※本稿は、萬田緑平『棺桶まで歩こう』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
■人の寿命は歩幅と背筋でわかる
人は歩けているうちは、死にません。歩けるというのは、がんばれるということ。がんばれるうちは人は死にません。なぜなら、がんばれるというのは脳の若さだからです。ですから歩く速さや歩幅を見れば、ほぼその人の寿命がわかります。
スタスタと歩ける方は、おおむね10年以上生きられるでしょう。イスから腕の力を使わずに立ち上がれる人なら、余命1年以上。立ち上がれない人は余命半年以内。ちょこちょことしか歩けない方は余命数カ月、歩けない人は余命1カ月以内。
では、歩けるためには何が大事なのか。一言で言えば、「体幹の持久力」だと僕は考えています。
僕はよく、「心がではなく、医学的に、科学的に『疲れた』ってどういうことでしょう?」と問いかけます。
髪の毛が抜けた、口が乾く、指が痺(しび)れた……、それはいわゆる「疲れた」とは違います。
■疲れると、体幹をキープできない
人間は「ああ疲れた」となると、バッタンキュー。そう、寝転びたい。立っていられないはずなのです。
「疲れた」とは自分の体をささえていられない状況。すなわち体幹の持久力が限界にきた状態です。
背筋を伸ばして、背もたれに寄りかからず座ってみてください。これは、体幹の持久力があるからできる姿勢です。持久力ですから、マラソンの選手と一緒で細い筋肉があればいいのです。太いむきむきの筋肉は要りません。
体幹の持久力があれば、どんなに痩せても歩くことができます。
茶道、華道、書道など、さまざまな「道」の先生は背筋を伸ばして長時間座っている姿勢があたりまえになっています。体幹の持久力がある人はなかなか疲れませんから、「道」の先生たちはよほどでないと疲れたとは言いません。
30分間、背筋を伸ばして座っていられる人は、30分歩けます。3分しか背筋を伸ばして座っていられない人は、3分しか歩けません。
「食べられないから歩けない」と嘆く人が多いけれど、点滴で栄養を入れているから永久に歩けるわけではない。筋肉だけで歩いているわけでもない。
■本人が歩けるなら、歩かせるべき
病気になったあと、歩けるようになったとしても、「危ないから」と歩かせない家族もいます。
同じように病院や施設でも、たとえ本人が歩けたとしても歩かせないことが多々あります。
もし入院患者が歩いて転んで骨折したら? ナースの責任になってしまいます。
「危ないからおむつにしてくださいね」などとやさしく言うけれど、実は自分が始末書を書く事態を避けたいのです。
施設もまったく同じ事情です。患者にはおむつを使わせ、歩かせないほうが安全というわけです。でも僕に言わせれば「おむつにしなさい」と強いる言い方は、「まだ生きるのをあきらめないの? そろそろあきらめなさいよ」と言っているのと同じことです。
2階で寝ている老親に、子どもたちが「階段が危ないから1階に寝なさい」と言うのも同じ。「そろそろ死んでもいいんじゃない」と言うのと一緒です。その人は自分の足で上り下りして、2階に寝ているからこそ、生きていられるのです。
上り下りをやめさせてしまったら、弱ってしまう。歩けなくなったら、がんばれなくなってしまう。
■自宅に戻ると歩けるようになる
入院中は歩けなかった患者がわが家に戻って、また歩けるようになった例を僕はたくさん見ています。
「歩こう」と言うと「私、歩けない」と言う患者さんも、もちろんたくさんいます。そう思い込んでいるのです。
「今、歩けなくたって、歩きたいなら歩けるようになるんだよ」と話して、「じゃあがんばる」と答える人は必ず歩けるようになります。歩くことは、「がんばれる」ことなのです。
努力しても延ばせない命は、残念ながらあります。人には必ず寿命がありますから、いくら死なないような治療をしても、遠からず死はやってきます。あとはなるようにしかなりません。
でも自分の足で立つこと・歩くことは、患者さん自身が努力をするに十分すぎる価値があるのです。
■がんで亡くなった50代男性の話
僕の訪問診療は、だいたい1時間くらい。どんなことをしているのか、ある日の診療を紹介しましょう。
先日がんで入院していた、50歳の男性を診ることになりました。「あと1カ月もたない」と言われ退院、彼は結婚しておらず、両親と妹と同居しています。
初めて訪問して会った時いきなり、「元気な頃の写真を見せてほしい」とお願いすると、妹さんが「お兄ちゃん、写真きらいなんです……。でも、あったあった!」と持ってきてくれました。
■「40代の頃、19歳とつきあってた」
写真を見ながら僕が、「君もてた? 彼女はいた?」などなど話を振ってみました。すると彼は「俺40代の頃、19の子とつきあってたんです」とぽつぽつ話を始める。お母さんも妹さんも、まったく知らなかったらしい。「ヘンタイ! 気持ち悪い!」と妹さん。
「なんで40代で10代とつきあうと、ヘンタイなんだよ」と兄も応酬。その後いろいろ話し始め、「店長をやってた当時はけっこうもてたんですよー」とか話してくれます。
最初の10分くらいは、こんな感じです。
そして、歩く話に入ります。彼は足がむくんでいるのですが、「こんなにむくんでる足が、上がるようになるかな?」と心配しています。
僕の答えはこうです。
「上がるようになるかは自分のがんばりしだい。がんばりたかったらがんばれば上がるし、がんばれなきゃ上がんねえし、俺に聞いたってしょうがないよ」
痛みがあるというので詳しく聞くと、「ベッドから起きる時、痛い」と言います。
「がん性疼痛(とうつう)じゃないんじゃない? がんが痛みを出すんじゃなくて、がんが太い神経にかじりついてその先が痛くなる。がん性疼痛はだんだん痛くなるもので、起きあがる時だけ痛いということはない」と説明。
■末期がんで食べられなくなる
医療用麻薬はうまく使えているので、今のままでよいという話もします。
「腹水はどれくらい出てる?」
腹水は人工肛門の脇から漏れている感じでした。
「1日1リットルくらいですかね」
そして……また女性の話題に戻って、犬の話になったり。
その後、栄養の話をします。
彼が「食べられない」と言うので「どうする? 点滴にする?」と聞くと、「うーん」とうなる。
「食べられないんでしょ?」
「…………」
おそらく、がんの影響で、ごはんが食べられない。腸ががんで狭くなり、詰まってしまうのです。
■まだ食べることを楽しめるなら…
食事というのは栄養をとるためであるのと同時に、楽しむものでもあります。
「楽しむ」のであれば、食べたいものを食べて吐いてもいい。けれど生きるためには、必ずしも口から栄養をとらなくてもいいわけです。彼の場合は、途中で詰まってしまうのだから、口から栄養がとれなくなってしまっている……。「ここで詰まっちゃってるんだから、水分だけにしようよ」という話をしました。
栄養ドリンクやプロテイン、ジュースをすすめます。がんで詰まって通らなくなっても、水分だけならば案外と通るものなのです。とはいえ、食事がこうした水気だけというのもつまらないだろうということもわかります。
僕はこういう時、患者の好きなようにしてもらっています。
「どうしたい? 好きでいいんだよ。食って吐いてもいいし、液体とプロテインだけとっててもいい。『そんなまずいもの食って、ちょっとくらい長く生きてもしょうがない』というなら、食いたいもの食えばいい。でも、決めなくてもいいんだよ。途中で変わったっていいんだから」
彼は、「じゃあ、俺、食事やめる」と言いました。
僕が家族に、「彼が食ったら食ったで、『ダメ』とか言わないでね。本人の好きなようにさせてあげて」と伝えます。
栄養については、「水分だけでやってみよう」ということになりました。
続いて、腸閉塞(ちょうへいそく)を起こしているので、その後人工肛門の処置をどうするか、またトイレについて説明をしました。その後……、やっぱり、もう一度恋愛の話に戻ります。
■兄の看病のおかげで家族が結束
「ナースはどう?」
「いい人が来てくれます」
「若い人は来ないだろ」
「来ないし、来ても手は出しませんよ」
「若くても今の君じゃダメだろー」と僕が笑う。
「やっぱり肩書がないとダメですよ。俺、店長のときはもてたんですよ」と彼。
その間、お母さんや妹さんにからかわれたりしながら笑っていました。
彼は結局、この診察から10日後くらい、退院から2週間ほどで亡くなりました。
「がんばる」と言っていたのですが、あっという間に歩けなくなっていきました。
けれど、最期は家族みんな笑顔だったそうです。
亡くなった後、お母さんと妹さんが挨拶に来てくれました。妹さんが、こう話してくれました。
「実はうちは仲がよくないというか、あまりしゃべらない家族だったんです。でも最後、お兄ちゃんのおかげで、まとまりました。いい家族だったなと思えました。『お兄ちゃんのおかげだよ』って言ったら、お兄ちゃん『微妙だな、そう言われても』なんて笑ってました」
■5人の女性と付き合った「いい人生」
彼が女性の話をしたとき、お母さんの「あんた、もてなかったんだね」という言葉を覚えていたのでしょう。亡くなる3日前に「いや、俺はもてたんだ」とまた言い出して、家族全員を集めて、自分がこれまでつきあった5人の女性について語ったそうです。
「俺は別にもてなかったんじゃなくて、とてもいい人生だったんだ」と、そう言いたかったのでしょう。
お母さんと妹さんが、「仲の悪い家族だったんだけれど、『ありがとう』も言えて、幸せだって言いながらつらそうじゃなく亡くなっていったんです」とニコニコしています。
■家族に囲まれて迎えた最期
「兄は先生が来るのを楽しみにしてたんですよ。先生が来ると、一日中元気だったんですから」とも言ってくれました。
僕は「それは、俺ではなく、俺が話したことを家族が実行してくれたから幸せだったんだよ」と返しました。ほんとうにそうなのです。「ありがとう」と言ったり、一緒に昔話をしたり、手紙や写真を見たりということを実行してくれたから――。
僕が提案したことを、実行してくれない家族もたくさんいます。彼の家族は、実行してくれたのです。そんな会話をして、二人は「ありがとうございました」と言って帰っていきました。
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萬田 緑平(まんだ・りょくへい)
医師
「緩和ケア 萬田診療所」院長。1964年生まれ。群馬大学医学部卒業後、群馬大学医学部附属病院第一外科に勤務。手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行う中で、医療のあり方に疑問を持つ。2008年から緩和ケア診療所に勤務し、在宅緩和ケア医として2000人以上の看取りに関わる。著書に『穏やかな死に医療はいらない』(河出書房新社)、『家で死のう! 緩和ケア医による「死に方」の教科書』(三五館シンシャ)など。
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(医師 萬田 緑平)

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