■廃棄糸のタオルが5000万枚売れた
鮮やかでカラフルなストライプデザインが目を引く、高級感漂うタオル。このタオルは本来ならば廃棄される糸を活用して作られたものだ。
「MOTTAINAI(もったいない)」という言葉が世界に広まり、地球規模でエコ意識が高まる現代において、商品の製造過程でムダを省くことはごく当たり前の風潮になっている。しかし、35年前の大量生産・大量消費時代にこうした商品を考案し、ロングセラーにつなげた会社がある。タオルの一大産地、愛媛県今治市に本社を構える七福タオルだ。
「ネオ・リバイブ」と名付けられたこの商品は、基本的に残糸(ざんし)からできている。生地を織る前に原糸を染める「先染め」の技法でタオルを作る際、途中で糸が不足しないよう多めの糸を用意して織り上げるわけだが、そこで余ったものを残糸という。
実は、残糸を使ってタオルを製造すること自体、今治の他のタオルメーカーでも行われていた。しかし、ここまでデザイン性に優れた商品を作れるのは同社の強みといえよう。その理由は、同社の特色である「多色先染ジャガード織り」にある。
ジャガード織りとは、立体的な模様を生地に織り込んだもので、同社のこの技術は数十色もの細かな色分けをしているという点で業界でも珍しい。従って、残った糸もカラーバリエーションが豊富で、それがネオ・リバイブの商品の魅力となっているのだ。
ネオ・リバイブは2023年2月にリニューアルした際に付けられた名称だが、元々は1991年に「リバイブ」という商品シリーズで発売。現在までに累計5000万枚以上を売り上げているという。このヒット商品が生まれた背景には、業界の常識を覆す大胆な決断があった。
■ヒットの裏に、苦悩の歴史
2006年にクリエイティブディレクターの佐藤可士和氏が手がけた「今治タオル」のブランド化によって、今でこそメーカー各社が独自の販路を築けるようになったが、かつては問屋・卸からの発注が基本で、なかなか差別化は難しかった。そうした中で七福タオルは、小売と直接取引するとともに、自社ブランド商品をいち早く確立したという先見性がある。しかも、残糸だからといって安売りはせず、品質を訴求した適正価格を貫いた。
ただし、これらは決して美談で語られるストーリーではない。同社の苦悩と、そこからの挑戦が生んだ経営努力による賜物だったのだ。
七福タオルは1959年創業。現社長の河北泰三氏は2代目にあたり、2002年に父・河北明氏の跡を継いだ。
「父は河北家の四男坊で、その父親、つまり私の祖父は、父が14歳の時に事故で亡くなったんです。それで1948年ごろに父の兄(長男)が『河北タオル工場』を創業して、それを父も手伝っていました。ところが、その叔父も短命で、40歳ぐらいで亡くなってしまったため、叔母が『もう河北タオルは廃業するから、今のうちに独立しなさい』と父に勧めたそうです」
社名の由来は、神社へ行っておみくじを引くと「七福」という文言が目に入り、それを付けたそうだ。
■バブル景気に取り残された
七福タオル創業から3年後の1962年に生まれた河北社長は、今治南高校を卒業後、東海大学へ進学するため上京。1985年4月、大学を卒業してすぐさま今治へ戻り、家業に入る。そのころの今治のタオル産業は活況を呈していて、メーカーだけで約440社あった。七福タオルは従業員7人ほどの小さな会社だったが、河北社長が入社してしばらくは、事業は安定していた。
当時の問屋経由のビジネスでは、タオル1枚あたりの卸値は数十円~数百円。そこから製造コストを差し引くと、利益はわずかだった。しかも、問屋の言い値で買い叩かれるため、価格決定権はメーカー側にはなかった。
それでも、時はバブル景気真っ只中、今治の多くのタオルメーカーは手広い事業や大量生産などによって儲けていたが、実は七福タオルのビジネスは芳しくなかった。
「苦しかったですね。赤字で銀行には責められるし。1987、88年あたりはしんどかった」と河北社長は回想する。
七福タオルは否応なくビジネスの転換を迫られていた。とはいえ、良いアイデアが浮かぶわけではない。そうした中での偶然の巡り合わせが、七福タオルの苦境を救うことになる。
■転機は200枚の「似顔絵入りタオル」
河北社長は東海大学時代、落語研究部に所属していて、3つ上の先輩に落語家・春風亭昇太さんがいた。1986年、昇太さんが「二ツ目」に昇進すると、お客さんや関係者などへの手土産用にタオルを作りたいという相談を受けた。そこで似顔絵入りのタオルを200枚ほど製造。昇太さんは大変喜び、あちこちに配ったところ、その1人に創刊したばかりのビジネストレンド雑誌『DIME』のライターがいたそうだ。
「ライターさんが『これ、昇太さんが作ったの?』と聞いて、『実はね、今治のタオルメーカーの後輩がお祝いに作ってくれたんだ』と答えたそうです。すると、オリジナルタオルがオーダーできるという記事を書いてくれました」
記事の末尾に七福タオルの電話番号を載せると、1週間で200件ぐらいの問い合わせが来るほどの大反響だった。これをきっかけに、個人客でもオリジナルタオルを小ロット生産対応してくれるメーカーというイメージが徐々に広がっていった。
なお、このエピソードにはこぼれ話がある。
「改めてその記事を読んでみると、『タオルの本場・愛媛で、あなたのデザインのタオルが作れます』とある。今治とは書いてないんですよね。多分、今治ではわからないと思ったのでしょうね」と河北社長は笑いながら明かす。
■「四国・今治」に込めた誇りと戦略
偶然は重なるもので、数ある問い合わせの中に大手雑貨チェーン「東急ハンズ」(現ハンズ)からの連絡があった。商品を一緒に開発したいから、一度今治に足を運ぶという内容だった。予算と製造コストなどのバランス、さらにはお互いの作りたいもののすり合わせなどを経て、商品化が決まる。1990年の出来事だった。
商品には「七福タオル」の社名を入れ、さらには産地も明記した。
「すべての下げ札に『このタオルはタオル産地、四国・今治』と表記しました。『愛媛・今治』と書くと愛知に間違える可能性があったけど、四国では間違いないだろうなと。『今治で作られているので安心して使ってください』という意味を込めました。当時から国内の産地もの=良質なものという風潮があり、海外製ではないことをアピールしたい気持ちもありました」
実はこれ、今治のタオルメーカー各社がまさに今、行っていることに近い。30年以上も前から七福タオルがこのようなアプローチをしていたのは先進的といえよう。
■「問屋を通せ。規律を乱すな」
ハンズでの商品化は七福タオルのビジネスモデルを大きく変えた。従来は問屋からの発注が前提だったが、小売との直接取引になり、出荷枚数も以前の数百、数千枚単位から数十枚といった形が中心に。それによって顧客の顔が見える商売になった。加えて、大量生産・大量消費という薄利多売のビジネスから脱却し、一つ一つ丁寧に単価の高い商品を作り上げることができるようになった。
「当時はFAXでの注文で、大体午後10時か11時くらいに送信されてきました。会社と自宅がくっ付いていたので、うちの父がよく『注文が来たぞ。
ただし、このようなビジネス形態は当時の今治では七福タオルだけだったため、ある日、四国タオル工業組合(現今治タオル工業組合)の理事会で叱られた。「問屋を通せ。規律を乱すな」と。とはいえ、背に腹は変えられない。河北社長は反論して自社が信じた道を進む決断をした。
なお、この話には続きがある。2000年代に入り、今治のタオル産業が風前の灯火になったころ、かつて河北社長を叱責した人物から「河北くん、どうやったら直取引できるの?」と相談を受けたそうだ。
■いま楽をするより、未来のためにもがいた
このように、いち早くブランド化に成功した七福タオルだったが、あらかじめ練りに練った戦略ではなく、「このままではつぶれる」という危機意識に直面し、もがいた末の産物だった。かつてその心中を同業の後輩に漏らしたこともあったという。
「20年ほど前のことです。同業他社で同世代社長に『お宅の会社はええわい。問屋さんが買うてくれるからね』と言っていたみたいです。数年前に彼とあった時に、ふと『その言葉を思い出して、河北さんはあの頃、必死だったんだろうなって。本当は問屋を通して売った方が楽だと分かってながらも、先々を見据えると、変えざるを得なかったんだと。あの一言を未だに忘れません』と話してくれて。ああ、そうだったのかもしれないなと改めて実感しましたね」
ハンズへの納入を皮切りに販路は急拡大し、「ビブレ」など当時の若者が集う他のファッション・雑貨チェーンにも商品展開することになった。そして、ついには大手百貨店からのオファーが舞い込んでくる。
「西武百貨店から連絡が来て、『今度、新しい雑貨の店を出すんだ。名前はロフトと言うんだ。ハンズで見かけたのだが、ロフトにも商品供給してくれないか』と話すのです。初めて百貨店と口座を作ることになりました。いまだに忘れられないのは、サンシャイン60ビルの50階にあった西武百貨店の商談室に訪れたことです。こんなにも眺めの良いところで商談するなんて、もう夢を見るような気持ちでしたね」
今治の小さなタオルメーカーが、より多くの人たちに求められる存在となった瞬間であった。
■「復活する」タオルで、会社が復活
結果的に、バブル崩壊によって今治のタオル産業が縮小の一途を辿る90年代半ばから2000年代前半の“暗黒期“において、七福タオルは右肩上がりの成長を遂げたのである。
この成長を支えた中心的な商品が「リバイブ」だった。先述したように、廃棄する糸を活用して作っている。誕生のきっかけはこうだ。
「元々、閑散期に残糸を使った織物で稼働率を上げていたこともあったのですが、私が実家に帰ってきて最初に残糸のタオルケットを見たとき、すごくいいなと感じました。デザインは可愛いし、その時にあった残糸を使うので、色もまちまちで、一つとして同じ商品がない点にも惹かれました」
そこで残糸のタオルをハンズに提案したところ、非常に興味を持ってくれた。販売するにあたって「復活する」という意味のリバイブを商品名にすると、ブランドイメージが高まったのか消費者に大いに受け、売り上げが伸びた。加えて、例えば2つ購入してもそれぞれデザインは異なるという一期一会の商品であることも人気の要因だったという。もちろん、残糸といっても品質は今治タオル水準である点も見逃せない。
■「雑巾」が年間1億超の売り上げに
この残糸を活用した商品は、思わぬ企業からの引き合いもあった。
「(リバイブ発売後も)まだまだ残糸が余っていたので、父が『これ、雑巾にしたらどうだ?』と。でも、一方では身体を拭くタオルがあって、こっちは雑巾。並行してハンズなどで売った時に、雑巾で体を拭くのかよと言われたらどうしようと思いました。とはいえ、まあ一回やってみようということで、父が雑巾サイズで作って、袋に入れて販売したんですよ」
すると、思いのほか商品カテゴリーのすみ分けがうまくでき、店からも「これはこれで面白い」という評価を得た。その雑巾サイズのリバイブが、化粧品「ドモホルンリンクル」で知られる再春館製薬所の目に止まることとなった。
「あの会社は当時、瓶製品については割れないようなしっかりした化粧箱に入れてお客さんに送っていたのですが、その時の社長が『いくら立派な箱を作っても捨てられてしまうのでもったいない。捨てずに使えるパッケージを考えなさい』と現場に指示しました。すると担当者がある日、店頭でリバイブを見て『これはいい』となり、社内で提案したそうです」
残糸を活用したエコの観点や、化粧品の緩衝材の役目を終えても別の用途で使えるという点などが再春館製薬所の企業風土とマッチ。それから約30年取引は続き、年間1億~1億5000万円ほど売り上げる大口顧客となった。
■売り上げが半減、次なる一手は
同社の売り上げのピークは2013年ごろの15億円。自社ブランドに本腰を入れ始めた1989年は売上高が2億5000万円だったことを考えると、経営の方向転換によって大きな成長を遂げたのは一目瞭然である。
ただし、近年は売り上げが右肩下がりになっており、現在は7億円強に。国内の人口減少に加えて、コロナ禍以降は冠婚葬祭のイベントが少なくなり、ギフト需要が減っていることなどが原因として挙げられる。
今後は既存の枠にとらわれず、新アイテムの開発にも目を向ける。1つが残糸を使ったタオルケットだ。
「海外製のタオルケットは値段がまるで上がらず、消費者の中では2980円や3980円といった安価なもので十分だという考えが定着しています。使用するのも夏場だけだからといった具合です。でも、これだけ温暖化が進んでいるため、人によっては年間通じて使うこともあるだろうし、高くても質の良いものを長く使いたいという需要もあるのではないかと思っています」
また、小売企業以外からのオーダーによるカスタマイズ商品にも力を入れている。例えば、コンサートやイベントなどで販売される応援グッズのタオルだ。そのほかには、今治市内に初出店したスターバックス店舗のタペストリーも手がけた。企画デザインから製造、縫製、検品に至るまで、すべて今治の自社工場で一貫生産する七福タオルだからこそ、小ロットでも柔軟に対応し、幅広い領域に事業を展開できるのだろう。
■30年前のように、今日も向き合い続ける
七福タオルは、人が集まる「楽しい会社」を経営テーマに掲げ、社内の風通しを良くするとともに、社員のさまざまな相談事にも応じられる環境づくりを目指している。河北社長は家族の場であるような会社にしたいと本気で願っている。
「きれいごとを言うようですが、本当の家族経営でありたいと考えています。10年ほど前にこの本社を建て直した際、どうしても必要な壁以外は取っ払いました。家族に壁はいらないでしょ? 社長室も作っていません。ここで働く皆が家族です。ですからその社員を守っていくためには、事業がシュリンクしつつある今の状況に対して思うところはありますよね」
多くの人々を楽しませたい。そうした思いのもと、これからも七福タオルは商品を手に取った客を笑顔にさせていく。そして、家族同然である社員を守るためにも、事業成長を続けていかねばならない。
30年以上前、バブル期の苦境の中で生まれた残糸の有効活用というアイデアは、今では「サステナビリティ」「SDGs」といった言葉で語られる経営の本質を先取りしていた。目の前の危機に必死に向き合った結果が、それまでになかった価値を生み出した。
しかし、七福タオルの挑戦はそこで終わりではない。会社繁栄のために、新たな価値創造に今日も取り組んでいるのだ。
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伏見 学(ふしみ・まなぶ)
ライター・記者
1979年生まれ。神奈川県出身。専門テーマは「地方創生」「働き方/生き方」。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修了。ニュースサイト「ITmedia」を経て、社会課題解決メディア「Renews」の立ち上げに参画。
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(ライター・記者 伏見 学)

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