※本稿は、酒井信『吉田修一と『国宝』の世界』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。
■「足で書く」ような土地の描写
吉田修一は『国宝』を朝日新聞に連載するにあたり、中村鴈治郎の紹介で黒衣をまとい、足掛け三年、舞台裏から歌舞伎を取材している。
朝日新聞のインタビュー(「好書好日」2018年9月8日付)によると、「黒衣を着ていたら、舞台裏にいても目立たないから」と言われ、間近で歌舞伎を見学したという。この作品が、歌舞伎の女形を艶めかしい非日常的な存在として表現できているのは、作家・吉田修一の地道な取材を生かした、文学的な表現の豊かさによる。
私は『国宝』に関する批評を含む『吉田修一論 現代小説の風土と訛り』を2018年に出版した。「風土と訛り」とサブタイトルに付したのは、吉田修一の作品の大きな特徴の一つが、地道な取材を重ね「足で書く」ような土地の描写にあると考えたからだ。
『国宝』も長崎や大阪、京都をはじめとした土地の描写が印象的で、作中で描かれる歌舞伎の舞台にも、吉田修一が取材した場所の記憶が宿っている。映画「国宝」はこのような小説『国宝』の風土を映像で巧みに表現している。
■喜久雄と俊介が稽古した「玉手橋」
映画「国宝」のロケ地となった場所は、メディアで特集が組まれ、多くの人々の興味を掻き立ててきた。特に近畿地方で最も古い芝居小屋と言われる兵庫県豊岡市の「出石永楽館」(兵庫県指定重要有形文化財、1901年開館)は、芝居が大衆文化の中心だった時代の雰囲気を伝える木造建築で、希少性が高い。
また1927年に建築された京都府の「先斗町歌舞練場」や1934年に建築された滋賀県の「旧琵琶湖ホテル本館(びわ湖大津館)」など、映画の舞台となった戦前の建造物も、スタジオ撮影では得られない、場所の重みを映像に付与している。
建物に限らず、喜久雄と俊介が稽古する1928年に建造された大阪府柏原市と藤井寺市に跨がる「玉手橋」も、特徴的な橋の形状が印象的で、多くの人々が写真を撮りSNSに投稿している。
■喜久雄と彰子が行った昭和レトロなお店
また歴史的な建造物だけではなく、ドサ回りをする喜久雄と彰子が二人でハンバーグとオムライスを食べる京都府の「レストラン百花園」(1964年開業)も、昭和レトロの風情で人気スポットとなった。失意の喜久雄が屋上で踊る和歌山県の「ホテルいとう」も、観光地から遠い「ひと昔前の建物」だが、岩出の街の夜景に物悲しく映える。
主要なロケ地が京都府や大阪府、兵庫県や和歌山県など関西が多いのがこの映画の特徴で、映画「国宝」が大ヒットしたことは、今後、歴史的建造物の保全に貢献していくだろう。
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「レストラン百花園」(公式インスタグラムより)
『国宝』の冒頭で描かれる料亭「花丸」のモデルは、1642年創業の長崎丸山の引田屋(現・花月)である。歌舞伎のルーツが庶民の芸能にあったことを考えれば、花月の舞台は京都の南座や歌舞伎座と共に、由緒あるもので、「地歌舞伎」の舞台として歴史がある。
長崎を代表する秋祭・長崎くんちは、1634年に丸山遊女の音羽と高尾が奉納した謡曲「小舞」に起源を持ち、龍踊りや阿蘭陀万歳など賑やかな出し物の数々は「地歌舞伎」に似た雰囲気を持つ。
■何気ない場所の描写を考察してみると…
これらの点に着目すると、『国宝』で描かれた花井半二郎と俊介の「血統」と、喜久雄の突然変異的な「才能」の対立は、解消できるものである。喜久雄は「血統」には恵まれなかったが、「地歌舞伎の血統」を引き継いだ上で、「才能」を開花させたのだ。
花井半二郎は、花丸の舞台で喜久雄の才能を見いだした時点から、「地歌舞伎」の歴史を念頭に置いていた、と私は解釈している。映画「国宝」の冒頭で「関の扉」が引田屋の舞台で上演される場面には、地歌舞伎らしい庶民に開かれた余興の賑やかさが感じられる。
吉田修一は、「パーク・ライフ」の日比谷公園のように、何気ない場所の描写に深い意味を込めるのが上手い。喜久雄は「鷺娘」や「曾根崎心中」など、1700年代から受け継がってきた歴史ある演目を通して、庶民の芸能の伝統を背負い、才能を開花させたのだ。
長崎で生まれ育った人々にとって、この歴史ある旧遊郭街の風景は身近なものである。長崎や京都など映画「国宝」の聖地に足を運び、喜久雄と俊介の「成長の舞台」を体感してもらえると嬉しい。
■歌舞伎界が驚いた映画のクライマックス
映画「国宝」のプログラムで、吉田修一は次のように述べている。「主人公は喜久雄ですが、俊介との関係性が映画では軸になっています。その彼らの間に因縁を生んだ『曾根崎心中』を、ふたりが織りなす日々のクライマックスに持ってくるという解釈も、鬼気迫る踊りと芝居も……本当に素晴らしくて、『お見事!』の一言に尽きますね」と。
「曾根崎心中」は大阪の曾根崎村の森で起きた、若い男女の情死事件を題材とした話で、現在の東梅田駅近くを舞台にしている。1703年に道頓堀の竹本座で上演され、醤油屋の手代・徳兵衛と女郎のお初が心中し、来世の愛を誓う物語は、人形浄瑠璃の演目としても人気を集めてきた。
歌舞伎指導を担当し、吾妻千五郎を演じた中村鴈治郎は、「曾根崎心中」をクライマックスに持ってくると聞いて「これは大変なことになるぞ」と思ったらしい。映画化が成立するのか、花井半二郎を演じた渡辺謙も「えっ、本当にできるの⁉」「どうやって映画にするんだろう……」と思ったというし、半二郎の妻・幸子を演じた寺島しのぶも、歌舞伎界の内側を知る人間として「本当にできるのかな……」と心配している。
吉田修一の小説『国宝』は上下巻の大作であり、登場人物も多く盛りだくさんの内容で、ストーリーを絞り込むことが難しい。脚本の奥寺佐渡子は「原作で好きだった場面やセリフも割愛せざるを得なかった」と述べている。
■喜久雄と俊介の関係を「曾根崎心中」に投影
ただこの映画の成功は、喜久雄と俊介の愛憎半ばする関係を「曾根崎心中」に投影し、クライマックスを作った点にあるだろう。ロケ地の多くが関西であることからも明らかなように、映画「国宝」は大阪と京都を中心に発展してきた「上方歌舞伎」を主題としており、「曾根崎心中」はその人気作と言える。
李相日監督は、上方歌舞伎を主題として喜久雄と俊介の関係に焦点を絞った意図について、映画「国宝」のプログラムで次のように述べている。
「ストーリー的には血筋であったり、極道の息子であった喜久雄が歌舞伎の世界に飛び込んでくるといった要素が織り込まれているんですけど、光と影のように表裏一体のふたり=喜久雄と俊介が、どうやって互いの魂を“交歓”させていくかを舞台上で見せていくことに、本質があると考えていたんですね。そのためにもどの演目を選び、その演目の中でどこを抽出し、どのようにふたりの“魂の交歓”や『ともに歩む』姿をセットアップしていくか、脚本を開発しながら同時に考えていって。さらに俊介を誰に演じてもらうかが非常に重要な要素で、プロットの時点で人選を進めていきました」と。
■「喜久雄を演じるのは吉沢亮しかいない」
映画「国宝」は、李相日監督が「主人公の喜久雄を演じるのは吉沢亮しかいない」という強い思いから制作されている。
吉沢亮自身は、映画「国宝」のプログラムで次のように述べている。「振り返ればすごく不思議な日々でしたし、いっさいの妥協を許さない李監督の現場は苦しさの記憶が強いんですけど、完成した『国宝』を観て『李さんを信じてよかったな』と心から思いました」と。
長崎のやくざの一家で育ち、上方歌舞伎の女形として大成していく喜久雄を演じる上で、吉沢亮は「どこからきたのか……出自が分からないようなたたずまいがいい」と高く評価されていた。
確かにこの映画の成功は、喜久雄を演じる吉沢亮が、長崎の訛りを抱えながら大阪・京都で、上方歌舞伎の所作を身に付けていく、寡黙な佇まいにある。「曾根崎心中」で二役を演じ、「鷺娘」を踊る吉沢亮の姿は、観客を強く引き付ける妖艶な力を宿していた。
■横浜流星と心中するような気持ちもあった
過去の吉田修一原作の映画でも、主演俳優が重要な役割を果たしている。映画「悪人」(2010年)で長崎の土木作業員・祐一を演じた妻夫木聡や、映画「横道世之介」(2013年)で長崎から上京した大学生・世之介を演じた高良健吾など、主役の存在感が映画を牽引している。妻夫木も高良も巧みに長崎弁を話し、のんびりとした雰囲気で、世間一般の価値観を相対化するような「感情の訛り」を体現している。
映画「国宝」では、長崎弁で喜久雄を演じた吉沢亮だけではなく、関西弁で俊介を演じた横浜流星も、陰影のある心情表現で作品に奥行きを与えている。喜久雄の配役とは異なって、李監督は俊介役の人選に時間をかけたという。
「候補に挙がった役者の中から絞りに絞って、プロデューサー陣とも相談しながら、『流星のひたむきさやストイックな姿勢に、もう1回懸けてみよう』と、心中するような気持ちもありつつ、彼に白羽の矢を立てました」と述べている。
横浜流星は、李監督の前作「流浪の月」(2022年)で好演しており、彼は「喜久雄が色っぽさなら、俊介は可愛らしさや華やかさだろうな」と考え、喜久雄と対照的な演技を意識したらしい。横浜流星は、2025年にNHKの大河ドラマ「べらぼう」で、江戸っ子の蔦屋重三郎を演じ、時代劇の表現の幅を拡げる演技を披露しており、映画「国宝」の大ヒットを後押しする役割を果たした。
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酒井 信(さかい・まこと)
批評家
長崎市生まれ。明治大学准教授。早稲田大学卒業後、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学助教等を経て現職。専門は文芸批評・メディア文化論。著書に『松本清張はよみがえる 国民作家の名作への旅』『現代文学風土記』『吉田修一論』『メディア・リテラシーを高めるための文章演習』ほか。近著に『松本清張の昭和』(講談社現代新書)『吉田修一と『国宝』の世界』がある。
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(批評家 酒井 信)

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