念願のマイホームを建てた矢先、転がり込んできた義母の様子が次第におかしくなってきた。腎臓の不調に加え、幻聴幻視の症状も出て、徘徊も始まった。
認知症の悪化とともに、多田さんに対して敵意をむき出しにし始め、暴言やものを投げつけてくるようになった。さらに実母も介護が必要に。献身的にケアをして義母・実母を見送った後、医師からは非情な告知が。打ちひしがれていると、夫は耳を疑うような言葉を口にした――。(後編/全2回)
前編のあらすじ】多田春子さん(現在60代)の夫は公務員で転勤族だったため、結婚してからの約10年間、各地を転々としてきた。50代目前になり、やっと転勤生活が終わり、念願の一戸建てを多田さんの実家近くに建てる。すると遠方にいた70歳の義母が、突然転がり込んできた。義母は夫を溺愛しており、過干渉で自分勝手。渋々同居が始まったが、多田さんは安眠を妨害され、自分の持ち物を勝手に知らない人に貸されるなど、義母に振り回される。そして同居から約6年経った2013年の夏頃。義母は腎臓の数値が悪いことが判明し、「腎不全」と診断された上、認知症を疑う言動が現れ始めていた。
■義母にできた彼氏
何の前触れもなく多田春子さん(現在60代)が夫と子ども2人で住んでいた新築の家にひょっこり現れ、住み始めた義母。
71歳になった頃、体操サークルに入った。そして翌々年、なんと義母より6歳年上の“彼氏”ができた。関西出身で「一部上場企業に勤めていた」という彼氏は妻に先立たれ、2人の子どもは独立していた。
義母が、彼氏の家と多田さんの家を数日ごとに行き来する生活を始めると、あまり義母と関わりたくない多田さんは喜んだ。
ところが、多田さんはたまに帰ってくる義母に違和感を持ち始める。前回帰ってきた時の話を忘れていることが増え、足の動きも悪くなり、幻覚や幻聴もあるようだった。
「幻聴は、外で人が騒いでいるとか、夜中に人が来て戸や窓を叩いた……などが多かったです。驚いたのは、その頃にはもう、携帯電話をうまく使えなくなっているにもかかわらず、誰かと話をしていたので、『誰と話していたんだろう?』と思って後で履歴を見たら、履歴がないのです。つまり、1人で、幻聴で話をしていたんです」
こうした「幻聴で(1人で)話す」は、実は周囲が気づきにくいだけで、認知症患者、特にレビー小体型認知症でよく見られるエピソードだ。
また、義母は幻視もあった。
「誰もいないのに人が来たとか、何もないのに物があるとか、認知症初期の頃は『駐車場に知らない車が止まっていた』など、ちょっとリアルな感じ。そのうちに、部屋の中に『人がいる』『虫が湧き出てきた』『火が燃えている』『電車が走っている』など、だんだん現実とかけ離れていきました。
『布団に人が座っている! 怖い!』と泣くので追い出す振りをしたこともあります」
多田さんが夫に病院の受診を勧めたが、「年からしかたないよ」と流されてしまっていた。
一方、多田さんの母親は、2005年にリウマチや慢性気管支炎などが判明。それをきっかけに、多田さんは週1ペースで72歳の母親の通院の送迎を行うようになっていた。
多田さんの家から実家までは車で20分ほど。週1で母親に会い、病院までの行き帰りに、義母の愚痴を母親に聞いてもらっていた。
それから10年経った2015年。84歳で要介護認定を受けたところ、母親は要支援1。3歳下で独身会社員の弟が実家で同居していたため、食事の世話などは弟がしていた。
同じ年、義母の彼氏が「胃がん」と診断された。「彼氏にもしものことがあれば、義母が“出戻って”きてしまう」という危機感を抱いた多田さんは、彼氏の快復を祈った。
しかし翌年、彼氏は亡くなった。
多田さんの家に戻ってきた義母は、明らかに老いていた。
2014年に「腎不全」と診断されてからほぼ1日おきに透析に通っているが、その度に居眠りするようになり、2017年になる頃には短期記憶が10分と保たなくなる。
それでも平日は仕事であまり関わることのない夫は、義母が認知症だということを理解しなかった。
■手のかかる認知症患者
2017年5月。ようやく義母に介護認定を受けさせると、要介護1だった。
腎不全で週に3回に通っている病院の神経内科で認知症検査を行うと、アルツハイマーと診断。治療を開始するとともに、デイサービスも申し込む。
だが、義母はデイサービスに抵抗し、さまざまな問題起こした。
「デイ(サービス)など必要ない」と拒否し、デイのある日には逃走するように。腎不全や認知症だけでなく、身体の動きも悪くなっていたので、逃走先で転倒して救急車を呼ばれたり、パトカーで送られたりすることが頻出。
さらに、透析の日は13時過ぎに帰ってくると、食事制限をしているにもかかわらず、勝手に出かけて外食をしたり、買い食いしたりするように。そのため、デイサービスの送り迎えには多田さんが必ず立ち会い、勝手に出かけないように見張った。だが、隙をついて出かけては何かを食べていて、義母の年金(2カ月16万円)はほぼ食べ物に消えた。

短期記憶が怪しくなってきたのに通院の付き添いを拒む義母に多田さんは、夏頃からはヘルパーを頼んだ。それでも「1人で行ける!」と言って暴れ、ヘルパーの手を煩わせた。
その上、義母は認知症の悪化とともに、多田さんに対して敵意をむき出しにし始めた。おそらく理性で抑えていたものが、認知症によって出てきてしまったのだろう。「気が強くてかわいげがない」「嫁のくせにうるさい」などの暴言を吐くだけでなく、「私はあんたの旦那様の親や! 言うことを聞け!」と言って叩いてきたり、テレビのリモコンや新聞などを投げたりしてくる。
「子どもの嫌々と同じで、駄々っ子状態です。義母の同居や介護がつらかった私は、同じように介護をしている人のブログを読んだり、愚痴を書いたりしていましたが、辛抱強くお世話して、温かく守るとか、信頼を得て介護するなどと書かれているのを見ると、『相手が敵意むき出しでかかってくるのに? 何を言われても何をされても我慢しないとダメなの?』と思えて、『こんなふうに思う自分はダメ人間なの?』と気落ちしたり腹立たしい気持ちになったりしました」
徘徊も始まった。徘徊中に転倒しては、通りすがりの人に救急車を呼ばれ、救急隊員に乗車拒否をしては周囲を困らせていた。
10月頃に歩けなくなると、這いずってでも徘徊に出かけようとするように。だが言葉が出づらくなるとともに、暴言はなくなった。
腎不全で通院している総合病院で検査してもらったところ、義母はパーキンソン病を発症していた。11月には自分で起き上がることすらできなくなると、多田さんが朝、起こして車椅子に移譲させるところから世話をしなければならなくなる。
すると、一時はあれほど敵意をむき出しにしてきた多田さんに対して、今度は依存気味に。
朝ご飯も食べさせなければ1人では食べられず、身支度や着替え、トイレももちろん介助が必要。紙パンツを使うようになっていた。
■原因不明の衝撃的な頭痛
2017年10月。52歳の多田さんは衝撃的な頭痛に見舞われ、その時唯一家にいた19歳の次男が隣人に助けを求めたところ、隣人が救急要請してくれた。
搬送先の病院でMRIなどの検査を受けたが、結局頭痛の原因は特定できなかった。義母と同居を始めてから睡眠が安定していなかったことを話すと、医師には「睡眠不足とストレスではないか」と言われた。
「痛み止めの点滴2本で頭痛は落ち着き、検査しても緊急性のあるものはありませんでした。血圧も少々上がったけれどすぐに普通に戻り、発熱もなく、血液検査もコレステロールと肝臓の数値が高いこと以外は問題がなく、『後日、通いやすい病院に行くように』と指導されただけで帰されました」
多田さんが救急搬送されたことを機に、今まで義母のことを多田さんに丸投げ状態だった夫が、ようやく重い腰を上げた。
「平日の昼間不在な夫は、義母の認知症を一向に認めようとはせず、長い間イライラさせられました。でも私が倒れてからは、朝は義母の身支度や食事の世話をしてから出勤し、帰宅後も義母が寝るまで世話してくれるようになりました。病院の付き添いもしてくれるようになり、特に、便秘がちな義母は摘便が必要なことが結構あり、『私にさせるのは申し訳ない』と言って、やってくれたのは助かりました」
22歳の長男はすでに社会人、19歳の次男は大学生だったが、仕事や学校に支障が出ない程度に手伝ってくれた。

多田さんが倒れた後、最初の義母の腎不全の通院日に付き添った夫は、義母の主治医に何を訊ねられても答えられなかったため、
「あなたのお母さんなのだから、あなたがやらないと、奥さんがまた倒れるよ」
と叱られたことも、夫が変わるきっかけになったようだ。
車椅子生活になってからの義母は、寝ていることが多くなった。
「夜眠った後、泣いたり叫んだりしながら起きることがよくあり、私は睡眠不足になりました。夫が4時半くらいに起きると、出勤時間までは見ていてくれて、長男がまだ家から通勤していた頃は、6時くらいから義母を見ていてくれました」
救急搬送されて以降、なかなか体調が戻らなかった多田さんは、実母の通院の送迎はできない日が増えたため、3歳下の弟に代わってもらうように。ただ、時々実家に行くと家の中が荒れてきていて心配になったが、自分の不調と義母の介護でそこまで気が回らなかった。
■暴君の最期と母親への負い目
11月、多田さんの頭痛が度々起こるようになると、夫が多田さんの通院の送迎をするように。家事も介護も回らなくなり、義母はショートステイの利用を始めた。
2018年2月。義母に関わる看護師、介護士、ケアマネジャーから「アルツハイマーではなく、レビー小体型認知症では?」と言われ、専門病院を予約。ところが予約を入れた日。ショートステイ先で風邪から腹痛を起こした義母は、腎不全で通院している病院に緊急入院することになり、結局、何型認知症なのかは分からずじまいになった。
2018年2月に義母が入院すると、多田さんは母親の週1の病院の送迎を復活。すると多田さんは、しばらく会わない間に母親の短期記憶が悪くなっていることに気づいた。家の中は荒れていて、冷蔵庫の中はぐちゃぐちゃ。腐ったものや賞味期限切れのものが押し込められていた。
要介護認定を受けると要介護1。すぐにデイサービスを契約した。
入院した義母は、3月の区分変更で要介護1からいきなり要介護5となり、2018年7月末には心臓が透析に耐えられないほど弱ったため、透析を中止。
8月に病院で亡くなった。81歳だった。
「義母の介護で最も大変だったのは、腎不全があるという点でした。認知症だけならそのための検査入院もできますし、薬もマッチングのうまい病院があり紹介もしてもらいましたが、『腎不全の患者は受けつけられない。透析に行くときには家族が送り迎えしてほしい』となるんです。特養に相談しても、やはり『腎不全の患者は受けつけられない。透析に行くときには家族が送り迎えしてほしい』などの制約があり、病院から透析施設まで巡回車が出ているところで探しましたが、なかったんです」
義母は高血圧から腎不全になっての透析だったが、昨今は糖尿病から腎不全になっての透析になるケースが多いという。重度の糖尿病だと受け入れられる施設が限られるため、糖尿病予備軍の人は気をつけたい。
母親は9月に認知症検査を受けると、「軽度の脳血管性認知症」と診断が下りた。脳血管性認知症とは、脳梗塞や脳出血などの脳血管障害が原因で起こる認知症だ。初期症状としては、「まだら認知症」と呼ばれる症状の波が特徴的で、認知機能の低下に加え、運動麻痺や言語障害などの身体機能障害を併発することが多い。
多田さんは、「義母の介護と自分の体調不良のせいで母の認知症を悪化させてしまった」という負い目を感じ、それからは毎日のように実家に顔を出し、母親の世話をするようになる。
2019年2月。母親は肺気腫(肺胞が壊れる病気)と肺線維症(肺が硬くなる病気)が併存する気腫合併があり、肺活動が悪く、酸素濃度が薄いことが判明。「動くのが面倒、しんどい」と言ってデイサービスや入浴を拒否し始めたため、訪問看護を契約した。
■義母と母、2人の介護の果てに
血中の酸素濃度が低下した母親は、常に酸素ボンベを必要とするように。さらに、11月に肺炎を起こして入院すると、「気腫合併肺線維症」と診断され、主治医の「息子さんと同居だが、昼間に1人にしておいては危ない」との言葉を受け、12月に有料老人ホームに入居。費用は母親の蓄えと年金で賄った。
「肺がんの可能性もある」と言われたが、88歳と高齢なため、様子を見ることに。
2020年6月には車椅子生活が始まり、要介護3になったが、コロナ禍のため面会ができなくなる。
2021年4月には要介護4に。2カ月に1度くらいの頻度でしか会えず、会話が噛み合わなくなった。
そんな2023年9月。友達と旅行に出かけた多田さんだったが、3カ月ほど前から咳が出始めると止まらない症状に悩まされていた。
そして旅先で軽い坂道を駆け上がった時、突然呼吸困難に陥った。何とか呼吸を取り戻すが、同行の友人の勧めで病院を受診すると、「肺の音がおかしい」と言われ、レントゲンを撮る。すると多田さんの肺は真っ白。「肺腺がんステージIV」と告知された。
「私のがん告知後、夫は自暴自棄のようになり、『俺なんて、もう死んだほうがいいんだ』などと言い出しました。笑っちゃいますよね。余命生活になる私を目の前にして言う事じゃなかろうと。私は腹が立って、『さらなるストレスで私を殺したいの? 義母ストレスで倒れた上に、肺腺癌ステージIVなんだけど。私は今のままだと、来年の今頃は生きていないけど、そんな私にそういう事言うんだ』と言ったら、ようやく理性が戻ったようで、その後は言わなくなりました」
自己憐憫に陥っていたのだろうが、完全に相手を間違っている。夫も後悔していたのだろうが、まさに後悔先に立たずだ。
多田さんは母親の介護のキーパーソンを弟に任せ、自分の治療に専念することに。母親は2024年1月、93歳で亡くなった。死因は老衰による自発呼吸の停止だった。
2人の母親を最期まで看取り、文字通り満身創痍になってしまった多田さんだが、後悔はないのだろうか。
「できる限りの事はしましたが、今思えば義母が大変だった時が母も分岐点だったと思うので、『しまった』と思いました。義母はあんなに面倒を見たのに、実母は早々に施設にお願いする状態になったことが悔やまれます。夫が、『我が家に引き取るか?』と言ったのですが、その時はもう私の身体が無理でした。ただ、コロナ禍で会えない時もあったけれど、施設にいたからこそ、余命2年と言われた母が4年も過ごせたと思うと、施設には感謝しています」
義母の介護に関してはどうか。
「義母に関しては、何ら悔いはありません。やり切りました。『嫌いなところがいっぱいだけど、悪人ではない』『わがままだけど、夫の親だし』と言い聞かせて、人として最低限の理性を持って介護しました。でもあの時、自分が悪者になっても『同居は嫌だ』と言えばよかったと後悔しています。私は将来、息子が結婚して『同居しよう』と言われても、絶対にしたくありません。本音です」
嫌いな義母を最後まで介護した多田さんは、とても真面目で誠実な人なのだろう。しかし、過去の決断で将来の自分が後悔するのだとしたら、その決断は将来の自分に対して真摯な対応ではなかったのかもしれない。
自分を犠牲にする介護はしなくていい。自分の人生は、自分を優先に考えてほしい。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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