2020年のコロナウイルスの感染流行初期、世界は深刻なマスク不足に陥った。ジャーナリストのベサニー・アレンさんは「中国は世界でも屈指の医療用品生産国でもあり、旧正月を返上して増産体制に入った。
世界中がマスクなどの流通量増加に期待したが、むしろ医療用品の対外輸出は大きく減少していった」という――。(第2回)
※本稿は、ベサニー・アレン著、秋山勝訳『中国はいかにして経済を兵器化してきたか』(草思社)の一部を再編集したものです。
■コロナウイルスよりひどかった100年前の惨劇
世界的なパンデミックで国境や言語、文化を超えた一連の集合的記憶が生み出される。今回ほどすみやかではなかったが、こうした記憶の形成は1918年にスペイン風邪が大流行した際にも起きていた。
「スペイン」と言われるものの、最初の感染者がカンザス州のアメリカ陸軍基地の兵士のあいだで報告されると、第1次世界大戦の当時、感染はドイツとフランスへと広がり、徐々に世界中で感染が報告され、最終的に世界人口の最大3分の1がこのインフルエンザのウイルスに感染した。
現代医学が発達する以前の時代、人びとのあいだで共有されたパンデミックの記憶は、いまよりもはるかに凄惨だった。街路に積み上げられた遺体、馬からころげ落ちたまま息絶えた人。家を出ることを大勢の人が恐れていたのは、ほぼ全員が家族の誰かをこの感染症で失っていたからである。
インターネットの時代、共有される集合的記憶とグローバル化したサプライチェーンの存在は、スペイン風邪のころよりありふれたものになった。
世界のどこにいようが、ウイルスについてまずその噂を知った時点で、それがどんなものなのか見当がつき、次いでそのニュースが見出しを飾るのを目にすると、今度は自分の国で最初の感染者が発生したニュースを知る。
そして最後は、前例のないロックダウンと閉ざされた国境のなかで生き抜くことになる。
■「マスクを着けろ、でも買うな」
だが、2020年2月、人類が直面した共通の経験は、マスク探しに明け暮れ、そして失敗するという経験をともなうものだった。
最初に個人用防護具(PPE)の追加を求めたのは武漢の医療従事者たちだった。
マスク不足のせいで、医師や看護師は使い捨てマスクを再利用するためにテープを使って修理しなければならなかった。それは生死に関わる問題だった。中国政府の公式統計によると、この時点で武漢の医療スタッフ数百人がウイルスに感染、うち6人が死亡している。
しばらくすると、人という人がマスクに殺到した。世界中の都市が封鎖され、薬局ではマスクが売り切れていく。アメリカではアマゾンのマスクの在庫が途絶えた。
「マスクを着用!」と政府の保健当局は呼びかけたが、その当局者が「マスクを買い控えろ!」と要請していた。マスクをどうしても必要とする最前線の医療従事者のため、かぎられたマスクを確保するように求めていた。
広がっていく混乱。だが、ひとつだけ明らかになったことがある。マスクが足りないというあまりにも明白な現実だった。

■先進国が無視できなくなった明白な事実
世界中のあらゆる場所から無作為に人を選び、この時期について話し合ってもらえば、マスクがどうしても手に入らず、そのへんにあった端布で作るしかなかったという話になるだろう。
私たちは同じ時期に、商品の希少性、サプライチェーン、産業政策を学ぶグローバルな短期集中コースを卒業していた。需要がなんの前触れもなく世界的に急増すれば、商品がなくなり、品不足に陥るのは必然である。
だが、それが必然ではなかったのは、マスクを大量生産できる国が皆無に等しく、生産された大部分のマスクとそのマスクを大量生産できる工場は中国にあったからである。世界中の政府当局者や政策立案者たちは、恐怖とともにその事実に突然気づいた。
経済先進国の国民が、ありふれた救命医療用品を中国に全面的に依存している現実は、西側諸国の体制に衝撃を与えた。世界中がマスクに殺到したことで、産業政策をめぐる議論が蒸し返され、何十年ものあいだ二の次と思われてきた議論が、アメリカでもヨーロッパでも主流のテーマに押し上げられたが、それはマスクのみならずほかの重要産業にも瞬く間に波及していった。
アメリカ人もまたあらゆる階層の人たちが、重要産業の支配権を失うことがどういうことなのかを身をもって経験した。
こんなことは何十年ぶりのことだった。そしてこの体験を通じて、テレコミュニケーションやソーラーパネル、人工知能の各分野で、中国の支配が拡大していくことへの懸念は、もはや保守派の被害妄想ではなく、むしろ自明の理だと考えるようになっていく。
■マスク大量増産の裏で起きた異変
武漢と周辺地域でマスクや医療用ゴーグル、防護服の需要が急増すると、中国政府はその需要に応じるためただちに行動に移った。
2020年1月30日には旧正月の休暇にともなう製造業の休業を受け、国務院は地方政府に対して、地元の製造施設をすみやかにフル稼働させ、PPEの生産に専念するよう命じている。

また一部の国有企業に対しても、PPEの生産にシフトするよう義務づけた。新興際華集団は人民解放軍の下部組織で、パイプや繊維製品などの軍需品をおもに製造してきた企業だが、このとき医療従事者用の防護服の製造をはじめて行った。関連省庁もこうした企業がすみやかに生産を開始できるよう、設備や原材料の供給、必要な認証の取得を早めるなどの支援に努めた。
政府主導による奔走の結果、PPEの生産は劇的に増加した。パンデミック発生当初の段階では、中国の工場は1日当たり2万着の防護服と20万枚のN95マスクを生産していた。さらに2020年3月初旬ごろには1日当たりの生産能力は拡大して、防護服は50万着、N95マスクは160万枚まで生産できるようになっていた。
だが、生産拡大と同時に別の何かが起きていた。2020年第1四半期、中国のPPE国内生産は増加した一方で、その対外輸出は著しく減少していたのである。中国側の税関データによると、この期間、マスクと防護マスクの輸出は12.5%減少、防護服の輸出にいたっては22.1%も減っていた。
■「コロナ震源地」の責任はどこへ
これが問題だったのは、中国は長いあいだPPEの主要供給国だったからである。2018年、中国はマスク、医療用ゴーグル、防護服など、さまざまな種類のPPEを世界中に輸出しており、その世界シェアは50%以上に達していた。特定のPPEについて、発展途上国の多くは中国にほぼ完全に依存していた。

PPEの世界的なサプライチェーンに占める中国の大きな役割、そして、国内産業を中国政府が厳重に管理していたこととあいまって、ほかの国はPPEの調達に際し、中国政府の言いなりになるよりほかなかった。
アメリカやカナダを拠点とする医療サプライヤーの話では、中国政府はPPEについて事実上の輸出禁止措置を講じていた。
「(マスクの)世界供給量の80%が、一夜にしてカットされた」。2020年3月上旬、カナダの医療サプライヤー「メディコム」のCOO(最高執行責任者)であるギョーム・ラベルデュールはCNNの取材にそう答えている。ラベルデュールの話では、中国政府はメディコムが中国で所有する3工場から生産品を残らず徴発していったという。
アウトブレイクの震源地である国が、1人でも感染者を減らすためにあらゆる手段を講じようと考え、その一環として自国民用のPPEの確保に努めたのであれば筋は通っている。
だが、PPEの供給をめぐる透明性の欠如は、感染発生当初の中国の隠蔽工作とあいまって、この国の政府が欺瞞に関与しているという漠然とした疑惑をさらに深めた。
当の中国政府はPPEの輸出禁止を報じる記事を否定し、輸出の減少は需要の逼迫が原因にすぎないと言い張った。
■陰謀論を噴出させた中国の欺瞞体質
パンデミックの震源地湖北省はコロナ以前から防護服の最大の生産地だった。それだけに、PPEの減産とパンデミックが密接に関連していたと思えるケースもなくはなかったとはいえ、上海や広東省、江蘇省、浙江省などパンデミックの影響を比較的免れた地域でもPPEの輸出は減少していた。
この事実は、PPEの輸出を抑えるため、中国政府が積極的な役割を果たしていたことを示唆している。
合衆国国土安全保障省(DHS)は、2020年5月1日付の情報報告書において、中国政府が国内の流行の深刻さを公式には否定しつつも、意図的にPPEの輸出を減らす一方でその輸入を増やしている可能性は95%だと発表している。

一連の行動のあいだに関連性があり、海外からPPEを入手する時間を稼ぐため、北京はウイルスに対する懸念を打ち消していたと報告書には記されている。
だが、これはありえないシナリオだ。あまりにも不確定要素が多く、しかもそれが寸分のくるいもなく同時に起きなければならない。無数の政府官僚がパニックに見舞われて右往左往する状況のもとで、そうした動きを見越したさらに大きな計画があったと想定されている。
とはいえ、報告書に記されたこうした主張は、パンデミック直後からささやかれ、多くの人が抱えていた思いの一端にほかならない。その思い――つまり、中国政府の言うことなど信じる者はいるのか?
その結果、なんの変哲もない挙動や不手際が、しばしば途方もない陰謀の一部と疑われるようになっていた。この間、中国政府によるPPEの寄付の呼びかけにただちに応じ、目覚ましい貢献を果たしていた中国国外の華人・華僑グループの活動にもこうした疑念の目が向けられることになった。

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ベサニー・アレン
ジャーナリスト

ニュースサイト「アクシオス」の中国担当レポーター。「パナマ文書」の分析で知られる国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)の「中国文書」プロジェクトの主任記者、『フォーリン・ポリシー』の記者・編集者を経て現職。2020年にロバート・D・G・ルイス・ウォッチドッグ賞を受賞、さらにこの年、ジャーナリズム界の勇気をたたえるバッテンメダルの最終選考に選出される。中国語が堪能でこれまで中国に4年間在住。現在は台湾で暮らしている。


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(ジャーナリスト ベサニー・アレン)
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