※本稿は、佐藤優『残された時間の使い方』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■2つの「養」が時間をうまく活用するポイントに
残りの時間を有意義に使うためのポイントとしては、「休養」と「教養」の2つの「養」がカギを握ります。
とはいえ、いきなり2つの「養」と言われてもピンとこないかもしれません。時間を有効に使うといいながら「休養」していては本末転倒ではないか。さらに、「教養」を身につけるには時間がかかるし、それが果たして有意義な時間の使い方と言えるのか……。
この忙しい時代に、どちらもかえって時間をムダにするだけだ。そう考える人も多いのではないでしょうか。
とくに「休養」については、休みをたくさん取るのは怠惰だと考える人が少なからずいます。何もしないで休んでいると落ち着かない、いわゆるワーカーホリックのような人もいるでしょう。
実を言うと、私自身その兆候があります。休みは重要だと考えますが、実際はほとんど休んだことがありません。
ただ、私の仕事は日々刻々と変化する世界情勢に対応しなければならず、物書きとして1日でも筆を取らないと、明らかに次の日にはその感覚が鈍ってしまうという特殊な事情があります。
いずれにしても、私は「休養」と「教養」の2つが、時間をうまく活用し、成果を上げる上でポイントになると考えます。
■神は休むことで自らの仕事全体を振り返った
まずは、「休養」の意味と大切さから説明していきましょう。
ユダヤ教とキリスト教の経典である旧約聖書(あくまでもキリスト教からの呼称であり、ユダヤ教自体は「聖書」と称する)の「創成記」では、神が7日間でこの世界を作ったと記されています。
正確に言うと、初日に光を生み出して昼夜を分け、2日目に天を創り、3日目に地上と海を創り、植物を茂らせた。
4日目に太陽と月とその他の天体を創り、5日目に海や空の生物である魚や鳥を創り、6日目に地上の生物である動物や人間を創造したとされます。
そして最後の7日目に自分の仕事に満足し、休息したと記されています。
このことから7日目を「安息日」として、ユダヤ教では土曜日、キリスト教では日曜日は働いてはいけない日ということになっています。
この最後の休息こそが、大きな意味を持っているのです。
ちなみに旧約聖書を読むと、神は1日ごとに自分の仕事の成果に対して、「良しと言われた」とされています。
1日ごとに自分の仕事を振り返り、満足しているわけです。
その上で、最後の7日目にはしっかりと休んでいます。
振り返りの時間があってこそ、初めて働いた時間を意味づけし、価値づけすることができるといえるのではないでしょうか。
休みとは、単に体を休めたり、レジャーを楽しむためのものではありません。
1週間の仕事を振り返り、納得し、満足するためにある時間だということです。
■時間に切れ目がないと見直しをしなくなる
ドイツの哲学者、カトリック思想家のヨゼフ・ピーパーという人が、第二次大戦直後、『余暇と祝祭』という本を書いています。戦後復興で休みなく働くドイツの人たちに向けて、休むことの意義と重要性を説きました。
休むことによってリフレッシュができ、新たにエネルギーを蓄えるという意味もありますが、ピーパー曰く、要するに時間に切れ目がないと見直しをしなくなるというのです。
天地創造で、神が7日目に休んだ話と同じです。
区切りがあるからこそ、私たちは様々なことを振り返り、整理することができます。反省点や改善点が浮かび上がり、新たな課題が見えてくる。それが次の仕事のヒントやエネルギーになるのです。
今でも私たちは1年の終わりの大みそかに、1年を振り返り、年が明けると初詣や書初めなどをして新年への新たな心構えや目標などを意識します。
ピーパーが言うのは、無目的に仕事に没入してしまうことの弊害です。問題意識もなく、目標や課題もなく、ただ与えられた仕事をこなすことで終わってしまう。ピーパーに言わせると、そういう人こそある意味「怠惰」なのだと指摘します。
■仕事人間こそ「怠惰」である
本来は自分自身の人生の目的を明確にし、自分にとっての仕事の意義を明らかにすべきでしょう。
ところがそれをしないまま、ただ仕事を続けている。つまり、働くことが一種の逃げとなっており、その意味で怠惰であるというわけです。
ピーパーは同書の中で、観想(contemplatio:コンテンプラチオ)の大切さを説いています。
観想とは、日常の雑多な事柄から離れ、あるがままにこの世界を眺め、創造主の存在や創造されたものの美しさや価値を知り、それらを味わうことです。
もともとは古代ギリシャの哲学者アリストテレスが提唱した概念で、人間の幸福は知性と理性を働かせて物事の本質をつかむこと=観想であり、それが他の動物とは違う人間だけが持つ力だと言います。
アリストテレスはそれによって真理に近づくことが、「最高善」であるとしました。
そのためには、日常の雑然とした時間とは異なった、一定の特別な「時間」が必要になるわけです。
最高善を感じる時間は、ひたすら内面的な時間です。
目の前の仕事に追われ、日々の生活に追い立てられる日常の時間では、それを自覚することはできません。この時間こそ「究極の自分時間」ではないでしょうか。
■余暇こそが真理に近づく時間
このような内面的な時間を持たず、ただひたすら目の前の仕事に追われる生き方というのは、アリストテレスやピーパーから見たら、本来の人間の生き方ではないということです。
生存のためにただ時間を費やすのであれば、それは動物と変わらないということなのです。
近代以降、とくに資本主義の世の中は、働くことが善であり、必要不可欠なものだと考えます。
余暇はあくまでもその字のごとく、余った時間とか暇な時間であり、副次的なものにすぎません。
しかし、はるか昔の古代ギリシャ、そして中世の神学の世界においては、余暇こそが真理に近づく時間であり、人間にとって本質的で重要な時間なのです。
このように考えると、私たちが普段何気なく使っている「余暇」という言葉が、全く違った価値を持つものとして認識できるのではないでしょうか。
■資本論から読み解く休養の意味
では次に、マルクスの『資本論』から休養の意義と意味を読み解いていきましょう。
資本主義の社会において、労働者はあくまでも労働力という商品に過ぎません。ただしその商品=労働力は、他の商品と違う部分があります。
それは一定の時間を過ぎると疲労して、本来のパフォーマンスを発揮することが難しくなるということです。
資本家にとってみれば、労働者にできるだけ余剰労働をさせた方がその分儲かります。ただし、人間は機械ではありませんから、24時間ぶっ続けで仕事をすることは不可能です。
そこで労働力を再生産するために、休息や休暇を適宜与えなければならない。ただし、資本側の論理としては、休みをできる限り最小限にしようと試みます。
ちなみに賃金に関しても、労働力の再生産のために必要な金額というのが自ずと決まっているとマルクスは説きます。
すなわち労働者個々人が、人間として健全な生活ができるための衣食住にかかるお金が必要です。
■必要最低限の自由な時間が必要
さらに近代以降は、テクノロジーの進化がそのまま生産向上につながるので、様々な技術を習得し、実践するための勉強と自己啓発が不可欠です。そのための学びのお金が必要になります。
それだけではありません。労働力の再生産が永続的に実現するためには、労働者が結婚をして配偶者や子どもという家族を持ち、それを維持できなければなりません。子どもが社会に出て、役に立つ働き手となるための養育費や教育費も不可欠です。
さらには、余暇やレジャーという息抜きや文化的な学びの時間、リフレッシュのお金も必要になるでしょう。
労働力の再生産のためには、これらのお金が必要であり、それがそのまま賃金として支払われるべきお金であるとマルクスは説明しています。
再生産のポイントはお金だけでなく、そのまま「必要な時間」として言い換えることができます。家族と一緒に生活する時間、自己研鑽のために充てる時間、レジャーや文化的な活動を楽しむための時間……。
労働力の再生産という視点から、時間もまた賃金と同じように必要最低限の自由な時間が必要になるということです。
■テクノロジーが進化しても労働時間が減らない理由
マルクスは人間が人間らしく生きるために、さらに言えば資本の中で奴隷的に働く存在から解放されるために、「自由時間」が必要不可欠なものであると力説しました。
自由時間こそ、人間が自分の意志で主体的に時間を使い、創造性を発揮することができる時間です。
逆に言えば、主体性や創造性を発揮するには「自由時間」が必要不可欠であるわけです。この自由時間は前にお話しした「自分時間」と重なっていると考えてよいでしょう。
マルクスは自由時間を確保するには、労働時間の短縮が不可欠だと主張します。そして、テクノロジーが発達し生産力と生産性が向上することによって、それが実現できると考えました。
ただし現実は、そのようには進んでいません。
機械が登場し、さらにテクノロジーが進化して、いまやAIが様々な場面で人間に取って代わろうとしています。それでも労働時間が一気に短縮されるという事態にはなっていません。
実は、これもすでにマルクスが見抜いていたことです。
テクノロジーによって生産力が上がっても、資本家はその富を分配するどころか、さらなる剰余価値を求めて労働者を働かせるだろう、と。
結局、資本主義の下では、機械生産による労働時間の節約は、労働者の自由時間の増大につながらないのです。資本の論理に任せていたら、どれだけテクノロジーが発達しても、休みも自由時間も増えません。
どのような状況であれ、資本主義のもとでは剰余価値=利潤を極大化するために、つねに労働時間を延長しようとする方向にバイアスが働きます。何の制約も受けなければ資本はそのようにふるまうのです。
■資本の暴走を抑える様々な法制度が整備
実際、産業革命が起きて間もなくのイギリスの工場労働は、短くて10時間、長いところで16時間という過酷なものだったといいます。
マルクスはこうした資本の節操のない収奪の性質を、「吸血鬼」と称しました。さらに彼は『資本論』の中で次のように表現しています。
「資本は、剰余労働に対するかぎりない盲目的衝動、その人狼(ヴェールヴォルフ)的渇望をもって、労働日の道徳的最大限度のみではなく、純肉体的最大限度をも、踏み越えるのである」(カール・マルクス『資本論(二)』岩波文庫)資本は狼のような貪欲さで、道徳的な限度どころか肉体的な限度を踏み越えて、労働日を増やそうとします。
その結果、労働者は疲弊し、健康を害してしまいます。これでは国家自体がもたなくなります。
さらに社会主義国家の台頭でマルクスの言うところの階級闘争が起き、社会体制が変わってしまうリスクが高まります。資本主義国家も軌道修正をせざる得なくなったわけです。
これが社会政策などを基本にした改良型資本主義であり、国家の力によって資本の暴走を抑える様々な法制度が整うことになります。
労働時間短縮の流れもこの動きの中で生まれ、その結果現在の1日8時間労働に落ち着いたわけです。ちなみに日本でそれが法制化されたのは1947年の労働基準法になります。
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佐藤 優(さとう・まさる)
作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で国策捜査の裏側を綴り、第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。
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(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優)

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