■影に沈む日本――なぜ埋没するのか
米中競争、第2次トランプ政権の予測不能な言動、ロシアのウクライナ侵攻――世界の注目がそっちに向いている間に、日本はどうなっているか。
経済大国だ、インド太平洋の要石だ、と言われ続けて何十年。なのに国際舞台での存在感は、日に日に薄くなっていると言わざるを得ない。
会議室にいるのに誰からも意見を求められない? いや、もっと悪い。そもそも日本がいることに誰も気づいていない可能性がある。
笑えない。本当に笑えない話だ。
なぜこれが深刻なのか。日本を代表する戦略思想家たちの眼を借りて、少し真剣に考えてみよう。
■世界は激変した。
国際経済交流財団の「将来の国際政治秩序に関する作業部会」は、2024年の政策提言でこう警告した。
https://www.jef.or.jp/AR2024.pdf
「2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、歴史の流れを劇的に変え、『平和の時代』を『戦争の時代』へと転換させた。とりわけ注目すべきは、『法の支配』に基づく国際秩序の基盤を根底から揺るがし、軍事力、特に核戦力が中心的な位置を占める秩序へと変貌させたことである」
要するに、日本が戦後80年かけて恩恵を受けてきたルールが、今まさに書き換えられようとしている。作業部会はこうも言っている。
「第2次世界大戦終結以来80年にわたり各国がたゆまぬ努力で築いてきた世界平和と繁栄のシステムから最も恩恵を受けてきた国として、日本にはその回復に重要な貢献を果たすことが期待されている」
期待されている。結構だ。だが貢献したいなら、まず声が届かなければ話にならない。声なき貢献者がどうなるか、歴史を見ればわかる。忘れ去られるのだ。静かに、確実に。
■「適応国家」という生存戦略の限界
ボーン・上田記念国際記者賞を受賞している日本経済新聞論説委員兼編集委員の秋田浩之氏は、日本の戦略的行動を理解するための重要な枠組みを提示している。
彼は日本を「適応型ミドルパワー」と位置づける。
https://www.kas.de/documents/d/japan/03
その論理は明快だ。
「日本はエネルギーの大半を輸入に依存し、食料自給率もかろうじての水準だ。また、中国、ロシア、北朝鮮といった核保有能力を持つ非友好的な国々に囲まれた島国でもある」
この「適応型ミドルパワー」という概念は、日本の戦略文化を理解する鍵だ。日本は歴史的に、国際環境の変化を敏感に察知し、それに合わせて自らを調整することで生き延びてきた。明治維新しかり、戦後の対米協調しかり。環境を読み、適応し、したたかに生存する。これが日本の得意技だった。
だが、ここに根本的な問題がある。
「適応」は受動的な行為だ。環境が読める限りにおいて機能する。では、環境そのものが読めなくなったら? 羅針盤が狂った船は、どんな名船長を乗せていても漂流するしかない。
今の国際環境がまさにそれではないか。米中関係は流動的、トランプは予測不能、欧州はウクライナで手一杯、グローバル・サウスは独自路線。誰に適応すればいいのか、そもそも何に適応すればいいのか、見えなくなっている。
「適応型ミドルパワー」の限界が、今まさに露呈しつつある。適応だけでは足りない時代が来たのだ。
■日本を茹でガエルにする中国の戦略
元防衛副大臣の中山泰秀氏は、中国の戦略について興味深い分析を展開している。2026年1月の論考で、中山は率直にこう振り返った。
https://www.straitstimes.com/asia/east-asia/japan-minister-yasuhide-nakayama-says-necessary-to-wake-up-to-protect-taiwan
https://ameblo.jp/nakayamayasuhide/entry-12952723914.html
「中国に関する議論では、『戦争は起きるのか、起きないのか』という問いが前面に出がちだ。正直なところ、私も当初はこのアプローチに惹かれていたが、中国の一連の動きを注意深く観察するうちに、このアプローチだけでは状況の本質を把握するには不十分だと痛感するようになった」
なぜか。中国は「戦争するかしないか」なんて二択のゲームをしていないからだ。
中山によれば、中国のアプローチは「極めて狡猾で、時間をかけて手を打つ。相手の判断力を鈍らせ、躊躇させ、相手が気づかないうちに選択肢を一つずつ狭めていく」。
「茹でガエル」の話を知っているだろうか? カエルを熱湯に放り込めば飛び出す。だが水から徐々に温度を上げていけば、気づいた時にはもう跳ぶ力が残っていない。
日本は今、その鍋の中にいる。そして火加減を調節しているのは北京であり、習近平だ。居心地がいいとさえ感じているかもしれない。それが一番危ない。
抑止力について、中山はこう説明する。
「どれだけの能力を持っているか。緊急時にそれを使う意志があるか。相手はその判断をある程度予測できるか。抑止力は、この3つがすべて揃って初めて機能する」
能力はある。自衛隊は精強だ。
「日本にとってのリスクは、防衛能力そのものの欠如よりも、その意志と判断が外部から見えにくくなることにある。意思決定が予測しにくくなると、相手は警戒を緩め、『少しくらいなら大きな代償を払わずに試せるかもしれない』と計算し始める。これが誤算を招き、エスカレーションのリスクを高める」
つまり、日本の沈黙そのものが危機を招きかねない。
黙っていれば安全だと思っているなら、考え直したほうがいい。その沈黙が、相手に「試してみよう」と思わせる隙を与えている可能性がある。
中山は、中国の圧力が3段階で進むと説明する。
「まず、情報と心理を揺さぶり、何が正しいのか理解しにくくし、議論を長引かせる」。次に「経済や外交といった特定分野で圧力をかけ、『これ以上挑発すれば損失を被る』という感覚を作り出す」。最後に「一線を越えない軍事的示威が常態化し、警戒が日常となる」。
目的は何か。「日本を消耗させ、できる限りトラブルを起こしたくないという心理状態に追い込むこと」だ。
孫子の「戦わずして勝つ」――2500年前の教えが、今この瞬間も実践されている。
■甘えの終焉――日米同盟の行方
同盟の信頼性維持は、トランプ政権の復帰で一層難しくなった。前出の日経・秋田氏はこう記録している。
https://ameblo.jp/nakayamayasuhide/entry-12952723914.html
https://www.straitstimes.com/asia/east-asia/japan-minister-yasuhide-nakayama-says-necessary-to-wake-up-to-protect-taiwan
「安倍首相は在任中にトランプ大統領と14回会談した。日本政府関係者によれば、トランプはそのほぼすべての会談で日米同盟の不公平さについて不満を述べ続けた」
14回中ほぼ毎回。これを単なる愚痴と片づけていいのか?
安倍は冷静だった。「トランプの見解は突拍子もないものとして片づけるべきではなく、多くのアメリカ国民の意見を多かれ少なかれ反映している」と見抜いていた。トランプの不満は、アメリカの本音なのだ。
2025年11月の国家安全保障戦略(NSS)は、その本音を隠そうともしていない。
「アメリカがアトラスのように世界秩序全体を支える時代は終わった。我々の多くの同盟国やパートナーの中には、自らの地域に対する主要な責任を負い、集団防衛にはるかに多くの貢献をすべき裕福で洗練された国々が数十カ国ある」
外交辞令を剥がせば、メッセージは単純だ。「いつまで甘えているつもりだ」。
これを脅威と見るか、機会と見るか。圧力は明白だ――日本はアメリカに「ただ乗り」していないことを証明しなければならない。だが同時に、防衛投資の増額と戦略的意図の明確な発信を結びつければ、より可視的で信頼される日本の姿を国際社会に示せる。
金を出すだけでは足りない。意志を示せ。口先だけでも足りない。覚悟を見せろ。
これは脅しではない。冒頭で触れた「新しい現実」への適応を求められているだけなのだ。そして皮肉なことに、「適応型ミドルパワー」日本にとって、これは得意分野のはずだ。問題は、今回の適応には「受動的な調整」ではなく「能動的な発信」が必要だということだ。
■中国の研究者を日本に招いて酒を飲め
抑止力の強化は必要だ。異論はない。だが、それだけで十分か?
九州大学の益尾知佐子教授(国際政治学)は、台湾有事は不可避ではないと主張する。
https://www.jef.or.jp/journal/pdf/256th_Cover_Story_01.pdf
「台湾をめぐる状況はまだ不確実であり、有事が必ず起こると断定することはできない。それを防ぐ方法があるはずだ」
益尾氏は交流の減少を深く憂慮している。「中国と世界、特に西側との交流が最近急激に減少していることを憂慮している」。中国の研究者たちは「西側諸国は支配を続けるために中国を包囲しようとしている」と主張する報告書を書くばかりになっている。
相互理解の回路が細れば細るほど、誤算の可能性は高まる。これは常識だろう。
益尾氏の提案は実にシンプルだ。
「まさに今こそ、中国の研究者を日本に招いて酒を酌み交わしながら議論する努力をすべき時だ。防衛装備品を購入するよりはるかに安価で容易である」
https://www.jef.or.jp/journal/pdf/256th_Cover_Story_01.pdf
ミサイルより酒。単純すぎて馬鹿げて聞こえるか? だが、対話の回路を維持することの重要性を軽視すべきではない。撃ち合いになってからでは遅いのだ。
日本の可視性問題はインド太平洋全体にも及ぶ。政策研究大学院大学の相澤伸広教授(専門:東南アジア地域研究、東アジア国際関係)は東南アジアとの関係強化の緊急性を訴える。
「共に歩むこと、そして共に歩むだけでなく、より深い関係を構築することが不可欠だ。事実上の同盟や安全保障同盟ではなく、東南アジアとの社会的同盟を形成する意図を持って協力しなければならない」
だが、時間がない。相澤の警告は切実だ。
「日本が東南アジアとの関係をさらに強化する時間はあまり残されていない。東南アジアで日本との社会的同盟を前向きに考えられる人がいるとすれば、おそらく現在40代の、1980年代に生まれ1990年代に育った世代、少なくとも日本にまだ力があった頃を知っている人々だろう」
https://www.jef.or.jp/journal/pdf/256th_Cover_Story_01.pdf
この世代が指導層から退けば、「日本の信頼性と魅力は低下し続ける」。シグナルを送るには「あと3年から10年しか残されていない」。
砂時計の砂は確実に落ちている。「そのうちやる」では間に合わない。今動かなければ、機会は永遠に失われる。
■日本だけができる「架け橋」の物語
同志社大学教授で元国家安全保障局次長の兼原信克氏は、日本の独自の立場を指摘する。
「欧米人が人権、自由、民主主義の尊重を性急に主張すると、今や力を得た新興国は『植民地にひどいことをしたのはあなたたちだ』と応じる」
https://www.jef.or.jp/6e26c4ee5aeef36c1ecfe9501ce5cd23aec60ad1.pdf
西側の説教は、歴史の重荷で説得力を失っている。だが日本は違う物語を持っている。
「第2次世界大戦で、我々は人種差別や欧州によるアジア支配といった国際秩序の不正義に対して武器を取って怒りをぶつけたが、何も良いことは生まれなかった。人間は倫理的に成長し、正義は最終的に勝利する」
この経験は、日本にしか語れない。西側でもなく、グローバル・サウスでもなく、その両方を理解できる立場にいる。
これは日本を架け橋として位置づけるメッセージになり得る。ただし、日本が積極的に発信すればの話だ。
黙っていては橋にはなれない。橋は両岸を繋いで初めて意味を持つ。声を上げて初めて、日本の存在意義が生まれる。
戦後80年かけて学んだ教訓がある。それを世界に伝える責任がある。だが、伝えなければ、その教訓は日本の中で朽ちていくだけだ。
■「適応」から「発信」へ
作業部会の提言は核心を突いている。
「日米同盟を基軸としつつも、単にアメリカに追随するのではなく、日本がリーダーシップにおいて意識的に大きな変革を遂げるべき時が来た」
同盟を捨てろという話ではない。日米同盟は日本の安全保障の礎であり続ける。だが、その枠組みの中で、日本は変わらなければならない。より可視的に。より声高に。より能動的に。
「適応型ミドルパワー」としての日本の強みは、環境を読み、柔軟に対応する能力にあった。だが今、その強みだけでは生き残れない。読むべき環境が混沌としているからだ。
必要なのは、適応する力に加えて、発信する意志だ。受け身から能動へ。追随者から共創者へ。
中山の結論が響く。
「これは戦争を煽る議論ではなく、戦争が起きないように抑止力を機能させ続けるための議論である」
https://ameblo.jp/nakayamayasuhide/entry-12952723914.html
そして実践的な要請が続く。「日本は国としてどう動くのか。どこに一線を引き、どのように意思決定を行うのか。この軸を国内外に分かりやすく示し続けなければならない」
日本にとって、可視性は虚栄ではない。効果的な抑止の前提条件であり、信頼される同盟パートナーの条件であり、この地域での影響力を維持するための必須条件だ。
影に沈んだままでいる余裕はない。声を発しなければ、存在しないのと同じだ。そして存在しない国のために、誰がリスクを負うだろうか?
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スティーブン・R・ナギ
国際基督教大学 政治学・国際関係学教授
東京の国際基督教大学(ICU)で政治・国際関係学教授を務め、日本国際問題研究所(JIIA)客員研究員を兼任。近刊予定の著書は『米中戦略的競争を乗り切る:適応型ミドルパワーとしての日本』(仮題)。
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(国際基督教大学 政治学・国際関係学教授 スティーブン・R・ナギ)

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