※本稿は、酒井信『吉田修一と『国宝』の世界』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。
■なぜ『国宝』は歌舞伎の女形を描いたのか
吉田修一の作品の大きな特徴の一つは、かつて芥川賞の選評で村上龍が指摘したように、これまでほとんど近代文学で描かれて来なかったような職業に就く人々の描写にある。『国宝』で描かれる「人間国宝」や歌舞伎の女形も、そのような仕事と言えるだろう。
映画「国宝」では、吉沢亮が立花喜久雄(花井東一朗)の妖艶な所作を見事に体現し、横浜流星が大垣俊介(花井半弥)の浮き沈みの激しい人生を、巧みに表現した。
映画「国宝」で二人のスターが共演した「二人藤娘」「二人道成寺」「曾根崎心中」に魅了された人は多いと思う。『国宝』は長崎のやくざ一家に生まれ育った喜久雄が、上方で修業を積み、歌舞伎の女形として大成していく物語である。
そもそも歌舞伎の女形とは何を表現するために存在しているのだろうか。男女の性差の境界を超えた、女形の演技が歌舞伎の舞台に必要とされている理由とは何なのだろうか。さらに言えば、男女の性差にグラデーションのある人々を数多く描いてきた吉田修一という作家は、『国宝』で女形の歌舞伎役者を描くことで、何を実現しようとしているのだろうか。
■自殺する場面で客席から喝采が起きる
歌舞伎は、近代的な価値観とは折り合いが付けにくい仕来りや作法に満ちた伝統芸能であり、世界の舞台芸術と比べても、奇妙な「演劇」であると私は考える。
たとえば「義経千本桜 大物浦」では、落ち武者となった血だらけの知盛が錨と共に海へ身を投げる場面で喝采が起き、幕を閉じる。
日本は自殺率が先進国の中でも群を抜いて高い。歌舞伎に代表される伝統芸能が、自殺を美化し、自殺によって生前の罪が償われるという価値観を、今なお日本の社会に浸透させている、と考えることもできる。
こうした「名誉ある死」を選択する前近代的な死生観もまた歌舞伎が継承してきた伝統的な価値観の一つに他ならない。『国宝』の中でも近松門左衛門の「曾根崎心中」の「心中」の演技指導として、次のような助言が、二代目の花井半二郎から主人公の喜久雄に向けられている。
映画「国宝」でも印象に残る名場面の一つである。
■主人公の喜久雄に向けられた演技指導
ご承知の通り『曾根崎心中』と申しますのは、近松門左衛門が人形浄瑠璃のために書いた最初の世話物で、ちなみに世話物とは江戸時代当時の現代劇とでも言いましょうか、大阪は堂島新地の遊女お初と、醤油問屋の手代、徳兵衛の、この世では決して結ばれぬ心中事件を元に書かれたものでございます。
〽 此の世の名ごり 夜も名残 死にに行く身を譬(たと)うれば あだしが原の道の霜 一足ずつに消えて行く 夢の夢こそあわれなれ 徳兵衛 あれ数うれば暁の 七つの時が六つ鳴りて お初 残る一つが今生の 鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽(じゃくめついらく)と響くなり
一途な恋ゆえ心中へ。手に手をとりました二人が曽根崎の森への道行の名場面でございます。ぜえぜえと肩で息をしながら喜久雄が演じ終わりますと、徳兵衛役を買って出て稽古相手になってくれている俊介が、
「喜久ちゃん、今日はもうええやろ」と、声をかけてくれますが、すぐにベッドから半二郎の声が飛びまして、
「そんな水っぽい芝居で舞台に立てるかいな! いっこも生きてへんわ。ええか? あと一つ鐘が鳴ったら、アンタ死ぬんやで。死ななならん悲しみと、大好きな男と死ねる喜びとがないまぜや。
(吉田修一『国宝 上 青春篇』朝日文庫)
■前作から歌舞伎を「匂わせ」ていた?
「曾根崎心中」という作品の成功は、女形の役者が「大好きな男と死ねる喜び」という近代の学校教育とは乖離した際どい感情を、どのように演じるかにかかっている。歌舞伎役者は、舞台の上で繰り返し心中したり、名誉の死を遂げることで、何度も観客から喝采を浴びる、何とも奇妙な稼業である。
吉田は『国宝』の直前に執筆した『犯罪小説集』で、「曾根崎心中」「女殺油地獄」など近松門左衛門の作品を思い出させる「五文字のタイトル」を、各短編に付けている。この点を考慮すれば、吉田は数年前から上方歌舞伎に着目していたと考えることができる。
映画版「国宝」のパンフレットに掲載された李相日監督のインタビュー記事によると、映画「悪人」が公開された頃から李監督は「歌舞伎の映画を撮りたい」と考え、リサーチを重ねていた。吉田にも歌舞伎の話をしていたらしい。映画「悪人」の公開が2010年だから、この頃から映画「国宝」の萌芽は準備されていたことになる。
吉田修一の『犯罪小説集』の冒頭に収録されている「青田Y字路」では、終盤に「まだ犯人と決まったわけでもない男」が、油そばの店に立て籠もり、「油撒いて火つける」と、油まみれで近隣住民を脅すシーンが描かれる。これは「女殺油地獄」の影響から書かれたものだろう。
次の場面には、近松門左衛門の作品のように、躍動感のある感情の動きが伝わってくる。
■「女殺油地獄」を彷彿とさせる語り口
そのときだった。
その姿が異様に映ったのは、男が油まみれだったからだ。一瞬、濡れているだけにも見えたが、べっとりとした髪や顔からたらりと垂れているのは紛れもなく油だった。
「あの野郎、油撒きやがった。……油撒きやがった!」
這ってくる男の顔からは血の気が引いている。
その姿に悲鳴を上げたのは女たちだった。腰を抜かしたまま抱き合い、ずるずると更に後ずさっていく。
油まみれの店員はまっすぐに五郎たちの元に這ってくる。その目には何も映っていないように見える。
「……あの野郎、店に油撒きやがった。一斗缶から油撒きやがった。火つけるって。
(「青田Y字路」『犯罪小説集』角川文庫)
■歌舞伎が日本の伝統文化になった理由
リズミカルな語り口が印象に残る一節である。現代を舞台とした小説であるが、大阪天満の油屋を舞台にした「女殺油地獄」の雰囲気を感じることもできるだろう。
近松門左衛門の「女殺油地獄」は、借金にまみれた与兵衛が、油屋の女房のお吉を油まみれになりながら殺害し、店の金を奪うという、場当たり的で残忍な犯行を描いた作品である。江戸時代に上演された時は、残酷で悲劇的なこともあってか不人気だったが、明治に入って坪内逍遥(しょうよう)に評価された。その後、油まみれで与兵衛がお吉を殺す場面の視覚的なインパクトの強さも手伝って、映画化もされ、人気を博してきた。
「青田Y字路」が「女殺油地獄」を下地にしていることを踏まえれば、この作品が描いた「場当たり的な殺人事件」の犯人が誰であるかを推測することもできる。
それ以上に「曾根崎心中」や「女殺油地獄」など上方歌舞伎の演目の中には、現代であれば、週刊誌やワイドショーで取り上げられるような殺人事件や不義密通、反映、そして跡目争いなど、世俗的な事件を扱ったものが多い。そこには現代の道徳的な価値観に抵触するような自由な表現も散見される。
こうした特徴から歌舞伎は長らく庶民の娯楽として人気を集め、日本文化の粋を凝縮した総合芸術として洗練されてきた。「歌舞伎役者のブロマイド」というニュアンスを持つ浮世絵は国際的にも評価が高いが、歌舞伎の役者たちや演目が大衆的な人気を博することなくしては、文化的な発展を遂げることはなかっただろう。
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酒井 信(さかい・まこと)
批評家
長崎市生まれ。明治大学准教授。
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(批評家 酒井 信)

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