※本稿は、『日本 「完璧」な国の裏側』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。
■「安倍元総理暗殺」の見出しが各新聞社同じ
ここからは全国日刊紙の読者の目線に立とう。彼らは新聞で何を読んでいるのか? それは政治、経済、社会の出来事などの記事であるが、これらの基本的な特徴は、極めて事実中心であること、そしてニュースが重要なものからそうでないものの順に掲載されていることだ。
記事は「誰が」「何を」「どのように」「どこで」といった肝心で基本的な問いに完璧に答えている。「なぜ」については脇に置かれ、別の記事に書かれることが多い。その結果、別々の日刊紙に掲載された記事が酷似するという残念な傾向があり、時には形式も内容もほぼ同じであることすらある。
利点は事実が簡潔に語られていることで、欠点はアングル(角度)・文体・色合いに欠けることだ。フランスで同じ日に同じテーマについて、リベラシオン紙とル・モンド紙〔どちらも仏日刊紙〕の第一面の見出しが同じになるなど想像できようか? 不可能だ。
日本ではある重大なニュースについて、同じ日の3~4紙の第一面に、使われる言葉までまったく同じ見出しがつくことも珍しくない。
たとえば、安倍晋三元総理大臣が暗殺された日の翌日の2022年7月9日、あるいは2015年11月のパリ同時多発テロ事件後の見出しがそうだった。だが、日本の読者はそれにあまり驚かない。
■フランスの新聞とは全然違う
それどころかこの同じ見出しは、読者からすれば次のようなほぼ数学的な論理に応えるものだ。
ある出来事を少ない言葉で要約しなければならない、それゆえ最も簡潔かつ短い文で核心に迫らなければならない、そしてもし間違いをしなければ、同じ結果、したがって同じ見出しに至る――「安倍元総理が銃撃によって暗殺された」。
ここには文化的な要因、すなわち、最大多数の人々が期待する明瞭さにできる限り応えたい、見出しからニュースに「色をつける」のは避けたいといった意思がある。
記事の内容についても同様だ。一面トップ記事の執筆は数人の手で行われることが多く、こうした注目記事は新聞社の方針に従って署名が入ったり入らなかったりする。ル・モンド紙を読んであの記者やこの記者の文体を楽しむことはできるが、日本の大手日刊紙に同じような文体の楽しみを期待するのは、特殊な一部のコラムを除いて無駄である。
文体の一掃はニュース記事にとって必要なことですらある。経済記事執筆のために読みやすい文章の構成を学びたい人は、日経新聞を毎日読むだけでいい。多くの模範が見つかるだろう。
小話として、私は職業生活のために役立ったこの日経新聞に感謝している。というのも、私はこの新聞と数冊の辞書で日本語の読み方を学んだからだ。こうして私は「ほうき」や「赤ちゃんのおむつ」という言葉の訳し方を知る前に、「液晶画面」「純利益」「日本の中央銀行の政策金利」を読み、書き、言うことができるようになった。
■日本の新聞の弱点
日本の日刊紙の非常に教科書的なジャーナリズムの文体には、正確さに次いで何よりも優先される明瞭さと効率を求める意思がある。これは、あらゆる情報が人々に知らされるという意味ではない。
このような書き方には、多くの場合において非常に信頼できるデータ(特に数字に関して)を用いて、情報を素早く提供できるという利点がある。が、事実だけの簡潔な情報を見たり聞いたりする手段がほかにもたくさん存在する今日においては、おそらく新聞の弱点の一つでもある。
しかし、日本の新聞自体にもっと「色がついた」としても、メディア環境の変化にさらに強くなるだろうとは言い難い。なぜなら、それぞれの新聞の違いが分かるのは第一面でもホットなニュースの記事でもないからだ。
日刊紙の政治的傾向が表れるのは、それらよりも社説の論調においてであり、各紙が好むテーマをより感じ取れるのは、内側のページの記事(おそらく第一面よりホットではないニュース)の選択においてであり、あるいは、あれこれのニュースを論評したり説明したりするためにインタビューに応じる著名人たちだ。
■通信社の配信と似ている
日本でのニュースの選択および優先順位において最も顕著なのは、私が見たところでは、新聞記事が通信社の配信と似ているということだ(日本には共同通信と時事通信があり、これらは欧米のロイター通信、AP通信、AFP通信に相当する)。
このことは何を意味するのか? ニュースの出発点の多くが――そのニュースが長期に亘って取り上げられることは滅多にない――突然の出来事、発表、政治家や企業リーダーや有名人の行動や発言であるということだ。
この出来事、この発言、この行動それ自体が、出発点であるだけでなく記事の内容そのものにもなる。ある人がこういったテーマについて、この場所で、この日に、こう発表し、別の人はこう言った。
このようなニュースの扱い方は一般的に、通信社が提供するリアルタイム情報の特質である。
しかし、欧米のジャーナリズムの実践では、私たちはニュースを文脈の中に置くこと、同じニュースを別の形で、アングルをもって扱うことを日刊紙に対して、雑誌にはさらに強く期待する。
■「発表ジャーナリズム」
欧米のケースでは、新聞記事の出発点は上(政府、企業、組織、要人)よりも、彼らによって引き起こされていること、生じていること、記者たちが現場で観察していることである。
別の言い方をすれば、日本の日刊紙のジャーナリズムは今もなお「発表ジャーナリズム」であることが多く、他方、フランスで発展したようなジャーナリズムは観察・問い・調査ジャーナリズムである。
しかしここでもまた、日本のジャーナリズムのこのようなニュースの扱い方の中に、完全性や効率性を志向し、指導者たちの言動を国民に知らせたいという意思の影響を見なければならない。
日本のニュースは上位から出発して下位へと向かう。その逆の道筋がより自然に考えられるのは、通信社の場合と同じように、より「雑誌的」な扱いにおいてだけだ。このように考えられた「知る権利」と報道機関内の組織のあり方は、この基本前提から出発しているのと同様に、この前提を維持している。
■記者会見で見た異様な光景
私自身、日本で20年以上記者として活動することで日本の同業者のそばで仕事をし、何百回もの記者会見に出席した経験から、実際のところ日本の大手ニュースメディアの記者たちの行動の仕方それ自体が先に述べた仕事の形や書き方を生んでいると理解している。
理由の一つは実に構造的なものだ。個々の記者がほとんど自主性を持たず、彼らの行動の自由度も限られている編集部の仕事形態である。
私が一番驚いたのは、出席していた記者全員が(私にはない)驚くべきタイピングスキルを持ち、潜在的な価値があって記録に値するものと、無視してもいいような中身のない話、言葉だけ巧みな弁舌との判別をせずに、発言された言葉をすべて書き起こしていたことだ。
理由はかなり単純だ。彼らは通常、一言一句忠実に書き起こしたこの記録を上司に送り、記事としてそこから何を引用するかをその上司が決める。
■現場に決定権はない
私がAFP東京支局の記者だったときは、緊急のトップニュースとして出すのに発言者(企業リーダーや政治家)のどのフレーズを優先的に選ぶかを自分で決めることができた。私の同僚たちも同様であり、自主性、自発性、上司からの信頼があった。
しかし日本の組織体制では、どの情報を出すかは現場ではなく、何でも知りたがり、最終決定権を持ちたがる上層部との話し合いのあとに決定されることが多い。これは、日本におけるほかの多くの職にも当てはまる。
つまり、上位の者が下位の者のために決定を下すのである。そして、下位の者はそのことにとても満足する。なぜなら、問題が起きた場合に彼らの責任は問われないからだ。
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西村 カリン(にしむら・かりん)
ジャーナリスト
1970年フランス生まれ。ラジオ局やテ レビ局を経て、1999年から2004年までフリーのジャー ナリストとして日仏で活動。2004年末から2020年まで AFP 通信東京特派員を務め、現在は仏の公共ラジオ 「ラジオ・フランス」および仏の日刊紙「リベラシオン」の 特派員。著書に『フランス人ママ記者、東京で子育てする』(石田みゆ訳)、『フランス人記者、日本の学校に驚く』など。『Les Japonais』(日本人、未邦訳)が2009年に 渋沢・クローデル賞を受賞。近著に初の小説『L'affaire Midori』(みどり事件、未邦訳)。2002年より日本在住、 現在は日本人の家族と共に東京に暮らす。
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(ジャーナリスト 西村 カリン)

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