■大混乱している「日本国債をめぐる議論」
序章:なぜ今、日本国債がこれほど「わからなくなった」のか
今回の解散総選挙を受け、与野党のほぼすべてが「消費税減税」を掲げる異例の構図となった。物価高で苦しむ家計に配慮する姿勢を競い合う中で、食品の消費税ゼロや時限的な減税案が次々と打ち出されている。一方で、金融市場では長期金利がじわじわと上昇し、円安にいったん進行。その後、日米金融当局による介入への懸念から円高に振れるなど大きく動いている。これらが同時に起きていることで、日本国債をめぐる議論は、かつてないほど混乱している。
新聞やテレビ、専門家の解説を見ても、意見は割れている。「減税は景気を支えるから問題ない」という声がある一方で、「財政規律が緩み、国債の信認が揺らぐ」という警告も強い。さらに、ある経済学者は「財務省と日銀が連携して金利を抑え込めば、市場の歪みは為替に転嫁され、結局は中長期の財政再建しか道はない」と論じる。こうした主張は一見もっともらしいが、どこまでが事実で、どこからが前提の置き方による解釈なのか、一般の読者には判別が難しい。
結果として、多くの人がこう感じているのではないだろうか。
「消費税減税は本当に危険なのか」
「長期金利が上がっているのは、減税や財政拡張のせいなのか」
「そもそも、日本国債は今、安全なのか、それとも危ないのか」
何を基準に判断すればよいのかがわからない。
■「減税合戦」が進めば、国債は格下げされる?
とりわけ不安を煽る言葉が「国債格下げ」だ。減税合戦が進めば、日本国債は格下げされるのではないか、という懸念が繰り返し語られる。しかし、国債が格下げされるとは具体的にどういう意味なのか、誰が何を根拠に判断し、どの段階でそれが決まるのか、さらに格下げが金利や円相場、私たちの生活にどのような順序で影響してくるのかを、筋道立てて説明できる人はほとんどいない。そのため議論は、「借金が多いか少ないか」「緊縮か積極か」「減税は是か非か」といった対立に分解され、本質が見えなくなってしまう。
ここで最初に、はっきりさせておきたい事実がある。日本国債を評価する金融市場や格付機関が問題視しているのは、消費税減税という政策の是非そのものではない。彼らが見ているのは、もっと根本的な点、すなわち「この国は、将来にわたって国債の利息と元本を返し続けられるのか」という一点である。借金の絶対額が多いかどうかは、直接の判断材料ではない。
■論点は「減税が正しいかどうか」ではない
なぜ、いまこの視点が重要なのか。それは、日本が国家経営の大きな転換点に立っているからだ。高市早苗政権が掲げる「責任ある積極財政」は、単年度のプライマリーバランス黒字や歳出抑制を最優先してきた従来の考え方から距離を置き、成長投資を通じて経済全体の稼ぐ力を引き上げようとする姿勢を示している。
市場や格付機関が静かに突きつけている問いは、実にシンプルだ。それは「その政策は、将来の成長と税収につながるのか、それとも一時しのぎに終わるのか」という一点である。ここで問われているのは、減税か否か、緊縮か積極かというイデオロギーではない。借金を増やす理由が説明できるかどうか、そしてその説明が中長期の返済能力として成り立つかどうかである。つまり、いま問われているのは「減税が正しいかどうか」ではない。
日本という国が、借金を増やしながらも、返し続けられる国家でいられるのか。
本稿は、その一点を解きほぐすための議論である。
■国債の信用が保たれるための「条件」とは
本稿では、国債の格付けとはそもそも何を評価しているのかという基本から出発し、なぜ専門家の意見が分かれるのか、どこに誤解が生じやすいのかを整理する。そのうえで、なぜ格付機関が金利上昇よりも成長鈍化を恐れるのか、消費税減税がどのように日本国債の信認と結びついて見られているのかを、金融経済と財務戦略の視点を用いて解きほぐしていく。
結論を先取りすれば、日本国債は今すぐ危機に瀕しているわけではない。しかし、「何をしても大丈夫」な状態でもない。
■なぜ借金が多いのに、格付けが高いのか
第1章:日本国債の「最大リスク」は何か
序章で確認した通り、多くの人が抱いている不安は「日本の借金は多すぎるのではないか」という感覚だろう。確かに、日本の政府債務はGDP比で見れば世界でも突出している。この数字だけを切り取れば、「危ない」と感じるのは自然である。しかし、この直感は、国債の信用がどのように評価されているかという仕組みを正確には捉えていない。
現実には、日本国債は現在も主要な格付け会社から比較的高い評価を維持している。S&Pグローバル・レーティングやムーディーズ・レーティングスは、日本を「いつ破綻してもおかしくない国」とは見ていない。ここに、多くの人が感じる違和感が生まれる。「借金がこれほど多いのに、なぜ格付けは高いままなのか」という疑問である。
この疑問に答えるためには、まず格付け会社が何を見ていないかを理解する必要がある。
■日本国債が「今は」大丈夫なワケ
では、日本国債はなぜ「今のところ」信用を保っているのか。その理由は、日本の財政や金融の構造にある。国債は自国通貨である円建てで発行され、その多くを国内の金融機関や投資家が保有している。加えて、国債の平均残存期間が長いため、金利が上昇しても利払い負担は一気に増えない。こうした条件が重なり、日本は「借金は多いが、資金繰りが極めて安定した国家」として評価されてきた。
しかし、ここで重要なのは、「今は大丈夫だ」という評価が、無条件の保証ではないという点だ。格付け会社が最も警戒しているのは、突然の破綻や急激な危機ではない。
■返済能力を将来にわたって説明できるか
国債の信用が揺らぐとき、それは「借金が多いから」ではない。成長が鈍化し、税収が伸び悩む中でも支出と債務が膨らみ、その理由が説明できなくなったとき、市場は違和感を抱き始める。その違和感は、すぐに暴落や混乱として表れるわけではない。むしろ、長期金利がじわじわと上がる、国債の評価に慎重な言葉が増える、といった形で静かに進行する。
ここで押さえておくべきなのは、国債格下げは原因ではなく結果だという点である。格付け会社は、危機を作り出す存在ではない。市場や経済の現実を観察し、「この国の返済能力に以前ほどの確信が持てなくなった」と判断したとき、その評価を引き下げる。つまり、格下げとは、信用がすでに揺らぎ始めたことを公式に確認する行為にすぎない。
この章で明らかにしたい結論はシンプルだ。日本国債の最大リスクとは、借金の量ではない。
次章では、こうした評価がどのような考え方に基づいて行われているのか、格付け会社が国家をどのように「企業のように」見ているのかを、さらに詳しく掘り下げていく。そこから、なぜPB論争が噛み合わなかったのか、その理由がはっきりと見えてくるはずである。
■日本は「世界最大級の企業」である
第2章:格付け会社は「国家」をどう見ているのか
第1章で明らかにした通り、日本国債の信用を左右するのは、借金の量そのものではなく、「返済能力を将来にわたって説明できるかどうか」である。では、その返済能力を誰が、どのような視点で判断しているのか。ここで登場するのが、国債の格付け会社である。
多くの人は、格付け会社を「政府の財政運営を採点する存在」だと誤解している。しかし実態はまったく違う。格付け会社は、政策の正しさや思想的な是非を評価していない。彼らが見ているのは、極めて限定された一点、すなわち「この国は、発行した国債の利息と元本を、将来にわたって払い続けられるか」という問いだけである。
この問いの立て方は、企業の信用分析と完全に同じだ。企業が社債を発行するとき、格付け会社は「この経営戦略は素晴らしいか」などとは問わない。問うのは、「この企業は、将来も安定したキャッシュフローを生み、債務を返済し続けられるか」という一点である。国家も同様に扱われている。
■格付け会社は何を評価してきたのか
実際、S&Pグローバル・レーティングやムーディーズ・レーティングスといった主要な格付け会社は、日本を「国家」というよりも、むしろ「世界最大級の企業」として分析している。そこでは、税収は企業で言えば売上に相当し、国債は社債や借入金に相当する。プライマリーバランスは、利払い前の営業キャッシュフローの一部にすぎない。債務対GDP比は、企業で言えば売上規模に対する純有利子負債の比率であり、利払い費は金利負担そのものだ。
この視点に立つと、なぜPBが「絶対指標」ではないのかが、自然に理解できる。企業の信用を判断するとき、今期の営業キャッシュフローが黒字かどうかだけで結論を出す人はいない。たとえ一時的に赤字であっても、売上が伸び、将来のキャッシュフローが合理的に見通せる企業であれば、信用は維持される。逆に、今期は黒字でも、売上が縮小し、将来の稼ぐ力が見えない企業は、信用が低下する。国家におけるPBも、まったく同じ位置づけにある。
では、格付け会社は日本の何を評価してきたのか。彼らは長年、日本を「借金は多いが、資金繰りが極めて安定した巨大企業」と見てきた。自国通貨建てで国債を発行できること、国内に厚い金融市場と貯蓄基盤があること、政策運営が比較的予見可能であること。これらはすべて、企業で言えば「安定した資金調達力」と「ガバナンスの信頼性」に相当する。
■「緊縮か積極か」の二択ではない
しかし、ここで見落としてはならないのは、この評価が常に「将来もそうである」という暗黙の前提の上に成り立っているという点だ。格付け会社は、日本が永遠に信用を保てるとは考えていない。彼らは、経済成長の見通し、税収の持続性、政策運営の一貫性が、今後も維持されるかどうかを注視している。その前提が揺らいだ瞬間、評価は変わりうる。
ここで重要なのは、格付け会社が「緊縮財政か積極財政か」という二択で日本を見ていないことである。彼らにとって重要なのは、どちらの政策であれ、その結果として返済能力が高まるのか、あるいは低下するのかという一点だ。成長投資によって将来の税収が増え、債務の相対的な重さが軽くなるのであれば、短期的な赤字は必ずしも問題にならない。逆に、財政規律を掲げていても、成長が失われ、税収基盤が弱体化すれば、信用は損なわれる。
このように見てくると、PBを守るか否かという議論が、なぜ格付け会社の視点と噛み合わなかったのかがはっきりする。PBは、信用分析の一要素ではあっても、中心ではない。中心にあるのは、国家という巨大企業が、将来も稼ぎ続け、借金を返し続けられるかどうかという問いなのである。
次章では、こうした格付け会社の視座をさらに一段進め、「では、その返済能力を左右する最大の要因は何か」という核心に踏み込む。なぜ彼らが金利の上下よりも、経済成長の鈍化を恐れるのか。その答えは、「rとg」という、一見単純だが極めて重要な関係式に集約されている。そこから、日本国債のリスクは初めて“見える形”になる。
■rとgが示す「国債の力学」
第3章:なぜ格付け会社は「金利上昇」より「成長鈍化」を恐れるのか
第2章で見たように、格付け会社は日本という国家を、巨大な企業として信用分析している。では、その企業の信用を根底から揺るがす要因は何か。多くの人は「金利が上がること」だと考えがちだが、格付け会社の視点は少し違う。彼らが本当に恐れているのは、金利の上下そのものではなく、「成長が止まること」である。
この考え方を理解するために、格付け会社が常に意識している、極めて単純な関係に目を向けたい。それは、国債の長期金利を示す「r」と、名目GDP成長率を示す「g」の関係だ。国債の信用が安定している状態とは、経済全体の成長率が、資金調達コストである金利を上回っている状態、すなわちr<g(成長率が金利を上回る状態)が保たれている状態である。
この関係を企業に置き換えると、直感的に理解しやすい。借入金利よりも事業の成長率や収益力が高い企業は、借金をしても返済負担が相対的に軽くなり、むしろ成長のための武器として資金を使うことができる。逆に、事業の成長が止まり、借入金利の方が高くなれば、その企業は「逆ザヤ」に陥り、借金が重荷としてのしかかる。国家でも、まったく同じ現象が起きる。
■国債リスクは突然噴火しない
日本国債がこれまで大きな信用不安に陥らずにきた背景には、名目GDP成長率が長期金利を上回る、あるいは少なくとも拮抗する状態が続いてきたことがある。この状態では、債務の絶対額が増えても、経済規模という分母が拡大するため、債務の相対的な重さは増えにくい。税収も自然に増え、利払い負担を吸収できる。市場は「この国の借金は回っている」と判断する。
問題は、この関係が逆転するときだ。rがgを上回る状態、すなわちr>gが定着すると、国債の力学は一変する。成長が鈍化し、税収の伸びが弱まる一方で、金利負担だけがじわじわと増えていく。企業で言えば、売上が伸びないのに、借入金利だけが上がっていく状態であり、最も危険な局面だ。
重要なのは、この変化が突然起きるわけではないという点である。国債リスクは、ある日突然噴き出す火山のように現れるのではなく、静かに進行する。成長率が想定を下回る、税収が予算ほど伸びない、にもかかわらず支出と債務は増え続ける。こうした状況が続くと、市場は次第に違和感を抱き始める。「なぜ借金が増えているのか」「この支出は将来の成長につながるのか」という問いが、少しずつ強まっていく。
■失われた成長力は、すぐには回復しない
この違和感は、まず長期金利の動きとして表れる。暴騰ではない。入札で求められる利回りがわずかに上がり、長期金利が数十ベーシスポイントずつ高くなる。表面的には「誤差」や「想定内」と片付けられることも多いが、ここで起きているのは、信用の価格が静かに調整されているという事実だ。
格付け会社が「金利上昇」そのものを最大のリスクと見なさない理由も、ここにある。金利は、金融政策や世界的な資本移動によって上下する。一時的に上がったからといって、すぐに国債の信用が崩れるわけではない。しかし、成長力は違う。一度失われた成長力は、短期間では回復しない。企業で言えば、コスト増よりも、市場そのものが縮小することの方がはるかに致命的なのと同じだ。
だからこそ、格付け会社は繰り返し「最大のリスクは成長の鈍化だ」と述べる。これは、日本に対する悲観論ではない。むしろ、「成長さえ説明できていれば、当面は耐えられる」という条件付きの信認でもある。逆に言えば、その説明ができなくなった瞬間、国債の信用は静かに、しかし確実に削られていく。
■格下げは「原因」ではなく「結果」
ここで一つ、決定的に重要な点を強調しておきたい。国債の格下げは、この力学の「原因」ではない。結果である。市場がすでに感じ取っているr>gへの傾き、成長と返済能力の乖離を、格付け会社が記号と文章で確認する行為にすぎない。したがって、「格下げされたから危機が起きる」のではなく、「危機が進行しているから格下げが起きる」のである。
この章の結論は明確だ。日本国債の信用を左右する最大の分岐点は、金利の水準そのものではなく、成長力がそれを上回り続けられるかどうかにある。rとgの関係が保たれている限り、借金は回る。しかし、この関係が崩れ、成長を説明できなくなったとき、国債リスクは静かに現実のものとなる。
次章では、このrとgの力学を踏まえたうえで、いよいよ高市政権の「積極財政」を正面から評価する。それはr<gを強化する試みなのか、それともr>gを招く危うい賭けなのか。その分かれ目は、理念ではなく、政策の設計にある。
■「責任ある積極財政」の本当の意味
第4章:高市政権の「積極財政」はr<gを強めるのか、壊すのか
前章で見たように、日本国債の信用を左右する核心は、長期金利rと名目GDP成長率gの関係にある。成長が金利を上回っている限り、借金は相対的に軽くなり、国債は回る。逆に、成長が鈍化し、金利の方が高くなれば、国債の力学は一変する。では、いま進められている高市政権の積極財政は、このr<gの関係を強化するのか、それとも破壊するのか。
まず明確にしておきたいのは、積極財政そのものが格付け上の「罪」ではないという点である。多くの議論では、積極財政か緊縮かという二項対立が前提になっているが、格付け会社や市場は、そのようなイデオロギーで国家を評価していない。彼らが問うのは、借金を増やすかどうかではなく、その結果として返済能力が高まるのか、あるいは弱まるのかという一点だ。
この視点に立てば、高市早苗政権が掲げる「責任ある積極財政」の意味は、従来の財政論争とは異なる角度から見えてくる。高市政権は、単年度のプライマリーバランス黒字を最優先する姿勢から距離を置き、成長投資を通じて経済全体の稼ぐ力を引き上げることを前面に打ち出している。これは、短期的な赤字を容認しつつ、将来の税収基盤を厚くすることでr<gを維持しようとする戦略だと解釈できる。
■「不採算事業」から撤退できるか
この発想自体は、格付け会社の思考と大きく矛盾しない。彼らもまた、短期の赤字や一時的な債務増加を、それだけで否定することはない。問題は、その支出が本当に成長につながるのか、そして成長が合理的に説明できるのか、という点に尽きる。ここで初めて、「積極財政」という言葉の中身が問われる。
積極財政がr<gを強化するのは、支出が将来の生産性を高め、民間投資を誘発し、結果として税収を増やす場合である。AIやデジタル基盤への投資、老朽化したインフラの高度化、人的資本への投資などは、その典型だ。これらは、短期的には財政負担を増やすが、中長期的には経済全体の稼ぐ力を底上げし、成長率を押し上げる可能性がある。この場合、債務は増えても、その重さは相対的に軽くなる。
しかし、同じ「積極財政」という言葉でも、別の姿に転ぶ可能性がある。支出が恒常的な補助金や給付に偏り、効果検証が行われず、政治的配慮によって継続される場合だ。この場合、借金は増えるが成長は起きない。rは金融環境の変化によって上昇する一方で、gは伸びず、やがてr>gの状態に近づいていく。ここに至ると、積極財政は成長戦略ではなく、信用を削る要因に変わる。
■「r<g」を維持できるか否かの分水嶺
格付け会社が最も警戒するのは、この後者のシナリオである。彼らは、財政拡張そのものを否定しない一方で、「止められない支出」には極めて厳しい視線を向ける。企業で言えば、不採算事業から撤退できない会社が、どれほど成長戦略を語っても信用されないのと同じだ。国家においても、効果の薄い政策を修正・停止できる仕組みがあるかどうかは、返済能力の持続性を測る重要な指標になる。
したがって、高市政権の積極財政が評価されるかどうかは、金額の大きさでは決まらない。問われているのは、支出の質と、その後の運営の仕方である。成長につながる投資として説明できるのか。途中で効果を検証し、うまくいかなければ軌道修正できるのか。これらを制度として示せるかどうかが、r<gを維持できるか否かの分水嶺となる。
この章の結論は、決して単純な賛否ではない。高市政権の積極財政は、r<gを強化しうる合理的な選択肢である一方で、設計を誤ればr>gを招く危うい賭けにもなり得る。その違いは理念ではなく、具体的な設計と運営にある。
次章では、この「賭け」がどのような国家経営モデルの転換を意味するのかを、より直感的に理解するために、「JT型国家」と「アマゾン型国家」という比喩を用いて掘り下げる。そこから、なぜこの転換が成功すれば国債の信用を強化し、失敗すれば一気に危うくなるのかが、はっきりと見えてくるはずである。
■日本の経営モデルは「JT型」
第5章:JT型国家からアマゾン型国家へ
ここまでの議論を一段深く理解するために、あえて企業の比喩を用いたい。日本の国家経営は、長い間、成熟企業のモデルに近い形で運営されてきた。象徴的に言えば、それは日本たばこ産業(JT)の国内事業に近い経営モデルである(※積極的なM&A戦略などにより、海外事業は成長している)。一方で、高市政権が示している方向性は、明らかに「アマゾン型」の国家経営への転換を志向している。この比喩は印象論ではなく、格付け会社が国家をどう見ているかを最も正確に翻訳する枠組みである。
「JT型」国家とは、成熟した市場環境の中で、安定と規律を最優先に信用を維持するモデルだ。成長率は高くないが、財政運営は慎重で、急激な変化を避ける。単年度の収支やPB黒字を重視し、歳出を抑制することで、借金を増やさないことに価値を置く。企業に置き換えれば、市場が伸びない中でもコスト管理と財務規律によって生き残る成熟企業である。これまでの日本は、まさにこのモデルによって国債の信用を保ってきた。自国通貨建て国債、厚い国内金融市場、予見可能な政策運営という条件のもとで、「借金は多いが資金繰りは極めて安定した国家」として評価されてきたのである。
しかし、このJT型モデルが万能でなくなってきたのも事実だ。人口減少と労働力不足が進み、潜在成長率が低下する一方で、社会保障、防衛、インフラといった支出は構造的に増え続ける。安定は維持できても、経済全体の重さを軽くすることができない。企業で言えば、黒字ではあるが市場が縮小し、借金比率が下がらず、将来の成長余地が見えない状態に近い。このまま規律だけを守り続けても、いずれr<gの関係が維持できなくなるという危機感が、背景にある。
■「アマゾン型」国家への転換という賭け
そこで高市政権が打ち出したのが、アマゾン型国家への転換である。これは、借金そのものを悪とみなすのではなく、国債を成長投資の原資として使い、経済全体の稼ぐ力を引き上げようとする発想だ。短期的にはPB赤字を容認し、AIやデジタル、防衛産業基盤、インフラの高度化、人材への投資など、将来の成長率を押し上げる分野に公的資金を集中させる。企業で言えば、短期利益を犠牲にしてでも、将来の市場支配力とキャッシュフローを取りに行く経営である。アマゾンが長年、利益を抑えながら再投資を続けてきた姿と重なる。
重要なのは、格付け会社がこのアマゾン型国家への転換そのものを否定していないという点だ。彼らは、短期の赤字や一時的な債務増加を、それだけで危険視しない。むしろ、成長によって返済能力が高まるのであれば、その間は耐えられるという立場を取っている。言い換えれば、「借金をするな」と言っているのではなく、「借金で何を作るのかを示せ」と求めているのである。
しかし、ここに決定的な分岐点がある。アマゾン型国家は、成功すれば最も強いが、失敗すれば最も危ういモデルでもある。その分岐を決める問いは、極めて単純だ。その支出は、本当に将来の成長と税収を生む「投資」なのか、それともその場限りで終わる「消費」なのか、という一点である。
■安定を守るか、成長に賭けるか
企業財務の世界では、将来の売上や生産性を高める支出は投資と見なされ、借金してでも行う価値がある。一方、継続するとコストだけが残る支出は消費であり、借金で賄えば財務を悪化させる。国家も同じだ。AIや人的資本、インフラの高度化が投資として機能すれば、成長率gは押し上げられ、債務の相対的な重さは軽くなる。だが、支出が恒常的な補助金や給付に偏り、効果検証や撤退の仕組みを欠けば、借金は増えても成長は起きず、r>gへの道を早める。
ここに、高市政権の「賭け」の正体がある。それは、借金を増やす賭けではない。借金を、本当に成長投資へと転換できるかどうかという賭けである。投資の質を見極め、途中で検証し、うまくいかなければ止める。企業並みの厳格さを国家経営に持ち込めるかどうかが、アマゾン型国家が成功するか、あるいはダイエー型の借金拡大型国家に転落するかを分ける。言い換えれば、日本はいま、「安定を守る国家」であり続けるのか、「成長に賭ける国家」に踏み出すのか、国家経営そのものの選択を迫られている。
この章の結論は明確だ。JT型国家からアマゾン型国家への転換は、是非の問題ではない。環境変化の中で合理的な選択肢でもある。しかし、その成否は、理念やスローガンでは決まらない。借金の使い道が本当に投資として機能しているか、そして失敗を認めて修正できるか、その一点にすべてがかかっている。
次章では、この賭けが失敗した場合、どのような順序で国債の信用が揺らぎ、格下げが現実のものとなり、最終的に私たちの生活にどのように影響してくるのかを、具体的な連鎖として描いていく。ここから先は、もはや抽象論ではない。
■最初に起きるのは「小さなズレ」
第6章:もしこの賭けに失敗したら、何が起きるのか
JT型国家からアマゾン型国家への転換は、成功すれば日本経済を軽くし、国債の信用を強化する。しかし第5章で見た通り、この転換は同時に、失敗すれば最も危うい道でもある。では、もしこの賭けがうまくいかなかった場合、国債の信用はどのように揺らぎ、何が起きるのか。
多くの人は「国債格下げ」と聞くと、ある日突然、金利が暴騰し、円が崩れ、経済が混乱する光景を思い浮かべるかもしれない。しかし、現実はもっと静かで、段階的だ。国債リスクは事件としてではなく、連鎖として進行する。
最初に起きるのは、成長と支出の間に生じる小さなズレである。積極財政によって国債発行は増えるが、期待されたほど成長率が上がらない。AIや人的資本への投資と説明されていた支出が、実際には補助金や給付として消えていく。税収は予想ほど伸びず、それでも財政支出は構造的に減らせない。この段階では、危機感はまだ共有されない。「想定より少し弱い」「一時的な要因だ」という説明で片付けられる。
■信用の値段が静かに調整される
だが市場は、こうした変化を敏感に感じ取る。ここで重要なのは、市場がパニックを起こすわけではないという点だ。違和感は、まず価格に反映される。国債入札で、以前よりわずかに高い利回りが求められるようになり、長期金利がじわじわと上昇する。新聞の見出しになるほどの動きではないが、信用の値段が静かに調整され始める。
この段階でも、日本はすぐに困窮するわけではない。国債の平均残存期間は長く、既発債の低金利が利払い負担を緩和している。しかし、新たに発行される国債は、少しずつ高い金利で置き換わっていく。その結果、利払い費は年々増え、予算の中で自由に使える余地を静かに削っていく。企業で言えば、売上が伸びない中で借入金利だけが上がり、投資余力が徐々に奪われていく状態に近い。
■成長期待の円安から、信用低下の円安へ
次に表れるのが、為替への影響だ。初期の円安は、金利差や輸出企業の収益改善として受け止められる。しかし、国債への信認が揺らぎ始めると、円安の意味が変わる。成長期待による円安ではなく、信用低下による円安へと性格が変わるのだ。この段階に入ると、輸入物価の上昇が家計を直撃し、賃金が追いつかない中で実質的な生活水準が下がり始める。
ここで初めて、格付け会社が表舞台に出てくる。S&Pグローバル・レーティングやムーディーズ・レーティングスは、こうした市場の動きと経済指標を観察しながら、「以前ほど返済能力を確信できなくなった」という評価を文章に落とし込む。成長見通しの下方修正、財政の柔軟性低下、利払い負担の増加、政策運営の予見可能性への懸念といった言葉が並び、やがてアウトルックの引き下げや格下げが示される。
ここで誤解してはならないのは、格下げが危機の原因ではないという点である。格付け会社は、危機を作る存在ではない。市場や経済の現実がすでに示している変化を、公式に確認し、記号として示すにすぎない。したがって、「格下げされたから金利が上がる」のではなく、「金利が上がり、成長との乖離が進んだから格下げされる」のである。
■生活が静かに重くなっていく
本当に厄介なのは、格付けが一段下がることそのものではない。その状態が長く続くことだ。信用コストが恒常的に高くなり、財政の自由度が奪われ、成長投資を打ちたくても打てなくなる。企業で言えば、倒産はしないが、常に高い金利を払わされ、競争力を削られていく状態である。この慢性的な信用劣化こそが、国債格下げの最も深刻な影響だ。
この章で描いた連鎖は、決して遠い未来の話ではない。重要なのは、国債リスクが「破綻するかどうか」という極端な二択ではなく、「生活が静かに重くなっていくかどうか」という形で表れるという点である。だからこそ、JT型からアマゾン型への転換が失敗した場合の影響は、専門家だけの問題ではなく、私たち一人ひとりの生活に直結する。
次章では、この静かな連鎖をどうすれば断ち切れるのか、積極財政を「危険な賭け」ではなく「勝ち筋」に変えるために、国家経営として何が求められるのかを具体的に考えていく。ここから議論は、警告から処方箋へと移る。
■積極財政を「勝ち筋」に変えるために
第7章:国債格下げを避ける「唯一の道」
第6章で見たように、国債格下げは突発的な事件ではなく、成長と信用の説明が崩れた結果として静かに進行する連鎖である。ならば、問うべきは一つだ。この連鎖を、どこで、どうやって断ち切るのか。答えは、積極財政をやめることでも、緊縮に回帰することでもない。必要なのは、国家経営の設計を変えることである。
まず前提として理解すべきなのは、長期金利と成長率の関係、すなわちrとgの関係を偶然に任せてはならないという点だ。これまで日本は、低金利環境と緩やかな成長の組み合わせによってr<gの状態を保ってきた。しかし環境は変わった。金利は世界的に上がりやすく、人口減少は続く。もはや「たまたまr<gでいられる」時代ではない。これからは、成長率gを意識的に引き上げる設計がなければ、国債の信用は守れない。
■国家にも「ROIC」が必要だ
そのために最初に求められるのが、財政支出の中身を、投資として説明できるかどうかである。積極財政が評価されるか警戒されるかを分けるのは、支出の金額ではない。その支出が将来の生産性を高め、民間投資を呼び込み、結果として税収を増やす因果関係を描けるかどうかだ。AIやデジタル基盤、インフラの高度化、人的資本への投資は、その説明が比較的可能な分野である。一方、恒常化する補助金や給付は、短期的な需要を支えることはあっても、成長率を持続的に押し上げるとは限らない。この違いを曖昧にしたまま「積極財政」を続ければ、アマゾン型ではなく、借金拡大型の国家経営に近づいてしまう。
次に重要なのが、国家としての投資効率をどう測るかという問題である。企業が投資を行うとき、投下資本に対してどれだけの利益を生むか、すなわちROIC(投下資本利益率)を意識しない経営は成り立たない。国家も同じだ。政府支出がどの程度の期間で税収増につながるのか、生産性をどれほど押し上げるのかを、少なくとも方向性として示さなければならない。これを示せない支出は、投資ではなく消費として市場に受け取られる。格付け会社が本当に見ているのは、財政赤字の有無ではなく、この「説明の質」なのである。
■「撤退の仕組み」を備えているか
さらに見落とされがちだが、積極財政を勝ち筋に変えるために不可欠なのが、撤退の仕組みだ。企業の世界では、不採算事業から撤退できない会社ほど信用を失う。国家も同様である。政策が期待した効果を上げなかった場合に、修正し、縮小し、場合によっては止めることができるかどうか。これが制度として組み込まれているかどうかは、返済能力の持続性を測る重要な指標になる。止められない支出は、それだけで信用リスクを高める。
ここで、多くの人がこだわるプライマリーバランスの位置づけも、改めて整理しておく必要がある。PBは、結果として改善していくことが望ましい指標であって、先に守るべき絶対条件ではない。むしろ注視すべきなのは、利払い費が税収に対してどの程度の重さになっているか、債務対GDP比が中期的にどの方向に向かっているか、金利が上がった場合にどの程度の耐性があるかといった、国家の耐久力を示す指標である。これらを定期的に示し、説明し続けられるかどうかが、市場との信頼関係を左右する。
■信用は「一度の説明」では守れない
最後に強調したいのは、信用は一度の説明で守れるものではないという点だ。なぜ今、借金を増やすのか。何に使い、どのように成長を生むのか。うまくいかなかった場合、どう修正するのか。この説明を、国内外の市場、国民、そして格付け会社に対して、同じ言葉で継続的に語り続けられるかどうか。ここが崩れた瞬間、第6章で描いた静かな連鎖は再び動き出す。
この章の結論は明確である。積極財政は、それ自体が危険なのではない。設計を誤った積極財政が危険なのである。成長を生む投資として説明でき、投資効率を意識し、撤退の仕組みを備えた国家経営であれば、積極財政は国債の信用をむしろ強化する。しかし、それらを欠いたまま借金だけを増やせば、信用は静かに削られていく。
次章では、本稿全体を総括し、読者がこれから日本国債や財政ニュースに接するとき、何を見て判断すべきか、その最終的な視点を提示する。議論はここで、理解から判断へと進む。
■「危機か安全か」ではなく「経営として正しいか」
終章:日本国債をどう見ればいいのか
ここまで、日本国債、プライマリーバランス、財政規律、積極財政、そして国債格下げのメカニズムを、一つの連続した構造として見てきた。振り返れば、当初の問いは「日本国債は危ないのか、安全なのか」という二択だった。しかし、ここまで読み進めた読者であれば、その問い自体が適切ではないことに気づいているはずだ。
国債の信用は、白か黒かで決まるものではない。それは常にグラデーションの中にあり、国家経営の質によって少しずつ強まり、あるいは静かに弱まっていく。重要なのは、日本が今すぐ破綻するかどうかではない。どのような条件を満たしていれば、日本国債の信用は維持され、どの条件を外したときに危うくなるのかを理解することである。
本稿を通じて明らかになった最大のポイントは、日本国債の最大リスクは「借金の量」ではなく、「借金を増やす理由を説明できなくなること」だという点だ。格付け会社や市場が見ているのは、プライマリーバランスの単年度の数字ではない。成長率と金利の関係、すなわちrとgの関係が中長期でどうなるのか、その説明が成り立つかどうかである。成長が金利を上回り続ける限り、借金は回る。成長の説明が崩れ、r>gが定着すれば、国債の信用は静かに削られていく。
■ニュースを見るときに大切な「視点」
高市政権の積極財政は、この文脈で理解すべきだ。それは無謀な放漫財政でもなければ、万能の成長処方箋でもない。JT型の安定国家から、アマゾン型の再投資国家へと転換する試みであり、成功すれば日本経済を軽くし、失敗すれば最も危うい道になる「賭け」である。その成否を分けるのは、借金をしたかどうかではない。借金が本当に投資として機能しているか、成長と税収に結びついているか、そして失敗したときに修正できるかどうかである。
ここで、読者に一つの視点を手渡したい。これから日本国債や財政に関するニュースに触れるとき、ぜひ次のように問い直してほしい。「この政策は、r<gを強める設計になっているだろうか」「支出は将来の生産性と税収を生む投資として説明できるだろうか」「止められない支出になっていないだろうか」。この問いを持つだけで、財政報道の見え方は大きく変わる。
■日本国債とは「未来への約束」である
プライマリーバランスをめぐる議論も、同様に捉え直す必要がある。PBは守るか捨てるかという旗印ではない。それは、成長の結果として改善していくべき指標であり、国家経営の耐久力を測る多くの指標の一つにすぎない。PBだけを見て安心したり、不安になったりすることは、企業の決算を営業利益だけで評価するのと同じ危うさを含んでいる。
国債格下げについても、過度に恐れる必要はないが、軽視してよいものでもない。格下げは突然の事件ではなく、成長と信用の説明が崩れた結果として表れる「確認作業」である。だからこそ、重要なのは格下げそのものを避けることではなく、格下げに至る前段階の違和感を生まない国家経営を続けることだ。
日本国債を見るということは、単に財政の数字を見ることではない。それは、日本という国がどのような経営判断を下し、どの方向に進もうとしているのかを読み取ることにほかならない。守り続けるのか、再投資に踏み出すのか。その選択自体が善悪を決めるのではなく、その選択をどれだけ冷静に設計し、説明し、修正できるかが信用を決める。
最後に強調しておきたい。日本国債の信用は、専門家や政府だけが支えるものではない。国民一人ひとりが、財政をイデオロギーではなく経営として見る視点を持つこと自体が、国家の信用を下支えする。日本はいま、国家経営の岐路に立っている。その岐路をどう進むのかを見極めるための視点を、本稿が提供できていれば幸いである。
日本国債とは、未来への約束である。その約束を守れるかどうかは、これからの成長と、その成長をどう設計するかにかかっている。
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田中 道昭(たなか・みちあき)
日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント
専門は企業・産業・技術・金融・経済・国際関係等の戦略分析。日米欧の金融機関にも長年勤務。主な著作に『GAFA×BATH』『2025年のデジタル資本主義』など。シカゴ大学MBA。テレビ東京WBSコメンテーター。テレビ朝日ワイドスクランブル月曜レギュラーコメンテーター。公正取引委員会独禁法懇話会メンバーなども兼務している。
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(日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント 田中 道昭)

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