NHK「ばけばけ」では、教師の錦織(吉沢亮)がヘブン(トミー・バストウ)の世話を焼くシーンが描かれている。モデルは西田千太郎と言われるが、実際はどうだったのか。
ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実をひも解く――。
■朝ドラよりすごい“英語教師の誠実さ”
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」。物語も折り返しを過ぎてヘブン(トミー・バストウ)とトキ(髙石あかり)の松江での生活も残り僅かと思うと、いささか寂しさがつのるもの。
これは松江でも同様で、一月初頭に松江を訪れたところあちこちで地元の人から「もう、松江からいなくなっちゃうんだよなあ」と嘆息する声が。街をあげて「ばけばけ」一色、高層マンション(19階)建設反対運動まで八雲を利用している松江の人としては、ドラマは、このままずっと松江にいて最終回を迎えてほしいといったところだろう。
(参考記事:国宝・松江城天守が泣いている…城より高いマンション建設で歴史的価値をみすみす手放す地元自治体の残念さ
さて、そんな物語の中で活躍してきたのが、錦織(吉沢亮)だ。ヘブンが松江で暮らせているのも、トキと夫婦になれたのも彼なくしては語れないはず。
そんな錦織の史実でのモデルが、西田千太郎だ。その友情たるや、度を越えたもの。八雲が松江に滞在していた期間、西田はほとんどすべてに尽くしている。しかし、もとより病弱だった西田は、後半、熊本に去る八雲になにもできないほどに、身体を酷使していた……。
ドラマでの錦織のヘブンに対する誠実さは目を見張るものがあるが、史実の西田はそれ以上だった。
西田の教え子で、後に演劇評論家となった伊原敏郎は、その人となりを次のように記している。
「教育熱心で、親切で見るからに明るい感じのする、そして物やわらかく愛想よく笑っておられるけれども、その底には犯しがたい威厳のある先生だ」
■管理職業務に加えて、あらゆる課目を受け持った
その人格者ぶりに晩年には松江の人々が「松江聖人」と呼ぶほどだったという。結核を病み若くして亡くなったゆえに、文弱なインテリ青年を想像しがちだが、実像は真逆。病弱な身体に、人並み外れた熱量を詰め込んだような人物であったということが窺える。
そうなったのは、西田が置かれた立場も影響している。教員免状を得た後に兵庫県や香川県で教鞭を執っていた西田は、1888年に島根県尋常中学校教頭に招かれた。この招聘は、単に優秀な地元出身者なので招いたわけではない。当時、中学では県の教育行政と中学側の意向とが対立、ついには校長以下、多くの教師が退職し学校運営がガタガタになっていた。その再建策として島根県は地元出身の優秀な教師を集めることに決め、西田のほか数名を招聘したのだ。
こうして教頭として学校運営や予算確保、指導法の改善など管理職としての業務をこなすことになった西田だが、同時に授業も受け持っている。
当時、西田が教えていたのは英語だけではない。歴史、地理、生理、植物、経済などあらゆる課目を受け持った。

■「八雲の世話」も自分から申し出たか
頭脳明晰な人だけに生徒からの支持は絶大だった。……働かせすぎである。現代なら確実にブラックすぎる職場として大問題になるだろう。いや、現代でも教師の長時間労働は問題になっているが、西田の場合はそんな生易しいレベルではない。管理職と平教員を兼務し、6科目以上を担当。これは「働き方改革」以前に、単純に人間を壊しにかかっている。
ここに加えて「新しい外国人の先生が来るので世話を頼みます」となったわけだ。常人なら「無理です」「ふざけんな」となるだろうが、西田はそうならなかった。むしろ、次のように西田が自分から世話を申し出たのではないかと考える識者もいる。
ハーン来任についてであるが、これは多分に西田が希望した人事であったと思われる。前任者のタットルの教師としての不評をもっとも心配したのは、彼であったにちがいないからである。(池野誠『小泉八雲と松江 異色の文人に関する一論考』島根出版文化協会、1970年)
前任のタットルは教師として機能せず、生徒たちが困っていた。
今度こそまともな英語教育を……そう考えたとき、まともに英語が話せる教員は限られている。「だったら俺がやるしかない」。そんな使命感が、西田を突き動かしたのだろう。まさに「聖人」である。
■“献身ぶり”に信頼を寄せた八雲
ただ、1890年8月30日に八雲が松江にやってきた日からつきっきりだったわけではない。『西田千太郎日記』によれば、8月30日の次に八雲が登場するのは9月2日。この日は学務課から要請されて、八雲が県知事と会う時の通訳を務めている。
当初、八雲は横浜で知り合った真鍋晃を通訳として同行していた。ところが9月下旬になると、日記に八雲の名前が頻繁に登場するようになる。真鍋が早々に八雲のもとを去ったからだ。
八雲が最初に滞在した冨田旅館の資料によれば、真鍋は東京から女性を呼び寄せるなどして八雲を激怒させたという。英語はそこそこできても、人間的に信用できない。
八雲は真鍋を追い返した。
では誰に頼るか。そこで浮上したのが西田だった。英語ができるだけではない。博識で、人格的にも申し分ない。何より教育への情熱が本物だ。
八雲は人見知りが激しく、誰とでも打ち解けるタイプではなかった。だが「この人は」と思った相手には、とことん入れ込む。西田はまさにそんな存在だった。多忙にも拘わらず、八雲の世話を献身的に引き受ける西田。その誠実さに、八雲は信頼を深めていったのだろう。
■“血を吐いても”続けた八雲の世話
9月27日、籠手田知事が雛人形を見せるというので八雲を伴って訪問。
ここから西田と八雲の付き合いは一気に濃くなる。
翌28日、日曜日。八雲と一緒に「清楽(中国発祥の民謡・俗謡。明治中期に大流行)」を聴きに知人宅へ。10月3日には彫刻家・荒川重之助を訪問。10月9日から11日までは三日連続で松江の街を探訪……。
日本文化への旺盛な好奇心を持つ八雲にとって、博識な西田は最高の案内人だったのだろう。本業も相当忙しいはずなのに、同行しているあたりに西田の聖人ぶりが表れている。
精力的に八雲の世話をしている西田だが決して体調はよくない。10月26日には「突然両3回喀血」とある。なのに注射を打って「約束アリ、止ムヲ得ズヘルン氏ノ長演説ヲ通弁ス」と、仕事を続行。翌日は完全に寝込んで「喀血未ダ全ク止マズ」の状態になっている。

ようやく回復したのは11月に入ってからだが、今度は途端にパワフルになる。11月15日には八雲に誘われて「近郊車行運動」とある。翌日からも連日のように八雲が各所に訪問するのに同行。この合間に学校の仕事もこなしているわけだから「ちょっとは休め」といいたくなる。
■病床にあっても酒を振る舞った
その無理がたたったのか、12月に入ってから西田はまた病気を悪化させている。特に12月17日の日記からはかなり悪化させていることが窺える。
喘息ト呕気(註:嘔気、吐き気のこと)ノ為、殆ド少シモ身体ヲ動カシ得ズ。苦悩極点ニ達セリ。夜ニ入リテ始メテ半椀喫飯。
西田の日記は普段、簡潔にその日の出来事だけを記している。そんな西田が「苦悩極点ニ達セリ」とまで書いたのは、相当体調が悪化していた証拠だろう。
この時期、八雲もたびたび見舞いに訪れ、手紙を送っている。実は八雲自身も12月頃から体調を崩していた。それでも訪問は欠かさない。献身的に尽くしてくれる西田を、八雲も本当に心配していたのだ。
日記には八雲の見舞いに「小酌」という言葉も出てくる。病床にありながら、わざわざ訪ねてくれた八雲に酒を振る舞ったのだ。なぜそこまでするのか。
当時八雲が滞在していた冨田旅館から、松江市雑賀町の西田宅までは徒歩15分ほどの距離がある。冬の寒さで体調を崩している八雲が、凍えるような中をわざわざ訪ねてきてくれた。その厚意に、床に伏したまま話だけで応えるわけにはいかない……西田にはそんな想いがあったはずだ。
■「松江聖人」の名にふさわしい
こうした相互の献身が、二人の間に特別な信頼関係を築いていった。特に八雲を感動させたのは、西田が自分の体調も顧みず、八雲のことを気にかけ続けたことだ。
年が明けた1月17日から22日まで、西田の日記には連日「ヘルン氏ノ病ヲ訪フ」と記されている。
この時期、西田自身の体調は最悪だった。出勤すらできない状態だ。それなのに八雲のもとへ通い続けている。授業に支障はないか。生活に不便はないか。研究で必要なものはないか……。自分が病床にありながら、八雲の心配をする。これが西田千太郎という人間だった。教育者としての使命感か、友情の深さか。おそらくその両方だろう。まさに「松江聖人」の名にふさわしい。
3月に入って体調が回復すると、二人の交流はさらに深まった。西田は時間があれば連日のように八雲宅を訪問。二人だけで寺社仏閣を見学に出かけることも度々だ。
この時期、八雲はすでにセツと夫婦になっている。普通なら新婚家庭に遠慮するものだが、西田にその気配はない。現代でも、新婚家庭で夫が独身の時と変わらず男友達と遊んでばかりいるという問題は起こりがちなもの。八雲のやっていることは、まさにそれ。セツからすれば「妻というより女中扱いでは」と悋気を起こしてもおかしくない状況だ。
だがセツは違った。日中は西田と英語で語り合う八雲。夜になればセツに昔話をせがむ八雲。セツは文句ひとつ言わず、この生活を受け入れた。むしろ自分では相手ができない部分で、夫の知的好奇心を満たす西田の存在を、ありがたく思っていたかもしれない。
■「度を越した献身ぶり」への敬意の表れ
実際、セツの実家への援助問題も西田がすべて調整した。セツから見ても、偉い先生なのに威張らず世話を焼いてくれる」と見えたはずだ。まさに「聖人」だ。
そんな西田だが、夏に回復したと油断して八雲と動き回りすぎたのか、秋以降は急激に悪化する。10月、八雲の熊本転任が決まったときには、送別会すら欠席せざるを得ない状態。餞別も満足に用意できず、それを日記で悔やんでいる。1年以上、身を削って尽くした友人を、最後まで見送れない。これほど無念なことがあるだろうか。
そんな無念も含めて西田は、八雲が松江を去った11月15日の日記にこう記した。
予ノ氏と交ジルヤ最モ親密ナリ。
普段、淡々と事実だけを書く西田がわざわざ「最も親密」と断言している。
それはそうだろう。西田がやったのは、外国人教師の生活サポートなどという生易しいものではない。妻の実家への金銭援助――他人の家庭の、しかも極めてデリケートな金の問題である。どんなに親しくても、普通は「さすがにそれは……」と躊躇するはずだ。
だが西田は躊躇しなかった。「友人だから」という理由で、ズカズカと踏み込んだ。もはや職務でも何でもない。これはセツも驚く友情を超えた何かだったのだ。
「ばけばけ」の錦織は、ヘブンの松江生活を支える誠実な友人として描かれている。だが史実はそれを超えていた。西田は文字通り、自分の身体を壊してまで八雲に尽くした。松江の人々が「松江聖人」と呼んだのは、その度を越した献身への敬意だったのだろう。

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昼間 たかし(ひるま・たかし)

ルポライター

1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

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(ルポライター 昼間 たかし)
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