■早朝から行列、30分で売り切れるアスパラ
「子どもが熱を出していて。瑞雲ファームのしいたけとアスパラがめっちゃ好きなんです。『食べたい!』って言うから買いに来ました」
2025年10月末、取材中のことだった。熱のある子どもをワンボックスカーに乗せた女性が、伊賀の山々に囲まれた農地にポツンとたたずむ自動販売機をめがけてやって来た。残念ながら前日にアスパラの収穫は終わり、しいたけは自動販売機に入れると品質が下がる気候のため販売していなかった。
「もう少ししたら自動販売機を開けるので、インスタでご報告しますね」
丁寧かつフラットに説明するのは、瑞雲ファーム代表の中井奈緒美さん(44)。熱があっても子どもが「食べたい」と求めるアスパラとは……。筆者が驚いていると、奈緒美さんは静かに微笑んだ。
「春採れアスパラの時期は朝6時前からお客さんが自動販売機に並んでくれはって、30分で売り切れることもあるんです」
35歳まで土を触ったこともなく、農業がしたいなど1ミリも思っていなかったという奈緒美さん。それが今では約50メートルの長さがあるアスパラハウス13棟、しいたけハウス1棟、ブルーベリーハウス2棟を持ち、年商2000万円超を稼ぐ。
なぜ、農家になったのか。
奈緒美さんが結婚したのは2009年。同じ年、農林水産省を定年退職した義父の忠司さんは、伊賀の寒暖差がある地形を活かしてアスパラ栽培を始めるため、ビニールハウス8棟を建設。「日本一のアスパラ農家になる」と宣言した。
忠司さんは地区の人から一目置かれ、家族からも尊敬される存在だった。「口数は少なく寡黙だが、賢い人」と奈緒美さんは目を細めて振り返る。
当時の奈緒美さんにとって、アスパラは「お義父さんが育てている作物」に過ぎなかった。玉ねぎやじゃがいもと違い、スーパーでは高くてなかなか手が出せない嗜好品レベルの野菜。週1回、夫の実家でご飯を食べた帰りにもらうのが楽しみだった。
しかし2016年5月、アスパラの収穫最盛期に忠司さんは突然この世を去った。
家族は崩壊寸前だった。義母は消沈し、夫はふさぎ込み、当時6歳だった息子にはチック症状が現れた。
「このままじゃ、家族みんながあかんことになる」
ハウスを他の農家に委託することがまとまりかけていた矢先、奈緒美さんの口から言葉がこぼれ落ちた。
「私が、やるわ」
■「ダサい、汚い、儲からない、時間がない」を払拭する
農業経験はゼロで、土に触ったことすらない。それでも、忠司さんが7年間頑張ってきたものをなくしたくない思いがあふれて出た。
「初心者の私が『継ぐ』って言ったら家族は協力せざるを得なくなるし、前を向くきっかけになるかもしれないと思って。それに、ここでアスパラをやめたらお義父さんの生きてきた証しを全否定されるような気がしたから」
義父が亡くなって1週間も経っていなかったが、迷いはなかった。
「ダサい、汚い、儲からない、時間がない」。農業にネガティブなイメージを抱いていた奈緒美さんは、農家になると決めた以上、このイメージを払拭しようと考えた。
「かっこいい農家になる」と心に決め、その日のうちにオリジナルの作業着を作り、自分の好きなスタイルで作業することにした。これは、誰かのためじゃなく、自分のモチベーションを保つため。
■「どうやって収穫すんの?」から始まった
義父を失った悲しみに浸る暇はない。
唯一相談できたのは、義父の弔問に来てくれたJAの指導員だった。すがるように助けを求めると、指導員は薬品の量やタイミング、収穫方法、収穫後の育て方など、すべてのスケジュールを立てくれた。毎日電話し、畑にも来てもらった。それでも、収穫したアスパラは全部廃棄しないといけない品質。「もう、ほんまにしんどかったです。やり切れん気持ち」
さらに農家になって早々、朝夕の1日2回の収穫に追われた。農繁期は朝4時半から収穫。11時に2回目。
「どうやって生活していたのか、本当に覚えてないんです。ご飯は作っていたのかな? 必死すぎて記憶がなくって」
ただ、唯一覚えているのは、伊賀のアスパラ部会の会議にはすべて出向いたことだった。もともと人見知りだったが、「中井さんとこのお嫁さんやで」と紹介してもらいながら、少しずつ横のつながりを作った。
「分からないから教えてもらわないといけない。個人で事業をする以上、地元の農家とつながることが一番大事だと思いました。10年目の今でも分からないことは聞きます。毎年気候が違うから、『去年はこうだった』が通用しない。経験を積んで引き出しが増えただけで、毎年一年生のようなもんです。分からへんものは分かる人に聞いた方が効率的じゃないですか」
■「あんたたち、見とけよ」
継ぐと決めた当初、近所の反応は冷たかった。
「あんな嫁には、できひんわ」
「すぐ辞めるやろ」
「継ぐんやったら、なんでもっと早く継いでやらへんかったんや」
奈緒美さんのファッションやヘアスタイルを見て陰口を叩く人たちがいた。もちろん、「そんなこと言わんとき! あの子も頑張ってるんやから」と怒ってくれる人、道具を貸してくれる人、作業を教えてくれる人もいた。応援してくれる人の方が圧倒的に多い。
だが、たった1割の心無い言葉でも、義父を失った直後の心と、農業未経験の不安を深くえぐるには十分だった。同時に、誹謗中傷の声は反骨精神に火をつける養分にもなる。
「あんたたち、見とけよ」
2016年6月、義父の戒名から「瑞雲」を借りて、瑞雲ファームを設立。何くそ根性だけが、前に進む原動力だった。
■売り場で目立つパッケージでファンを増やす
継ぐと決めてから、栽培と同時に販路の開拓にも動いた。というのも、義父の販路はJAだけ。しかしそれでは自分で値付けできないうえ、他の農家のアスパラと混ざる「共撰」になる。農業で収益を上げるなら、いろいろな場所に置くのは必須だと考えた。そこで注目したのは、地元スーパーの地場産コーナーだ。
運営元のマックスバリュ東海に「どうやったら地場産コーナーに置けるんですか?」と直接電話。中間業者がいると分かり、すぐに繋いでもらった。JAが運営するスーパーのAコープは、JAに直接聞いて置き方を知った。まだ収穫もままならない時期から、市内のスーパーへの販路を広げていったのだ。
さらに、手に取ってもらう仕掛けとして包装のデザインも工夫した。まるで贈り物のようなラッピングや、奈緒美さんをキャラ化したイラストのシール。地場産コーナーの中でも目に留まりやすいよう、「瑞雲ファーム」の名前を前面に出すことにこだわった。
「消費者だった頃、『この人の作物いつも美味しいよな』と名前買いしていたんです。だから生産者になるなら『瑞雲ファームのアスパラおいしいな』と思ってもらいたい。ブランドとして出して、ファンを増やしたかった」
この作戦は功を奏し、「瑞雲ファームのアスパラ」として市内の人に認知されるようになった。冒頭の女性も、最初はスーパーでアスパラを見かけたのがきっかけだという。
■伊賀市民も知らなかった特産品アスパラ
栽培、販路開拓と同時に、インスタグラムも開設した。目的は全国のアスパラ農家とのつながり。栽培の様子、納品の様子、梱包のデザインなどを発信し、少しでも知識を吸収したかったが、次第に別の思いも芽生える。
「伊賀のアスパラを知ってもらいたい」
伊賀市で育ったにもかからず、奈緒美さんはアスパラ部会に入って初めて、アスパラが伊賀の特産品の一つであることを知った。市内に30軒以上のアスパラ農家がいることは知らなかった。周りの友人も、誰も知らない。伊賀といえば伊賀米や忍者ばかりで、伊賀市民でさえアスパラの認知度が低いことに奈緒美さんは衝撃を受けた。
「伊賀のアスパラ生産者は高齢者が多く、PRするツールを知らない人がほとんどでした。『だったら私のSNSで知ってもらおう』と思って」
■インスタから始まった全国発送
ある日、インスタグラムにDMが届いた。「アスパラ食べてみたいです! 発送はしていますか?」
発送か――! そこで初めて全国発送という選択肢に気づいた。
DM、LINE、電話、メールで注文を受け付けたところ1~2年目はシーズン中に2、3件。3年目から口コミで徐々に増えていった。
転機は2018年5月。東海地方のローカル番組に取り上げられると、放送直後から電話が24時間鳴りやまなかった。「私が電話を取れて注文を受け付けられた人はラッキー。何回かけても繋がらないという人もいて、大変でした」と苦笑する。
翌年、全国放送の出演が決まると、さすがに電話対応は無理だと判断して、急いでオンラインショップを立ち上げる。現在は春に収穫した「春採りアスパラ」だけで年間数百件の注文が入る。売上は5年間で3倍に伸びた。
「明確にブランド化しようとは思っていませんでした。『こうしよう、ああしよう』とやってきたことが、結果的にブランディングになっていった。瑞雲ファームのアスパラを食べてほしい一心やったから、狙ったわけではないんです」
■小4の息子の一言から生まれた「アスパラの根元のお茶」
ブランディングは狙っていないが、目の前の課題を一つずつ解決していく中で新たな価値が生まれたことがある。アスパラは、出荷先の規定により根元を5~7センチカットしなければいけない。奈緒美さんは、就農後すぐから「何かに使えないかな」と考えていた。
根元に光が差したのは、2019年の夏休み。当時小学4年生の息子が加工場にある業務用野菜乾燥機に興味を示した。「アスパラの根元入れていい?」。それは、遊びの延長だった。
翌日、乾燥機を開けると強烈な草の匂いが広がる。「うわ! これ、草やん!」と顔をしかめる奈緒美さんに息子があっけらかんと言った。
「ママ、これお茶にしてみたらいいんちゃう?」
半信半疑でフライパンで焙煎し、お湯を注ぐ。口に含んだ瞬間、確信した。これは、絶対売れる――。
後に伊賀市のまち塾で商品化が決まり、「明日晴れる」と書いて「アスパラ」と読ませるネーミングで特許も取得。今ではオンラインショップで年間数百万円を売り上げる。生のアスパラと並んで、明日晴茶もふるさと納税の返礼品に採用された。
地場産コーナーとオンラインショップ、ふるさと納税。販路は着実に広がっていった。すっかりやり手の農家というイメージの奈緒美さんだが、実はこれまで「なりたいものはなかった」と言う。
■農業は初めて自分で決めた道
奈緒美さんは大阪で生まれ、2歳から伊賀市で育った。幼少期はいつも母親の後ろに隠れる人見知り。黙々とものづくりをするのが好きだった。母の実家が呉服屋だったこともあって幼い頃から針を持ってティッシュケースを作ったり、段ボールで自動販売機を作ったりした。小・中学校はバスケ部、高校では硬式テニス部に所属し、部活漬けの日々。将来何がしたいかは考えたことがなかった。
保育の短大に行ったのは「友達が行くから」。卒業後は半年間コンビニで働き、その後保育士になったのも「友達に誘われたから」。8年間働いて結婚を機に退職し、「雇われるのはもういいかな」と漠然と思うものの、何をするかは決めていなかった。
流れるように生きてきた今、農繁期は朝4時半から畑に立つ。一人で黙々と作物に向き合い、誰にも指図されない。初めて自分で「やる」と決めた道が、農業だった。個性的なヘアスタイルとファッショナブルな作業着も注目され、後にさまざまなメディアから「そのスタイルは目立つための戦略ですか?」と何度も聞かれたが、そうじゃない。自分の軸を持ち、貫いているだけ。それが結果的に、瑞雲ファームのブランドになった。
■「しんどい」と思ったことはない
「たぶん私、農業が合ってるわ」。継いで2年目、ふとそう思った。ものづくりが好きだった少女は今、農業というものづくりに没頭している。
就農9年、一番しんどかったことは何か。奈緒美さんに聞くと即答だった。
「やっぱりお義父さんのことやね。それ以上しんどいことは今までなかった」と、目を伏せる。
2018年に台風でハウスが半壊し、600万円の修理費がかかった。それでも「しんどい」とは思わなかった。義父を失ったあの日を超えるものは、まだない。
■「やるか、やらへんか」しかない
ハウスが半壊したとき、奈緒美さんの頭の中は、「修理費600万円をどうやって回収するか」。それだけだった。
友人たちは奈緒美さんのことを「考えてそうで、考えてなさそうで、考えている。だから、誰もマネできない」と評する。
昨年から着手したブルーベリー栽培も、夫に「お義父さんのハウスのアスパラの株が弱ってきているから、8棟中2棟をブルーベリーにするから」と告げるだけ。やると決めたら相談はしないし、悩まない。
「『やるか、やらへんか』の二択です。『ちょっと考えよう』ってこともしない。迷っているうちはやりません」
今年の夏に初めて収穫するブルーベリーでジャムを作ると決めていて、ラベルのデザインはもうPCに入っていると無邪気に笑う。「マイナスのリスク? いいのか悪いのか分からないけど、うまくいくことしか考えていません(笑)」
“私が勝つ”。アスパラガスの花言葉の一つだ。義父の死をきっかけにアスパラ栽培へ流れ着き、誹謗中傷を自らの行動で払拭した奈緒美さんは、まるでこの花言葉を体現するように畑に根を下ろす。
次なる一手は、4500個のしいたけの菌床。アスパラ収穫後の10月から始まる、もう一つの挑戦だ。それは後に、3年連続金賞の快挙と、年商約1000万円という数字を生み出すことになる。
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みつはら まりこ
フリーライター
1986年生まれ、香川県出身。大学卒業後、大手コーヒーチェーン店で6年、薬局事務8年の勤務を経て、2022年に独立。現在はインテリアデザイン・SDGs・社会福祉分野を中心に、オウンドメディア・PR記事・地方自治体の広報など幅広く執筆中。従来の常識や価値観をそっと解きほぐし、新しい生き方や心の豊かさに光を当てながら、誰かの小さな一歩となる記事を目指して取材を行う。
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(フリーライター みつはら まりこ)

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