「政治家の質」はどのように変わってきたのか。東京大学名誉教授の養老孟司さんと思想家の内田樹さんは「『ありのまま=誠実』という誤解が広がった結果、自分たちより知性に優れた人ではなく、自分たちと同じレベルの人間が選ばれるようになった」という。
2人の対談を、書籍『日本人が立ち返る場所』(KADOKAWA)よりお届けする――。
■現実世界にある「額縁」
【内田】先生がかつておっしゃったことで、今でもよく覚えているのが「額縁」の話なんです。ヨーロッパの町に行くと、一番大きくて、豪奢な建物は教会と劇場だ、と。「どうしてだかわかるかい」と先生に訊かれたので、「わからない」と答えたら、それは「額縁」だからだと教えてくれました。この建物の中で語られていることは「現実ではない」ということを誇示するために、わざわざあんな建物を造るんだ、と。
なるほど、と思いました。この中で語られている言葉を本気に取ってはいけないよと教えるためにあの仰々しい建物がある。その通りですよね。劇場に入って、舞台でやっていることは虚構なんだと思わずに、舞台で人が殺されたら慌てて110番してもらっては困る。この「額縁」の中にあるのは「画」であって「現実」ではない。それをわからせるために、わざとごてごてした装飾がされている。
教会も同じで、ここで聖職者がとくとくと話すことはすべて「お話」であって、現実じゃないよ、と。
それをわかった上で話を聴きなさいね、と。そう聴いて、ほんとうにその通りだなと思いました。たいせつなのは「額縁をつけること」なんですよね。
【養老】そうです。
■「額縁」の中の言葉は現実ではない
【内田】「額縁」の効用というのは、「額縁」さえ付けておけば、どれほど過激なことでも、深みのあることでも、人知を超えたことでも、その中では語っても構わないということだと思うんです。何を語る時でも、そのつどきちんと「今語られている言葉はただの言葉であって、現実ではありません」ということをアナウンスしながら語れば、場合によっては額縁の中の画が現実そのものよりも深い叡智をもたらすことがある。
【養老】内田さんが言っておられた「ヘラヘラしている」じゃないけど、そういうことを「額縁」のないところでやろうとすると難しいんですよ。これは「額縁」のある場所ですよ、ということを指定することで、ある程度お互いに了解するところがあるけど、「額縁」があることをわかる世代ばかりとは限らないのでね。「額縁がない」という状態で議論を始めると、困っちゃうんですよね。
■「額縁」の中だからこそできることがある
【内田】今日もここに来る前に、凱風館で朝稽古をしてきたんですけれど、朝起きると、僕一人で道場に出て「朝のお勤め」をします。祝詞(のりと)をあげて、般若心経を読んで、不動明王の真言を唱えて、九字を切る。稽古が始まっても、全員が整列した前で、「安禅必ずしも山水を須(もち)いず。
心頭滅却すれば火も自ずから涼し」と唱えるんです。こんな芝居がかった台詞を朗誦した後に「正面に礼」から稽古を始めるわけです。
これ、完全にお芝居なわけですよね。だから、わざわざ道場という特殊な空間を作り込んで、道着を着て行う。今から僕たちがやるのは「全部ある種の虚構ですからね」と、そういうふうに「額縁」を付けてから稽古を始める。「額縁」付きですから、この中ではかなりデリケートなことでも、非現実的なことでも語ることができる。
「気の流れに乗る」とか「我執を去る」とか、現実の場面では「それは何ですか。ここに出して見せて下さい」と言われても、お出しすることができないけれども、道場ではリアリティがある。実際にそれを感知し、実行することができる。そういうものなんです。
「額縁」の中でしかできないことがある。普通のカジュアルな格好をしている時に、誰かがやってきて、いきなり「合気道の本質とは?」と訊かれても、僕には答えられない。
どんな説明をしても、「額縁の中」で何を経験しているのかはうまく言葉にできない。
でも、道場で、道着を身につけている時は「武道とは何か」について、いくらでも言葉が出てくる。素では言えないことが言える。それができるのは、こちらは「額縁」の中で語り、門人たちは「額縁」の中で聴いているからです。これは「お話」なんだということが両方ともにわかっている。
■AIには「額縁」は付けられない
でも、芝居の台詞を聞いて、それに感動して人生が変わることだってあるじゃないですか。それはその俳優の素の言葉じゃない。誰の言葉でもない。でも、それが深く身に浸み込んで、人生が変わることだってある。だから、「本当の自分とは何か」とかそんなことを言っている暇はないわけです。全員がお芝居を演じているわけですから。
【養老】AIがその代わりをできるかって(笑)。

【内田】AIには「額縁を付ける」ということはできないでしょうね。この理路がわからない人には、武道の稽古なんて、なんて無意味なことをやっているのかと思われるでしょうけど。
【養老】そうなんです。それが阿呆なんです。
【内田】おかしなことをやっていると思うんだろうけど、この「おかしなこと」が自己陶冶のためにはきわめて有効なんです。
■人間の体も「額縁」である
【養老】戦後の教育は全部それを潰してきたんです。ことごとく潰した。いわゆる形式的とか封建的とか、そういう「額縁」の意味はなんだというアホなことを聞くやつがいて困るんだけど。
僕がやってきた解剖学という学問は形なんですよね。そもそも人の体は「額縁」でしょ。別の言い方をすれば、中に心が入っている。相手は死んじゃってますから、残ってるのは「額縁」だけです。
それが非常に不思議でしょ。つまり、単純な理屈を言うと、生きている時と死んでいる時で分子の数とか配置はほとんど変わってないはずでしょ。でも、解剖されるほうは死んでいて、自分は生きているんです。それが不思議なんですよ。生きているとか死んでいるとか簡単に言うけど、物質的には変わってない。
そういうふうに考えると、生死の境目はなかなかわかりにくいというか、ないですよ。だから「脳死」論争が揉めたのは当たり前で、あれは死じゃないという意見と、死だという意見と二つあって、そういうことを考えても無駄なんです。
「死」というのは、きれいに切り抜いた言葉の世界なんです。言葉の世界で考える癖がついているから、「ある」とか「ない」とかは言っているでしょ。「ある」か「ない」かではっきり分かれると思ってるでしょ。これは論理学の人に聞いたほうがいいと思うんだけど、「A」と「Non A」は本当に分けられるのか。
■世界は矛盾や非論理を孕んでいる
要するに無意識を完全に理解できるとするなら、それは意識ですから、その世界は意識しかない。
だから、「A」と「Non A」とを分けても意味がない。根本にそういう矛盾というか、非論理があるからね。理屈を言うとよくわからないんですよ。
お経も形なんですよね。法事の時にお経を読みますが、「人はなんぞや」なんて言ったって誰も答えられないに決まってる。確かにそういう世界があって、それでいいんだなということをわかってない人と議論をすると、もうこっちが死にそうになる。
政治はそうなることが多いから嫌なんだ。一応「額縁」が決まってるでしょ。つまり、投票して、数が多かった候補者が勝ち、みたいなルール。仕方がねえなと思ってその「額縁」を認めるか、認めないかなんです。それ以前に、「額縁」かどうか認めているか。
【内田】そうですね。これは「額縁」だということは、政治も本当にそうなんですけどね。
【養老】政(まつりごと)ですからね。
■「額縁」を意識する政治家たち
【内田】個人的に知っている政治家は見ていると、「額縁」を意識している人が割と多いんですね。「れいわ新選組」の山本太郎さんは、個人的に会って話すと、すごく物腰の優しい、どちらかというと女性的な人なんですよね。細かい気づかいができる人で。
前に一緒に中華料理店で食事をした時に、スープが来たら、山本太郎さんがパッと立ち上がって、そこにいたスタッフたちの分まで「お取り分けします」って。スタッフの女性二人は座ったまま「太郎ちゃん、ありがとう!」(笑)。政治家として人前に登場している時も、彼は演技をしているんだと思います。きちんと「額縁」を付けているから、あれだけはっきりしたことが言える。
社民党の福島瑞穂さんもそうです。メディアに登場するときは「物分かりの悪い、原理主義的な人」に見られていると思いますが、あれも演技なんですよね。お会いするとわかるけれど、素の福島さんはああいう人じゃない。
ぜんぜん原理主義的なところのない、すごく頭の切れる、複雑な人なんですけど、それが政治家として登場するときは、シンプルで物分かりの悪いキャラクターを演じている。「額縁」の意味がわかっているから、ああいうことができるんだと思います。
【養老】わかってねえやつが「本当の私」なんて、バカなことを言うでしょう。「自分探し」とか、アホかって。
そういう人は、「額縁」もクソもわかってないんですよね。なんでこんな文化にしちゃったんだろうと。GHQのせいだとか言えばそれまでですけど、ちょっと自分で考えてほしいなと。長年日本人をやってきているんですから。
■「額縁」を外すことなどできない
「額縁」を外せると思ってるんですかね。日本って「額縁」でやってきた国でしょ。社会的な儀礼は全部、基本的に「額縁」ですからね。それを全部、今の考えで変えてできると思ったところが理解できないんだけど、世界のどの文化がそれをやっていますかね。
日本でそれまで1000年くらいやってきたことを、今の人の考えで思い切って変えてみた。他の国の人がやっているからあれでもできるんだろうと。ちょうど、世界を人の世間みたいにみたてて、あの国がやっているから、うちも同じようにやってみようかってね。
でも、やってみたら、いろいろ具合の悪いことができたわけでしょ。これから反省すると言ったって、かなり変えてきてしまっているんだから、反省する時の、自分が立っている足場がもうなくなっているわけです。それ自体が変わっちゃってるから。
何を考えてああいうことをやったんだろうと、よくわからないんです。ものを考えるというか、基礎からちゃんと考えるように教育を受けた人ならば、これは絶対におかしいよとわかるはずなんだけど。日本人は本当に楽天的な人たちだなって思う。
■剝き出しの自分を出すアホな政治家が増えてきた
【内田】政治の世界で「額縁」のことがわかっていないのがいるんです。杉並区議会で懲罰を食らった議員がいるんですが、とにかく言葉づかいが下品なんですよ。「てめえら、馬鹿野郎」というような罵倒の言葉を演壇で口にする。本当に「額縁」が壊れたなと思いました。
ほんの少し前までは、国会でも地方議会でも、議員は一応「選良」であるのだから、その「ふり」をしなければならないという縛りがあったと思うんです。だって、議会なんてもろに「額縁」なんだから。それがなくなってしまって、「議員らしくふるまうこと」そのものが偽善的であると考える人が出てきた。
素の自分を、その暴力性や偏見を剝き出しにするほうが政治的ポピュラリティが高まるということが知られた。良識的に、節度のあるふるまいをすることそのものが「欺瞞的」「偽善的」だとみなされるようになった。どうせ人間の本性なんて下品なんだから、下品で暴力的で利己的である自分を剝き出しにするほうが正直で、誠実な生き方なんだ、と。「ありのまま」を衆人環視の前に曝すことのどこが悪いんだという倒錯的な考え方をする人が増えてきた。
【養老】トランプと民主党の関係に置き換えられる。
【内田】本当にそうです。こんな倒錯が始まったのは、2010年代からだと思うんです。今でも忘れないんですが、2008年に、テレビで名前を売った橋下徹が大阪府知事に立候補するという時に、内田ゼミの学生に聞いたことがあるんです。橋下徹が知事選に出るけれど、みんなはどうするって。そしたら、12人のゼミ生のうち10人が橋下徹に投票すると答えた。
僕もびっくりしました。僕のゼミ生たちですよ。理由を訊いたら、「言ってることが非論理的で、すぐ感情的になるところが『隣のお兄ちゃん』みたいで、親しみが持てる」ということでした。
■「没論理的な政治家」が選ばれる現代の妙
政治家について、言うことが没論理的で、すぐ感情的になるところが「いい」というふうに若い人たちが思うようになったのだとしたら、これは困ったことになるぞとその時に思いました。実際に、大変なことになった。
政治家は言ってることが首尾一貫しないのが魅力だと言われてしまったら、これはもう歯が立たない。論理的な批判が成立しないし、ファクト・チェックも成立しない。口から出まかせで噓を言う人が「政治的指導者として適切である」と有権者が思うのであれば、そんな批判には何の意味もない。
あの時に僕は日本の政治の潮目が変わったなと思いましたけれど、実は全世界的に潮目が変わりつつあったんですね。市民たちが、「選良」ではなく、品性においても知性においても、「自分と同じレベルの人間」が自分たちの代表として公人になるべきだという新しいロジックが成立した。
たしかに民主制というのは「そういうもの」かもしれない。自分たちより知性に優れ、高い倫理性を持った人間が統治者になると、息苦しくて仕方がない。それよりは、自分と同程度の知性と品性の人間が、自分と「ケミストリー(相性)」が合う人間が、自分たちを代表すべきだ、と。

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養老 孟司(ようろう・たけし)

解剖学者、東京大学名誉教授

1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士。解剖学者。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官後は、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、毎日出版文化賞特別賞を受賞し、447万部のベストセラーとなった『バカの壁』(新潮新書)のほか、『唯脳論』(青土社・ちくま学芸文庫)、『超バカの壁』『「自分」の壁』『遺言。』(以上、新潮新書)、伊集院光との共著『世間とズレちゃうのはしょうがない』(PHP研究所)、『子どもが心配』(PHP研究所)、『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~』(扶桑社)など多数。

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内田 樹(うちだ・たつる)

神戸女学院大学 名誉教授、凱風館 館長

1950年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。2011年、哲学と武道研究のための私塾「凱風館」を開設。著書に小林秀雄賞を受賞した『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、新書大賞を受賞した『日本辺境論』(新潮新書)、『街場の親子論』(内田るんとの共著・中公新書ラクレ)など多数。

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(解剖学者、東京大学名誉教授 養老 孟司、神戸女学院大学 名誉教授、凱風館 館長 内田 樹)
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