インフルエンザが猛威をふるっている。医師の木村知さんは「インフル治療薬『タミフル』市販化の動きがある。
『つらい時に病院に行かなくていいなんてラッキー』と喜ぶ人もいるかもしれないが、この制度変更によって医療にもたらされる影響は深刻だ」という――。
■インフルエンザの流行が収まらない
2026年も明けて早くも1カ月。世間は突然の解散総選挙で大混乱ですが、医療現場もまだまだインフルエンザの流行がおさまらず、てんやわんやの状況です。
今シーズンのインフルエンザ流行は例年とまったく異なり、過去20年で最速級の2025年10月~11月に大きく前倒しされてはじまりました。そして流行の山も、例年のような「ひとつの大きな山」ではなく、いったん1月初旬に停滞したあと、また下旬から再び上昇に転じる「二峰性」となっているのが特徴です。
当初は「A型」が主流だったものの最近では「B型」の感染者も増えつつあって、まだまだ流行は収束しそうにありません。このままいけば2月の終わりころまで「だらだら」と続くかもしれません。
そうしたなか、厚生労働省からあるパブコメが出されたことをご存じの方はいるでしょうか。
それは、厚生労働省医薬局医薬品審査管理課から発出された、募集期間「2025年12月9日~2026年1月7日」の「候補成分のスイッチOTC化に関する御意見の募集について」というものです。
この文書には「セルフメディケーションの推進に向け、産業界・消費者等の多様な主体から要望等された成分について、スイッチOTC化の課題点及びその対応策を検討」として、今回はインフルエンザの治療薬として皆さんもご存じのタミフルの主成分である「オセルタミビルリン酸塩」について、OTC化のニーズや課題などの意見を募集するとあります。
つまり現在、インフルエンザに罹った場合、医療機関でないと処方できなかったタミフルを、街場のドラッグストアでも購入できるようにすることを念頭においたパブコメの募集ということです。
■「自分で診断・治療できる」はプラスなのか
インフルエンザといえば、突然の発熱と関節痛、喉の痛みや咳、鼻汁といった症状が特徴的です。
5年前の新型コロナ上陸直前に上梓した拙著『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)では、こうした特徴的な症状が冬場に出たら、それは検査せずともインフルエンザと診断してもかまわない、との解説をおこないました。
じっさいの臨床現場でも「インフルエンザの診断ならば皆勤賞がまだ狙えるので」「会社に出す診断書が必要なので」といった、どうしても「確証」がほしいという人以外の、臨床症状からインフルエンザとして矛盾のない人については、検査なしでインフルエンザと診断してもなんら問題は生じませんでした。
しかし新型コロナが上陸してから、医療現場は一変しました。インフルエンザと新型コロナは臨床症状が似ており、診察所見でいずれかを見きわめることが非常に困難なため、診断するには検査が必要になってしまったのです。
そして医療機関ではコロナ禍以降、「発熱者にはまず検査」というやり方がすっかり定着。それと同時にインフルエンザや新型コロナの「診断キット」の市販化も急速に進みました。
つまり今まで医療機関でないと峻別できなかった感染症が、医療機関にかかることなく自宅で診断することが可能となってきたともいえます。そうした状況で今回「タミフル市販化」の動きが出てきたのです。
さて、こうした「インフルエンザ治療」が自分でできるようになることは、私たちにとって朗報と言えるでしょうか?
「わざわざ混んでいる医療機関に行かなくても自分で診断できて治療薬も買えるならばありがたい」という人にとっては朗報と感じるかもしれません。
しかし、もし「タミフル市販化」が実現すると、こうした利便性に期待する人をも巻き込んで、思いもよらない「副作用」が生じかねません。そこで本稿では「タミフル市販化の副作用」について述べてみたいと思います。
■「タミフル市販化」3つの副作用
「副作用」には大きくわけて3種類あります。

1.診断の間違い、遅れ、重要な疾患を見落とす危険
ご存じの方も少なくないと思いますが、インフルエンザの迅速診断キットは間違うことがあります。検査をして「陰性」であっても、検出されなかっただけでじつは感染していた、ということも全然珍しいことではありません。「陰性」の結果に「罹っていない」との自己判断をしてしまうことで、診断が遅れてしまう可能性があります。
多くの健康な人であれば、数日寝込むだけで自然治癒してしまうでしょうが、基礎疾患をもっている人や、高齢者、小児などでは診断の遅れが命取りとなってしまう危険があります。
また発症からしばらく経った再検査で「陽性」になった場合に、自己判断でタミフルを市販で買う人も出てくるかもしれません。しかしこの薬剤は発症後48時間(2日)以内に使用を開始することが原則。それ以上の時間を経過したあとから飲み始めても効果は期待できません。
また検査キットで陰性でも「インフルエンザが怖いから、念のためにタミフルを買って飲んでおこう」と考える人も、とくに流行期には多くなることが予想されます。
このように効果が期待できない時点から服用を開始したり、必要ないのに念のためにと服用したりといった無駄に服用する人が増えてしまえば、本当に必要な人に薬剤が回らなくなることにもつながります。
また「急な発熱=インフルエンザ」と思い込んで、自己判断で購入したタミフルでしのいでいたのに、いっこうに解熱しないと受診したところ、インフルエンザの自己診断が「誤診」で、じつは肺炎や急性腎盂腎炎など重症化すると命にかかわる疾患であることが判明するという、恐ろしい事態が引き起こされる可能性も十分にありえます。
■「タミフルを飲まないと治らない」のウソ
2.耐性ウイルスの発生、感染・流行拡大の危険
こうしたタミフルの不適切な使い方が広がると、個人だけでなく社会にも大きな「副作用」をもたらしかねません。ひとつは「耐性ウイルス」の問題です。
タミフルをはじめとした抗ウイルス剤は、重症化リスクのある人に恩恵をもたらしますが、先述したように、もともと健康な人であれば必ずしも使用する必要のない薬剤です。
「タミフルを飲まないと治らない」と思っている人もいますが、基本は自然治癒する疾患。日本がこれらの薬を世界で一番使っているとの指摘もあります。そうなると危惧されるのが「耐性ウイルス」の発生です。タミフルに耐性をもつウイルスが蔓延してしまうと、重症化リスクのある人たちを救命することが困難となってしまうでしょう。
もうひとつ心配なのが、タミフルを使ったことで早期に症状が緩和した人が、まだ感染力が残った状態で学校や会社に行ってしまうことです。じっさいの医療現場でも、こういった患者さんはたびたび経験します。
こうした個人の行動が、周囲に感染を広げて大流行につながるリスクを引き起こすのです。医療機関では、感染後の行動について十分説明しますが、個人で診断と治療がおこなわれるようになってしまうと、インフルエンザにかんする正しい理解が行き届かなくなり、こうした思わぬ原因による流行拡大を生じさせかねません。
■検査・薬の全額自己負担化で起こること
3.経済力によって医療格差が生じる危険
インフルエンザの検査やタミフルなどの抗ウイルス剤が市販化されることによる「社会的な副作用」にはさらに重要かつ心配なものがあります。
それは経済力によって医療格差が拡大する懸念です。
発熱者の治療の「主たる現場」が医療機関から街場のドラッグストアに移行していくと、これまで保険診療によって抑えられていた個人の負担が大きく増えることになります。

もちろん収入が多く生活に余裕のある人であれば、なんら心配はないでしょう。しかし、現在でも窓口での支払いに負担を感じている人にとっては、「タミフルの市販化」はインフルエンザに感染してもあきらめるしかない、ということにもなりかねません。検査も薬も全額自己負担になるからです。
先述したように「寝ていれば治る」人もいますが、重症化リスクを抱えていない人でも、脳症をおこしたり脱水になったりして全身状態が急変することもありえます。
そのような兆候を見逃さず早期発見するためにも、医療機関の関与できないところでインフルエンザの管理を自己責任にゆだねる政策をすすめることは、これまでのわが国の医療水準を大きく低下させることになるでしょう。
■「医療費削減」論に潜む盲点
そもそも、なぜこのように「インフルエンザ治療の自己責任化」をすすめようとしているのか。もちろん国が私たちの「利便性」に配慮してくれての政策ではありません。
ズバリ、医療費削減がその理由です。
健康保険組合連合会(健保連)が過去に実施した、インフルエンザ診療にかんするレセプトデータ(診療報酬明細書)に基づく詳細な分析調査によれば、薬剤費は年間223億~480億円、検査キット費用は年間301億~471億円、それに初診・再診料、処方箋料、さらには重症化による入院費用を合算した全体医療費は、年間1000億~1500億円との推計があります。
「インフルエンザ治療の自己責任化」を推進すれば、単純計算でこれらの年間医療費が削減されることが期待できるというワケです。(医療費削減論者は、目先の削減によって診断や治療が遅れ、重症者が増えることがむしろ医療費増大につながる可能性については見て見ぬふりをすることがほとんどです)
そしてもし今後「タミフル市販化」が実施に移されれば、昨年大きな問題を巻き起こした「OTC“類似薬”(私は「OTC“本家薬”」と命名)の保険外し」の議論にも間違いなくかかわってくることになるでしょう。(関連記事:「現役医師『国家的詐欺と言っても過言ではない』…維新との連立で高市新政権が抱えることになった“地雷”の正体」)
「タミフルは、もうドラッグストアで買える薬なのだから、医療機関で処方された場合も保険外(自費)にしてもいいよね」となりうるわけです。

■インフル治療だけの問題ではない
さて今回の「タミフル市販化」を前提としたパブコメが不可解なのは、医療用医薬品を市販薬にスイッチするさいに通常おこなわれるスキームとは、ことなる手法がとられたことです。
通常は、厚労省の専門家会議(医療用から要指導・一般用への転用に関する評価検討会議)で医学的な妥当性を議論し、その結果をもとにパブコメを募集するのですが、今回はなぜかこの専門家会議を通す前に、厚労省がタミフルをリストアップし、いきなり市民の意見を募集したのです。
本稿で述べてきたように、医療現場でインフルエンザ診療を「ふつうに」おこなってきた医療関係者であれば、「タミフル市販化」など論外。専門家会議など絶対に通るはずがない話です。
そこをすっとばして市民にまず意見を公募することで、「それは便利、ぜひ進めてほしい」という声が多ければ、それを既成事実として専門家に突きつけることができると考えたのかもしれません。
さていよいよ衆院選の投開票日も間近ですが、自民党、日本維新の会という“医療費削減推進政権”が多数を占め、その政策に異論のない国民民主党も躍進ということになれば、「タミフル市販化」は本当に実現することになるかもしれません。
争点はさまざまあれど、セルフメディケーションというおしゃれな言葉の裏にある「医療の自己責任化」の副作用は、すべての個人にはもちろん、この国の社会全体におよぶものであることを、この「タミフル市販化」の話題を見たときに、ちょっと思い出していただければ幸いです。

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木村 知(きむら・とも)

医師

1968年生まれ。医師。東京科学大学医学部臨床教授。在宅医療を中心に、多くの患者の診療、看取りをおこないつつ、医学部生・研修医の臨床教育指導にも従事、後進の育成も手掛けている。医療者ならではの視点で、時事問題、政治問題についても積極的に発信。
新聞・週刊誌にも多数のコメントを提供している。著書に『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(いずれも角川新書)など。

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(医師 木村 知)
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