ロシアによるウクライナ侵略が始まってから間もなく丸4年がたつ。東京大学准教授の小泉悠さんは「実際に戦争に行ってるのは、貧しい人たちだ。
それゆえ政権へのダメージが少ない」という。『世界の大転換』(SB新書)より、関東学院大学准教授の小林昭菜さんとの対談を紹介する――。(第5回)
■ロシアの戦死者は17万人にも及ぶ
【小泉】アメリカ国防情報局(DIA)の見積もりでは、2025年3月時点でのロシアの戦死者は17万人とされています。25万人というデータもありますが、17万人だってとんでもない数字です。アフガン戦争は10年やって戦死者が約1万5000人ですからね。戦死者の3、4倍の重傷者が出ているとすれば、50万人から70万人が傷を負って帰ってくる。
この人たちのメンタルヘルスが加われば、抗うつ剤の処方が1.5倍になるでしょう。さらに「連邦軍の兵士として戦った結果」というのならまだしも、「ワグネル」みたいな民間軍事会社の社員ということになると、一時金がもらえるだけで、ちゃんとした社会保障もない。
【小林】SNSでは「屠殺(とさつ)場に送られたダヴロボーレツ(志願兵)」と言われていますよね。
【小泉】衛星画像でいろんな墓地を見ているとき、ユジノサハリンスク近郊に「モニュメントがあるし、明らかに戦死者の墓だな」というところを見つけたので、現地の人に見に行ってもらいました。そうしたら、連邦軍だけではなくワグネルの兵士の墓もあると言っていましたよ。
このほかにも、ロシアの各地で軍人用墓地と見られるものがたくさんできているのが衛星画像で確認されています。
こうしたロシア社会の今の重苦しさは確実にあるんだろうと感じました。
■地域によって異なる“命の値段”
【小林】兵器も複雑化しているから死ぬ確率も高いですし、極東やシベリアの貧困層ほど戦争に行かざるを得ないという状況ですからね。
【小泉】別の対談でも話したんですが、地域格差は凄まじいです。10万人あたりの戦死者を連邦構成主体別に出してみると、一番戦死者が少ないモスクワが10万人あたり12人程度なのに対して、地方によっては300人以上というところもある。命の値段が全然違うんですよね。
また、サハリン州のリマレンコ知事は州内の戦死者を細かい出身地別にテレグラムに投稿していたんですが(2024年12月18日を最後に途絶)、これを見るとものすごい僻地から戦場に行って命を落としている人が多い。
【小林】地域差は貧しさでもありますね。
【小泉】貧しさと戦死率の相関は全ての地域で確認できるわけではないんですが、明らかにそうだという地域もまたあります。先ほど、「戦争反対の声を上げないのは、みんな生活があるからだ」という小林さんのお話がありました。教育ローンや仕事がある中間層、言い換えれば「守るものがある人たち」は、声を上げない代わりに戦争に行かずにすんでいる面がある。
■死ぬかもしれない戦争に志願者がいるワケ
【小泉】一方、実際に戦争に行ってるのは、もっと貧しい人たちです。ローンなんか組めないような人たちが、国防省の提示する高額の報酬に惹かれて志願するわけです。
2024年までのロシアは戦時景気で給与水準が上がっていましたが、それでも全国平均で8万5000ルーブルくらい(約12万円)。
これに対してロシア国防省が提示する報酬は一番下の兵隊レベルでも20万ルーブル以上になるみたいですね。加えて戦場行きを志願した人に対しては州政府などから数百万円の祝金が出るところもあります。これが「生きて帰ってこられるかわからない」という戦争であっても、志願者がいる理由です。
【小林】徴兵について言えば、プーチンが動員をとめた影響も大きいですよね。
【小泉】プーチンが「部分動員」を呼びかけたのは22年9月の1回だけ。「軍隊経験のある予備役30万人を召集する」というプランでした。つまり、男子国民の義務である有事の予備役動員義務を戦後初めて発動したんですね。
ところがこれは公的な義務だから、召集令状がみんなに平等に届いてしまう。大学の予備将校課程は「軍隊経験に含まない」と軍は当初から言っていて、おそらくこれはエリート大学を出た人たちまで動員しないという配慮だったと思うんですが、そこまでのエリートではない、普通の中産階級の人々にも、日本で言う赤紙がバンバン届いてしまった。
■人命をおもちゃのようにポイポイ捨てる
【小泉】私の知り合いでも召集令状を受け取った人がいて、こうなるとみんなパニックになるし、プーチンに対して「戦争をやめろ!」という声も出てきます。テレビの向こうの話だと思っていた戦争が自分や自分の家族のところに迫ってくると、沈黙していた中産階級も反抗するわけです。

だからプーチンはこれ以降、公式の動員は一度も行っていなくて、代わりに前述のようにカネの力で解決することを選んできました。ものすごく嫌な言い方ですが、貧しい人が戦場で死んでいっている分にはなかなか社会的問題にならず、したがって政権へのダメージにもならないという計算なのだと思います。
【小泉】人命をおもちゃのようにポイポイ捨てる戦争なんて、いつまで維持できるんだろうと思いますけれど……。
【小林】ロシアもウクライナも国家の存亡をかけているから、どっちも引くに引けない。仮に軍事的な勝利がロシアにあったとして、ロシアと今後パートナーとして正常な関係を構築していける国はあるんでしょうか。アフリカとかに限られてしまうのかなと思います。
■ウクライナが勝利しても復興できるのか
【小泉】意外とあるんじゃないですかね。中国やインドのような大国もロシアとの付き合いをやめないですし。特にインドは最近、堂々とロシア製兵器の輸入をしています。アルジェリアもそうです。東南アジアや南米の国々の中にもロシアとの関係を維持している国は多い。ロシアが西側から孤立しているというのは正しいですが、世界から孤立しているかというとそうではないと思います。

しかも、西側がもう政治的にも経済的も圧倒的な存在ではなくなりつつあるわけですよね。ロシアが言う「我々は孤立していない!」という主張は、強がりも半分あるでしょうが、もう半分は本当にそう思っているのでは。
【小林】逆に、仮にウクライナがなんらかの形で勝利した場合、欧州が荒廃したあの国の復興に責任を持てるかという問題があります。加えて「戦争が終わった。母国に戻って復興に尽力します」という在外ウクライナ人の若者がどのぐらいいるのかも大きな問題ですね。
もしもウクライナが「民主主義の勝利」を勝ち取ったとしても、民主主義は人ありきです。国にいて国体を守る人がいなかったら復興できません。他方でロシアが「軍事的な勝利」を収めて全く違う秩序の国になったとしたら、民主主義の西側は擁護できない。
■この戦争でプーチン政権が崩壊することはない
【小泉】何を持ってウクライナの勝利とするかは難しいですが、最大限に見積もっても領土内からロシア軍を追い出すことですよね。現実的には今の戦線を維持してロシア軍をこれ以上前進させないようにし、あまりにも不利な停戦条件を押し付けられないようにする、といったあたりでしょう。
いずれにしてもこの戦争で現在のロシア連邦とかプーチン政権が崩壊するということにはならないわけですから、どこかでもう一度、ロシアとの付き合い方をどうするかという問題を我々は突きつけられると思います。
【小林】国家の存亡をかけたこの兄弟殺しの戦争を経て、「ロシアとどう付き合うか?」は、世界にとっても日本にとっても難しいことでしょう。
2010年代はオリンピックやサッカーワールドカップの影響もあって、私が教える大学でも「ロシア語やロシアの政治経済を学びたい」「ロシアに関係する商社で働きたい」という学生が結構いました。
ところが今は留学も容易にできないし、「卒業後、ロシアとのビジネスをする会社に勤めたい」という学生はどんどん減っています。
このままロシアの言葉や歴史や文化を知る若い人材が減っていくと、将来的には「英語やドイツ語を介してロシアを理解する」という、かつてのアフリカ研究者みたいな人が現れてくるかもしれないという危機感があります。
■安全保障上の懸念国となったロシア
【小泉】僕は広義のロシア研究者ではあると思うんですが、いわゆる地域研究としてロシアを見ているかというとそうではないんですよね。出発点は軍事オタクで、それが商売になっている。そうするうちにロシアが大戦争を始めてしまい、『国家安全保障戦略』の中でも安全保障上の懸念国であると位置付けられるようになった。
2013年に出された最初の『国家安全保障戦略』ではそうではなかったんですよ。北方領土問題もあるし、エネルギー供給面では重要なパートナーだから日露関係を「高めていく」と書かれていた。
それが現行の2022年バージョンでは位置付けが大きく変わりました。だから僕みたいにロシアを軍事的に研究している人というのは、昔で言う「敵国研究」をやっているということになるでしょう。残念だな、と思いつつ、今のロシアの振る舞いを考えるならこういう向き合い方はやむ得ないとも思っています。
もっと言えば、敵国研究ということを日本は組織的にやっていかないといけない。
そういうことを安定的にできるポストはこれまで防衛研究所くらいでしたが、今後は大学等にも多少は枠が作れないかなと。そうは言っても隣国だし、私の妻もロシア人だし、「そういうふうにロシアを見ていいのか」と言われれば、なかなか難しいですけれど。

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小泉 悠(こいずみ・ゆう)

東京大学先端科学技術研究センター准教授

1982年、千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修了。民間企業勤務、外務省専門分析員、未来工学研究所特別研究員などを経て、現職。 専門はロシアの軍事・安全保障。著書に『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版、サントリー学芸賞)、『現代ロシアの軍事戦略』『ウクライナ戦争』(ともにちくま新書)、『ロシア点描』(PHP研究所)、『オホーツク核要塞』(朝日新書)、『情報分析力』(祥伝社)など。


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小林 昭菜(こばやし・あきな)

関東学院大学准教授

主要著作『シベリア抑留 米ソ関係の中での変容』岩波書店、2018年、"From Japanese Militalism to Soviet Communism The 'Change of heart' of Japanese POWs through Soviet Indoctrination." Chapter 6, 2023, Routledge.(Competing Imperialism in Northeast Asia:New Perspectives, 1894-1953. Edited by Aglaia De Angeli, Peter Robinson, Peter O' Connor, Emma Reisz, Tsuchiya Reiko)、「ロシアから見たウクライナ問題」『アジア・アフリカ研究』62(4)2022年、1-13頁。

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(東京大学先端科学技術研究センター准教授 小泉 悠、関東学院大学准教授 小林 昭菜)
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