「医者の不養生」と言われるが、本当なのか。健康管理の注意喚起をするプロが、実は短命ではないか。
しばしば耳にするそうした噂は真実か。医師の谷本哲也さんが最新の複数の科学的調査を分析してみると、意外な事実が判明した――。
■「健康のプロ」が自分を守れない?
「医者の不養生」という言葉があります。実際、内科医である私の周囲でも、喫煙がやめられない、飲酒量が気になる、多忙で食生活が乱れる、運動不足で体重が増えメタボ傾向など、決して理想的とはいえない健康習慣を持つ医師は珍しくありません。
さらに不養生につながりやすいのは、長時間労働や当直などの夜勤、重い責任とストレスといった、心身を壊しやすい職場環境も同時に抱えていることです。
その一方で、医師という職業には、専門的な医学知識、医療へのアクセスのしやすさ、比較的高い所得といった、健康を守りやすい条件も揃っています。そんな医師の寿命についての日本での研究は限られますが、欧米からの発表が近年相次いでおり注目を集めています。
■医師が不養生に見える理由
医師の喫煙率は、統計的には一般人と比べて決して高くありません。それでも医師がタバコを吸っている姿を見かけると、強烈な印象が残ります。白衣を着た「健康のプロ」が喫煙している光景は象徴的で、「なぜ医師なのに」という違和感が記憶に刻まれやすいからです。
飲酒についても似た構造があります。医療の世界は学会、研究会、送別会、歓迎会など、形式的に飲酒につながりやすい職場文化を持っています。
ワインが趣味という医師も多いです。ストレスを短時間で切り替える手段として、飲酒が習慣化すると量が増えやすくなります。加えて、医師という職業は自分の健康管理くらいできて当然という無言のプレッシャーがあり、弱音を吐きにくい雰囲気も根強く残っています。
肥満に関しては、勤務様式が直接的に影響します。当直、夜勤、オンコール待機があると、食事のタイミングは不規則になります。空腹の反動で高カロリーの食事に偏りやすく、食事の時間も長くは取りにくいので、ちゃんとした食事よりインスタントラーメンやファストフードなど超加工食品に手を伸ばしがちです。疲労と睡眠不足は食欲調節ホルモンにも影響を与えます。こうして体重が増えやすい環境が、構造的に整ってしまうのです。
さらに医師特有の意外な落とし穴が受診の先送りです。医師は自分の心身に不調があったとしてもその原因を理屈で説明できてしまうため、「忙しいから後で」「たぶん大丈夫」と自己判断で先延ばしにしやすい傾向があります。これは知識があるがゆえの罠で、健康のプロであることが逆に自分は例外という錯覚を生むこともあるのです。
■「医師は短命」という噂は本当か?
医師は短命という話を耳にすることがあります。
しかし近年の大規模な疫学研究は、少なくとも医師という職業全体の平均像としては、むしろ逆の傾向を示しています。
米国の2020~2022年の死亡統計を用いた研究(25~74歳を対象)によると、医師全体の死亡率は10万人あたり269人(10万人集めた集団があると仮定したとき、1年間に約269人が死亡する計算)と、同程度の高所得の一般職(499人)や一般職全体(731人)より低い結果でした。つまり、医師は全体としては長生きしやすい傾向にあったのです。
ただし一般の職では女性の死亡率が男性の約半分だったのに、医師ではほぼ同じという結果でした。これは女性医師が不利というより、医師という仕事の負荷が男女ともに強く、一般社会の女性で見られる事故・危険作業の少なさ、生活習慣、受診行動などの差が医師集団では小さくなるからのようです。
さらに女性医師は、勤務と家庭の二重負担、睡眠不足・慢性ストレス、当直や夜勤の影響、キャリア上の負担が重なりやすく、結果として女性の優位性が打ち消されたと解釈されます。
オーストリアの1998~2020年にかけての研究でも、医師の全死因死亡率は一般集団より低く、特に生活習慣関連の死因が少ないことが、全体の死亡率の低さにつながっていました。つまり統計的に見れば、医師という職業は必ずしも短命ではない。むしろ平均寿命で見ると一般集団よりも長生きする傾向があるのです。
とはいえ、ここで重要なのは「平均」という点です。平均値の裏側には、必ず偏りや例外が隠れています。医師の健康を考えるとき注目すべきは、医師全体の平均寿命だけでなく、医師がどんな死因のリスクを持ち、どんな場面でリスクが高まるのかという問題です。

■医師の過重労働が健康を壊す
医師の健康を語るとき、最も根本的な問題は過重労働です。WHO(世界保健機関)とILO(国際労働機関)は、週55時間以上の長時間労働が脳卒中や虚血性心疾患のリスク上昇と関連するとしています。長時間労働は心血管の病気による死亡増加に結びつく可能性があると、明確に警告されているのです。
長時間労働の影響は、心臓や脳血管だけにとどまりません。判断力の低下、医療事故のリスク増加、対人関係の摩擦、燃え尽き症候群(バーンアウト)の促進にもつながります。不養生は個人の意志の問題だけでなく、リラックスする時間を奪われた結果として起きる副作用という側面が強いのです。
医師は自分の専門診療科を選択しますが、最近、外科医の不人気です。人材不足の原因のひとつは過重労働。逆に、業務負担が比較的軽い美容外科の人気が高まっており、研修が終わったら修行をせず直接美容外科に就職する「直美」が話題になっています。
興味深いことに、外科医の寿命を他の専門の医師と比較した研究も発表されています。外科医の死亡率は10万人あたり約355人で、非外科医(約228人)より高いという結果でした。医師の中でも診療科・働き方で死亡リスクの差がありうるのです。

外科以外の医師との差は、外科という仕事に特有の働き方や職場環境、業務負担、生活習慣の違いに起因している可能性があります。原因別にみると外科医では交通事故が相対的に多く、長時間労働や当直などで疲労が蓄積した状態で運転する機会が増えることが背景にあるのかもしれません。
日本でも医師の働き方改革が進められていますが、これは単なる制度論ではありません。医師の健康を守ることは、同時に患者の安全を守ることでもあります。多忙や働きすぎ、睡眠不足で疲弊した医師が、正確な判断を下し良質な医療技術を提供し続けることは不可能だからです。
■自殺と薬物中毒という落とし穴
医師の総死亡率が低いという研究結果がある一方で、医師の世界に残る重い問題があります。それが自殺です。英国医師会誌に掲載された網羅的な研究では、男性医師の自殺率は一般人口と大きな差がない一方、女性医師では一般人口よりも高い推定が示されています。
オーストリアの全国データでも、女性医師の自殺率が一般よりも高いという所見が報告されています。米国の研究でも自殺の起こりやすさは、男性医師は期間全体で一般男性より低め、女性医師は年によって一般女性より高い年があり総じて女性で高めになり得るという傾向で、医師の長生きを語るときに女性のメンタルヘルス要因を外せないことを裏づけます。
さらに医療職には、致死性の高い薬剤にアクセスしやすいという構造的なリスクもあります。英国の医師集団の研究では、全体の死亡率は低い一方で、偶発的な中毒や自殺といった外因死の増加が見られるという結果が報告されました。
日本でもときどきニュースになっていますが、ストレスからか麻酔薬などに手を伸ばしている医師が出てしまうケースがあります。
医師全体の寿命ではなく、研修医の時期に限定して何で亡くなっているかを整理した研究もあります。2015~2021年に研修中に亡くなった例を分析し、死因として自殺が大きな割合を占め、キャリア初期がハイリスクになり得ます。医師に限らず、職場の健康対策は就職早期から必要なのだと思います。
これの背景には、長時間労働や睡眠不足だけでなく、より複雑な要因が絡んでいます。評価と責任の重さ、ハラスメント、職場での孤立、医師なのにメンタルヘルスで受診するのは恥ずかしいという心理的抵抗、相談先へのアクセスの弱さ。こうした複合的な要因が、助けを求める前に限界を超えてしまう状況を生み出しているのです。
■職業が健康格差を生む
ここまでの話は結局、医師も普通の人間だという当たり前の結論に戻ります。しかし同じ人間でも、仕事が違えば病気の出方が違うのです。
米国CDC(疾病予防管理センター)は、職業別の自殺率に明確な差があることを報告しています。建設・採掘業、農林漁業などで自殺率が高い傾向が見られます。
医師や歯科医のような高度専門職は、所得や医療アクセスという強みがある一方で、長時間労働、メンタルヘルスの問題、そして「助けを求めにくさ」という弱点を抱えています。
歯科医についても、自殺リスクを検討する研究が近年発表されています。つまり現代社会では、職業そのものが健康格差を生む構造になっているのです。医師の話は、決してひとごとではありません。
医師の健康問題から学べることは何でしょうか。それは「いくら知識があっても、職場環境が悪ければ健康は守れない」という事実です。医師は誰よりも健康知識を持ち、医療にアクセスしやすい立場にいます。それでも長時間労働、不規則な生活、強いストレス、助けを求めにくい文化という環境に置かれれば、健康を損なうリスクが高まります。どんなに健康に気をつけていても、働き方や職場環境が過酷であれば、心身は確実に蝕まれていきます。
特に注目すべきは前述した「助けを求めにくさ」という問題です。医師が弱音を吐けないと感じるように、日本の職場では「この程度で休むのは甘え」「周りに迷惑をかけられない」と自分を追い込むケースはよくあります。体調不良を感じたら早めに受診する。仕事がつらいと感じたら上司や産業医に相談する。眠れない日が続いたら、メンタルヘルスの専門家に相談する。こうした「助けを求める力」は、決して弱さではなく、自分の健康を守るための重要なスキルなのです。
■「医者の不養生」が教える働く人の健康
医師の健康問題から得られる大きな教訓は、回復時間の重要性です。WHOとILOが週55時間以上の長時間労働に健康リスクがあると警告しているように、過重な働き方は誰にとっても体と心を蝕みます。医師に多い不健康な状態も、休みなしの連続勤務や睡眠不足、不規則な食事、運動不足、ストレスの蓄積など、回復の機会が構造的に奪われた結果として起きています。
残業が常態化し、休日出勤が重なり、有給休暇も取れない状況が続けば、どれほど意識が高くても健康的な生活は維持できません。大切なのは「回復時間を確保する権利がある」と認識することです。定時で帰る、有休を取る、休憩や休日をきちんと取る。これらは怠けではなく、長く働き続けるための必要な投資です。
また、医師にさえ起こる「自分は大丈夫」という錯覚は、誰にも当てはまります。「若いから平気」「これくらいなら問題ない」と自己判断して受診を先延ばしにすると、重大な病気の発見が遅れることがあります。体調の異変を感じたら自己判断で片付けず、早めに受診する。健診で異常があれば放置せず、精密検査につなげる。結局のところ、この基本が命を守ります。
さらに、弱音を吐けない根性論の文化は医療界に限らず、多くの職場に残っています。制度整備だけでなく、同僚の不調に声をかける、休む人を責めない、無理を美徳にしないといった日々の振る舞いが、「助けを求めやすい職場」を作ります。医師の健康を守ることが患者の安全につながるように、働く人の回復を守ることは、組織の生産性と持続可能性にも直結します。

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谷本 哲也(たにもと・てつや)

内科医

鳥取県米子市出身。1997年九州大学医学部卒業。医療法人社団鉄医会理事長・ナビタスクリニック川崎院長。日本内科学会認定内科専門医・日本血液学会認定血液専門医・指導医。2012年より医学論文などの勉強会を開催中、その成果を医学専門誌『ランセット』『NEJM(ニューイングランド医学誌)』や『JAMA(米国医師会雑誌)』等で発表している。

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(内科医 谷本 哲也)
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