「ヨーグレット」や「ハイレモン」などを製造するアトリオン製菓は、2023年に明治から総合商社の丸紅に売却された。「売られた」側の社員たちは何を思い、彼らを取り巻く環境や仕事はどのように変化したのか。
ノンフィクションライターの笹間聖子さんが取材した――。(第2回/全2回)
■2023年3月3日、会議室がざわついた朝
「交通事故にでも遭った? くらいの衝撃でした」
アトリオン製菓企画開発課で働く岸宏さんは、明治から離れ丸紅が親会社になると聞いた瞬間をそう話す。
それは2023年3月3日の朝。長野県須坂市にある明治産業の会議室に、全従業員が集められた。通常なら4月1日に行う年度はじめの朝礼が、1カ月も前倒しされたのだ。「いよいよ閉鎖か?」「どこかに売られたのでは」――あちこちから不安な声が上がった。
無理もない。親会社の明治は「選択と集中」の真っ只中。関連会社の工場閉鎖や吸収合併のニュースが漏れ聞こえていた。
「うちもいつかはそうなるのかなと。みんななんとなく予感はしていたので『ついにきたか』という感じでした」(岸さん)
会議室の講演台近くには、見なれない50代くらいの男性と、30代くらいの男性。もしかしたらあの50代くらいの男性が、新しい社長……? その予想は裏切られる。

朝礼では、5月10日付けで株の100%が丸紅に譲渡されることが発表された。直後、丸紅から出向し、新社長に就任した山下奉丈(38)さんが登壇し、挨拶をしたのだ。
■「製菓会社ではなく、なぜ丸紅が」
「あの若い人が社長なんだ、と。それまでは明治からベテランの方が来ていたので。かなり体制が変わるのではと。不安と期待が交錯しました」
一方、プロパーの取締役で製造部長の久保田啓一さんは、半年前から事情を知っていた数少ない一人だ。
「それ以前からいつかは……と噂が広がっていました。これは笑い話だけど、『久保田さん社長になるんですか? そういう話があるって聞きましたけど』って言われたりして。工場の中を歩いてても、高齢のパートさんから『私の首切らないでね』『私大丈夫⁉』って聞かれたり。当日、丸紅に買収されたと聞いてみんなびっくりしてたね」
「製菓会社ではなく、なぜ丸紅が」という声はかなりあったそうだ。
「私も最初はそう思いましたね。それまで丸紅さんと直接の取引関係を持っていたわけでもなかったので」と首をかしげる。

ただ、「閉鎖ではなく買収だから、まだ生き残れる。なくなりはしない」と、不安のなかにもホッとした声も聞こえた。
■「潰れたらなにする?」から「なにつくる?」へ
仕事内容にはどのような変化があったのだろうか。明治産業の頃から商品開発に携わってきた岸さんは、まず「社名変更対応」の渦に飲み込まれた。
「転職も一瞬チラつきましたけど、伝票からなにから全部変えなきゃいけない作業に追われているうちに忘れてしまいました」
1年が経ち、ようやく落ち着いてきた頃、気づけば商品開発チーム内の会話は変わっていた。当初は、「潰れちゃったらなにする?」とネガティブだったところから、「次、なにつくる?」と前向きな話題に変化していたのだ。山下社長から「下請けではなくメーカーとして、自由にものが作れるチャンス」と繰り返し言われていたことが大きかった。
「今までは降りてきた計画に縛られたり制限されていた部分もあったので、それが全くなくなって、製造ラインも自由に考えて作っていいんだ。いろんなお菓子を作れるんだ」とおもしろさとやりがいを感じたという。
ただ、自由には障壁もあった。それまでは技術もアイデアもデザインも、すべて明治に頼っていた体制からの大転換だ。
「明治からパッケージデザインや材料配合をもらい、うちはそれを製造ラインに落とす役割でした。
具現化するための技術的なところを担っていたイメージです。それが突然、一からすべて考えなければならなくなった。味も配合もデザインも。晴天の霹靂でした」
■「下請け」からの卒業
ごく一部、「シャインマスカットキャンデー」など、自社で一から商品立ち上げをしたことはあったものの、あくまでもメインは「明治の商品」だった。
そこで2024年、まず取り組んだのがヨーグレットのグミ化だ。明治産業時代にも開発経験はあったが、「もっとおもしろくできるよね」と意見を出し合い、「いちごヨーグルト」「洋梨ヨーグルト」と2種の果実フレーバーも加えた。続いて、タブレットを小粒にした「ミニシリーズ」も発売。どちらもヒットした。
ただ、その開発は苦難の連続だった。市場情報の共有、デザイン会社の紹介、アイデアの提供、味のアドバイス――M&A以前は明治が担っていた機能がなくなったからだ。当時、丸紅には菓子製造のグループ会社がなかった。自分たちでやるしかなかった。

「そうなったことで、どんどん企画寄りに頭が切り替わっていった感じがします。こだわろうと思えば、どこまででもこだわれる環境なので『やりすぎないように』と心がけながら取り組んでいます」
■パチパチパニックの「大攻勢」
ヨーグレットと平行して、パチパチパニックにも大きな動きがあった。2023年、包装ラインが増設され、生産能力が2.5倍に。「口の中でパチパチ弾けるキャンディ」という国内唯一の技術を持つ強みをもっと活かしたい、という山下社長の戦略だった。
「約10年前から、パチパチパニックは100円ショップに設置していただけるようになり、販路が広がっていました。ですが包装のキャパシティが小さく、売り上げがこれ以上伸ばせない状況まできていたのです。そのボトルネックを解消するために、アトリオン製菓として初めての大型投資を行いました」(山下社長)
好調を追い風に、新フレーバーの開発とデザインリニューアルが動き出す。その責任者が岸さんだった。
■人気商品のどこを変えたのか
新フレーバーについては、市場を分析し、昭和レトロブームが来ていたことから「メロンソーダ」に決定。過去商品と被らないグリーンという色も決め手となった。原料の配合については、これまで明治を経由して取引していた原料メーカーに相談して香料を手配。その後、社内にいる「キャンディの味を作るプロ」にアドバイスをもらい、爽やかで、どこか懐かしいメロンの甘さを作り込んでいったという。

パッケージデザインも、「パッと見楽しそうだけれど要素が多く、キャラクターが埋もれてしまっていた」ことから、シリーズすべて一新することに。駄菓子に合い、子供を惹きつけるイラストを描けるデザイナーを探し回り、東京で発見。みずから事務所を訪れ、「店頭で埋もれず、弾ける気持ちになれるものにしたい」と相談、方向性を固めた。
こうして11月11日に誕生したのが、はじけるキャンディを食べると頭や口がパチパチする「パチパチ星人」のキャラクターを主役に刷新したパッケージと、メロンソーダフレーバーだ。色数や情報を極力減らし、「パチパチ星人」に目がいくように設計した。
これまで“下請け”だったアトリオン製菓には広報担当の部署がないため、プロモーションも岸さんが兼任している。
■「憧れていた仕事」への挑戦
地元須坂市での認知度を上げようと、大型商業施設やイベントで「市民全員に行き渡るくらいの数」のサンプリングを行ったり、沖縄の音楽フェスで、オリジナルデザインのパチパチパニックを配布したりと、全国を飛び回っている。かつて、明治の企画担当者を見て「かっこいい」と憧れていた仕事だ。それを今、自分がやっている。
「本当に初めてなので、どうみんなにアピールしていこうか、どうしたらいいのか、何に気をつければいいのかもわからないまま手探りでやっています。憧れていましたが……実際にその立場になると、思ったよりも大変なんだなって実感していますね」と少し疲れを見せた。やりがい、大変さ、責任――すべてが、上がった。

沖縄の音楽フェスの話は取引業者が話を持ってきて、岸さんから山下社長に提案した企画だ。山下社長は新しい挑戦でも、「今は前向きに積極的にチャレンジを重ねていくべきときだ」と決裁してくれるタイプで、この企画もすんなり通ったそうだ。
「パチパチ星人が動いてるところを子供たちに見てもらいたい」と、着ぐるみを作る話も浮上している。「子供たちが集まる場所で、それを着てサンプリングして食べてもらいたい」と熱を込めた。
■「パチパチ弾けるキャンディ」といえば…
これからの目標は、ヨーグレットのように、パチパチパニックもアレンジした形態を出して、多くの人に存在を覚えてもらうことだ。実は、「パチパチ弾けるキャンディ」は、1979年にアメリカから入ってきた「ドンパッチ」という菓子が元祖で、さらに、同じ明治でも、綿菓子の中に弾けるキャンディが入った「わたパチ」という菓子があったそうだ。
この2つの知名度が高く、パチパチパニックではなく、ドンパッチ、わたパチと間違って呼ばれることも多いのだとか。「弾けるキャンディといえば、最初に『パチパチパニック』と言ってもらえるようになってほしいというのが今の目標です」と岸さん。
さらに、アトリオン製菓を通じた仕事以外の楽しみもある。実は岸さん、プライベートでバスケを楽しみ、試合を見に行くのも趣味だそう。アトリオン製菓になってからスポンサー契約をしたプロバスケットボールチーム「信州ブレイブウォリアーズ」の試合では、数千人の観客の前でアトリオン製菓のプラカードをチアリーダーが持っていたり、菓子を無料配布することもある。
「それを見ると誇らしいですね。応援してきたチームの会場で、自分が関わった商品が配られるなんて。ある意味、人生のピークに来ていると感じています」
岸さんのように、変化を純粋に楽しむ社員がいる一方で、別の視点から会社の未来を見つめる人もいる。
■“生き字引”的職人が覚えた危機感
製造部長の久保田啓一さんは、社内唯一のプロパー役員だ。1987年の入社以来、開発10年、製造27年。工場を知り尽くした“生き字引”である。
2016年に製造部長、2018年に取締役に就任。「元々ものづくりが大好きで入ってきたもんですから、まさか取締役になるなんて思ってもみませんでした」という言葉に実直な人柄が滲む。製造部長になってからは、現場の品質や安全の確保と、生産計画に合わせた従業員の配置を各部門と調整しながら管理していた。いわば、滞りなく生産が進むために不可欠な存在といえるだろう。
その久保田さんは現在の状況に“危機感”を覚えているのだ。
「プロモーションで商品を売っていくことは必要です。でも先々を考えると、技術をもっと磨いて継承していく部分にも注力しなければいけません。これまでは明治がやってくれていた部分です」と話す。
■「培ってきた技術」を活かす楽しさ
明治は製菓の研究所を持ち、そこには、豊富なノウハウがあった。だから菓子のレシピや製法は「ほぼ出来上がった状態」で降りてきた。けれど商社にそのノウハウはない。今は、自分たちで考えた菓子を、「どうやってラインに乗せようか」というところから考えなければならない状況だ。企画開発課、製造部門、そして山下社長が頭を突き合わせ、製法から包装の仕方まで、「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤を重ねている。
そこには非常にやりがいを感じている。また、ヨーグレットのグミ版やパチパチパニックの新フレーバーなど、この2年半で立ち上げた商品は独自性があり、培ってきた技術や経験値の延長線上にあるため、そこまでハードルが高いとは感じなかったそうだ。だからこそ、「自分たちの技術を使って新しいことができる」楽しさもある。
しかし、である。明治の研究所のような、より専門的な研究開発となると限界がある。そういった部分にいち早く取り組んでいかないと、先々が大変なのではないか――。
■「ものづくりの基本精神は変えちゃいけない」
誤解のないようにいうが、久保田さんは明治に育てられた高い技術、品質は、「絶対同じ規模の同業他社には負けない」自信を持っている。誰よりも。そこは守りながら、どうやってより高め、受け継ぐ組織をどう作っていくのかを考えているのだ。
技術研修ももちろん必要だが、専門的な研究となると、異なる人員や設備が必要となる。
「一体どれぐらい投資して、どんな設備を作ったらいいのか。他社にない食べ心地、味、それをどうやって我々が作っていけばいいのか、技術を高めていくかは大きな課題です。山下社長は製造畑ではないので、その肌感覚について時々お伝えしています」
守らねばならないものもあるという。
「ものづくりの基本精神っていうのかな。変えちゃいけない部分もどこかにあると思うんです。そこはどこなんだろうというのを探しつつ、もっと高めていくために何をしなきゃいけないのか、いつも考えていますね」
会社の在り方が変わって、仕事内容が大きく変わった部署があるのに対して、あまり変わっていない部署もある。その差にとまどいや不満が出ないよう、久保田さんは間に立ってバランスをとっている。
「いろいろ小耳に挟んだら話を聞いたり、そんなことばっかりやってます」と苦笑する。悩みや愚痴を聞き、解決する受け皿となっているのだ。明治の頃から引き受けている役割だが、今はその必要性が一段と増した。
■一番残したいものは「失敗した経験」
「明治や丸紅からくる社長さんには言いにくいことってありますよね。だから自分がざっくばらんに、『どうなってんのあれ?』って聞く。不満を溜め込むと変な方向に行きますから」
部署間の温度差を埋め、経営陣には届きにくい現場の声を拾う。緩衝材的な存在と言えるのかもしれない。ひび割れないよう、間をつなぐための。山下社長も「明治産業時代に久保田さんを役員にしてくださっていたことが、本当にありがたかった」と全幅の信頼を寄せる。
しかし、現在60歳。一般論でいえば勤務はあと5年くらいだという。5年でいかに組織を改革し、後進を育成し、ものづくりの精神を伝えられるか――。
「思ってもみなかったキャリアの締めくくりだと思います。今、一番何を残していきたいですか?」そう問うと、「失敗した経験」と即答した。
「ここでは言えないような痛い目を何度も見てきていましてね。成功よりも失敗のほうが、ものづくりでは財産になる。『あのとき、こうして失敗したから気をつけて。みんなは間違えないでね』と伝えていくのが、自分の役目だと思っています」
毎月開催される安全・品質の会議で、久保田さんは繰り返し語りかける。時間は、限られている。
そうした努力が報われる環境も整いつつある。アトリオン製菓になり、給料も毎年ベースアップしている。久保田さんはかつて労働組合の執行委員長を務めた経験を持つ。その立場から見ても、賃上げ率は、菓子業界の中で十分誇れるものだそうだ。
「山下社長は『利益が出たら、従業員に還元しましょう』とよくおっしゃっていて、それが実践されているのはすごくいいことだと思います」
■「アイデンティティのある会社」へ
アトリオン製菓の“生き字引”は、これからをどう見ているのか。そう問うと、「アイデンティティのある企業ではないか」という答えが返ってきた。
「自社製品のマインドっていうかな。帰属心とか、アイデンティティみたいなものがあまりなかった会社なんです。明治製品やOEM品にも我々のエッセンスが入っていて、それが売れたらもちろんうれしいですよ。でも、アトリオン製菓としての新商品が形になってヒットしたら、はるかにうれしい。それがみんなのやりがいやアイデンティティにつながっていくと思います」
決意を話す久保田さんの目の下に、深くやさしい皺がたくさん浮かんだ。
一方、M&Aからの2年半、身を粉にしてアトリオン製菓を牽引してきた山下社長は今、「仕組み化」を強く意識している。出向の身である以上、いつかは丸紅に戻る立場だからだ。
「私がいなくなったくらいで問題が生じる会社になっているとすれば、それは私の失敗です。社長が誰になろうと回る状況を作らなくてはいけない。それは社長というポジションに限りません。属人的になりすぎず、組織として回る仕組みを必ず作る。それがアトリオン製菓を自律した会社にするということだと思っています」
■「自分たちの看板」を持てた喜び
山下社長は次のステップとして、ヨーグレット、ハイレモン、パチパチパニックに続く、独自の看板商品の立ち上げを目指している。今はそれをイメージできる段階、しっかり進んでいくタイミングに入っている、と。
「この2年半は、3ブランドを核にした横展開――ミニタブレットやグミを作るなど、ブランドの拡張をしてきました。これからは、アトリオン製菓といえばこれ、という完全な新ブランドを作ることにもチャレンジしていきたい。願わくば、既存の3つに並ぶ、あるいは抜いていくような強いブランドを数年かけて育てたいですね」
「売られた」会社で、社員たちは何を思ったのか。その答えは一様ではなかった。変化を楽しむ者、技術の継承に危機感を持つ者、その間で組織をつなぐ者――。
立場によって見える景色は違う。だが、全員に共通していたのは、「自分たちの看板」を持てた喜びだった。
岸さんも、久保田さんも、山下社長も、口を揃えて言った。まだ道半ばにも来ていない、と。アトリオン製菓の物語は、まだ始まったばかりだ。

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笹間 聖子(ささま・せいこ)

フリーライター、編集者

おもなジャンルは「ホテル」「ビジネス」「発酵」「幼児教育」。編集プロダクション2社を経て2019年に独立。ホテル業界専門誌で17年執筆を続けており、ホテルと経営者の取材経験多数。編集者としては、発酵食品メーカーの会員誌を10年以上担当し、多彩な発酵食品を取材した経験を持つ。「東洋経済オンライン」「月刊ホテレス」「ダイヤモンド・チェーンストアオンライン」「FQ Kids」などで執筆中。大阪在住。

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(フリーライター、編集者 笹間 聖子)
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