現在、日本に流通している革製品は80%近くが輸入品だ。経済産業省によると、うち中国製は40%近くを占める。
このまま「日本製」は消えてしまうのか。ジャーナリストの座安あきのさんによる連載「巨人に挑む商人たち」。第5回は「がま口財布の再ブームを起こした革小物メーカー『コルバ』の技術」――。
■キャッシュレス時代に「がま口」が売れている
これは、中国の大量生産に挑む日本の小さなメーカーの話である。
キャッシュレス決済の普及で、財布が売れない時代だと言われる。分厚い長財布は敬遠され、スマートフォン一つで外出する人も増えた。
ところが今、「日本製のがま口財布」が再び脚光を浴びている。その生産を支えるのが、大阪市東住吉区に拠点を置く革小物メーカー「コルバ」だ。
コルバは自社ブランドを前面に出さず、黒子として製品を供給するOEM(相手先ブランド製造)専門の企業である。がま口財布を中心に、年間総生産数10万7888個、月間約9000の製品を国内で生産している。その中でも、東京の大手卸問屋「エトワール海渡」を通じて国内外の小売店に流通するコルバのがま口財布は、年間約5000点。その55%を韓国や台湾からの注文が占めるという。

なぜ今、がま口財布なのか。その用途は小銭入れにとどまらない。大きく口が開き、ワンタッチで閉まる利便性が、鍵やリップクリーム、常備薬、アクセサリー、そしてガジェット類(イヤホンなど)を収納するのに最適だと再評価されているのだ。
■「絶滅」するはずだった産業での快進撃
本来であれば、がま口財布のような労働集約的な製品は、「世界の工場」である中国の台頭によって絶滅してもおかしくなかった。実際、この30年間で日本の産地は空洞化し、多くのメーカーが廃業するか、生産拠点を海外へ移した。
しかし、コルバの奮闘によって、その危機は免れた。同社はこの30年間、一度も赤字を出していない。グローバル経済の荒波を乗り越え、生産量は少しずつだが右肩上がりに推移。多くの企業が苦しんだコロナ禍においても受注を増やし、コロナ禍前の2019年比で売り上げは10.6%増、新規取引先を43%も増やしてみせた。
まさに「メイドインジャパン」復権の立役者である。なぜ、大阪の小さな町工場だけが、巨大な中国の生産力に飲み込まれず、生き残ることができたのか。そこには、現社長の桝本武典さん(62)と妻の恵子さん(61)(チーフデザイナー)、そして創業者の父・禎昭さん(88)が下した、ある決断があった。

■15歳、丁稚奉公から始まったものづくり
時計の針を少し巻き戻そう。コルバの源流は、会長である父・禎昭さんの起業にさかのぼる。禎昭さんは15歳のとき、奈良から大阪へ丁稚奉公に出た。最初に勤めたビニール製袋もの工場から叩き上げ、15年後の1968年、30歳で独立し「桝本商店」を立ち上げた。そこで始めたのが、牛革を使った「がま口財布」の製造だった。
時は高度経済成長からバブルへ。桝本商店は商品の幅を広げ、口が大きく開く軽量なレザーポーチを開発し、月に1万個以上売れるヒット商品となった。百貨店や量販店に専用の棚が設けられるほどの売れ行きだったという。しかし、バブル崩壊とともに潮目は大きく変わる。
「10あった仕事が、ほとんどゼロになるような感覚で激減した」と武典さんは振り返る。
急速な円高と人件費の高騰。日本の製造業は雪崩を打って中国へと生産拠点を移し始めていた。
「日本で作っていてはコストで勝てない」。誰もがそう確信していた時代だった。
■深圳の巨大工場で決めた「絶対に日本からは出ない」
1995年、危機感を抱いた桝本親子は、同業者の一団に混じって中国・深圳の巨大工場を視察に訪れた。そこで見たのは、塀に囲まれた広大な敷地に2000人近い工員がひしめき、昼休みには運動場のような広場で一斉に弁当を広げる光景だった。
「資本主義の原理で考えたら、すべてがここに向かう。日本のやり方で勝てるはずがない」。武典さんはそう悟ったという。
同業者たちは一様に、中国進出によるコストダウンに期待を膨らませていた。だが、帰国した桝本親子が下した決断は、周囲の予想を裏切るものだった。
「絶対に、日本からは出ない」
それは決して、精神論や感情論ではない。自分たちの仕事を安く作れる場所へ、しかも同業者に明け渡してしまえば、これまで築いてきた国内の職人ネットワークは崩壊する。職人がいなくなれば、われわれのようなメーカーは小回りが利かなくなり、結局は差別化できず生き残れなくなる――そう踏んだのだ。

■「日本製」と「中国製」の決定的な違い
では、安価な中国製に対して、日本製の強みとは何か。武典さんは「使ってからわかる違い」だと語る。
日本製のがま口財布は、買った瞬間より「1~3年使ったあと」に違いが出ると言われる。口金の噛み合わせが狂わず、開閉の音と手応えがほとんど変わらない。角のステッチがほつれにくく、布地もフチも大きく崩れない。見た目には似たように映るがま口でも、毎日バッグから出し入れしてはじめて、日本製と海外大量生産品の差がはっきりしてくるケースも少なくない。
実際、海外製の安価な製品は、フレームから布地が抜け落ちてしまったり、噛み合わせが悪くなったりすることが多いという。「パチン」という小気味よい音と、数年使っても緩まない耐久性。これを実現するため、コルバは国内の職人に仕事を回し続け、技術を維持することに全力を注いだ。その結果、海外の市場でも「日本製なら間違いない」という評価を確立するに至ったのだ。
■あえて継がせない、異例の親子承継
対外的に「中国に行かない」という逆張り戦略をとった桝本親子だが、実は会社の内部でも、もう一つの「逆張り」を実践していた。異例の事業承継である。

通常、創業者は息子を自社に入社させ、帝王学を授けようとする。しかし、父・禎昭さんの考えは違った。武典さんが30歳で独立を志した際、父は頑なに一線を引くことを宣言した。
自身の会社「桝本商店」に息子を入れることを拒否したのだ。それどころか、皮革を扱う包丁の持ち方ひとつ教えず、仕入れ先も得意先も一切紹介しなかった。
「私は息子を一日たりとも自分の会社で雇ったことはありません」と禎昭さんは断言する。「アパレル以上にこの業界は厳しくなるとわかっていましたから。私に染まったら、古いまま染まってしまう。だから一切教えない。完全にほったらかしました」
1993年、武典さんは父の会社からわずか100m離れた場所に、自身の会社「コルバ」を設立した。武器は、前職の子供服メーカーで培った企画力と、妻・恵子さんのデザインセンスだけだった。当初はどの問屋やメーカーを訪ねても門前払いで相手にされなかったが、この「突き放し」こそが、武典さんを一人前の経営者に鍛え上げた。

父の会社が「勘と経験」に頼る経営だったのに対し、武典さんはゼロから販路を開拓する中で、「完全受注生産」と「在庫を持たない経営」を徹底する近代的な管理手法を身につけていったのだ。
■父の「財務」と息子の「管理」が融合
転機が訪れたのは、独立から約10年後の2005年。父と子の会社が事業統合した時である。蓋を開けてみると、父の会社はバブル期の成功体験が抜けず、「売れるかもしれない」という見込み生産で大量の不良在庫を抱えていた。一方で、重たい借金はない。父は創業以来、「一枚の手形も振り出さない」堅実経営でキャッシュを回していたのだ。
「父は会社一本のために蓄財し、引き際も見事に決めた。すごい経営感覚です」と武典さんは語る。父が残した「財務基盤」と、息子が培った「在庫管理のノウハウ」。この2つが融合したことで、コルバは筋肉質な組織へと生まれ変わった。もし最初から息子が家業に入っていたら、古い体質に飲み込まれ、共倒れしていたかもしれない。あえて「継がせない」という選択が、結果として事業を存続させたのである。
■日本製にこだわるのは「感情論」ではない
現在、コルバのショールームには3000近い型紙のストックがある。それを支えるのは、神業のようなスピードで大量の品を仕上げる80代の熟練工から、駆け出しの30代若手まで、関西を中心とした約20人の職人ネットワークだ。
職人が手掛けた製品を工房に集約してラストスパートをかけ、本社スタッフが均質で上質な「完成品」へと一気に仕上げていく。職人の工房スタッフや社内の検品チームまで含めると、総勢146人がこの生産に携わっている。
この厚みのある体制があったからこそ、コロナ禍で他社の営業が止まった際にも「国内で作れる」という強みを発揮し、一気にシェアを拡大できたのだ。
武典さんは、日本製にこだわる理由を「感情論ではなく、算数の問題」だと言い切る。
「例えば1万円の財布があるとします。海外からの輸入品であれば、利益の大半は海外に流出し、日本に残るのはわずか。しかし、日本製であれば、生地代、職人の工賃、運送費、そのすべてが国内で回る。1万円の経済効果のほとんどが日本に残るんです」
■日本の町工場はまだ世界で戦える
安さを求めて海外へ出れば、短期的には企業の利益は増えるかもしれない。しかし、国内のプレイヤーが減れば、巡り巡って自分たちの首を絞めることになる。
そんな「日本製がま口財布」を担いで、販路開拓に動いているのが、冒頭でも触れた、東京・日本橋にある創業123年の総合卸問屋「エトワール海渡」だ。全国各地のものづくりメーカー約2500社と、国内外1万店の小売店をつなぐ老舗である。
両社の関係は深い。父の桝本商店とは1970年から、コルバとは1999年から取引を始め、過去25年にわたってオリジナルのがま口財布の生産を委託してきた。冒頭で触れたアジア市場での快進撃は、職人の手仕事を守るコルバと、それを強力な流通網で世界へ運ぶエトワール海渡、この両輪がかみ合うことで実現したものだ。
人口減少が進む日本において、コルバのように風土に根ざした国内メーカーの品を海外へ届けていくことが、目下、エトワールが注力する目標でもある。
大阪の町工場が貫いた、中国に行かず、親の会社にも入らないという「二度の逆張り」は、失われた30年を取り戻そうとする日本企業にとって、一つの「解」を示している。作る人と売る人が、それぞれの領分で「道」を極めること。そうすれば、日本の製造業はまだまだ世界で戦えるのだ。

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座安 あきの(ざやす・あきの)

Polestar Communications取締役社長

1978年、沖縄県生まれ。2006年沖縄タイムス社入社。編集局政経部経済班、社会部などを担当。09年から1年間、朝日新聞福岡本部・経済部出向。16年からくらし班で保育や学童、労働、障がい者雇用問題などを追った企画を多数。連載「『働く』を考える」が「貧困ジャーナリズム大賞2017」特別賞を受賞。2020年4月からPolestar Okinawa Gateway取締役広報戦略支援室長として洋菓子メーカーやIT企業などの広報支援、経済リポートなどを執筆。同10月から現職兼務。朝日新聞デジタル「コメントプラス」コメンテーターを務める。

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(Polestar Communications取締役社長 座安 あきの)
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