今年1月24日、中国人民解放軍の制服組トップで、党中央軍事委員会副主席をつとめる張又侠の失脚が中国共産党により発表された。張又侠の父は習近平の父・習仲勲の盟友であり、張自身も習とは長年の友人関係、両者の関係は特別なものだ。
広く知られている話ながら、世界最多の人員数を誇る人民解放軍は「中国の国軍」ではない。彼らはあくまでも「党の軍隊」で、いわば一政党の私兵だ。そんな軍事集団をコントロールする党の組織が、党中央軍事委員会。ところが、2022年の第3期習体制の発足時に7人いた軍委たちは、いまやトップの習近平を除けば、汚職摘発担当の張昇民一人を残すのみになった。現在の解放軍は、実質的に「習個人の軍隊」に近いものになっている。
今回失脚した張又侠と劉振立は、現在の解放軍では珍しい実戦経験者(1979年の中越戦争に従軍)で軍の重鎮だ。彼らの粛清はおそらく、解放軍内の士気の低下や命令系統の混乱、習近平の意向に対する過剰な忖度を生む。さらにその裏返しとして、台湾や尖閣などをめぐる偶発的事態の際の暴走の歯止めが効かなくなる可能性も高まる。考えれば考えるほどゾッとする事態だ。
■「北京でクーデター」デマが大拡散
しかしながら、わが国ではこの事態と並行して、別の意味でゾッとする事態が進行している。すなわち、主にX(旧Twitter)などのSNSを媒介とした、中国の政情や軍事に関する大量のデマや不確定情報の拡散だ。
代表的なのが、1月28日以降に広まった、張又侠の拘束に反発した軍が北京でクーデターを起こしたというデマである。
話の正確な発端は不明だが、「オシント専門家」を名乗る正体不明の英語アカウントや、中国や軍事についての専門性はなさそうな日本語アカウントが、撮影日時や場所が不明の軍の動画などをアップ。クーデター情報が大規模に拡散した。なかには、反乱軍が紫禁城を占拠したという情報もあった(政治中枢のある中南海ではなく、なぜ紫禁城なのかは謎である。日本でいうと東大寺や太宰府天満宮を占拠するようなものだが……?)
■エロスパムを連投する中国当局
荒唐無稽すぎる話は、かえって反論が難しい。とはいえ、調べる気になれば一瞬で見破れるデマである。なぜなら、中国のメディアにもSNSにも、北京市内の交通情報にもフライトレコーダーにも、さらに北京在住邦人のXのポストも、異常は一切みられなかったからだ。なにより習近平の外交日程が変更されず、当時はイギリスのスターマー首相が60人の財界人と大量の国際メディアを引き連れて北京に滞在中だった。街におかしな動きがあれば、間違いなく国外に伝わる。
ちなみに、Xで「北京」と検索すると中国語の不適切なスパムが大量に表示される現象も、クーデターの根拠とされた。Xのプロダクト責任者のニキータ・ビアが1月31日(日本時間)にポストしたところでは、中国国内で政治的変動があった際に、中国政府の手によって意図的に検索を困難にするような広告が大量にばら撒かれる現象があるためらしい。エロスパムが氾濫した一件だけは、陰謀ではなく事実として工作があったとみられる。
とはいえ、これはクーデターのせいではなく、そもそも「張又侠失脚」自体が大事件であるためだろう。VPNなどを使用してXを閲覧する中国人や、海外在住者に余計なことを調べさせないための措置だと考えるのが妥当だ。
■「習近平は辞職せよ」不自然な張又侠の手紙
さらに同月30日から31日にかけては、失脚した張又侠が拘束前に残した手紙とされる怪文書が、やはり日本のSNSで広範囲にシェアされた。内容は習近平政権の独裁を厳しく批判し、鄧小平時代を高く評価するもの。だが、こちらも中国語の文書をある程度読み慣れた者なら、パッと見て10秒以内で違和感を覚える粗雑な代物だ。
俗っぽい表現で違和感を表現すれば、「軍や党の業界の人っぽい感じ」が薄い、という点に尽きる。くだんの文書は人民解放軍の現役ナンバー2の手記にもかかわらず、価値観が妙に西側的(正確には海外に亡命した中国の民主改革派っぽい)。しかも天安門事件前後の古い話がやたらと多く、当事者感の薄い論評っぽい筆致を感じる。いっぽう、張又侠の立場でしかわからない情報や、その地位(軍の高官)ゆえに日常的に使われる特有の語彙が、あまりにもすくない。
加えて、「自分が拘束されずに手紙が外部に出た場合」を想定していないように見える点も不自然だ。例の怪文書は習近平への批判はもとより、北朝鮮の金正恩に対しても(西側的な)辛辣な筆致で言及しているが、中国の軍高官が友好国の指導者をわざわざやり玉に挙げる理由が理解しがたい。なにより、張又侠が仮に失脚しなかった場合、こんな文章は無用な外交問題を招くだけだ。
これは私たちの常識に置き換えればよくわかるだろう。会社を追放される寸前の専務が、魔太郎恨み手帳みたいな手記を書いて他人に託す……。と、ここまでは一応理解できても、文中で「ウチの社長、得意先のアホ社長みたいなやつだ」などと書くのは非合理的だ。仮に不測の事態(社長が急死するとか)で会社に残れた場合、不必要な得意先批判が自分の首を締めることは確実である。
■まともな人がデマを信じる時代
そもそも、高官失脚の際に怪文書が世間に出回る現象は、中国で毎度おなじみの話だ。たとえば令計画や薄熙来(ともに習政権の成立期に失脚した高官)には、本人が悲運をはかなんで詠んだ漢詩まで伝わっている。もちろん偽作の可能性が濃厚だが、中国という国は「梟雄が滅びを前に漢詩を詠む」というカッコいい設定のデマすら生じうるのだ。余談ながら、令計画(偽物)の漢詩はなかなか出来がいい。
いずれにせよ、「張又侠の手紙」は明らかなデマでしかない。ほかに胡錦濤の死亡説も流れているが、こちらもすくなくとも1月下旬までは公式メディアで彼の動向が確認できるので、やはり99%以上の可能性でデマだろう。
ところが、Xを見る限り、中国を専門としない別の専門家やアナリストには、世に名を知られているレベルの人でもこれらを真に受けて拡散したり言及したりしている例が普通に見受けられる。
私自身、北京クーデターの問い合わせを何人かから直接受けた。
■党上層部の情報を裏取りするのはほぼ不可能
中国関連のデマが、近年の日本でもっともらしく信じられる理由は複合的である。ただ、最大の要因はおそらく、玉石混交の中国政治情報と、近年のSNSのアテンションエコノミー、そして中国が現在の国際情勢に与える懸念という3者の相性が、悪い意味でピッタリとはまっている点にある。
中国共産党は世界最大の秘密主義組織であり、党内上層部の情報について完璧なウラを取ることは事実上不可能だ(確実なのは、公式に発表される人事や失脚の情報“だけ”である)。ゆえに前世紀の毛沢東時代以来、日本を含めた海外の中国政治情報は、いわゆるクレムリノロジー的な分析を除けば、匿名消息筋の内部リークが大きな影響を持ってきた。
当然、内部リークの多くは不確かだが、一方で中国は口コミ社会なので、超重要情報があっさりと漏れ出すこともある(今回の張又侠の失脚も、報道前に言及していた中国人のアカウントが存在している)。かつては香港がこの手の怪情報の集積地で、「香港情報」は最も重要度が高いリークと荒唐無稽なウソが入り交じるカオスの象徴だった。特に前世紀までは「中国の政治情報=香港情報」といってよい状況が存在していた。
■世界規模で「中国デマ」が流れる本当の理由
「香港情報」は、訓練された専門家でもしばしば読みを間違えるような代物だ。もっとも、香港の新聞を原文で読んだり情報提供者と直接接触したりできる限られた人しかアクセスできない世界だったので、「話半分に聞くのが正解」の情報が日本国内の一般人に無制限に拡散するような事態は現在ほど多くはなかった。
ところが、2010年代から香港の政治的締め付けが進み、やがて2020年の香港国安法の施行で言論の自由が崩壊したことで、香港情報が機能しなくなった。
いっぽう、中国が豊かになったことで、内部情報が入ってもおかしくない(かもしれない)中国人が、香港を経由せず海外各国にバラけるようになった。中国の知識人は自己主張が好きな人が多く、彼らは個々にSNSやYouTubeで発信をはじめる。カネ儲けが好きな人も多いため、発信する情報はセンセーショナルな内容のものが多くなる。
結果、大量の真偽不明情報が、最低限のフィルターすら無く全世界にバラ撒かれるようになった。しかも翻訳ソフトやAIの発達で、中国語の原文もあっさり翻訳される。本来ならば「取り扱い注意」マーク付きで素人には決して扱えないような代物が、ワンルームのアパートでスマホをいじっているだけの一般人にも平気で届くようになってしまった。
■「反中共=信頼できる情報」ではない
さらに、ここで加わるのが法輪功である。彼らは1999年に中国共産党と衝突し、拠点を海外に移した大規模な気功集団(第三者的に見れば新宗教)だ。中国国内では徹底して弾圧されており、法輪功とつながりがあるだけで、学習者(=信者)ではなくても拷問を受ける例もめずらしくない。
ただ、法輪功系の情報は注意が必要だ。彼らは『大紀元』『看中国』『新唐人テレビ』『希望之声』など非常に多くの傘下メディアを擁しているのだが、中国共産党に対する憎悪がメインであるためか、飛ばし情報が非常に多い。
もちろん、ときには興味深い中国の内部情報が伝えられる例もあるが、信頼性は私の肌感覚では3~4割以下である。他のメディアで似た情報が出ていない限り、法輪功系の単独ソースの情報はほぼ黙殺していい。
実は今回話題になった「張又侠の手紙」も、法輪功系の『看中国』に掲載された文書が、日本でAI翻訳されて拡散されたものだ。日本人の大部分は法輪功系メディアの問題点を知らず、中国共産党に不都合な情報=信頼できそうな情報だと早合点しがちなことで、釣られ放題というわけである。
■中国当局の情報工作よりもヤバいもの
なお、日本のネットユーザーが、法輪功系メディアなどの謎の中国情報に釣られ続けている現象について、私は「自分だけは違う」と高みに立って嘲笑する気にはなれない。
なぜなら私自身にしても、専門以外の分野──。つまり、医学や物理学や経済学、それどころかロシアや中東の事情についても一般人並みの知識しかない。自分にとって好ましい真偽不明の情報が流れてきたとき、釣られてシェアしないとは言い切れないからだ。
しかし、中国という国は、安全保障上の懸念が年々強まるいっぽうで日本の最大の貿易相手国、という非常に重要な隣国である。怪しげなデマの拡散は、政策やビジネスにノイズを与え、判断に狂いをもたらす。はっきり言えば「国益」を害する。
センセーショナルな中国情報が出てきたときほど、一度深呼吸をするべきだろう。私の見る限り、すくなくとも現時点の日本においては、中国当局による情報操作工作の影響よりも、無邪気にシェアされる「中国の深層(仮)」言説のほうが、よっぽど現実の脅威を判断する基準を歪めているように思えるのだ。
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安田 峰俊(やすだ・みねとし)
紀実作家(ルポライター)、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員
1982年生まれ、滋賀県出身。広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了。著書『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』が第5回城山三郎賞と第50回大宅壮一ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。他の著作に『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)、『八九六四 完全版』、『恐竜大陸 中国』(ともに角川新書)、『みんなのユニバーサル文章術』(星海社新書)、『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)など。
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(紀実作家(ルポライター)、立命館大学人文科学研究所客員協力研究員 安田 峰俊)

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