高市首相本人が主導した「短期決戦・信任獲得型の賭け」と評される今回の選挙。次世代メディア研究所代表の鈴木祐司さんは「昨年末までのテレビでの露出は、自民と維新の連立政権が全体の6割と圧倒的だったが、1月に入り中道に“どんでん返し”された」という。
その驚きのプロセスとは――。
■テレビの「政治ネタ」がガラリと変わった
異例ずくめの高市解散である。
60年ぶりとなる通常国会冒頭での解散。非難轟々の真冬の選挙。戦後最短となる選挙期間……。さまざまな表現で解散報道が出ると、テレビは高市政権および自民党の扱いを急増させ、ありえない奇襲作戦は政権にとって狙い通りに進むかに見えた。ところが立憲と公明が新党「中道改革連合」を結成すると、“どんでん返し”が起こった。
異常事態の中で始まった第51回衆議院選挙。テレビは「選挙戦開始まで」をどう伝えたのか。そして、それは2月8日の結果にどんな影響を与えうるのか。
■高市首相の思惑
今回の解散・総選挙は、首相本人が主導した“短期決戦・信任獲得型の賭け”と評されている。
「今なら勝てる」「時間をかけると不利」という思惑から、異例ずくめという批判を跳ねのけて強行されたと位置付けられているからだ。

参考になるデータのひとつは、NHK世論調査の「内閣と自民党の支持率推移」だ。
原則的に毎月第1週か2週目の金~日に実施している調査だ。これを過去2年ほど振り返ると、岸田文雄政権後半と比べると、石破茂内閣は平均値で10ポイントほど高くなった。高市政権はその石破内閣よりさらに25ポイントも高い船出となった。稀に見る盤石な船出だった。
ただし気になる点が2つある。
まず、内閣支持率が高くても、自民党支持率に変化がない点だ。これについての解釈は諸説あり得るが、やはりボディブローのように効いているのは「政治とカネ」の問題だろう。
高市首相本人は、資金スキャンダルの直接的な当事者ではなく、むしろ「クリーンさ」をこれまでは売りにしてきた。政権発足後も、「安全保障」「経済」「リーダーシップ」を前面に押し出した政権運営をしてきている。
それでも「政治とカネ」の問題は、なかったことにはならない。
有権者からは、“自民党全体の体質”として不信感が拭えない。
無党派層も内閣支持と異なり、自民党は支持できないなど“寡黙な離脱”が続いている。高市内閣と自民党との間で支持率の乖離が大きすぎるゆえんである。
もうひとつ気になる点がある。
■短期決戦で“現在の支持の固定化”を狙ったが
高市内閣は発足直後に支持率66%を記録した。これは戦後で極めて高い部類に入る。「自民党をぶっ壊す」と強烈な改革イメージを打ち出した小泉純一郎内閣(2001年)、政権交代の高揚感の中でスタートした鳩山由紀夫内閣(09年)、民主党政権への失望から反動的に高支持となった安倍晋三内閣(第2次・12年)があった。同様に初の女性首相で、かつ明確な路線を示した高市早苗内閣に期待が集まったのである。
ところがその後、毎月2ポイントずつ下落している(NHK世論調査)。
ちなみにこの間に決定的な失政があったとは言えない。それでも「高い期待値」「強い言葉」「明確な路線」は、国民にとっては時間とともに“期待の摩耗”を生んでいた可能性がある。経済政策などの実績はすぐには顕在化しない。「強い言葉」は「別の考えもあるのでは」「説明が不十分」と、不支持まで行かないまでも「どちらとも言えない」という保留層を生みやすい。

そして台湾問題に象徴される「明確な路線」の問題があった。
強硬路線は「安心する層」がいると同時に、「不安になる層」も出てくる。現実的なマイナスも、観光関係で可視化された。これらが時間経過の中で支持率の摩耗につながった可能性がある。
これらを前提に、異例尽くしの“超短期決戦”が決断されたようだ。
支持における“幅の広さ”ではなく、“熱量の濃さ”を重視したふしがある。前者は時間が経つと周辺層から削れていく。今は支持率が微減し始めても“危険水域”には程遠いので、短期決戦で“現在の支持の固定化”を狙いに行ったと考えるのが自然だろう。
■解散・総選挙で状況は一変
高市決断の前提には、発足後2カ月の政権運営が順調だったこともある。
新政権では公明党から維新の会へと、戦後政治の中でも異例の連立組み替えが行われた。この結果、安保・憲法・対中姿勢と政権の色が一気にシャープになった。
政権運営も比較的スムーズだった。

10月はASEAN首脳会議・日米首脳会談・APEC首脳会合・日韓首脳会談・日中首脳会談と外交を恙(つつが)なくこなした。11月には臨時国会での対応が続いた。この中で台湾有事についての発言があり中国の反発を招いたが、許容範囲のうちと受け止めた国民も少なくない。さらに11月下旬にはG20、12月も国内で諸々の政策決定を粛々と行っていった。
この結果、去年12月までのテレビでの露出は、自民と維新の連立政権が全体の6割と圧倒的だった。ちなみに立憲と公明の合計は2割に満たない(政党名および党首の名前を含むコーナーの数でPTP社「スパイダー」データで比較)。内閣支持率も含め、高市首相が選挙での勝利を確信したとしても不思議ではない。
ところが読売新聞の報道をきっかけに状況は一変する。
■読売の報道をきっかけに状況一変
今年1月9日、「高市政権安定へ勝負…衆院解散検討」と、首相が解散総選挙を目論んでいるとスクープした。この結果、1月前半の自民と維新のテレビ露出は5割を切り、逆に立憲・公明が急伸し始めた。さらに危機感を強めた両党が、1月15日に「中道改革連合」の新党を結成すると、自民・維新の扱いは3分の1までに減り、立憲・公明に逆転されてしまった。
新党名を含めた3党で集計すると、1月15日から21日の一週間でテレビ露出の過半を占めるまでに爆伸していた。

■テレビ露出の時系列
テレビ露出の状況を時系列で精査してみよう。
実は1月1日から9日まで、自民と維新の合計が他を圧倒していたものの、テレビ露出の総分数自体はさほど多くなかった。つまり政治ネタは、それほど重視されてなかった。ところが読売報道をきっかけに状況は一変する。
23日に国会を召集すると決めた13日まで、自民党および高市首相の露出が急伸を続けた。
ちなみにこの日は奈良で日韓首脳会談も行われたが、自民の露出は1月第一週の平均の8倍にまで爆増した。その後も多少の多寡はあるが、高止まりが続いた。ところがその独擅場(どくせんじょう)に待ったをかけたのが、立憲と公明による新党結成だった。
15日に両党の合意がなされ、翌日に新党名が発表された。
これにより露出は一挙に3~4倍に増えた。さらに「中道」の扱い量も急増し、いずれも自民を上回るようになった。同勢力の露出合計は、連立政権の2倍と“どんでん返し”が起こってしまったのである。

高市首相が記者会見で解散の意向を表明した19日でも、状況は変わらなかった。
普通なら記者会見を行った高市首相に最もスポットライトが当たるはずだが、より取り上げられたのは新勢力の方だった。中道・立民・公明の総露出は自民・維新の1.6倍を超えた。また翌日も翌々日も、自民・維新の劣勢は覆らなかった。
■一筋縄ではない政治とメディアの関係
「高い期待値」「強い言葉」「明確な路線」が高い支持率につながった高市政権。
ただし特殊な高さゆえ、異例ずくめの“超短期決戦”を首相は決断した。ところが進め方に危機感を覚えた立民と公明が、今度は新党結成というウルトラCに打って出た。
一方テレビは、事態を客観的に伝え、かつ解説を深堀しようと努める傾向がある。
結果として説明を十分に尽くそうとしない高市自民より、中道・立民・公明の総露出が爆増するという皮肉な事態を招いていた。高市首相が語らない部分を描く有効な手段となるからだ。
「自分が総理でよいかどうかを国民に直接問いたい」と高市首相は述べた。
議員内閣制の趣旨を逸脱した発言に疑問を抱いたメディア人は少なくないが、日本保守党の百田尚樹代表が表明した「そんな個人的な理由で選挙かよ」という言葉を使うことで、首相の発言は相対化される。政権担当者が十分な説明をしない以上、対抗勢力への取材が増えていくメカニズムが働いていたのである。
さっそく世論調査でも変化が表れた。
産経新聞とFNNの合同世論調査だ(1月24~25日実施)。同調査では各社と比べ高市内閣の支持率が高めに出ていた。ところが去年10~12月に75%台が続いていたが、新党「中道改革連合」の結成と衆院解散を受けた今回は5.1%下落した。
調査では通常国会冒頭の解散を「不適切」と見る人が過半を占めた。
「解散で生活に影響が出る不安」を感ずる人も55.9%。「野党が与党を上回る」と「与党と野党が伯仲」を期待する声も、過半数となった。必ずしも劇的な変化とは言えないまでも、今回の奇襲解散とテレビ報道量の逆転が、高市政権への“期待の摩耗”を超えて、民意の潮目が変わり始めていることがわかる。
以上が総選挙スタートまでの、世論調査やテレビ露出量を前提にした流れだ。
解散から投開票まで16日間という中で、情勢がどう変化するかの予測は容易ではない。それでも先行した連立政権が、野党の新党結成によりテレビ露出量で“どんでん返し”を食らい、高市解散の思惑が相対化されたように、各政党は何をどう打ち出すのかでメディアの扱いが変わり、選挙結果に影響を及ぼしていく。
政治家は思いのままにメディアをコントロールできない。
ならば大衆に届く言葉を尽くし、奇をてらわずに政策を示すべきだろう。説明を避けたり、ましてや論点をずらしたりしても、対抗勢力への取材が増え、自分の立場はマイナスに働くことがある。
異例の短期間ではあるものの、真っ当な選挙戦が行われることを願ってやまない。

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鈴木 祐司(すずき・ゆうじ)

次世代メディア研究所代表 メディアアナリスト

愛知県西尾市出身。1982年、東京大学文学部卒業後にNHK入局。番組制作現場にてドキュメンタリーの制作に従事した後、放送文化研究所、解説委員室、編成、Nスペ事務局を経て2014年より現職。デジタル化が進む中、業務は大別して3つ。1つはコンサル業務:テレビ局・ネット企業・調査会社等への助言や情報提供など。2つ目はセミナー業務:次世代のメディア状況に関し、テレビ局・代理店・ネット企業・政治家・官僚・調査会社などのキーマンによるプレゼンと議論の場を提供。3つ目は執筆と講演:業界紙・ネット記事などへの寄稿と、各種講演業務。

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(次世代メディア研究所代表 メディアアナリスト 鈴木 祐司)
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