※本稿は、成田恵、市村洋文著『社長、30分だけ私の悩みを聞いてください!』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■企業内で、急増する社員のメンタル問題
日本では今、働く人の心の不調が深刻な社会問題となっています。厚生労働省の「患者調査(令和5年)」によると、精神疾患を有する人は約603万人に上り、過去20年間で約2.3倍に増加しました。その内訳の多くを、うつ病や不安障害といったストレス関連疾患が占めています。精神障害による労働災害認定件数も年々増加傾向にあり、従業員のメンタルヘルスの問題は、もはや個人の問題ではなく、企業の経営課題として取り組むべきテーマとなっています。
こうした背景のなか、企業が主導するメンタルヘルス対策の重要性が増しています。メンタルヘルス対策とは、厚生労働省の定義では、従業員の心の健康を保持増進するための組織的な取り組みを意味します。具体的には、メンタルヘルス不調を未然に防ぐための研修やストレスチェックの実施、相談窓口の設置や休職者の職場復帰支援プログラムなどを指します。企業全体の健康文化を育てる包括的な活動です。
厚生労働省の「労働安全衛生調査(令和5年)」によれば、メンタルヘルス対策を実施している企業は63.8%でした。
しかもここで問題になるのは、“導入している”という事実そのものではなく、その内容と実効性です。ストレスチェックを年に一度実施するだけ、形ばかりの相談窓口を置いているだけで利用されていないなど、「形だけの対策」にとどまり、支援につながる仕組みとして機能していない例も少なくありません。
■メンタルへルス「経営者の3つの誤解」
メンタルヘルス対策を進めていく上で、組織のトップである経営者の意識と理解は極めて重要です。経営層がメンタルヘルス対策を経営課題として位置づけ、その重要性を認識し、積極的に関与することで、企業全体の取り組みが進みやすくなります。
逆に経営者がメンタルヘルスに無関心だったり誤解があると、それは社内の文化や風土となり、従業員も不調を隠したり、相談をためらったりする傾向が強まります。ありがちなのは、以下のような誤解です。
■誤解1.「メンタルヘルス対策はコストでしかない」
メンタルヘルス対策に消極的な理由として多いのが「対策には費用がかかるだけで効果が見えない」という認識です。
外部の専門家に頼る場合でも、現在は無料・低コストで活用できる公的支援は多数あります。たとえば厚生労働省の「職場のストレスセルフチェック」や、地域産業保健センターが提供する健康相談サービス(従業員50人未満の事業所向け)は無料で利用可能です。産業保健総合支援センターでは、メンタルヘルス対策・両立支援促進員による助言や指導も受けられます。また年度によっては導入費用に対する助成金制度もあり、こうした制度を活用すればコストを抑えつつ、社内に取り入れることが可能です。
もちろん組織の健全化や活性化のためにより実効性のある対策を取り入れたい場合は、コストをかけてでも専門家によるコンサルテーションや相談窓口、研修を導入すべきでしょう。
厚生労働省の調査によると、メンタル不調によって長期休職・退職者が出た企業は全体の約1割に上ります。これは決して他人ごとではなく、どの会社でも起こり得る問題です。社員が1人休職・離職すれば、代替要員の確保や生産性低下で企業は大きな損害を受けます。
メンタルヘルス対策にかけるコストは単なるリスク対策ではなく、企業価値向上のための「投資」と捉えるべきです。
■誤解2.「メンタル不調は本人の甘え・弱さにすぎない」
今もなお、「うつになるのは本人の甘え」「根性が足りないから弱るのだ」といった誤解や偏見が根強く残っています。しかし、これは明確に間違いです。精神疾患は意志や性格の問題ではなく、脳の働きや神経伝達物質のバランスが崩れることで起こる「脳の病気」です。糖尿病や高血圧と同じように、誰にでも発症し得るものです。
うつ病や不安障害のようなメンタルヘルス不調では、脳の前頭前野や扁桃体などの働きが変化し、感情のコントロールや思考の柔軟性、判断力が低下します。つまり「考え方を変えれば治る」「気の持ちよう」といった精神論では解決できません。本人の努力だけでどうにかできるものではなく、体の機能の一部が低下している状態なのです。また、メンタル不調は「弱い人がなる」のではなく、むしろ責任感が強く、真面目で努力家な人ほど発症しやすいことが知られています。完璧主義で頑張りすぎるタイプの社員が、限界を超えても自分を追い込み続け、結果として心身が悲鳴を上げる――そんなケースは臨床の現場でも数多く見られます。これは「甘え」ではなく、「働きすぎる真面目さ」が裏目に出てしまった結果なのです。
経営層がこうした正しい理解を持たず、「本人の問題」と切り捨ててしまうと、社員は安心して相談できなくなります。結果として、不調を抱えたまま業務を続け、症状を悪化させて長期休職や離職につながるリスクが高まります。さらに、周囲の社員にも「弱みを見せてはいけない」という空気が広がり、職場の健全さが失われていきます。
経営者自身が正しい知識を身につけ、社員の不調を「甘え」ではなく支援すべき課題と認識することが重要です。
■誤解3.「メンタルヘルスは個人の問題だ」
「社員の心の問題に会社が関与する必要はない」と考える経営者もまだいるかもしれません。しかし、この見方も誤解です。厚生労働省による調査によれば、職業生活で強い不安、悩み、ストレスを感じている労働者の割合は82.2%に上ります。
その主な要因は、「仕事の量や質」「対人関係(セクハラ・パワハラを含む)」「仕事の失敗、責任の重さ」など、ほとんどが職場環境や業務上の要因です。メンタルヘルス不調が生じた場合、それを「本人の性格の問題」「私生活の問題」と片づけてしまうのは、現実を見誤ることになります。なぜなら、長時間労働、過剰なノルマ、評価制度の不公平、上司の指導スタイル、ハラスメントの横行など、組織の構造やマネジメントのあり方が、社員のメンタルヘルスを左右しているからです。
企業には、従業員の生命や健康を守る「安全配慮義務」が法的に課せられています。心の健康も当然その範囲に含まれ、過重労働や職場の人間関係に起因するうつ病や自殺が発生した場合には、企業側の責任が問われる可能性があります。
また従業員のメンタルヘルスは組織の生産性や離職率に直結しており、決して個人だけの問題ではありません。従業員の心身の健康が守られてこそ本来のパフォーマンスが発揮され、生産性向上や離職防止につながります。メンタルヘルス対策は組織全体の安定と成長に関わる重要な経営課題なのです。
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成田 恵(なりた・めぐみ)
臨床心理士
1990年生まれ。立教大学現代心理学部を卒業後、早稲田大学大学院にて臨床心理学を専攻し修士課程修了。心療内科やカウンセリングルームにおいて、認知行動療法(CBT)を中心とした支援に従事してきた。うつ、不安、PTSDといった幅広い症状に対応し、実践的な経験を積む。2020年より国立精神・神経医療研究センターに所属し、PTSDや摂食障害に対する治療研究に参加。持続エクスポージャー療法認定セラピストとして、トラウマ領域の実践にも携わる。現在はファーストヴィレッジ株式会社メンタルヘルス事業部にて、組織におけるメンタルヘルス向上を支援。科学的根拠に基づく心理学と実務の橋渡しをテーマに、企業向け研修や制度設計のサポートを行っている。
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市村 洋文(いちむら・ひろふみ)
ファーストヴィレッジ社長
1959年北海道生まれ。立教大学社会学部に入学。大学時代に流行の先を読み、学生向けスキーツアーを企画しビジネス化に成功。大学時代の売上60億円。83年卒業後、野村證券に入社し、30歳で月に600億円の売り上げを上げる証券マンに成長する。野村における最年少記録を樹立。37歳で野村證券の最年少支店長となる。野村において営業マン2万名の営業指導者となり、「野村證券伝説の営業マン」と呼ばれるようになる。39歳のとき、野村證券からKOBE証券(現インヴァスト証券)へヘッドハンティングされ、当時最年少での総合証券社長として活躍。280億円の預かり資産を1兆4400億円に増やし、2006年にKOBE証券を上場させることに成功。上場時価総額400億円をつくり、47歳でKOBE証券グループの社員数2500名の上場会社組織をつくり上げる。2007年、48歳で日本最大のビジネスマッチング・顧客紹介の会社をつくるべく、ファーストヴィレッジ株式会社を設立。38000人の経営者のネットワークをつくりあげる。著書に、『1億稼ぐ営業の強化書』(プレジデント社刊)など。
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(臨床心理士 成田 恵、ファーストヴィレッジ社長 市村 洋文)

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