■静岡県とJR東海が結んだ「補償」の中身
静岡県庁で1月24日、とある「茶番劇」が大々的に行われた。
リニア中央新幹線工事の品川―名古屋間の中で唯一、未着工である南アルプストンネル工事の静岡工区着工への詰めとも言える大井川中下流域の水資源に影響が生じた場合の「補償確認書」締結式が行われたのだ。
JR東海の丹羽俊介社長が静岡県庁を訪れ、鈴木康友知事とともに補償確認書に署名した。
静岡工区のリニア工事を巡っては、県民が生活用水に使用する大井川の流量に影響が出ることが懸念され、県とJR東海との間で流量の回復方法や補償内容について話し合いが続けられてきた。
工事後の補償問題について、大井川流域の10自治体らはこれまで、流域の水資源に影響が出た場合、①請求の期限や機能回復や費用を限度なく負担すること、②立証の責任は利用者ではなく、JR東海にあることの2点を示して、さらに、③国の関与を求め、国の指導でJR東海が対応することを求めていた。
最もハードルが高いと見られたのは、「③国の関与を求め、国の指導でJR東海が対応すること」だった。流域市町はこれまで国が補償を担保することを求めていた。
■2026年中の着工が確実に
確認書では「国土交通省も関与する中立的・継続的なモニタリング体制において専門的見地から確認し、国土交通省の指導のもと、JR東海において所要の対応が講じられるようにすること」となっており、補償に対して国の担保などは全く記されなかった。
民間事業であるリニアのトンネル工事影響の解決に対して、国が何らかの担保をすることはふつうありえない。
これに対して、国交省は水嶋智・事務次官を立ち会わせ、鈴木知事、丹羽社長が補償確認事項を合意したことを確認して、水嶋氏自身が同確認書に署名した。
実際には水嶋氏は単なるオブザーバーでしかない。しかし、出席した流域市町長らはただ粛々と締結式を見守った。
というのも、国の事務方トップである水嶋氏が出席する仰々しい締結式が底の割れた「茶番劇」であることを関係者全員が承知していたからである。
いずれにしても、流域市町長ら全員が了解したことで、水問題に関する懸案事項はすべて解決したことになる。
今回の締結式は、静岡工区の着工に至るまでに残された最難関の課題だった。まだ細かな課題は残されているが、何らかのアクシデントがない限り、静岡工区は2026年中に着工されることが確実となった。
■川勝前知事が求め続けた「地域振興」という見返り
JR東海は2013年、環境影響評価準備書の中で、「トンネル工事で大井川上流部の流量が毎秒2トン減少する」と大井川流域の水資源に大きな影響が出ることを予測した。
これに対して、JR東海は2017年10月までに、トンネル内の湧水減少分の毎秒1.3トンをリニアトンネルから大井川の椹島付近まで導水路トンネルを設置することで回復させ、残りの0.7トンは必要に応じてポンプアップで導水路トンネルへ戻す方策を示した。
リニアトンネル工事による毎秒2トンは、大井川流域の7市へ水道水を供給する大井川広域水道企業団に許可されている水利権と同じ量である。
静岡県は「流域約60万人の生活用水に問題が生じる」などとして、毎秒1.3トンだけでなく、毎秒2トンの「全量戻し」をJR東海に厳しく求めた。
この強い求めに、2018年にJR東海は毎秒2トンの「全量戻し」に応じた。JR東海は、トンネル湧水の全量を戻すことで、解析上は大井川の水の量は減らず、中下流域への影響はほぼないと主張した。
ただ当時、川勝平太知事はJR東海の説明に納得せず、「全量戻し」の要求とともに、「JR東海は誠意を示すことが大事だ」などと繰り返し、JR東海の「誠意」、すなわち静岡県への地域振興という名の見返りを求めた。
■後任の鈴木知事は「スピード重視」でリニア問題を解決
だが、「誠意」について川勝知事がいくら呼び掛けても、JR東海は一切無視した。
このため、川勝知事は流域の10市町長らと共に「大井川利水関係協議会」を設立、流域市町等はJR東海との交渉すべてを川勝知事に一任した。当時は、川勝知事がJR東海に求めた「誠意=地域振興」を流域市町長らも強く望んでいた。
ただJR東海は、川勝知事の求めた「誠意」に何ら対応しなかった。これに反発して、川勝知事は「反リニア」とも言える言い掛かりや難くせをつけたため、専門部会での対話は全く進まなくなった。
2024年5月、川勝知事は新規採用職員への訓示で「職業差別」とも取られる発言が糾弾されて、自ら辞表を提出、退職した。現在の鈴木知事は「スピード感を持ったリニア問題の解決」を目指した。
県専門部会での水資源の対話6項目はすべて完了して、水資源で残された課題は工事後の補償問題だけとなっていた。
なぜ、今回の補償確認書締結式が単なる「茶番劇」なのか?
■6年前の補償内容と全く同じ
JR東海は2020年3月、大井川の中下流域へ影響が生じた場合の補償について公表している。当時、地元では一顧だに値しないとみなされた。
それなのに、静岡県が作成した今回の確認書は、文言の違いはあってもJR東海が約6年前に公表した補償の内容と全く同じだった。とあるJR関係者に尋ねたところ「全く同じです」という答えが返ってきた。これが「茶番劇」だと言われるゆえんである。
JR東海の補償は、「公共工事の要領」に縛られず、JR東海独自の緩和基準で対応するというものだった。「公共工事の要領」では、補償の請求は工事完了から1年以内とされ、補償期間は5年から30年を限度としている。
これに対して、民間事業である静岡県のリニアトンネル工事の場合、工事の補償請求は、「工事完了から何年以内」というような制限を設けないとしている。また補償期間は限度を設けず、30年を超えることも含めて、機能回復や費用を負担するとしている。つまり、100年後でも200年後であっても理論上はJR東海に対し請求が可能なのだ。
■JR東海は影響が出るなど全く考えていない
重要なのは、「因果関係の立証」である。いくら川の流量が減るなどしても、JR東海がリニアトンネル工事に原因があると認めなければ、何らの補償もありえないからだ。
今回の確認書は、その「因果関係の立証」を地元に求めることはなく、客観的、公正な判断が得られるよう公的な研究機関や専門家の見解を尊重するという画期的なものだった。
なぜJR東海はこの一見不利とも取れる条件を提示したのか。
背景には、JR東海が、源流部のリニアトンネルによって、約100キロも離れた大井川中下流域に何かしらの影響が出るとは全く考えていないことがある。
大井川源流部の地図を広げればわかるが、リニアトンネルが通過する南アルプス地域には3000メートル級の山々が20座以上も連なっている。
森林涵養によって大井川上流部に水を生み出す山々の数は、2000メートル級、3000メートル級だけでも100座を超え、1000メートル級の山々までを含めれば数え切れない。
大井川は寸又川、西俣川など40の本支流を含めて、水を生み出す山々に恵まれているのだ。
またJR東海はかねて、工事現場から約5キロ離れた椹島までを導水路で結び、そこから湧水全量を大井川に戻すから、「中下流域への影響はない」と説明している。
■自然環境への影響を「リニアが原因」と証明するなど不可能
ふつうに考えれば、JR東海の主張通り、リニアトンネル工事によって、上流域の自然環境への影響はあったとしても、東京から沼津よりもさらに遠い地域に水資源の影響を及ぼすことなど考えられない。
だから、「公共工事の要領」に縛られない画期的な補償内容としたのである。
ブラジルでの一匹のチョウの羽ばたきが米国テキサスで竜巻を引き起こすとされる「バタフライ効果」のように、たとえリニアトンネルが中下流域の水資源に何らかの影響を及ぼすことがあったとしても、一匹のチョウがどれなのか見つけることはできないように、リニアトンネル工事が原因であること証明することは不可能である。
竜巻を引き起こす一匹のチョウがさまざまに出現するように、大井川上流部の数え切れない山々のどこかに何らかの原因があることを突き止めることはできない。
もっともらしい補償確認書を締結したが、その確認書が日の目を見ることはまずないだろう。
■「川勝知事不在ではいまさら戦えない」
約6年前の川勝知事時代には全く見向きもされなかったJR東海の補償内容が今回は大きな意味を持つことになった。当時、川勝知事の主張を全面的に支持した流域の首長の1人に、なぜ今回は賛成したのか尋ねたところ、「川勝知事がいなくなったのに、いまさら戦うことはできない」とポツリと言った。
当時、川勝知事は「JR東海は誠意を示すことが大事だ」などと何度も発言していた。それは当然、流域10市町への「地域振興」を意味し、実際に各首長たちが何らかの「誠意」を望んでいたことは確かである。
今回の締結式には、2020年5月、国の有識者会議の運営を巡って、川勝知事からいわれのない罵倒を受けた水嶋次官(当時・鉄道局長)や、2020年3月にJR東海の補償を公表した宇野護副会長(当時・副社長)らが出席した。いずれも感慨深げの様子だった。
当時マスコミ報道のほとんどが国、JR東海を批判するものが多かったのだ。
2020年6月23日付中日新聞は「『経済成長見込めず不要』『より速く』は時代遅れ」の大きな見出しで、水野和夫・法政大学教授のインタビュー記事を掲載した。水野氏は「川勝平太知事がせっかく止めてくれている。ここで突っ走れば、後世になって誰も乗らないものを造ったということになるだろう」などと主張していた。
川勝知事はほぼ同じ趣旨で朝日新聞地方版に3回連載の「手記」を発表した。川勝知事が反対を唱えることでマスコミの大騒ぎも続いた。当時地元の住民らもこぞって川勝知事を強く支持していた。
川勝知事が退場したことで、流域首長らの振り上げたこぶしをおろすために、今回のような「茶番劇」が用意されたのだろう。
結局、静岡県とJR東海とのやり取りが何だったのか、誰も理解できないまま、時間だけが過ぎて、リニア問題の局面が大きく変わったのである。
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小林 一哉(こばやし・かずや)
ジャーナリスト
ウェブ静岡経済新聞、雑誌静岡人編集長。リニアなど主に静岡県の問題を追っている。著書に『食考 浜名湖の恵み』『静岡県で大往生しよう』『ふじの国の修行僧』(いずれも静岡新聞社)、『世界でいちばん良い医者で出会う「患者学」』(河出書房新社)、『家康、真骨頂 狸おやじのすすめ』(平凡社)、『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太「命の水」の嘘』(飛鳥新社)などがある。
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(ジャーナリスト 小林 一哉)

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