昨年、多くの国民の反対により一度は凍結された「高額療養費制度の自己負担限度額の引き上げ案」が再び浮上している。医師の音良林太郎さんは「今回の見直し案でも自己負担額が大きすぎて、働き盛りの世代が治療を諦めることになる恐れがある」という――。

■「高額療養費」限度額の見直しが再浮上
2025年12月下旬、政府と厚生労働省は「高額療養費制度」の自己負担限度額を引き上げる見直し案を公表しました(※1)。このままの計画通りに進むと、2026年8月、2027年8月の2段階で実施され、最大で約38%の引き上げになります。
高額療養費制度は、医療費の自己負担額が高額になったとき、月ごとの支払いに上限を設ける社会保障制度です。主に手術やがん治療など、高額医療に適用されます。
どうしてこの制度が必要かというと、医療が高度化し、特に薬剤費が非常に高額になっているためです。抗体薬やがん免疫療法で使う薬は長く続ける必要があることも多く、内容次第では月の医療費が数百万円になることも。多くの人はそんな金額を払うことは難しいので、誰でも必要な医療を受けられるよう自己負担に上限額を設けているのです。私たち国民の命を守るために非常に大切な制度だといえます。
じつは高額療養費制度の限度額の引き上げについての議論は、今回が初めてではありません。2024年12月にも引き上げ案が提示されましたが、患者団体などから「自己負担増が大きすぎる」との指摘があり、いったん全面凍結されました。その後、2025年5月から患者団体も参加する専門委員会で再検討が行われ、見直し案が浮上したのです。

※1 厚生労働省「高額療養費制度の見直しについて(社会保障審議会医療保険部会資料)2025
■高所得家庭だけでなく一般家庭も大打撃
高額療養費の限度額は「年収(世帯収入)」で決まります。

現行制度でも、自己負担額が最高となる年収約1160万円以上の人は、「25万2600円+(医療費総額-84万2000円)×1%」という計算式です。つまり医療費が高ければ高いほど、自己負担も増える仕組みになっています。
2024年12月の案では、年収約1650万円以上の新区分で、定額部分が約44万4300円という水準が提案されました。実際の限度額は「定額部分+(医療費の一部×1%)」で計算されるため、医療費総額が高いほど自己負担も増えます。
今回、つまり2025年12月の見直し案では34万2000円のようですが、どちらにしても大幅な負担増は変わりません。年収1650万円の高所得層でも、手取りは月約87万円。そこから月34万円もの医療費を払うとなると、40%近くが医療費に消えます。
一般的な収入でも限度額は上がります。年収650~770万円では、現在8万100円の上限額が11万400円に上がる見込みです。年収700万円だと、概算で手取りは月44万円。医療費が収入の25%に及ぶということです。病気の影響で収入が減る可能性も大きいですし、対応できる家庭は限られているでしょう。

なお、高額療養費には「多数回該当」という仕組みがあり、直近12カ月で3回上限に達すると4回目から上限が下がるように救済措置がとられていますが、それでも月々の自己負担が大きすぎます。
■「がん治療」か「家計」か究極の選択
30~50代の働き盛りの方のなかには「自分は高額療養費制度が必要になることはない」「がん治療なんて私には関係ない」と考える方も少なくないかもしれません。
でも、実際にはそうした年齢で、何らかのがんになる可能性は決して低くはないのです。すると子どもの教育費や住宅ローンなどを抱え、仕事も家庭も一番忙しい時期に、がんと向き合わなければならなくなります。
特に女性特有の「乳がん」や「子宮頸がん」は、まさに働き盛り・子育て世代で多く発症するがんです。乳がんは、30代から増え始めて40代後半でもっとも多く発症します。子宮頸がんは、20代後半から30代にかけて増える傾向にあります。
具体的に起こり得るケースを想像してみましょう。「働き盛りの親ががんにかかり、適切な治療を受ければ助かる可能性はあるが、仕事が続けられるかどうかも不透明ななか、高額療養費の自己負担額を払うと生活できなくなるため、子どもや家計のために諦めざるを得ない」といった最悪な事態も起こり得るのです。
■資産は考慮されず年収だけで決まる負担
ここで、もう一つ大きな問題を指摘したいと思います。高額療養費制度における限度額は、前述の通り「年収」のみで決まり、原則として「資産」は考慮されません。つまり、特に高齢者において、預貯金や不動産、株式、投資信託のような資産をたくさん持っていても、年金などの収入が基準以下なら低い上限が適用されるのです。

例えば、今現在、同じ治療を受けても、70歳以上の住民税非課税世帯(低所得者I)だと月1万5000円で、今回も値上げは700円だけです(外来だけなら値上げはなく8000円のまま)。一方、年収約1160万円以上の区分だと、前述の通り25万円以上の負担になります。すでに負担額は15倍以上で、この差は今回の改定でさらに大きくなる見込みです。
当然、誰もが年を取って働けなくなる日はきますし、年齢とともに病気になる確率は上がりますから、高齢者を手厚くカバーすることも必要です。ただし、資産がある人と資産がない人を同等に扱う制度設計には問題があります。
本来なら「応能負担」の原則に従って、支払い能力に応じて負担額を決めるべきですよね。でも、現実には年収だけを基準にしているため、実際の支払い能力と負担額が必ずしも一致しない状況が生じているのです。資産を考慮した負担設計について、技術的な課題も含めて検討が必要だと思います。
■削減効果は医療費全体から見て限定的
さて、このように特に働き盛りの世代が生活できなくなるかもしれないほどの重い自己負担額を強いることで、医療費をどのくらい削減できるのでしょうか。
厚生労働省の試算をもとにした分析では、高額療養費の自己負担額引き上げによる給付費削減効果は2年間で約2450億円とされています(※2)。ところが、この削減効果のうち約1070億円(44%)は「受診抑制による効果」と見込まれているのです。つまり、患者さんが「お金がかかるから医者に行くのをやめよう」と治療を控えることで生まれる削減効果も含まれているということ。

一方、令和4年度の国民医療費は約46.7兆円です(※3)。2年分の削減効果2450億円を年換算すると約1225億円で、単年の国民医療費に対して約0.26%にとどまります。国民医療費全体から見れば、たった0.26%という限定的な削減効果です。
こんな小さな削減効果のために、働き盛りの重症患者に治療を諦めさせかねない施策を優先的に行うべきでしょうか。私はそうは思いません。

※2 全国保険医団体連合会「【高額療養費の限度額引き上げ】制度利用者8割が値上げ 社会保険料の軽減効果は1人年1400円 受診抑制1070億円見込む

※3 厚生労働省「令和4年度 国民医療費の概況
■まずは医療費の適正化に取り組むべき
本来は何よりも先に医療費の適正化に取り組むべきでしょう。
一つは、風邪などの軽微な病気や慢性疾患などの診療において医療費の無駄をなくすこと。例えば、なんとなく不安だからと同時期に同じ症状で2カ所のクリニックを受診し、同じ薬が出たから余ったというケースはよくあります。しかし、こうした「重複受診」や「重複処方」が医療費を高騰させています。他にも飲まない薬をもらい続ける、医療証でタダだから塗り薬を大量にもらう、なども同じです。
じつはマイナンバーカードと保険証が一体化した「マイナ保険証」を使えば、こうした重複受診や重複処方を防ぎ、無駄な医療費を減らせる可能性があります。身分を偽った保険証の使用を防ぐ効果もあり、マイナ保険証の使用が拡がってほしいと思っています。


もう一つは「防衛的医療」を減らすことです。救急医療や超高齢者の終末期医療においては、訴訟リスクを回避するために、過剰な検査や治療を行う「防衛的医療」が行われています。これを減らすことができれば、医療費を大幅に削減することができます。ただし、患者さんの権利をしっかり守ることのできるガイドライン、それに沿って治療の差し控えや中止をした医療者を守ることができる法制度を整えることが必要でしょう(※4)。

※4 厚生労働省「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン
■この流れは声を上げないと止まらない
確かに社会保障費の増大には、何かしらの対策が必要です。ただし、その対策として何を行うかは、もっとよく考えるべきだと思います。
ここまでをまとめると、現在の高額療養費制度は資産を考慮せず、年収だけを基準にしているため、実際の支払い能力と負担額が必ずしも一致していません。資産がある高齢者が非常に低い自己負担額で済む一方、働き盛りだけれども資産は多いとは限らず、しかも出費の多い子育て世代が家計を圧迫される状況になります。
そして何より高額療養費制度の自己負担額を上げても、医療費の削減効果は限定的です。もっと抜本的な制度設計の改善が必要ではないでしょうか。
こうした状況下で「現役世代が治療を諦めるリスクを負うかもしれない道」を選んではいけないと私は考えます。同じように高額療養費制度の限度額の引き上げに反対の人は、ぜひ声を上げていきましょう。

解散・総選挙でも、各候補が高額療養費の見直しをどう考えているか、というのも大事な争点になると思います。

----------

音良 林太郎(おとら・りんたろう)

医師、医療ライター

2006年、慶應義塾大学医学部卒。臨床研修修了後、2008年より同大学耳鼻咽喉科学教室へ所属。日本耳鼻咽喉科学会専門医・指導医、耳科学会認定医。耳科、聴覚を専門とし、臨床勤務医として従事する。2018~2020年、米国ノースウェスタン大学耳鼻咽喉科頭頸部外科でポストドクトラルフェローとして先天性難聴の蛋白機能解析に関する基礎研究に従事。2021年より国立病院機構栃木医療センター耳鼻咽喉科に医長として勤務。本名、小島敬史。現在はX(旧Twitter)で医学・健康情報の啓蒙活動をしながら、医療ライターとして医療記事執筆を行っている。2026年春、東京都立川市で開業予定。

----------

(医師、医療ライター 音良 林太郎)
編集部おすすめ