※本稿は、鵜飼秀徳『欲望の仏教史』(SB新書)の一部を再編集したものです。
■中世の寺院では少年が性愛対象に
女犯の記事でも紹介した禅僧の一休宗純は、時に男色に興じたとされている。『狂雲集』には、生々しい記述が残されている。
「貪り看る少年の風流、風流は是れ我が好仇なり。悔ゆらくは、錯まって為人のロに聞きしことを、今より後、誓って舌頭を縮めん」
(私は美しい少年を貪るように見ている。まさに私の好みであり、私の相手として申し分ない。しかし、うっかりと、お前を導いてやるなどと言ってしまつた。今後は、舌を切られても黙っていよう)
中世の寺院社会では、「稚児(ちご)」と呼ばれる少年が住持していた。年齢は概ね7歳から15歳程度とされている。稚児は、寺で学問や芸事を習いながら、儀式の補佐や雑務に従事していた。将来の僧侶を見越して小僧を兼ねる時もあれば、貴族などの子弟が見習いで寺に入ることもあった。
稚児は稚児髷(まげ)という特殊な日本髪を結った。長い髪を頭頂部で分け、2つの輪にして束ねた形状である。そして、化粧を施して眉墨を引き、口紅をつけた。身に纏ったのは色鮮やかな水干の衣装であった。
■天台宗の高僧は男色を戒めたが…
彼らは仏事における奉仕者であると同時に、僧侶の性愛対象でもあった。なぜ男児を対象にしたのかといえば、僧侶の女犯は当局によって厳しく取り締まられていたからである。わが国の男色の歴史は長く、仏教界だけではなく貴族や武家にまで深く浸透していた。
しかし、男性同士による同性愛が公然と認められていたわけではない。男色は、仏教における不邪淫戒の破戒そのものである。
平安時代中期の天台宗の僧侶、源信は『往生要集』で地獄の有様などを描いている。これは、戒律を犯した人間の輪廻の様子を伝えるものだ。
■稚児との姦通は黙認されてきた
「また別処あり。多苦悩と名づく。謂く、男の、男において邪行を行ぜし者、ここに落ちて苦を受く。謂く、本の男子を見れば、一切の身分、皆悉く熱炎あり。来りてその身を抱くに、一切の身分、皆悉く解け散る。死し巳りてまた活へり、極めて怖畏を生じ、走り避けて去るに、瞼しき岸に堕ち、炎の嘴の鳥、炎のロの野干ありて、これを瞰み食ふ」
(また、別の地獄がある。それを『多苦悩』という。男に対して性的な行為をした男が、この地獄に落ちて大きな苦しみを受けるのである。多苦悩地獄においては、男性を見れば、全身から激しい炎が燃え上がる。男同士で近づいて抱き合うと、互いの身体はたちまち焼け崩れて散り失せる。しかし、死んではすぐに生き返り、再び同じ恐怖が訪れる。
『往生要集』の記述は、男色が禁忌であったことと同時に、社会の中で蔓延していたことを伝えるものである。
僧侶の場合、多くの制約の中で、露骨に女性を寺に囲うことはできない。そのため、若き美少年を寺に入れて「飼育」し、自分好みの稚児に育て上げたのである。稚児文化は、戒律や法の「言い訳」や「抜け道」として黙認され続けてきた。
稚児が出現するのは、比叡山や高野山が開かれた平安時代といわれている。山寺は女人禁制であったため、僧侶らは寺に仕えた稚児らを愛で、性の対象としてみなしていく。
■少年に対する非人道的行為
少年に対する姦通は、非人道的な行為であり、鬼畜の所業といえる。しかし、中世における天台宗寺院では密教儀式の中に「児灌頂(ちごかんじょう)」なるものを組み込み、それを正当化した。
児灌頂とは、稚児を観音菩薩の化身として聖性を付与するというもの。僧侶が稚児を犯すことで、稚児が観音菩薩のステージまで昇華されるのだ。聖なる存在になった稚児との交接は、僧侶にとっても悟りを得るために必要なこととされた。
■生々しい「稚児草紙」の描写
醍醐寺三宝院には、鎌倉時代の絵巻物『稚児草紙』が所蔵されている。そこには僧侶と稚児が交接する様子が生々しく描かれている。その舞台は仁和寺や法勝寺などである。日本仏教史における男色文化を紹介する、貴重な絵巻物といえる。
例えば、第1段は仁和寺の高僧が初めて稚児を犯す場面である。第3段では京都の嵯峨の僧侶が稚児に恋心を抱き、風呂場で交接するシーンが描かれている。第5段では、京都の北山で若い僧侶が灯明を持って、稚児と交わる様が描写されている。
■95人の稚児と同衾した東大寺別当
松尾剛次著『破戒と男色の仏教史』(平凡社、2008年)でも、様々な男色の事例が紹介されている。例えば、鎌倉時代に東大寺別当まで務めた宗性(そうしょう)は36歳の時に、煩悩を封じるために誓いを立てる『禁断悪事勤修善根誓状抄』を綴っている。その中の「5箇条の誓文」は1237(嘉禎3)年のものだが、当時の宗性の性衝動と苦悩がありありと感じられる内容になっている。
一、四一歳以後は、つねに笠置寺に籠るべきこと
二、現在までで、九五人である。
いこと
三、亀王丸以外に、愛童をつくらないこと
四、自房中に上童を置くべきでないこと
五、上童・中童のなかに、念者(懇(ねんご)ろになる稚児)をつくらないこと
右、以上の五力条は、一生を限り、禁断すること以上の通りである。これすなわち、身心清浄・内外潔斎し、弥勒に会う業因を修め、兜率天に往生を遂げるためである。今から後は、この禁断に背くべきでないこと、起請は以上の通りである。
嘉禎三年十一月二日
沙門宗性(花押)
生年三六
この誓文の中で登場する「童(童子)」が、稚児である。二から四までが男色に関する項目だ。要は、「私(宗性)は95人の稚児と同衾を重ねてきたが、100人以上にならないようにしたい。亀王丸という稚児が最もお気に入りで、今後の肉体関係を持つのは亀王丸のみにする。41歳になれば、隠遁する」ということである。
五に「上童・中童」とあるが、これは稚児の中の序列である。最も序列が高い稚児が上童子で、次いで中童子である。宗性は上童子と中童子とは肉体関係を持たないと誓っているが、その他の稚児(亀王丸や一般人)はその限りではない、とも読み取れる。
■近世、破戒僧は厳罰になったが…
宗性の旺盛な性欲には驚かされるが、当時の仏教寺院では奔放な男色劇が繰り広げられていたことがよくわかる。
江戸時代に入ると、稚児文化には幕府による綱紀粛正の波が押し寄せ、破戒僧への厳罰化が進む。そのため、中世のような乱れた状況は改善されたものと推察できる。だが、女犯での摘発例が相次いでいることを見れば、寺院における男色が水面下で継続していたと考えるのが自然であろう。
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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。
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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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