■“子供たちさえよく解らない”八雲とセツの会話
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」。ヘブン(トミー・バストウ)とトキ(髙石あかり)の夫婦の会話は常に微笑ましい。とりわけ、ドラマの特徴となっているのがヘブンの言葉。時には辞書を引きながら日本語で話すシーンが、そして、英語でまくしたてて字幕が流れるシーンが現れる。
こうしてみると気になるのは、八雲とセツの夫婦がどのように会話をしていたかということだ。常に英語を解する人が傍にいるわけではない。
そんなコミュニケーションが不自由な中で、夫婦が生み出したのが「神秘の言葉」であった。詩人・萩原朔太郎は随筆「小泉八雲の家庭生活」の中で、こう記している。
夫婦の会話は女中や下僕にはもちろんのこと、子供たちさえよく解らなかった。「内のパパとママとは、誰にも解らない不思議な言葉で、誰にも解らない神秘のことを話している」と、学校へ行っている男の子が、自慢らしく仲間の子供に語ったほど、それは別世界の会話であった。
(萩原朔太郎『萩原朔太郎全集』第10巻 小学館、1943年)
■言語習得より「日本文化の本質を掴むこと」を優先
それは、まさに夫婦の愛が生んだものであった。
実のところ、日本を愛した八雲であったが、日本語の習得となると話は別だった。体系的に学ぶことはなく、生涯、正確な日本語を身につけることはなかった。
理由は明快だ。仕事以外の時間は日本関係の著作執筆に没頭。そもそも人付き合いが得意ではなく、交友関係も限定的。これでは上達のしようがない。
来日時、八雲は既に40歳。今さら一から日本語を学ぶより、「ある程度会話できれば十分。あとは翻訳や通訳に任せればいい」と割り切っていたのだろう。それよりも、日本各地への訪問や取材に時間を使いたい……そんな八雲の優先順位が透けて見える。
考えてみれば、合理的な判断だ。限られた時間で何を優先するか。
だが、そう割り切れないのが夫婦生活というものだ。日々の雑事について話さなければならない。それに、言葉が通じなければ愛情だって十分に伝えられない。何より……肝心の怪談が理解できないではないか‼
■話が面白ければ、セツに何度も語らせた
ドラマでは簡略化されて描かれていたが、八雲がセツから怪談を聞き取る時の姿はいささか奇妙である。セツの回想では、こう記されている。
私が昔話をヘルン(註:ハーン、小泉八雲のこと)にいたします時には、いつも始めにその話の筋を大体申します。面白いとなると、その筋を書いて置きます。それから委(くわ)しく話せと申します。それから幾度となく話させます。私が本を見ながら話しますと「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければいけません」と申します故、自分の物にしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るようになってまいりました。
話が面白いとなると、いつも非常に真面目にあらたまるのでございます。顔の色が変わりまして眼が鋭く怖ろしくなります。その様子の変り方がなかなかひどいのです。
(小泉節子「思い出の記」『小泉八雲』恒文社1976年)
これは、他に類を見ない語学特訓だったともいえる。
想像してみてほしい。セツが本を見ずに、自分の言葉で怪談を丁寧に語る。八雲はあらすじを知った上で、一言一句聞き逃すまいと集中する。だから顔つきが次第に険しくなっていく。そして、同じ話を何度も何度も繰り返させるのだ。
これが毎晩のように繰り返されたためか、八雲は書く時には英語を使う一方で、会話や聞き取りは一定水準以上になっていたとされる。
■セツの話すこと“すべて”を理解したかった
だが、この語学特訓の本質は、技術の習得ではない。
これは、お互いを知ろうとする愛の深さが生んだものだった。
実際、セツが女中として雇われてから、二人が夫婦になることを決めるまで、さほど時間はかからなかった。1891年1月にセツが女中に出てから間もなく結婚している。
問題は、その間だ。互いを意識し始めた時、想いを告げる言葉をどうしたのか。まさか、紹介者である中学校教頭の西田千太郎を連れてきて「通訳してくれ」というわけにはいくまい。それはあまりにも野暮である。
「二人の間に言葉はいらない」
……確かに美しい。だが、それで済むのは恋愛期間中だけである。
結婚したらどうするのか。
想像してみてほしい。八雲が結婚を申し込むシーンを。
「セツさん、えーっと……マリッジ? いや、日本語で何て言うんだ。M、M……」
分厚い辞書をめくりながら汗をかく八雲。横で不思議そうに見つめるセツ。ロマンチックどころか、完全にコントである。
■セツは必死に英語を勉強した
もちろんセツも、英語習得に励んでいる。熊本に引っ越してからの2年間、八雲がセツに英語を教えたとされ、松江市の小泉八雲記念館には、その時セツが使ったメモ帳が収蔵されている。そこに記されているのは、八雲の発音をそのまま片仮名で書き取り、横に日本語の意味を添えるという、涙ぐましい努力の跡だ。
Shoe シウ くつ
Fire フワエラ 火
tired タエリダ たえぎ くたびれる
tomorrow トーマル 明日
Nothing is the matter ノオテン・エズデー・マトリ なんでもありません(展示図録『小泉セツ ラフカディオ・ハーンの妻として生きて』2024年小泉八雲記念館)
八雲自身、ギリシャ生まれのアイルランド育ちで、10代の頃からはフランスの寄宿学校で教育を受けている。加えて、アメリカで長らく暮らしたのは南部のニューオリンズ。しかも、クレオール文化に親しんだという。つまり、教科書的な流暢な英語とはほど遠い、なまった英語だったはずだ。
「water(水)」は「ウォータ」、「oil(油)」は「アール」と発音される。「these(これら)」は「ディーズ」ではなく「デーズ」だ。つまり、セツが聞き取っていたのは、教科書的な流暢な英語とはほど遠い、かなりなまった英語だったはずだ。それをカタカナで一発書き取り。「フワエラ」にもなるわけである。
これは微笑ましいものではなく、セツが本気で英語を習得しようとした証拠である。現代なら、スマホアプリで何度でも音声をリピートしながら発音を確認できる。だが、それが可能になったのは1979年のウォークマンの発売と普及以降のことだ。
■八雲は「正式な英語教育を諦めた」
それ以前、明治から昭和にかけての外国語学習者は、教師や外国人の発音を一度聞いたら、その場で、カタカナで書き留めるしかなかった。二度目はない。聞き逃したら終わりの真剣勝負だ。だからセツのメモは、英語習得に心血を注いだ努力の記録といえるだろう。その原動力は、やっぱり八雲への愛情だった。
そうしてお互いがお互いの言葉を理解しようとした結果、生まれたのが二人の間にしか通じない「ヘルンさん言葉」と呼ばれるものである。
これは、夫婦と子供たちしか理解しない、まさに愛が生んだ神秘の言葉であった。八雲の次男・稲垣巌は、こう記している。
日常の会話と申しましても夫人との間に於てのみ完全に通用する英語直訳式の一種独特の言葉でありました。私の兄は母に次いで中々上手でしたが、私も父の死ぬ1、2年前頃から言われる言葉を聴き分けることだけはできました。
(小野木重治編著『ある英語教師の思い出:小泉八雲の次男・稲垣巌の生涯』恒文社1992年)
興味深いのは、長男・一雄の証言である。
父も最初ちょっと英会話を母に教えようと試みたそうだが、到底無理であることを悟って断念した由。
つまり、八雲はセツへの「正式な英語教育」を諦めたのだ。
■“夫婦のコミュニケーションに問題ない”と判断したか
ただし、これはセツの能力の問題ではない。
そもそも八雲自身、体系的に教える教師ではなかった。学校では英語を講じていたが、英語教育のプロではない。いうなれば、たまたま雇われた、英語が話せる人である。だから、初歩の英会話を日本語で教えるノウハウなど持ち合わせていない。
おまけに、セツには家事も育児もある。毎日英語の勉強時間を確保するのは現実的ではなかった。
何より、二人の相互理解が深かったために、互いの乏しい語学力だけで日常会話も、怪談の聞き取りも、愛情表現も、すべて問題なくできるようになっていた。ならば、わざわざ正式な英語を学ぶ必要があるだろうか。八雲が「断念」したのは、そうした現実的判断の結果だった。
そう割り切ったからこそ、かえって「ヘルンさん言葉」という豊かなコミュニケーション手段が発達したのである。
ただし、子供の教育となると話は別だった。一雄は続けてこう記す。
私も正に出雲の人々の手によって取扱われた結果、幼時は出雲弁であった。そして父からだんだん離れていった。これではならぬと父が私を捕らえて英語を教え始めたのは私が数え年の5歳の秋からで、東京牛込時代であった。
■英語を知らない“よその人”とは会話できない
長男が出雲弁になってしまったのを見て、八雲は慌てて英語教育を開始した。夫婦間なら「ヘルンさん言葉」で十分だが、子供には正式な英語を、という、父親としての現実的判断である。
しかし、この「ヘルンさん言葉」は、第三者がみると、どうしてそれで通じるのか謎である。
巌は、こう記している。
「例えば「テンキコトバナイ」といえば「天気は申し分なくよろしいという意味です。それから、例えば「巌は遊んでばかりいるから悪い。これから少しの間勉強する方がよい」という意味を表すには「イハホ、タダアソブ。トアソブ。ナンボ、ワルキ、デス。スコシトキ、ベンキョ、シマセウ、ヨキ」まあこんな調子ですから、英語を知らないよその人とは中々会話できません」
「英語を知らないよその人とは会話できない」と説明しているが、これを見る限り、英語を知っていても理解できないだろう。「テンキコトバナイ」と聞いて、即座に「天気」「言葉」「無い」と理解して「ああ、そうですね今日は天気がよくてほっとしますね~」なんて、返事できる人はなかなかいない。
しかも八雲は、「なんぼう(なんで~だろう)」という出雲弁まで混ぜていた。英語+日本語+出雲弁。まさにカオスである。
■八雲とセツだけが通じる「神秘の言葉」
だが、この混沌とした言語を、二人は完璧に使いこなした。
なぜか。深く愛し合っていたからだ。
八雲はセツを理解したかった。セツもまた、八雲を理解したかった。だから、文法も体系も無視して、「二人が通じ合える言葉」を作り上げた。
「正しい英語」でも「正しい日本語」でもない。でも、二人には完璧に通じる。それで十分だったのだ。子供たちでさえ完全には理解できなかった「神秘の言葉」。それは、八雲とセツの深い絆の証しなのである。
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昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。
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(ルポライター 昼間 たかし)

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