日本は先進7カ国で唯一10代の死因1位が「自殺」の国だ。しかし、100年前の子供は「世界一幸せ」とまで言われていた。
何がここまで変えてしまったのか。東京大学名誉教授の養老孟司さんと思想家の内田樹さんの対談を、書籍『日本人が立ち返る場所』(KADOKAWA)よりお届けする――。(第2回/全5回)
■じいさんはなぜいつも不機嫌そうなのか
【養老】居心地といえば、講演に来ているじいさんの機嫌の悪さがいつも気になっていて。あれ、居心地が悪いんですよね。
【内田】そうですね。あまり「機嫌のいいじいさん」って見たことないですね。日本のじいさんが機嫌悪いのは、あれはある種の成功体験の帰結なんじゃないかと思うことがあります。
子どもの頃からずっと「嫌なこと」を我慢してきた。「楽しいこと」をしてもほめられないけれど、「苦しいこと・嫌なこと」を我慢するとほめられた。「意味があると思えること」をやるよりも「意味がないと思えること」をやるほうがほめられた。それがずっと子どもの頃から刷り込まれた。
受験勉強とか学校のさまざまな校則とか、「意味がわからない」と思っても、「これに何の意味があるんですか」と異議申し立てするよりも、「無意味でも構わない」と忍耐強く従ったほうが結果的には「よいこと」が起きた。
そういうルールを長い時間をかけて内面化してしまった。
子どもの頃からそうやって「無意味耐性」を身につけた男たちは、そのうち「無意味なことに耐えて、不機嫌でいること」がデフォルトになってくる。「居心地が悪い」というくらいのことは気にならなくなる。そして、「不機嫌な顔をしている」ということは「無意味耐性を発揮している」ということだから、ほめられこそすれ、人にとやかく言われる筋合いはないと思うようになる。
■中高年男性がかかっている「呪い」
合気道を教えていて感じたことですけれど、中高年男性は総じて身体が硬いのですが、それ以外にも共通点がある。それは「気持ちのいい動き」をすることに身体が自然には向かないんです。どちらかというと「気持ちが悪い動き」をしようとする。
力を使わずに、流れるように動くより、立ち止まって、力んで、身体の構造が崩れるような動きを選択する。身体的な不快に耐えると「ほめられる」という一種の成功体験が内面化してしまっているからじゃないかなと思うんです。
不機嫌な顔をするというのはたぶん「今、俺すごく機嫌が悪いんだけども、この機嫌の悪さは不快に耐えていることを告知しているんだから、相応の報酬を頂きたい」というアピールなんです。この呪いを解くのはかなり大変です。
■100年前は「世界一幸せ」と言われた日本の子ども
【養老】それで子どもが死ぬんだね。
子どもの自殺が多いでしょ。
【内田】多いんですよね、なんでだろう。
【養老】不愉快なことをずっと続けて、このままいくのかと思うと気が滅入るんでしょうね。子どもの時間も大人の時間と同じ人生の一部ですから。子どもの時間は「将来のため」と言って、塾にやったり勉強させたりしているのも、完全に子どもの時間を軽く見てるわけでしょう。
実は人生全体で見れば同じ重さなんです。明治維新から間もなく、1878(明治11)年に日本に来た外国人イザベラ・バードが書いてますよね。「(日本の)子どもがものすごく幸せそうだ」とか「こんな幸せそうな人たちを見たことがない」ってね。
【内田】渡辺京二さんが書かれた『逝きし世の面影』(平凡社)にもそういう逸話がたくさん引かれていましたね。日本は「子どもをすごく大事にする国だ」って。
【養老】昔は子どもがよく死んだということもあるんでしょうね。やっぱり自分の子どもが小さい時に死ぬと、そこで一生懸命に遊んでいる子どもをそのまま遊ばせておいてやりたいと思うはずでしょ。
今の人たちには、そういう優しさがないんです。そんなに遊び呆けていて、という感じで子どもに接するから。「いいじゃん子どもなんだから」って思うけどね。本当の意味で子どもを認めてないんです。
■子どもは人間ではない聖なるもの
【内田】「童」は世俗とは違う領域に属しているという考え方は中世からずっとあるんです。よく子どもは7歳までは聖なるものだから人間世界の基準で律してはいけないと言われますよね。「なんとか童」とつくのはどれも「人外」なんです。この世のものではない。
「酒吞童子」や「茨木童子」など「童子」と名のつく「鬼」の類がいますけれど、もちろん子どもじゃない。この世のルールに馴染まないで「まつろわぬ民」です。京童(きょうわらんべ)は山賊の類ではなくて、ただ政治権力に素直に従わないで、うるさく不平を鳴らす都市の「不良」のことです。
これは網野善彦さんの『無縁・公界(くがい)・楽』(平凡社)からの請け売りですけど、平安時代の日本列島にいる最大の野生獣は牛だったので、この牛を御すことができる牛飼いは野生と文明の二つの領域に同時に属しているトリックスターだと見なされていた。
だから牛飼いは童名を名乗り、童形をした。
■船、刀に「○○丸」という名前を付けるワケ
「なんとか丸」というのが典型的な童名ですけれど、これは野生と人間の世界を架橋することのできるトリックスターにつけられるのが習いでした。代表的なのが船と刀です。
船の名前にはだいたい「なんとか丸」という名前をつけます。海洋という人間が御すことができない自然に立ち向かい、その海から豊かな食料資源を取り出すことのできる船は、野生と文明の両方の世界に属していると見なされた。だから童名がつけられた。
刀も「小狐丸」とか「膝丸」とか「蜘蛛切丸」とか「丸」をつけます。これも剣が巨大な野生の力を発動する装置だからです。僕は居合をやっているからわかるんですけど、剣を振ったときに発動するのは、人間の力ではなくて、野生の力なんですよ。だから、打ち粉を振って磨き上げて、童名をつけて、手元から離さず、添い寝したりする。
だから、日本では「子どもを可愛がった」というのは、たまたまその時代がそうだったというわけではないと思うんです。日本の伝統文化では、子どもはまだ半分は自然、半分は人間の世界に、その二つの領域に軸足を置いているから「中間的なもの」「聖なるもの」と見なされた。

■子どもを不幸にする子どもの扱い方
だから、日本には過酷な児童労働を描いた話はあまりないですよね。僕は『山椒大夫』くらいしか知らない。ヨーロッパでは子どもは「小さな大人」として扱われます。大人の世界にいて、同じ職場で働いている、小さくて、弱くて、能力の低い労働者に過ぎない。子どもたちがどれほど非人道的な扱いを受けていたかは、マルクスの『資本論』を読むとよくわかります。だから、幕末に日本に来た欧米人が、日本の子どもがたいせつにされているのを見て、「変な国」と思ったのは当然なんです。
【養老】今の社会の大人たちは、そういう捉え方を全部忘れちゃったから、子どもが不幸になるんですよね。昔、子どもがお地蔵さんとか社の古い祠のご本尊に縄をつけて引きずり回して遊んでいるのを大人が叱ったら、その大人は巫女の婆さんに嫌というほど怒られた。そして、当の大人の夢枕にそのお地蔵さんが立って、「せっかく子どもと楽しく遊んでたのになんでお前は邪魔したんだ」と出てくる(笑)。
ネパールに「クマリ」という「生き神」がいますよね。初潮が始まる前の若い女の子を神様にしちゃうっていう。
【内田】植島啓司さんが本を書いてますね。
でも、変わった信仰ですよね。日本でもあるのかな、伊勢神宮の斎宮(さいくう)とかそれですかね。
【養老】それだけじゃなくて、京都の祇園祭で長刀鉾(なぎなたほこ)に乗るお稚児(ちご)さんとかね。
■日本人がパソコンに預けてしまった「子どもの扱い方」
【内田】そうですね。やはり、半分あちらの世界に足を突っ込んでいる存在だから、たいせつに扱うんですね。そして、子どもを大人にする時は、超越的な世界から離れて、「こっち」へ来るわけですから、それなりに丁寧な儀礼が必要になる。「あっち」の世界から引きずり出すわけですから、子どもなりにトラウマ的な経験をすることになる。
乱暴に引き出すと、「あっち」に置いてきた下半身がちぎれてしまう。だから、丁寧に引きずり出す。それくらいの畏怖の念を子どもに対してかつては持っていた。それは今でも必要じゃないかと思うんです。
【養老】そういうやり方を一般的に「手入れ」と言うんです。手入れするものはみんなそうでしょう。日常的にあるものは、根本的な論理がわからない。理屈じゃ動かない。子どもが典型的ですね。これは維新以降、日本人が一番忘れたことじゃないですかね。戦後は特に輪をかけて、全部パソコンに預けたんですよ。
■今の子どもは「経営者」になってしまった
年をとったからこんなこと考えるようになったのかなと思ってね。でも、やっぱり小中高生の自殺が増えているというのも絶対に、この世界そのものがおかしいからですよ。古い社会がおかしくしたんですね。意識的じゃなくて。だから子どもの扱いもそんなことしていいの? と思いますね。
【内田】僕は自殺をしようと思ったことが一回もないので、自殺をしたい人の気持ちがわからないんです。共感性が低いから、本当に死にたいという気持ちがわからないんです。
【養老】デジタル化した死なんですよね。いきなり、ストンと死んじゃうという。
【内田】僕が子どもの頃、高校出るまで、クラスには自殺した子はいなかったですね。年をとってからは、企業経営をしていた人が、資金繰りに苦しくなって自ら命を絶ったという類の報に接することはありました。それを聞くと愕然としますね。資金繰りがうまくゆかないくらいのことで死んじゃうのか。ものすごく視野が狭くなるんでしょうね。
【養老】今の子どもたちは“経営者”になってるんですかね。

----------

養老 孟司(ようろう・たけし)

解剖学者、東京大学名誉教授

1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士。解剖学者。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官後は、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、毎日出版文化賞特別賞を受賞し、447万部のベストセラーとなった『バカの壁』(新潮新書)のほか、『唯脳論』(青土社・ちくま学芸文庫)、『超バカの壁』『「自分」の壁』『遺言。』(以上、新潮新書)、伊集院光との共著『世間とズレちゃうのはしょうがない』(PHP研究所)、『子どもが心配』(PHP研究所)、『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~』(扶桑社)など多数。

----------
----------

内田 樹(うちだ・たつる)

神戸女学院大学 名誉教授、凱風館 館長

1950年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。2011年、哲学と武道研究のための私塾「凱風館」を開設。著書に小林秀雄賞を受賞した『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、新書大賞を受賞した『日本辺境論』(新潮新書)、『街場の親子論』(内田るんとの共著・中公新書ラクレ)など多数。

----------

(解剖学者、東京大学名誉教授 養老 孟司、神戸女学院大学 名誉教授、凱風館 館長 内田 樹)
編集部おすすめ