■警察庁が開始を宣言した「仮装身分捜査」
闇バイトによる特殊詐欺や強盗の続発を受け、日本の警察は2025年初め、捜査員が身分を偽装して犯罪グループに潜り込んで摘発を目指す「仮装身分捜査」を始めました。
「潜入捜査」の一種で、警察トップの警察庁長官が高らかに開始を宣言しました。海外では潜入捜査を導入済みの国が多いのですが、日本警察は慎重な姿勢を長く保ってきました。通常の捜査を続けてきたものの詐欺被害は増える一方、高校生ら素人を犯罪の手足に使う「闇バイト」の横行で強盗が時に殺人に至る事件も相次いでいます。国民の不安の高まりを受け、警察庁は仮装身分捜査を始めたようです。
導入に際し警察庁は実施要領をつくり、全国の警察本部に知らせました。報道機関にも詳しく内容を説明して大いに宣伝しました。その内容をひとことで言えば、警察官が偽の運転免許証やマイナンバーカードなどを使って闇バイトに応募して雇われたふりをして敵の内情を探るというものです。
現場の捜査員からは「現場をろくに知らない警察官僚が『警察は必死にやっています』感をアピールするために打ち上げた。効果は極めて限定的」と辛辣な声も聞かれます。
■かつて行われていた「潜入捜査」
あまり知られていませんが、日本警察は1990年代に「潜入捜査」に挑んだことがあります。当時は、組織犯罪の親玉たる暴力団による拳銃使用事件が相次いでいて、一般市民が犠牲になることも少なくありませんでした。所持も使用も違法なはずの拳銃が出回っているのに警察はろくに押収できず、事実上野放しになっていたのです。その現状を何とかしようと、捜査員を暴力団側に潜らせて拳銃情報を取る作戦をひそかに始めたのです。
潜入したひとりが元大阪府警の高橋功一さん(68)です。警察官の身分を隠して1996年5月から約3年間、国内最大の暴力団山口組の傘下組織に潜入しました。ところが高橋さんは99年7月、潜入捜査中の活動にからんで複数の違法行為に関与したとして懲戒免職処分を受け、逮捕されました。覚醒剤取締法違反などの罪で起訴され、有罪判決が確定、数年間服役しました。
■暴力団に潜入、警察に「梯子を外された」
その高橋さんは当方の取材に「警察組織に梯子を外されたという思いがある。私は失敗の生き証人」と話しました。今回の仮装身分捜査に参加する後輩には「よかれと思ってやるだろうが家族や親のことを考えて断った方がいい」と呼び掛けます。
潜入捜査の内実を聞きました。
――あなたは1976年に大阪府警警察官となり、府警本部生活安全部在籍中の96年に潜入捜査を始めたと聞く。志願したのか?
【高橋】上司からの指示だ。警察官の身分を隠して暴力団組織や覚醒剤密売組織に入り込み、内部から拳銃の密売や所持に関する情報を入手せよ、と。「これまでにない捜査手法を使う」「場合によっては刑務所に入るおそれもある」「殺し以外は何をしても守る」とも言われた。
――覚醒剤と拳銃は関係があるのか?
【高橋】覚醒剤を密売する者は当時、多くが護身用に拳銃を持っていた。関係は深い。
――潜入に際し、やったことは? いきなり組事務所に行って「ごめんください。組に入りたいのですが」とは言えまい。
【高橋】まずは協力者作りを指示された。暴力団の幹部で温厚な性格、裏切らない、覚醒剤の密売をしている、妻子持ちで子煩悩、金銭に汚くない人物を探して取り込め、と。そんなの簡単に見つかるわけがない。
■「ばれたら港に浮かぶぞ」
――協力者には警察官と明かしたのか?
【高橋】明かした。そのうえで潜入捜査の目的を告げたら、協力者は驚いていた。「ばれたら港にあなたの死体が浮かぶぞ」と言われた。
――そこからどんなことを?
【高橋】自分の見た目を変えることから始めた。黒髪をオレンジ色に染め、背広をマオカラースーツ(立襟のスーツ。著名なマジシャンや料理研究家が愛用していた)に変えた。氏名も「尾安圭司(おやす・けいじ)」とし、名刺も作った。
――偽名のいわれは?
【高橋】やくざは刑事のことを「おやっさん」と呼ぶことが多い。街中で、事情を知らない知り合いのやくざからそう呼ばれてもいいように。
――名刺の肩書は?
【高橋】協力者が営むバラエティショップの「主任」とした。このショップの2階を情報収集の拠点とし、公金の5000円で買った応接テーブルを入れた。上司に領収書を出した。
――そこに出入りしていると、暴力団関係者から怪しまれないか。
【高橋】危うい場面もあったが、協力者が「この人は私が服役中に助けてくれた命の恩人で、兄貴分だ」とごまかしてくれた。以来、周囲の私への警戒感は薄れていった。
■暴力団は「真面目に悪いことを真剣に考える」
――生活リズムの変化は?
【高橋】家を夕方に出て、翌朝帰宅に変わった。家族と過ごす時間がますます減ってしまった。
――情報収集は順調だったのか?
【高橋】協力者は私のために懸命に動いてくれた。潜入前の捜査で暴力団などの習性や動きは理解していたつもりだったが、中に入ると新たな発見があった。擁護するつもりはないが、彼らは真面目に悪いことを真剣に考えている。
■特別ゼミに全国から25人参加
――潜入捜査は大阪府警だけがやったのか?
【高橋】警察庁の主導だ。全国の警察本部に銃器対策課が新設された96年に特別ゼミが開かれ、全国の警察本部から捜査員が招集された。泊まり込みで5日間、私も大阪府警代表として参加した。
警察庁の幹部が講師となり、協力者工作や潜入捜査などの秘匿捜査技術を教えた。参加者の中には「潜入なんてできるのか」と疑問を口にする者もいた。
ここでの講義内容を基に警察庁銃器対策課は「けん銃事犯捜査ハンドブック」という教本を作った。潜入捜査や通信傍受の方法のほか拳銃の分解・組み立て方などが詳しく解説されている。
※ハンドブックには「捜査員自らが潜入することも必要になってくると考えられる。このため今後はこの種捜査を専門に行うプロとその育成に組織を挙げて取り組んでいく必要がある」との記述がある。
【高橋】特別ゼミは正しくは「銃器捜査技術専科」で、私を含めて25人の警察官が一期生として参加した。所属の警察本部は警視庁や大阪府警のほか北海道、神奈川、愛知、兵庫、京都、広島、福岡などだ。
■刑務所では「身分を絶対に明かすな」
――ゼミ仲間のその後は?
【高橋】正確な消息は不明だが、半数近くが潜入捜査を終えた後に警察を辞めたようだ。ある人は潜入先近くの交番に配属されたのが理由だったと聞く。報復の危険を考慮しないのだろうか。
――刑務所を出た後、どうしたのか?
【高橋】警察官仲間の支援で中部地方の警備会社に勤めたり、造園の見習いをしたり。知り合いのいない東京に行って、コンサルや物品販売などの会社を作った。行政書士の資格も取った。体調を崩して最近すべて辞めたが。
――報復を心配しなかったか?
【高橋】いまはないが心配した時期もある。服役した刑務所に入った時は緊張した。刑務所側からは「身分を絶対に明かすな」と言われた。報復を警戒していたのだろう。ほかの受刑者と接触しない作業に従事させてくれたのもそのためだと思う。
■潜入中、ずっとやめたいと思っていた
――今回の「仮装身分捜査」をどう思うか?
【高橋】私の潜入捜査を検証しなかったのだろうか。検証するなら私たちの話を聞くべきだが、当局から接触はない。失敗を認めたくないから検証しないのだろう。
私が潜ったのは暴力団だが、仮装身分捜査の対象は暴力団ではなく半グレ集団だ。暴力団以上に何をするかわからないから危険度が増す。潜った警察官の保護対策を、辞めた後も含め万全にしなくてはならない。上層部に現場の警察官を守り切る覚悟がない限りやるべきではない。
それに今回の内容を見ると、仮にうまくいっても逮捕できるのは組織の下っ端ではないか。本来逮捕するべき首魁クラスは無理だと思う。そもそもこの種の捜査はひそかにやるべきで、大宣伝したら相手に防御策を講じさせる。
――それでもあなたのように上司から命令されれば現場の警察官は逆らえない。後輩への助言があれば。
【高橋】潜入中、ずっとやめたいと思っていた。失敗の生き証人として言いたい。潜入捜査をやったら警察官を辞めざるを得ない。任務終了後に幹部になれる保証もない。家族のこと、親のことを考えて判断してほしい。
■90年代の潜入捜査、元警察庁長官も「知らなかった」
高橋さんが挑んだ潜入捜査を警察庁側はどう見ているのか。東大卒業後の1978年に警察庁に入った元長官、金高雅仁さん(71)に聞きました。
金高さんは警視庁刑事部長や警察庁刑事局長などを歴任し、刑事捜査部門に詳しいとされる警察官僚です。在イタリア日本大使館在勤中は本場のマフィア対策を調べ尽くしました。日本の組織犯罪については「下っ端ではなく首魁クラスを逮捕しなければワルの撲滅はできない」が持論で、現場に奮起を求め続けました。
ところが金高さんは、90年代半ばの高橋さんたちの潜入捜査を知りませんでした。金高さんは当時、警視庁捜査2課長や刑事部参事官でした。銃器対策は管轄外ではありますが、ご存じないという。極秘裡に実施したことがうかがえます。
■仮装身分捜査は「ないよりまし」
今回の仮装身分捜査については、「ないよりましだが、劇的な効果は期待できない」と冷ややかな見方をします。犯罪組織は、首魁から末端の間に多くの役割別人物を配置していて、末端は階層が上の人物を知らないし、その人物も同じ。雇われたふり作戦で捜査員が接触できるのは末端で、そこから上層部にまでたどり着けない、というのが理由です。
金高さんは「末端の者を『協力者』として運用してはどうか」と提案します。
■10年以上前、導入に前向きな提言
金高さんは警察庁刑事局長時代、海外の組織犯罪対策を調べたことがあります。国家公安委員長主催の研究会で、捜査手法の高度化を検討する一環です。
英、米、独、仏、伊、豪州、韓国、台湾、香港を調べたところ、仮装身分捜査は米、独、仏、伊、豪州で制度化されていました。潜入捜査は韓国と台湾以外の国・地域が実施していました。2012年に出た研究会の最終報告では、仮装身分捜査について導入に前向きな提言をしています。
2025年に開始するまでの十数年間、日本警察はいったい何をしていたのでしょうか。いかにも遅い。あれこれ聞きました。
■元警察庁長官が語る「犯罪組織の捜査」
――イタリア在勤中、マフィア撲滅に尽力した判事と会った時の話を。
【金高】ファルコーネさんです。徹底した調査と捜査で多数のマフィア幹部を摘発した。高速道路を車で走行中、道路に仕掛けられた爆発物で暗殺された。摘発のための情報をマフィア内部から取っていたようで、犯罪組織の人間を協力者にすることの大切さを教わった。
協力者にしたからには本人も家族も徹底して保護する。他国に移住させて守るとも聞いた。
――相手の情報を取ることは不可欠だが、日本の場合それが十分ではない。それどころか犯罪組織担当の捜査員が取り締まり対象の組織に捜査情報を漏らして逮捕されている。
【金高】かつては捜査員が暴力団などと一定の付き合いをしていたが、いまはできなくなった。そうした不祥事をおそれるためだ。組織内部に分け入っていく術がどんどん限られている。
――打開策は?
【金高】警察庁次長の時、米国、英国、イタリアに行って潜入捜査や通信傍受の実態を見聞きした。日本の組織犯罪対策にも必要だと思った。高橋さんのような人の経験を聞き、活用するべきだ。
――昨年逮捕された警視庁暴力団対策課警部補の情報漏洩先は、「トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)」とみられる。トクリュウは警察の命名だが、はなからお手上げを宣言しているようで情けない。
【金高】摘発対象を「わかりません」と言ってどうする。これまでの暴力団対策で一定の実績はある。捜査はやりやすくなっているはずだ。
■劣勢の警察、どう立ち向かうのか
犯罪組織とつながりのある取材先の暴力団元幹部は「警察官を味方につければやりたい放題だ」と話します。実際に、これはという警察官に目をつけて家族構成や借金の有無、配偶者以外の異性との交友関係などを調べると言います。
ある警察官の名前を挙げて「反社会的勢力に捜査情報を漏らしているようだ。こちらの言うことを聞かないと警察の監察にちくる(通報する)ぞ、と持ち掛けるのも手だ」と話します。
仮装身分捜査をめぐっては2025年6月、警視庁がこれを活用して特殊詐欺事件の容疑者を摘発した、と発表しました。全国初とのことです。詳細は明らかにされていません。
仮装身分捜査の導入で、犯罪組織側の警戒は一層強まっています。警察官を取り込もうとの動きも活発化しています。劣勢の警察はどう立ち向かうのでしょうか。
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緒方 健二(おがた・けんじ)
元朝日新聞編集委員
1958年大分県生まれ。同志社大学文学部卒業、1982年毎日新聞社入社。1988年朝日新聞社入社。西部本社社会部で福岡県警捜査2課(贈収賄、詐欺)・捜査4課(暴力団)担当、東京本社社会部で警視庁警備・公安(過激派、右翼、外事事件、テロ)担当、捜査1課(殺人、誘拐、ハイジャック、立てこもりなど)担当。捜査1課担当時代に地下鉄サリンなど一連のオウム真理教事件、警察庁長官銃撃事件を取材。国税担当の後、警視庁サブキャップ、キャップ(社会部次長)5年、事件担当デスク、警察・事件担当編集委員10年、前橋総局長、組織暴力専門記者。2021年朝日新聞社退社。2022年4月短期大学保育学科入学、2024年3月卒業。保育士資格、幼稚園教諭免許、こども音楽療育士資格を取得。得意な手遊び歌は「はじまるよ」、好きな童謡は「蛙の夜まわり」、「あめふりくまのこ」。愛唱する子守歌は「浪曲子守唄」。朝日カルチャーセンターで事件・犯罪講座の講師を務めながら、取材と執筆、講演活動を続けている。「子どもの最善の利益」実現のために何ができるかを模索中。著書に『事件記者、保育士になる』(CEメディアハウス)。
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(元朝日新聞編集委員 緒方 健二)

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