■自分ファーストの解散劇
奇襲攻撃というには、あまりにお粗末だった。高市首相の通常国会冒頭解散の作戦のことだ。
「謀(はかりごと)は密を持ってよしとす」とは言っても、自民党で選挙を取り仕切る鈴木俊一幹事長にすら相談しないでごく少数の側近とだけで計画した解散戦略は、与党内に軋轢を生んだ。
寝耳に水の鈴木幹事長は、一時は「こんなことではやってられない」と周囲に不満をぶつけ、後見役のはずの麻生太郎副総裁も、地元紙の取材に「(冒頭解散は)ないでしょうね」と不快感を表明していた。年末に解散見送りの報道が相次ぎ、通常国会の召集を1月下旬に設定したことで、予算成立が遅れるような冒頭解散はないだろうと見られていた。
不意打ちを食らったのは自民党の候補も同じだ。「味方に奇襲攻撃はありえない」「高市首相の自分ファーストの勝手な判断には付き合いきれない」。そんな不満がくすぶっている。
■新党結成に拍車
奇襲攻撃をきっかけに立憲・公明両党の協議は一気に加速され、新党結成にまで発展した。党名や代表でもめている暇はない。「中道改革連合」と工夫もセンスも全くない党名が決まり、野田氏と斉藤氏という新鮮味のない二人が共同代表となることがパタパタと決まった。
綱領も、公明党の要求をほぼ丸呑みし、与野党で対立した安保法制のうち「存立危機事態」での集団的自衛権の行使を合憲と認めることや、原発ゼロの社会を目指すとしていた部分を棚上げして再稼働を容認することなど、立憲にとっては内部に反対論が吹き上げかねない原則も、あいまいな表現で受け入れた。中身の議論よりも合意のスピードを重視した結果だ。
高市首相がこれだけ解散を急がなければ、合意は難しかっただろう。
立憲内部ではリベラル派とか左派と目される議員の多くも、違和感を飲み込んでほとんどの議員が新党・中道改革連合への合流を決断したのである。
立憲のリベラル派と目されていた中堅議員は、高市首相が新党参加の決断を後押ししてくれたと皮肉混じりに打ち明けてくれた。
「自民党内では、執行部を中心に高市さんのやり方に相当、怒りや不満があるようだが、こっちは党内の不満を乗り越えて踏ん切りをつけられた。普通ならリベラル左派の議員が激しく抵抗するところだが、極右の台頭に歯止めをかけるための中道勢力の結集だという大義名分が勝り、大半の立憲議員が新党参加を決めた。選挙の準備も間に合うかどうか、という切羽つまった状況が決断を後押ししたのだから高市さんの滅茶苦茶な解散のおかげだよ」
一つの選挙区に公明党の基礎票、つまり支持母体の創価学会票は1万票から2万票あると言われている。仮にそれがそっくり自民党から中道改革連合に移れば、前回132議席だった自民党の小選挙区の議席は、半減するという試算もある。1選挙区で5000票ひっくり返っただけで24~30議席、自民党が議席を失うとも言われている。
公明票が一定程度動くだけで、選挙情勢が激変することは確かだ。問題は、そんな理屈通りに投票行動をコントロールすることなどできるのだろうか、ということだ。26年も自民党を応援してきた支持者たちは与党としての利点やうま味も覚えている。自民党との貸し借りも義理人情もあるだろう。
実は、固い公明票といっても、そう簡単に動かないことは過去実証されたこともある。

■新党の命運を握る学会票
話は30年前に遡る。
1996年、小選挙区比例代表並立制で初めて行われた衆院選に、野田氏、斉藤氏の二人はともに新たに結成された新進党の候補として立候補した。
野田氏は、93年日本新党の新人候補として出馬し、旧千葉1区でトップ当選していた。斉藤氏も旧広島1区で公明党から初出馬、こちらはやはり初出馬だった自民党の岸田文雄氏に次ぐ10万票を超える得票で当選した。二人とも期待の新人議員だったのだ。
ところが、その野田氏は、小選挙区で苦杯を舐める。わずか105票の差で自民党候補に敗れたのだ。この時、野田氏は比例との重複立候補をしていなかった。小選挙区の候補は原則重複を認めないとした小沢一郎党首の方針があったためだ。全国の落選者のなかでも最少差だった。
一方の斉藤氏。今度は小選挙区では出馬せず、比例単独のみでの立候補だった。
公明党の厚い支援で当選したが、公明党は比例に専念して選挙区で票を出さなかったのではないかと仲間から怨嗟の声を受けることになった。
当時、筆者が取材した新進党幹部は、選挙前には、参院選の比例票を各選挙区の新進党候補に割り振ると、半数以上の選挙区で自民党を上回ると読んでいた。
「もちろん、そんな計算通りに行くわけはないが、比例で大量得票すれば、その相乗効果で大半の選挙区で自民党と互角の勝負ができる。後は、候補者本人が頑張るだけだ」
しかし、選挙結果は、そんな楽観論を打ち砕いた。期待した相乗効果が予想通りにいかなかったことが明らかになったのだ。確かに比例全体の得票は1500万票と、前年の参院選での比例票を上回る勢いを見せたが、小選挙区では野田氏のように僅差で競り負けるところが続出したのだ。
■30年前の悪夢
結果、自民党の239議席に対して、新進党は156議席にとどまった。実は選挙前より4議席減らしただけだったのだが、「単独過半数も夢ではない」と事前に散々期待を高めただけに、敗北感は強烈だった。
今から考えると、付け焼刃の「選挙互助会」としては、実は、上出来の結果と言ってよかったのだが、新進党の内部には敗北感が漂い、独断的に選挙戦術を主導した小沢氏への批判も出て、新進党は一年後に崩壊した。
当時の新進党周辺では、公明党を支援する創価学会が十分に票を出せなかったのではないか、比例優先だったので選挙区での支援が足りなかったのではないか、といった見方が有力だった。
だが、取材した実感から言えば、それに加えて、連合傘下の労働組合の動きが低調だったこと(労組出身で旧民社党の委員長もつとめた米沢隆氏までもが落選した)や、同時期に鳩山由紀夫氏や菅直人氏が立ち上げた民主党に無党派層の支持を奪われたことも大きな要因だった。
しかし、小沢氏への批判とともに、公明党・創価学会が本気で他党の候補を支援したのか疑う声も相次いだ。
それが、現在の不信感にもつながっている。
公明党が小選挙区から撤退すれば創価学会は比例選挙に専念して、選挙区の候補の支援に力が入らないのではないか。自民党との26年の協力関係をすっぱり切り捨てることはできないのではないか。
疑心暗鬼というよりも、拭いきれない不安材料として、旧立憲側の候補に重くのしかかっている。公明党出身の候補を比例の上位で処遇すると、他党出身の小選挙区への支援がおろそかになるのではないか、かつて新進党を主導した小沢氏も、周辺にそんな懸念を漏らしているほどだ。
■「裏切者」と批判を浴びた高市首相
30年前の因縁話には、もう一人主要人物が登場する。
19日の記者会見で、高市首相は「高市続投か、そうでなければ、野田総理なのか、斉藤総理なのか、別の方なのか、国民の皆様に内閣総理大臣を選んでいただく」と大見得を切ったが、その高市氏も野田、斉藤両氏とともに新進党の選挙を戦っていた。
二人と同じ93年の衆院選で旧奈良1区から無所属でトップ当選した高市氏は、細川護熙連立政権に参加したあと96年の選挙では新進党から立候補し、奈良1区を勝ち抜いた。ところが、当選からわずか2カ月後に新進党を離党して自民党に移ったことから、支援者からは「裏切者」と厳しい批判を浴びた。特に熱心に高市氏を応援した創価学会員の怒りは大きかったという。
その後、自公連立の時代になっても、奈良1区では選挙に勝てなくなり、郵政選挙で2区に鞍替えした背景にはこうした事情もあったとされる。
そしてその奈良1区で高市氏を抑えた立憲の馬淵澄夫氏が創価学会と良好な関係を築くことになった。
新党結成に向けて野田氏と斉藤氏が会談を重ねるなかで、野田氏の傍らにぴったりと寄り添う馬淵氏の姿が見られたが、野田氏と学会幹部をつないだのが馬淵氏だと言われている。
野党の虚をつく早期解散で一気に主導権を握ろうとした高市首相だが、その動きが、野田、斉藤の二人を追い詰め、一気に新党結成まで進んで、選挙情勢が一変することになった。新進党の因縁と悪夢に高市首相もまた巻き込まれているのだ。
■新進党と同じ末路をたどるのか
高い支持率を背景に、高市首相は、早期の解散総選挙を決断した。経済対策や国論を二分するような法案を通すため、あるいは対立が続く中国と向き合うためにより安定的な多数に支えられた政権を作り直すための解散だと言い切った。
与党で過半数を取れなければ進退をかけるとも明言した。いわば背水の陣で、与党過半数を目指すという。
公明党の離脱、そして立憲と公明の合体という劇的な動きを経て、当初考えていたように、与党で安定多数を取れるかどうかは、不透明な情勢になった。
19日の記者会見では、深紅のカーテンを背景に、「高市政権を選ぶのか、ほかの総理を選ぶのか国民に決めてもらいたい」とまるで、かつて小泉純一郎首相が郵政解散に打って出た時の記者会見を彷彿とさせる演出だった。
しかし、そこから感じられるのは、退路を断ってなりふり構わず選挙に突っ込もうというある意味無謀な覚悟であり、「究極の自己都合、自己中心的な解散だ」と批判する声も出ている。
当初言われた自民党単独で過半数を大きく上回るような圧勝は考えにくくなっているが、とはいえ、内閣支持率が高止まりし、新党への期待もまだそれほど集まっていない。
情勢は、渾沌としていると言っていいだろう。
そんな不透明な情勢の時だからこそ、公明党・創価学会の固い組織票が、どの程度新党の勢いを作ることができるかがポイントになる。
政権交代が視野に入るほど、新党が伸びて自民党に並ぶのか、それとも高市首相がそのままの勢いで安定多数を得ることができるのか。
学会票の行方が因縁の三人の明暗を分けることになるだろう。記録的な大寒波のなか、衆院の解散・総選挙で始まった政治決戦。高支持率を背景に政権のパワーを取り戻そうと勝負を仕掛けた高市早苗首相と、その奇襲攻撃に火をつけられた立憲民主党と公明党の新党結成。
26年間自民党を支えてきた公明党・創価学会の力が、そっくり新党側に移るのだろうか。新党を立ち上げた野田佳彦、斉藤鉄夫の共同代表が、いま最も頭を悩ませているのはそのことだろう。

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城本 勝(しろもと・まさる)

ジャーナリスト、元NHK解説委員

1957年熊本県生まれ。一橋大学卒業後、1982年にNHK入局。福岡放送局を経て東京転勤後は、報道局政治部記者として自民党・経世会、民主党などを担当した。2004年から政治担当の解説委員となり、「日曜討論」などの番組に出演。2018年に退局し、日本国際放送代表取締役社長などを経て2022年6月からフリージャーナリスト。著書に『壁を壊した男 1993年の小沢一郎』(小学館)がある。

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(ジャーナリスト、元NHK解説委員 城本 勝)
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