■「記者への批判は法的措置」を匂わせた東京新聞
東京新聞編集局が出した声明文が、注目を集めている。1月26日に出された文面では、「記者が取材する様子を撮影した動画などを、侮辱的な言葉とともにネット上にアップする行為」があり、東京新聞記者もその対象になっているとして、場合によっては発信者情報開示請求や損害賠償請求、刑事告訴を含めた対応を取ると記載されている。
社員を守る盾になるという、会社の姿勢を打ち出したものだが、ネット上の反応は芳しくない。加えて東京新聞は1月1日朝刊に掲載された特別報道部長のコラムについて、X投稿を本来の意図と異なる文脈で引用したとして削除・謝罪したばかりということもあり、批判的な論調は絶えない。
ただ、こうした「記者保護」の姿勢を打ち出しているのは、東京新聞だけではない。朝日新聞は1月27日、同日に公示された衆議院選挙を念頭に置き、2025年6月に発表した「選挙報道の基本方針」を踏まえた報道に務めると宣言。方針には、「取材・報道にあたる記者が誹謗(ひぼう)や中傷を受けた場合は、法的措置を含めて、社として記者を守ります」といった内容も含まれていると、改めて告知した。
選挙報道をめぐっては、2025年7月の参院選直後、神奈川新聞がとある政党から会見出席拒否をされたとして、抗議声明を出していた。SNSを中心に、政治をめぐる論調が先鋭化しつつあるなか、メディアが「予防線」を張りつつあると言えるだろう。
■「名物記者」がその媒体のイメージを左右する時代
メディアが対決姿勢を示す背景には、とくにネット上における記者への風当たりの強さがある。「報道」が特権的な立場にあることに対しては、かねて批判的な声が出ていた。
加えて無視できないのが、「名物記者」の存在だ。SNSや動画配信の普及により、記者それぞれの取材活動が可視化された。その結果、記者それぞれの言動が、良くも悪くも媒体イメージを左右するようになったのだ。
一部記者のタレント性ばかりが周知されてしまうと、読者の評価軸が「真実を暴き、白日の下にさらす」といったジャーナリズム精神ではなく、「記者それぞれの課題意識や筆致」へと移る。つまり編集部でのチームプレーから、記者の個人プレーになってしまうおそれがあるのだ。
そして、報じられた記事(成果物)ではなく、取材の様子(プロセス)に対価を払う、ファンビジネスのような共感ベースの経済圏が生まれつつある。そうなると、正確性や社会的インパクトといった事実より、ストーリーが重んじられてしまう。
■組織に所属する記者が持つ「特権」
しかし、そこで忘れてはいけないのが、どれだけ強い個性や能力を持っていても、あくまで「媒体」の看板で勝負しているということだ。雑誌などでは、正社員以外に業務委託の記者も珍しくないが、新聞記者は「雇用」という強い盾に守られていることが大半だ。
筆者は数年前まで、ネットメディアの運営企業で、正社員として働いていた。現在はフリーランスで、執筆や編集から販売、経理まで1人でまかなっている。
加えて、マスメディアの多くは記者クラブ制度により、大企業や政府・行政機関などにも、容易にアクセスできる権限を持っている。同じメディア業界でも、既得権で守られている側の存在であることは指摘しておかなければならない。
しかしながら、一部記者の振る舞いを見ていると、組織より「個」を優先し、ブランドイメージを良くも悪くも左右していると思わせる瞬間が確かにある。質問と称しているが、これは「不規則発言」でしかないと感じるシーンは、これまで幾度となく会見で繰り返されてきた。
■「子どものケンカに親が出てくる」アンバランスさ
改めて言うまでもないが、法人と個人は別だ。もちろん黙認している媒体社側にも問題はある。ただ記者側も、どれだけ個としての評価が高まっても、対外的には「その媒体に所属している人間だ」と認識されることを忘れてはならない。
こうした構図がある中で、冒頭の各社声明が出されると、「子どもが売ってきたケンカなのに、いざ買うと親が出てくる」といったアンバランスさを感じさせてしまう。そのギャップが、読者の不信感を呼んでいるのではないか。
実は私も会社員時代、当時配属されていたニュースサイトの肩書で、1年ほどラジオ番組のレギュラーを担当したことがあった。しかし、媒体名を背負っての発言には責任がある。
組織を離れた今であれば、自分の責任において、より踏み込んで物事を言えるだろう。筆者の場合は、背負い込みすぎだったのかもしれないが、「自分の言動によって、所属組織の印象がどう変わるか」を意識していたことは、今でも間違いではないと思っている。
■メインディッシュは情報であることを忘れてはいないか
SNS上では、ここ最近よく「編集者は黒子であるべきか」論争が起きている。編集者は著者が作り出したコンテンツを引き立てる存在で、表に出るべきではないとの考え方で、ここまで述べてきた、“出たがり記者”への批判にも通底する。
個人的には、表に出てもいいと考えている。しかしそこには条件がある。「あくまでメインは個人ではなく、コンテンツでないといけない」という縛りだ。付加価値を与えるのであれば、どんどんとやるべき。しかし主従関係が狂うのならば、やめたほうがいいとの考えである。
あくまでメインディッシュは情報であり、伝える人々は料理人だ。「誰が作ったか」は評価されても、最終的には料理そのものでジャッジされる。
■久米宏は情報を見事に「味付け」していた
つい先日、久米宏さんの訃報が流れた。彼がメインキャスターを務めた「ニュースステーション」(テレビ朝日系、1985~2004年)は、まさに「久米シェフだからこその味付け」で楽しむ料理が提供されていたと感じる。
ただし、ここでの久米さんは、フリーアナウンサーであり、テレビ朝日そのものの人間ではなかったことは考慮しておかないといけない。しかし「出入り業者が看板を背負う」ことの意味と責任を、しっかり局と所属事務所(制作会社)が把握していたからこそ、これだけ愛されていたのではないか。
重要なのは「この人のフィルターで見たい」と思わせることができるかだ。数日前には、宮根誠司さんが司会を務める「情報ライブ ミヤネ屋」(読売テレビ・日本テレビ系、2006年~)が、この秋に終了すると、各社が「関係者への取材」として報じた。
アンカーパーソンが、時事系コンテンツを伝えるべきなのか。その意義が問われている現状で、取材者は個を出すべきか、黒子に徹すべきか。これからさらに、その立ち位置も代わっていくのだろう。
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城戸 譲(きど・ゆずる)
ネットメディア研究家
1988年、東京都杉並区生まれ。日本大学法学部新聞学科を卒業後、ニュース配信会社ジェイ・キャストへ入社。
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(ネットメディア研究家 城戸 譲)

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