■ニッチすぎる「左利き」の道具店
岐阜駅から車で約30分。いちょう通りと呼ばれる車道を進んだ先に、左利きのための商品が販売されている店がある。その名も、「左ききの道具店 ときどきストア」だ。
外から見ると控えめな佇まいだが、扉を開けると、そこには、今まで意識することもなかった「左利きのための世界」が広がっていた。
店内は白を基調とした空間に、カラフルなハサミやカッター、メジャーなどが並ぶ。試用できるテーブルには左右どちらでも使いやすいフライ返し、レードル(おたま)などのキッチン用品が置いてある。
まず目を引くのは、店の主力商品でもある手帳コーナーだ。鮮やかな色合いの「左ききの手帳 2026」が、整然と積まれている。
取材に同行した私の妹は、左利きだ。普段は右利きの道具を使うことに慣れているため、見慣れない「左利きのための文具」の数々を興味深く眺め、思わず手を伸ばしていた。
店は加藤信吾さんと礼(あや)さん夫妻が営んでいる。岐阜県各務原市にある同店は、もともとは2人が倉庫や事務所として利用していたのを一部改装し、実店舗を開いたという。
左利きは人口の約10%と言われている。なぜ、加藤夫妻はニッチな市場に挑んだのか。その背景には、左利きの女性が日常で感じていたささやかな「不便」と「肯定されたい」という強い思いがあった。
■子育てに追われる中で
愛知県瀬戸市出身の信吾さんと、半田市出身の礼さんは30代前半で結婚した。信吾さんは映像制作会社、ITベンチャーを経て、2015年3月にコピーライターとして独立。名古屋の地で、株式会社ランチを立ち上げた。
一方、その頃の礼さんは会社員だったが、仕事のハードさから体調を崩し退職。2014年に長女、その3年後に次女が生まれ、4人家族となった。
独立から2年後、信吾さんは日本政策金融公庫で300万円を借り入れ、その資金を元手に、夫婦で新しい事業をしようと考え始めた。
ある日、信吾さんに「なにか、やりたい事業はない?」と聞かれ、礼さんは「そんなこと急に言われても……」と思ったという。だが考えるうちに、彼女自身が左利きで、雑貨や文房具が好きなことから、「左利きの道具を販売するのはどうだろう?」と思い至った。
■泣きながら右手で給食を食べた
実は、礼さんは左利きにまつわる悲しい過去があった。
保育園に通っていた幼少期、左手でスプーンを持って食べようとした際に、保育士から「左手で持つならもう給食を食べさせないよ」と言われ、泣きながら右手を使った記憶があるという。
小学校に入ると親から筆記具を右に持つよう言われていたため、家では右手を使っているように振る舞った。「母に対して、祖父母からの『みっともないから直させなさい』っていうプレッシャーがあったと、大人になってから聞きました」と礼さんは振り返る。
こうした経験から、礼さんは年齢を重ねるごとに道具に対して強い関心を抱くようになっていた。
さっそく礼さんはこのアイデアを信吾さんに提案したところ、「文具の利益率は低いし、ニッチ過ぎるんじゃない?」と却下されてしまった。礼さんは小売業のイメージをざっくりとしか理解していなかったため、「それもそうだなぁ」と一旦は受け入れた。
■諦められず、夫に再び提案
そのやりとりの後も、礼さんは自分のアイデアを忘れることができなかった。転機となったのは1年後。共通の知人であるママ友に自分の構想を話した時、「それはすごい面白い!」「ぜひやりなよ」と背中を押された。そこから、礼さんの思いはますます募った。
2018年7月6日、レストランで誕生日を祝われていた席で、礼さんは夫にこう切り出した。
「やっぱり、左利きのお店をやりたい!」
彼女の本気を目のあたりにした信吾さんは「これはもう、やるしかない」と事業化を決意。その日のうちに左利きについて調べると、8月13日が「左利きの日」であることを知る。顔を見合わせた2人は「左利きの日にオンラインショップを開設しよう」と決めた。
そこからわずか1カ月。加藤夫妻は力を合わせ、準備を一気に進めた。知り合いのウェブデザイナーやイラストレーターに相談し、ショップの顔となるシロクマのキャラクターも誕生した。ずんぐりとした体つきで左手を上げたシロクマを指しながら、信吾さんは「シロクマは左利きという言い伝えがあるらしいんです。
■初月の売り上げは4104円
2018年8月13日、2人は満を持してオンラインショップ「左ききの道具店」を立ち上げた。だが、初期に販売した商品は、パン切り包丁、色鉛筆など4品のみ。初月の売上はパン切りナイフ1本の4104円で、生活費の足しにもならない数字だった。
そもそも市場規模は限りなく狭い。左利きの人口は約10%で、しかも「箸は左、ハサミは右」という人も多く、左利きであっても右利きの道具に順応している人が圧倒的だ。
それでも2人は前向きだった。「市場は小さいけど、競合がいないから、ギリギリ食える可能性があると思いました」と信吾さん。実際、当時は国内外を見渡しても、左利きに特化した専門店は存在しなかった。鍋やレードル、文房具など商品分野は幅広く、1つのメーカーで全てを賄いづらい。利益率は上がらず参入する企業はほとんどいなかった。
さらに追い風になったのが、開店と同時に始めた公式SNS、特にXだった。
普段はSNSを見るだけだった礼さんも、アカウント運営を通じて「すごく楽しい!」と感じるようになり、ネット上で個人店を営む人たちとつながるうちに店の認知度も少しずつ高まっていった。
■左利きだからこその強み
2019年9月、2人は自ら商品開発に取り組み始めた。きっかけは、長年手書きの手帳ユーザーである礼さんが「手帳もよく見ると、右利き優位に作られているのでは?」と感じたことだった。
例えば、週間レフトタイプの手帳は、左ページがスケジュール、右がメモになっている。左利きの人がメモを書こうとすると、手に隠れてスケジュールの内容が見えなくなる。月間タイプでは、左上に日付が書かれていることが多く、こちらも書いている左手で数字が隠れてしまう。礼さんは、こうした小さな不便さを感じていた。
ある時Xで、手帳メーカーの菁文堂(せいぶんどう)が「左利きの手帳って、どうだろう」と投稿しているのを見かけた。
「これは、チャンス! 一緒に作りたい」
そう思った礼さんはすぐに連絡を取った。
数日後、2人は東京都台東区にある菁文堂を訪問。
■手帳がもたらした手ごたえ
名前は、わかりやすく「左ききの手帳」。ここから、オリジナルブランド「HIDARI」が誕生した。
製作期間中に手帳のクラウドファンディングを立ち上げると、応援購入額は約107万円に上った。達成率214%となり、2人は確かな手ごたえを感じた。
「左利きの手帳」を初めて販売したクラウドファンディングページ
12月に商品が完成。購入者から届いた声を、礼さんは嬉しそうに語る。
「『この手帳以外使えないです』『こんなに快適だと思わなかった』って言ってくれる方が何人もいらっしゃって。手帳って、続けようとしても途中で挫折しちゃう人もいると思うんですけど、『初めて続いた』っていう声もありました。(隣の信吾さんを見て、)本当にありがたいよね」
手帳作りに奔走していた頃、加藤夫妻はもう1つ大きな決断をした。岐阜への移住だ。
この頃はオリジナル手帳に加え、メーカーから買い付けた商品の在庫が増え、住まいが手狭になり始めていた、礼さんが梱包、配送を担当していたが、「そろそろ手狭かも?」と感じていたという。
幸い、仕事はオンラインで完結できる。娘2人のためにも、より広い住居に引っ越したい。そう考えた2人は、岐阜県各務原市への移住を決めた。2019年12月のことだった。
この移住から、加藤夫妻のニッチビジネスはさらに広がっていく。
■コロナ禍に開催したポップアップ
「左ききの道具店」は、2018年からオンラインショップを主要な販路として運営してきたが、2023年8月13日の「左利きの日」、岐阜県各務原市にリアル店舗「ときどきストア」もオープンした。
営業は当初月に1回、現在は月に4~5回。ストア名の通り、不定期営業である。このリアル店舗の開設は、スムーズに決まったわけではなかった。
最初に信吾さんが礼さんに「リアルでお店、やってみようか?」と提案したのだが、インドア派で接客に苦手意識のあった礼さんは即答で反対した。夫婦の意見は二つに割れたが、信吾さんはオンラインとリアルの両立させる必要性を感じていた。
それまで、渋谷TSUTAYAやLOFTなどで不定期にポップアップを行ってきた。当時はコロナ禍の真っ只中で遠方への移動が難しく、商品は現地のスタッフに販売を委託する形態をとっていた。この時は「都会で認知してもらえたら」という思いが強く、さほど売り上げを意識していたわけではなかったという。
■妻・礼さんが接客に入ると状況が一変
2022年の夏、状況は一変した。あべのハルカス近鉄本店(大阪)のポップアップで、礼さんが初めて接客に入ると、左利き同士の会話が自然と弾み、購買率がぐんと伸びた。自らの体験を交えた説明は説得力があり、客たちは「それなら一度使ってみよう」と商品を購入していった。
この状況を見て、信吾さんは、こう思ったという。
「オンラインショップだけじゃなくて、リアルの店舗を設けて、左利き同志が集まるコミュニケーションの場が必要なんじゃないかって思ったんです」
礼さん自身も、「こういうのを待っていた」「いつも応援している」といった顧客の熱量を肌で感じ、新しい商品開発やアイデアのヒントが浮かんだという。
幸い、2022年頃に引っ越した事務所は、80平米ほどの広さと間取りがあった。在庫をすべて収めても十分な事務スペースが残っていた。信吾さんは礼さんを説得。「まあ、ときどきならいいよ」という承諾を得て、事務所の半分を改装。リアル店舗「ときどきストア」を構えるに至った。
取材の中で、礼さんが接客する姿を近くで見たが、とても苦手とは思えないほど柔らかな物腰が印象的だった。商品を紹介する同店のYouTubeチャンネルでは、礼さんが商品の一つ一つを丁寧に紹介する姿を見ることができる。
■道具店の相乗効果
「左ききの道具店」の売り上げは、右肩上がりに伸びている。特に、礼さんが手掛けるオリジナルブランド「HIDARI」の商品はリピーターも多く、店の主力商品に成長した。
この左利き事業の成長は、信吾さんのコピーライター業にも相乗効果をもたらした。自らブランドを立ち上げ、商品開発や配送、SNS運用まで担ってきた経験を語れるコピーライターは稀だ。その点が評価され、ブランディングや立ち上げ支援の仕事が増えていった。「家族4人が十分暮らしていけるほどになりました」と礼さんは言う。
商品開発にも余念がない。刃物の町として知られる岐阜県関市に本社を構える刃物メーカー「サンクラフト」を訪れ、左利き用のハサミの開発を依頼するなど、積極的に左利き向けの商品づくりを進めてきた。そこで生まれたのが「分解して洗える左手用キッチンバサミ」である。
その他にも、オリジナルブランドの定規やメジャーも発売。左右両方の目盛りを印字するなど、使い勝手に工夫を凝らしている。
「左利きの人だけの商品にこだわらないことが、店のセレクトポリシーなんです。別に左右両用で使えて、なおかつ素敵な道具ならそっちの方がいいじゃないって思っているんです」
■右手を動かせなくなった人からの声
リアル店舗「ときどきストア」には、この店を目当てに全国から客がやってくるという。「実際に商品に触れたい」という思いもあるだろうが、「店長とゆっくり話ができるから」と足を運ぶ人も少なくない。
「今までで、印象的なお客さんはいらっしゃいますか?」と尋ねると、礼さんはしんみりとした表情で語った。
「その方はお電話だけだったんですけど、以前、脳卒中の後遺症などで右手が使えなくなって、左手用の道具を必要としている方から、『リハビリを頑張っている』という状況をお話くださったんです。感極まって泣かれていて、『こういうお店を作ってくれて本当にありがたい』と言ってもらいました」
この言葉を受けて、信吾さんはこのように語る。
「ビジネス的には、大成功するタイプの店ではないと思います。でも必要としてくれる方がいるなら、長く続けられるようにやっていきたいです。それが僕らの役目でもあると思ってます」
■「必要とする人に、必要なものを届ける」
加藤夫妻の商売は、「必要とする人に、必要なものを届ける」という、ニッチながらも長く続けられる仕組みだ。そこには、礼さんの「左利きの人を肯定したい」という思いと、妻の思いをカタチにする夫の奮闘があった。
「やっぱり、私の子どもの頃の経験からきていると思います。自分にあった道具を使う気持ち良さだったりとか、楽しさだったり。そういう思いや体験をしていただける方が増えればいいなって。『左利きで良かったな』って、一瞬でも思ってもらえればいいなと思います」
店の片隅には、客が来店時に残すためのメッセージノートが置かれている。そこには、訪れた客の喜びの声、そして温かい言葉が詰まっていた。
取材に同行した左利きの妹は、気に入った商品を購入し、嬉しそうに眺めた。彼女が選んだのは、利き手を選ばないカッターナイフだった。「家族で使えた方がいい」というのが、購入の決め手だったという。妹も私も、今まで気が付かなかった「日常の道具」に対する新しい価値観に触れた瞬間だった。
《オンラインショップ「左ききの道具店」売上ランキング・ベスト10》
1位:左ききの手帳(オリジナルブランド HIDARI)
リピート率が最も高い主力商品。来年で6冊目となる同店のオリジナルブランドである。手に隠れにくいよう、日付を右上に配置。開く方向や週間予定とメモのページが一般的な手帳と逆になっている。
デザインは、世界的広告賞の受賞歴があるグラフィックデザイナーの白澤真生氏が担当。東京都台東区に本社を構える「菁文堂(せいぶんどう)」に製造を依頼している。アンケートやSNSを通じてユーザーの声を集め、罫線の調整や数字の大きさといった細部にわたる改善を毎年行っている。
2位:15cm定規/左右兼用【全4色】(オリジナルブランド HIDARI)
「左ききの道具店」のオリジナルブランド商品。左利き、右利き両方の目盛りがプリントされている。
3位:クラフトはさみ【全13色】/左手用(PAUL)
ドイツのハサミ専門メーカー「PAUL(パウル)」の商品。一般的な右手用ハサミと刃の合わせが逆になっている。13色のカラフルなラインナップを展開が魅力。
4位:分解して洗える左手用キッチンバサミ(サンクラフト)
刃物の町、岐阜県関市に本社を置く刃物メーカー「サンクラフト」と共同開発した商品。左手で切った際にも食材が逃げにくいよう刃が工夫されている(左手用)。ハンドルが左右対称なので、どちらの向きでも気にせず使える。
5位:メジャー【全5色】(オリジナルブランド HIDARI)
ドイツの老舗メジャーメーカー「ヘキストマス(Hoechstmass)」に製造を依頼したオリジナル商品。左利きの人が巻き尺を引き出しても、数字が逆さまにならないように設計されている。表は「左利き用」、裏は「右利き用」の目盛りがプリントされているため、家族でシェアもできる。
6位:ボールペン(オリジナルブランド HIDARI)
ゼブラ株式会社の油性ボールペン「ブレン」を採用。左手で持った際にロゴが逆さにならないよう工夫されている。
7位:どちらの手でも使いやすいカッターナイフ ORANTE【全5色】(PLUS)
スライダーが上部に付いているため左手でも右手でも刃を出し入れすることができる。刃を折らなくても切れ味が長持ちすることから商品名は「ORANTE(折らんて)」。チャイルドロック付きのため、子ども用として人気。
8位:万年筆(Schneider)
ドイツの筆記具ブランド「シュナイダー」の商品。万年筆は左利きだとペン先が引っかかりやすいが、同商品は左手での運筆がスムーズになるようにペンポイントが加工されている。万年筆愛好家の人からは「柔らかな書き心地」と好評。
9位:MOKA 三徳包丁 左手用(サンクラフト)
刃物メーカー「サンクラフト」の看板アイテム。両刃だが、刃の仕上げ方が左利き寄りになっている。薄切りがしやすく、食材の離れが良いという特徴がある。2008年グッドデザイン賞の中小企業庁長官賞を受賞。
10位:お財布(山藤)
東京・元浅草に本社を構える革小物ブランド「山藤(やまとう)」の商品。左手側にお札入れがあり、小銭入れを大きく開くことができる。店長愛用の商品である。
その他にも、左利きの人へのプレゼントとして「左ききのキッチンギフト」が人気。オリジナルのコットンギフトバッグに入れたお得なセットである。
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池田 アユリ(いけだ・あゆり)
インタビューライター
愛知県出身。大手ブライダル企業に4年勤め、学生時代に始めた社交ダンスで2013年にプロデビュー。2020年からライターとして執筆活動を展開。現在は奈良県で社交ダンスの講師をしながら、誰かを勇気づける文章を目指して取材を行う。『大阪の生活史』(筑摩書房)にて聞き手を担当。4人姉妹の長女で1児の母。
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(インタビューライター 池田 アユリ)

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