中国国籍を保持したまま海外に居住している「華僑」は、約6000万人いる。ジャーナリストのベサニー・アレンさんは「中国共産党は華僑に対して地位と名声を提供する見返りに、政治的統制を課している」という――。
(第5回)
※本稿は、ベサニー・アレン著、秋山勝訳『中国はいかにして経済を兵器化してきたか』(草思社)の一部を再編集したものです。
■世界中で起きた中国人による「マスク買い占め」の裏事情
現在、世界には中国人の血を引く人びとが約6000万人存在している。これはイタリアの全人口にほぼ匹敵する数字である。海外の華僑や華人のコミュニティーが共同して事に当たれば、従来にも増してはるかに大きな影響を世界に与えることができるのだ。
新型コロナウイルス感染の大流行が始まったとき、海外で暮らす中国人たちはフェイスマスクの買い占めに奔走した。実はそのとき目にされたのは、何十億というPPE(個人用防護具)が中国に送られていく光景だけではなかった。この買い占めをきっかけに、世界はかつてないほど厳しい監視の目を中国共産党の統一戦線組織の活動に向けるようになった。
研究者たちは、買い占めの組織化に協力した中国人グループの多くが、中国政府の国務院僑務弁公室や党に属する中国共産党中央統一戦線工作部(UFWD)とつながりがある事実に気づいた。いずれも華僑グループの政治的指導を任務としており、PPEを中国に送るよう呼びかけていた。
本国や中国語圏の地域を除けば、統一戦線工作部はその存在をほとんど知られないまま数十年を過ごしてきたが、最近になってその悪評ぶりがある程度世界でも知られるようになってきた。
中国共産党の直属組織で、実際、その名称から一目瞭然のように、1949年に終わった国共内戦では、党が最終的に国民党に勝利するうえで重要な役割を果たしていた。
■エリート中国人が負う代償
工作部の任務は、何のかたちであれ、いまだ党の官僚機構に組み込まれていない中国社会のあらゆる階層に接触し、人民が党の目標に向けて邁進しているか、少なくとも反政府活動を行っていないか――だから“統一戦線”という――を確かめることを任務としている。

民衆レベルが対象の活動では、民主主義社会なら独立しているはずの市民組織の力が利用されている。その際に用いられるのは、決して鞭一辺倒ではなく、飴もふんだんに使われている。
中国社会における現在の統一戦線の活動では、党幹部がかかわっている場合が少なくなく、その際、将来有望な人民――若手の活動家、少数民族の著名人、成功した企業家、新進気鋭のジャーナリスト――を発掘して、党系列の関連組織、たとえば中華全国婦女連合会、中華全国新聞工作者協会、全国統一戦線組織である中国人民政治協商会議の地方組織や省組織などでの地位を提供する。
抜擢されたリーダーにはこうして世に出る足場が与えられ、その組織で社会的な地位が認められれば、あとは官僚機構ならではのあからさまな出世階段にしたがって昇進していく。
これらの恩恵の見返りとして、彼らは自身の活動を組織の方針と一致させなくてはならない。自身のコミュニティーを代表する一方で、党の目標と利益も代表して活動するため、出身母体のコミュニティーへと戻っていく。
■世界のどこにいても監視される
党系列の組織は、コミュニティーを生み出し、社会を組織化するうえで重要なチャンネルを提供できるばかりか、ビジネス活動や国際交流をうながすことさえできる。
統一戦線の活動とは、レーニン主義のように実践的で、党の部外者とのあいだで一種の合意形成を図っていると言えるのかもしれない。部外者に対して、彼らが党の枠内で活動を行い、必要に応じて党が先導する構想にかかわるかぎり、党はそうした彼らが成功や繁栄にいたる道を差し出してくれる。
あるいは、身も蓋もなく言うなら、統一戦線の活動とはこの国の真の市民社会と独立した地域社会のリーダーたちに、名声とその機会をもたらす地位を提供することで相手を取り込み、彼らの活動を党が直接監視しているのだとも言えるだろう。
統一戦線の彼らの成功に乗じ、その名声が今後も続くかどうかはひとえに党への忠誠しだいとして、党への服従をちらつかせる。これこそまさに、中国共産党が海外で活動する華僑グループとのあいだで築きたいと願う関係そのものにほかならない。

■背景にあるのは清朝滅亡時の禍根
1912年に滅亡した清朝では、この監視体制は確立されていなかった――それは王朝が滅亡した原因でもあった。
清末、国内の改革派や革命家の結社は弾圧されたものの、国外では活発に運動が進められ、志を同じくする知識人や活動家のコミュニティーは、日本をはじめアメリカ、イギリスまで世界の各地に及び、それぞれネットワークで結ばれていた。
中国の革命指導者で、のちに近代中国の父と呼ばれる孫文は、各国に点在する結社を統合するため、1905年に東京で中国同盟会を設立。
同盟会はまたたく間に拡大していき、東南アジアだけで35カ所以上もの事務所が設立されたほか、ボストン、シカゴ、ハバナ、ホノルル、モントリオール、ニューオーリンズ、ニューヨーク、サンフランシスコ、バンクーバー、そしてニュージーランドの首都ウェリントンにも支部を持つまでになった。
同盟会は中国国内の一連の反乱を背後から操っていた。そして、清朝滅亡へとつながる最後の反乱、「武昌起義」が起こると、1912年に清朝は倒れて中華民国が建国される。
■台湾を支配するまで内戦は終わらない
中国共産党は歴史から学ぶことに実に長けている。そして、海外の敵対勢力がいかに危険かについても党は歴史からしっかり学んでいた。
中央統一戦線工作部とそこで働く人間は、公式の肩書きに関係なく、長いあいだ、中国の国境を越えて活動してきた。中華人民共和国の建国から数十年間、国外における統一戦線工作部の主要な標的は台湾の国民党だった。
1949年の第2次国共内戦には敗れはしたものの、国民党は消滅したわけではなく、台湾に逃れただけにすぎない。そして、台湾を統治する政府として存続してきた。
それが可能だったのは世界各国の大使館であり、支持者の存在だった。
だがそれは、中国共産党が自国のものと見なす外交的承認と国際的権力を奪い取ったようなものだった。中国共産党としては、国民党に取って代わったら台湾政府を取り込み、名実ともに大中華圏の唯一無二の支配者として認められるまで、1949年の内戦の勝利を完全な勝利と見なしはしないだろう。
統一戦線工作部の国外での“工作活動”は、台湾国内と世界の主要都市に居住する華僑コミュニティーにいる国民党支持者との闘争として始まった。1950年代から80年代まで、統一戦線工作部の国外活動は、もっぱらチャイナタウンでの縄張りをめぐる小競り合いにかぎられていた。党のシンパが、現地の親台湾派の華僑が活動する機会を奪い取ろうと狙っていた。
■留学生は格好の餌食に
1989年、天安門事件の際の軍事的弾圧で民主化運動が壊滅的な打撃を受けると、民主化推進派は大挙して国外に逃げていった。
民主化を進める集団が国外で組織されることを恐れ、党は最大の警報を発する。北京の指導部は大規模な対策を新たに進め、統一戦線には惜しみなく資源を投入し、国外の華僑コミュニティーを組織ごと取り込んだり、反体制派の動きに目を光らせたりした。
あるいは独立系の中国語の地元紙を囲い込んだり、廃刊に追い込んだりしたほか、豊富な資金に恵まれた北京政府を支持する組織を新たに立ち上げ、民主化を支援する組織を圧倒していった。
こうした試みは信じられないほどの成功を収めてきた。いまや世界中の都市に、北京政府と連携するさまざまな組織の支部が何千と存在する。
そのなかには現在70カ国以上にある“和平的統一”を掲げた協会のような前線組織から、対中ビジネス協会あるいは北京の肝いりで設立された地域組織などがある。
中国人留学生はとくに標的にされてきた。皮肉なことだが、かつて海外の大学は、清朝時代の中国の改革者たちや初期の共産主義者たちにとって活動を育む沃地にほかならなかった。
■18億ドルの年間予算を持つ工作部
習近平国家主席のもとで、統一戦線の活動は中国外交にとって欠かせない構成要素となりつつある。公式な外交ルートを踏まない工作を担当する、一種の裏の外交の担い手だ。
2018年10月、統一戦線工作部は海外の華僑をターゲットとすることに重点を置くよう改組され、政府機関の僑務弁公室は、党機関の工作部の管理下に置かれた。これらが意味するのは、北京政府と国外の華僑との関係にそれまで以上の政治的統制が課せられるということだ。この改組については、党が政府を吞み込んでしまったとも言えるだろう。
これまで中国政府は統一戦線工作部の重要性を軽視してきたが、同部への予算配分を見れば、決してそうではないことがわかる。この国の財政部は、政府や党に属する部門についてかなりの範囲で予算を公表しているが、統一戦線工作部についてはそうではない。
しかし、ジョージタウン大学セキュリティ・新興テクノロジーセンターの研究員ライアン・フェダシクは、統一戦線工作部の主要組織の予算文書をまとめ、2019年前後の年間予算を合計すると、少なくとも14億ドル、おそらく18億ドルに達する事実を突きとめている。
「どの国の政府官僚にも知られている普遍の真実がある――予算ほど雄弁に物語る言葉はない」とフェダシクは書いている。

組織や戦略的なレベルでは、統一戦線工作部は諜報機関のような役割を果たしている場合が時にはある。これはとくに国外での工作活動において顕著にうかがえる。海外では党の部局として公然と活動ができないからだ。
■「中国人=中国共産党」ではない
工作活動では、国家安全部や中国人民解放軍の政治情報部門と直接連携したり、あるいは競合したりすることもあり、また、統一戦線工作部で公職にある党幹部が政府内の役人として兼務する場合もある。
たとえば、海外の中国大使館に赴任している外交官には、非公開で統一戦線工作部の役職についている者もいる。
ただ、ここではっきりさせておくが、華僑あるいは中国人のコミュニティーだからといって、そのすべてが中国共産党とつながっているわけでは決してない。
中国人=中国共産党という考えが広まるのは、有害でしかない人物判定や差別を招いてしまう。
「(工作部と結びついているコミュニティーは)かならずしも華僑のコミュニティーを代表するものではない」。2020年9月、「オーストラリア戦略政策研究所」(ASPI)の研究者アレックス・ジョスクは『ブルームバーグ』のインタビューに対してそのように答え、「統一戦線と結びついている華僑はごく少数かもしれないが、その華僑集団は非常に効率的に動員をかけ、メッセージを発信できる」と語っていた。
折に触れて中国大使館や統一戦線に肩入れする華僑集団を理解するうえで鍵となるのは、彼らがどのような人間であり、日常生活の大半をどのように過ごしているのか、そして、組織されたそのコミュニティーのリアルな姿だ。
実はそのコミュニティーは、子供たちの教育イベントや旧正月のお祝いに携わり、高齢者の支援や地域の政治活動を進めるなど、まぎれもなく有意義な活動に取り組んでいる。
同時に彼らは越えてはならない一線を決して越えないように細心の注意を払いながら、時に応じて援助を求める党の呼びかけに応じているようなのだ。

それだけ、どの華僑集団に北京の息がかかっておらず、どこが北京の意向を汲んでいるのかを外部から見抜くのはきわめて難しい。

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ベサニー・アレン
ジャーナリスト

ニュースサイト「アクシオス」の中国担当レポーター。「パナマ文書」の分析で知られる国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)の「中国文書」プロジェクトの主任記者、『フォーリン・ポリシー』の記者・編集者を経て現職。2020年にロバート・D・G・ルイス・ウォッチドッグ賞を受賞、さらにこの年、ジャーナリズム界の勇気をたたえるバッテンメダルの最終選考に選出される。中国語が堪能でこれまで中国に4年間在住。現在は台湾で暮らしている。

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(ジャーナリスト ベサニー・アレン)
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