近い。エネルギー管理でも同様だ。AIが電力料金やピークを考慮した判断を先回りで行うことで、後から請求額を見て後悔する場面が減る。
こうした変化は、生活者にとって「AIがすごい」と感じる瞬間ではなく、「前より楽になっている」「失敗が減っている」と感じる形で表れる。ここに、ハイセンスのAIエージェント化の価値の本質がある。次に、この変化を家電メーカーの側から見てみよう。従来の家電ビジネスは、製品を販売し、故障したら修理するという、売り切り型のモデルが中心だった。
■「壊れる前に直す」が当たり前の世界へ
しかし、家電がAIエージェントとして運用され始めると、家電は「使われて終わるモノ」ではなくなる。日々の稼働データを通じて、どのように使われているのか、どこで無理がかかっているのか、どのタイミングで劣化が進みやすいのかが、メーカー側にも見えるようになる。これは、壊れてから対応するモデルから、壊れる前に手を打つモデルへの転換を意味する。突然の故障は、ユーザーにとっても、メーカーにとってもコストが高い。緊急の修理、部品の即時手配、クレーム対応。これらは、サービスコストを押し上げる要因になる。
一方、劣化の兆候を早期に捉え、計画的に部品交換やメンテナンスを行えれば、対応は穏やかで、コストも抑えられる。AIエージェントによる予兆保全は、ユーザーの安心感を高めると同時に、メーカーの収益構造を安定させる。
さらに重要なのは、家電の価値が「購入時点」で完結しなくなることだ。ソフトウェアの更新によって、洗濯の最適化ロジックが改善される。空調の制御がより快適になる。エネルギー管理の精度が上がる。こうした改善が積み重なると、家電は時間とともに価値が増していく存在になる。
■使われながら「育つ家電」の誕生
これは、家電が「完成品」ではなく、使われながら育っていくプロダクトになることを意味する。その結果、メーカーとユーザーの関係性も変わる。これまでの関係は、購入時と故障時に限られていた。しかし、AIエージェント化された家電は、日々の運用を通じて、ユーザーと継続的に関わり続ける。その関係は、単なるサポートではなく、「生活を一緒に整えていく存在」に近づいていく。
もちろん、この変化には慎重さも求められる。家庭のデータは、極めてプライベートな領域に踏み込む。どこまで自動化するのか、どこで人の判断を尊重するのか、その線引きを誤れば、便利さは一瞬で不信に変わる。だからこそ、ハイセンスのAIエージェント化において重要なのは、信頼設計である。勝手にやりすぎないこと。なぜそうしたかを説明できること。いつでも止められ、元に戻せること。これらが守られて初めて、最適化は価値として受け入れられる。
第5章で見てきたのは、AIがもたらす価値が、単なる利便性を超え、生活の質とビジネスの構造そのものを変え始めているという事実である。次章では、この変化を自動運転の比喩で整理し、ハイセンスが到達しつつある「家電の自動運転レベル3」が、どこまで現実的で、どこに限界があり、今後どの段階へ進もうとしているのかを、さらに踏み込んで考えていく。
■家電を「自動運転」になぞらえると…
第6章:家電は本当に「自動運転レベル3」に入ったのか
ここまで見てきたハイセンスのAIエージェント化を、どのように位置づけるべきだろうか。単に「AIが進んでいる」「賢い家電が出てきた」と評価するだけでは、この変化の本質は捉えきれない。その本質を理解するために有効なのが、自動車の自動運転になぞらえる視点である。
自動車の自動運転は、運転支援から始まり、部分的な自動化、条件付き自動化、高度自動化、完全自動化へと段階的に整理されている。この枠組みを家電に当てはめると、これまでのスマート家電は明らかに初期段階にあった。スマートフォンから操作できる家電は、あくまで人の判断を補助する存在であり、タイマーや「おまかせ運転」も、事前に決められた条件の中でしか動かない。
■「状況」を理解し、最適解を選ぶ能力
一方、ハイセンスがConnectLifeを通じて実装し始めている家電の振る舞いは、それとは質が異なる。
洗濯であれば、「今は夜で音を立てたくないが、翌朝までに乾いている必要がある」という状況を理解し、回転数や乾燥工程を調整する判断が行われる。空調であれば、設定温度を下げるのではなく、人の在室位置や活動量を踏まえて気流や湿度を調整し、体感の不快さを抑える選択がなされる。エネルギー管理では、電力料金の高い時間帯を避け、家電の稼働を少しずらす判断が行われることもある。これらはすべて、状況を理解し、複数の選択肢を比較し、その中から最も合理的な行動を選ぶという点で、条件付き自動化の特徴を備えている。
重要なのは、これらの判断が一律のルールで行われているわけではないという点だ。家庭ごとに、生活リズムも、優先順位も、価値観も異なる。静かさを重視する家庭もあれば、時短を最優先する家庭もある。多少の電気代増加を許容してでも快適さを取りたい家庭もある。ハイセンスのAIエージェントは、こうした違いを前提に、その家庭にとっての合理性を計算している。この状態は、人が常に監視し続ける必要はないが、すべてを完全に任せてしまう段階でもない。
■家庭に「完全自動化(レベル5)」は必要なのか
したがって、ハイセンスが到達しているのは、家電の自動運転レベルで言えば、レベル3、すなわち条件付き自動化と評価するのが妥当である。ここで強調しておきたいのは、このレベル3が「中途半端な段階」ではないという点だ。むしろ、家庭という極めて複雑で個別性の高い環境においては、このレベル3こそが、現実的で持続可能な到達点である可能性が高い。家庭生活には、安全、快適、健康、プライバシー、さらには気分や価値観といった、数値化しきれない要素が数多く含まれている。完全自動化、すなわちレベル5を目指すには、これらすべての判断をAIに委ねる必要がある。
しかし、それが多くの家庭にとって望ましい姿かどうかは、慎重に考える必要がある。今日は少し無理をしてでも洗濯を終わらせたい。今日は電気代よりも快適さを優先したい。今日は普段と違う料理に挑戦したい。こうした判断は、合理性だけでなく、気分や状況に大きく左右される。ハイセンスのAIエージェント化が現実的なのは、この点を理解したうえで、AIが判断を引き受ける範囲を限定しているからだ。同社の設計では、影響が小さく、失敗してもすぐに元に戻せる判断は、自動で実行されやすい。
■AIは「賢いが怖くない」存在へ
一方、生活に大きな影響を与える判断や、価値観が分かれやすい判断については、「このように動かすこともできますが、どうしますか」という形で提案される。この線引きこそが、条件付き自動化の核心であり、AIが生活に入り込むための最低条件である。
そして、この線引きを支えているのが、これまで見てきた三層構造だ。クラウドは考えるが、即断はしない。家庭内ハブは調整するが、暴走しない。エッジは動かすが、目的を勝手に変えない。この分業があるからこそ、AIは「賢いが怖くない」存在になり得る。家電の自動運転レベル3とは、技術の成熟度を示す言葉であると同時に、人とAIの役割分担の設計が、一定の水準に達したことを示す言葉でもある。ハイセンスが2026年時点で示しているのは、完全自動化の夢物語ではない。人が主導権を持ち続けながら、日常の細かな判断をAIに委ね始めるという、極めて現実的な進化の姿である。
次に続く最終章では、この変化が家電業界全体、さらには日本企業や他産業にとって、どのような意味を持つのかを整理し、この先10年の分岐点について考えていく。
■日本企業が歩んだ20年の「反対側」
最終章:日本企業への示唆
ここまで見てきたハイセンスのAIエージェント化は、単なる一企業の成功事例ではない。それは、日本企業がこの20年で選択してきた道の「反対側」に何があったのかを、はっきりと映し出している。
日本には、かつて世界トップクラスの家電メーカーが数多く存在した。冷蔵庫、洗濯機、エアコン、テレビ。家庭の中にある主要な製品の多くは、日本企業が技術と品質でリードしてきた分野だった。しかし、ある時期から、こうした消費者向け家電事業は「利益率が低い」「価格競争が激しい」「中国・韓国勢が強い」と語られるようになり、多くの企業が次第に距離を置くようになった。その代わりに掲げられたのが、「自分たちはB2Bの企業である」「社会インフラや産業向けで価値を出す」という自己定義だった。
■「消費者向け家電」を手放した代償
この判断自体が、当時として必ずしも間違っていたわけではない。実際、日本企業はB2B領域で高い技術力を維持し、信頼性や安全性が求められる分野では、今も重要な役割を果たしている。しかし、問題はそのとき何を同時に手放したのかである。消費者向け家電をやめるということは、単に製品ラインを縮小することではなかった。それは、生活の現場からデータを失うことを意味していた。家庭の中で、人がどんな判断をし、どこで失敗し、何にストレスを感じ、どんな工夫をしているのか。こうした「生活の一次データ(Ground Truth)」は、消費者向けのプロダクトを通じてしか取得できない。
B2Bの現場には、確かに高度なデータがある。しかしそれは、仕様が決められ、プロセスが定義され、目的が明確な世界のデータだ。一方、家庭は違う。目的は揺れ動き、判断は曖昧で、失敗は言語化されないまま積み重なる。そしてまさにその領域こそが、AIエージェントが最も価値を発揮する場所だった。
ハイセンスが2026年に示しているのは、「安い家電を大量に売った結果」ではない。生活の現場に残り続け、判断と結果のログを蓄積し続けた結果である。冷蔵庫、洗濯機、空調、調理家電。一見すると成熟しきった市場に見えるこれらの製品は、AI時代において、実は最も重要な“センサー”になった。どの家電を、いつ、どう動かすか。その判断と結果が、そのままAIの学習データになる。
■日本の「強み」こそ、AI時代に必要だった
日本企業が「消費者向けはもう厳しい」と判断したその裏側で、海外企業は、消費者向け家電を「データ取得装置」「生活理解装置」として再定義していた。その結果として起きているのが、今回見てきたようなAIエージェント化の差である。日本企業が誇ってきたB2Bの強み、すなわち、信頼性、品質、安全設計、制御技術。これらは本来、家庭向けAIエージェントにとって極めて重要な要素だ。皮肉なことに、家電の自動運転レベル3に最も向いている思想と技術を持っていたのは、日本企業だったとも言える。
勝手にやりすぎないこと。説明できること。止められること。元に戻せること。これらは、日本企業が長年、産業機器やインフラで培ってきた設計哲学そのものだ。にもかかわらず、その思想を活かす舞台である「消費者の生活空間」から、多くの企業が自ら退いてしまった。その結果、生活の判断データは海外企業に蓄積され、AIエージェントの設計思想も、実装経験も、次第に外に流れていった。これが、今われわれが直面している「顛末」である。
■ハイセンスが突きつける根源的な問い
重要なのは、この話が過去の反省で終わらないという点だ。AI時代の競争は、「どれだけ高度なモデルを持っているか」では決まらない。どの現場に残り、どんなデータを持ち、どんな判断を引き受けてきたかで決まる。日本企業が今後、AIエージェント時代に再び存在感を取り戻すとすれば、必要なのは技術の自慢ではない。どの現場に戻るのか。どの判断を引き受けるのか。そして、どの生活と向き合い直すのか。ハイセンスの事例が突きつけているのは、「家電の未来」ではなく、日本企業がどこで価値を生み続けるのかという、極めて根源的な問いなのである。
2026年、家電は「考えて動く」段階に入った。そのとき、私たちはどの現場に立っているのか。それが、これからの10年を分ける問いになる。
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田中 道昭(たなか・みちあき)
日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント
専門は企業・産業・技術・金融・経済・国際関係等の戦略分析。日米欧の金融機関にも長年勤務。主な著作に『GAFA×BATH』『2025年のデジタル資本主義』など。シカゴ大学MBA。テレビ東京WBSコメンテーター。テレビ朝日ワイドスクランブル月曜レギュラーコメンテーター。公正取引委員会独禁法懇話会メンバーなども兼務している。
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(日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント 田中 道昭)

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