故人を弔う慣習が日本で変わりつつある。ジャーナリストの伊藤博敏さんは「火葬で骨をきれいに残すのは日本独自の風習だが、近年は墓離れが起き、海や山への散骨を選ぶ人も増えている。
この風俗習慣の変遷が日本に与える影響は大きい」という――。
※本稿は、伊藤博敏『火葬秘史 骨になるまで』(小学館)の一部を再編集したものです。
■なぜ日本人は火葬で「骨」を残すのか
火葬場の建設整備と火葬炉の近代化は、火葬率の上昇と軌を一にしている。火葬率は、明治20年代に20%を超え、大正時代に50%に近づき、1940年に55%となった。戦後は経済成長に合わせてさらに増え、1970年に80%となって火葬大国となり、今は99.9%が火葬である。土葬と火葬の違いは言うまでもなく「骨」が残ることだ。
火葬場の職員はいずれも「お骨に対する遺族の思いを最大限尊重する」という“作法”を心得ているという。説明するのは葬祭ビジネス研究家の福田充だ。葬儀ビジネス雑誌の編集長などを務め、葬祭文化の専門家として葬儀社や葬儀組合などのアドバイザーも務めている。
「日本の火葬業は、頭蓋骨やのど仏をできるだけきれいな形で残したいというある種の“信仰”を、最大限尊重して火葬のプロセスを発展させてきました。もし多少、骨が崩れても灰が残ればいいという発想ならば、高密度かつ高温で焼却すればいい。時間が短縮できますし、全自動操作も可能になります」
しかし拾骨が遺族にとって大切な時間である以上、あえてそうした技術を取り入れずに伝統を守っている。
また、「火葬炉の技術と同じかそれ以上に火葬場職員の力量が求められている」と、福田が続ける。
■「骨への信仰」は日本独自
「遺体には太っている人、痩せている人、男性と女性、お子さんだっています。事故の場合は燃やすのが難しい水死体なども考えられる。そうした遺体をきれいに骨が残る形で焼くには、やはり現場の人間の手で、微妙な操作をする必要があります。ご遺族が拾骨する時、悲しい気持ちを抱かせてはならない。きれいに残った骨を拾うことが、ご遺族の癒やしにもなるのです」
世界の火葬場の趨勢は、焼き切って灰にすることを目的とするもの。炉前で職員がのど仏を探し骨の状況を説明し、その後みんなで箸渡しをして骨を拾い骨壺に納めるという習俗は日本独自だ。
「骨への思い」は明治期以降の火葬の普及に伴うものなので、縄文時代からあった「弔いの歴史」から考えれば短い。ただ、「骨への思い」が生まれる背景には、神道と仏教と儒教などが融合した多神教とも無信仰とも取れる日本人の宗教観がある。
■形あるすべてのものを信仰の対象とした日本人
もともと日本人は形ある自然界のすべてのもの、太陽や月、山や岩、大木や河川、雷や火などに霊格を見出し、神々として信じ、畏敬した。古代に人力で制御できないものをすべて神とするのは、多くの民族にも共通しておりアニミズムの世界である。ただ、自然を制する呪術師や預言者、部族王など人的崇拝を経てアニミズムを脱するのが一般的なのに対し、日本の場合は神道として宗教化した。
八百万の神として祀ったのである。
6世紀以降、国家体制を築く過程で「記紀」を編纂し、国生みの物語から始めて天皇を天孫降臨した神の子孫として神格化したのも大きい。しかも、八百万の神を信奉するが教義を持たない神道は融通無碍で、中国から伝来した仏教や儒教を、国家の運営と護持のために利用した後、平安時代になると神と仏を一体化させた。
神仏習合であり、「神道の神々は仏教の仏の化身である」という本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)である。皇祖神の天照大神は大日如来の化身というわけで、仏が神の上位にいる印象だが、実際は神道の懐の深さの証明で、神の化身が仏だという逆本地垂迹説を述べる人もいる。
いずれにせよ仏教も神道も多神教であり信心するものを幅広く救う。仏教開祖の釈迦は厳しい修行の後、心身を悩ませる煩悩を脱して悟りの境地に至ることを弟子や信徒に求めたが、日本に渡来したのは釈迦の教えをそのまま継承する小乗仏教ではなく、能力も知識もない衆生を救済する大乗仏教である。みんなのための「大きな乗り物」という意味だ。
■日本人のほとんどは「無宗教」を自認する
このあたりの幅広さが神仏習合を長く続けた日本の良さだが、逆に偶像崇拝を禁じて唯一神への絶対的な帰依を求めるキリスト教やイスラム教など一神教とは異なり、信仰への懐疑を生む。多くの日本人が「無宗教」だと思っているのはそのためで、葬儀や法事を葬式仏教に頼っていても、宗派を意識して仏教徒と名乗る人は少ない。
NHK放送文化研究所が2018年に実施した「宗教」に関する調査によれば、信仰している宗教について「仏教」と答えた人が31%、「神道」が3%、「キリスト教」が1%だった。
「冠婚葬祭の時だけの宗教でなく、あくまであなたご自身が、ふだん信仰している宗教」という但し書きはついていたものの、神仏を拝む頻度は「年に数回」という人が約半分で、「薄くなる信仰心」が指摘された。

「信仰している宗教はない」という62%の回答者と合わせ、仏教徒を自認している人を含め、日本人の多くは葬式と法事で仏教に親しむ葬式仏教を風俗習慣として選んでいるということだろう。
■仏教の教えがわからない分、形に残るものが欲しい
従って、葬式仏教を一つの宗教と考えることもできる。例えば曹洞宗の葬儀である。道元が開山した禅宗の曹洞宗の葬儀は、「故人が仏の弟子になるための儀式」でもある。だから前半部で故人が戒名や戒法を授かるための「授戒」を行い、後半部で故人を仏の世界に導く「引導」を行う。その流れの中でお経や回向文が読まれて焼香が行われる。
故人の家族・親族はこの儀式によって、あの世に仏の弟子として旅立つ者の安穏を祈ることができるし、参列者もまた祈り、別れを告げられる。一神教の神はイメージできなくとも、仏教の教義は理解できていなくとも、葬儀や法事、お盆や彼岸のお墓参りや供養を通じて、仏教徒としての信仰を持ち、宗教的行為を行っている。
だから「骨をきれいな形で残したい」という意識が生まれるのではないか。教義・経典からの信仰でない分、形あるものが欲しくなる。
葬儀が一般化するのは鎌倉仏教が普及する室町時代以降のことで、江戸時代の檀家制度によって葬儀と墓が浸透し、特に明治時代の火葬によって「家墓」が建てられ、そこが供養の中心地となる。故人は弔う対象だけでなく、見守ってくれる存在でもあり、神道の影響で祖霊信仰を持つ日本人は、寺や神社、墓や仏壇、神棚の前で、手を合わせて祈り、加護を願う。

■「きれいな遺骨」から、海や山に撒く散骨へ
そのためにも「きれいな遺骨」が求められた。また、そこには戦死者の遺体を「英霊」として篤く扱い、社会的に追悼してきた戦前・戦中の影響もあろう。
始まったのは日中戦争の開始とほぼ同時期の1937年頃からで、帰還した英霊を運ぶ列車には「英霊」の文字が印刷された白地に黒枠の紙が貼られ、人々が拝礼できるようにした。白木の箱に入った遺骨は白布で包まれて遺族に手渡され、正装した遺族が肩から吊って胸に抱き、斎場に向かいそこで慰霊祭が開催された。英霊は先祖代々の墓に納骨され、御霊は国家のために殉難した人を対象に創建された靖国神社に祀られた。
ただ、風俗習慣は時とともに移る。「骨への思い」にも変化が生じている。戦争が遠くなるのと同様に、先祖を祀り長男が承継する「○△家の墓」という家墓へのこだわりが、平成に入った1990年代から薄れていった。少子高齢化、核家族化、結婚しない層の増加などによって人口動態が変化し、「承継しない墓」への要望が生まれたのだ。その究極が骨を砕き粉骨して山や海に撒く散骨である。
■遺体さえ処理できれば仏壇も墓もいらないという風潮
散骨を提唱する「葬送の自由をすすめる会」が、1991年に設立された。宗教学者の島田裕巳はさらに進めて、遺骨を引き取らず火葬場に処理を任せる「0(ゼロ)葬」を推奨している。

島田によれば都会の家は、跡継ぎがない、相続税が支払えないなどの理由で、解体されることが多いという。であれば、いずれ処分される仏壇、遺影、位牌は必要ないものだし、その結果、訪れる人もいなくなった墓は無縁化し、無縁墓となるのだから、仏壇も墓もムダだという。そのうえでこう書く。
遺体を処理すればそれでいい。そんな時代が訪れている。

それは自由だということでもある。

自由であるということは、拘束がないということであり、同時に寄る辺がないということである(『0葬 あっさり死ぬ』集英社文庫)
■骨なし、墓なしがもたらす「時代の歪み」
無縁社会が進行し、慣習やしがらみから脱却した「個人化」によって自由を得た代償として、孤独死や無縁仏が増加し社会問題となった。こうした問題に直面し、一部では故人の尊厳を守る形で弔うために、行政や宗教法人がセーフティーネットを整備する動きも広がっている。
最終章で「人は死ねばゴミになる」と書いた島田は、ゴミになる覚悟を決めたのであり、ゴミにふさわしい死に方、弔われ方、死後の処理のされ方を考察する。以下がその結論だ。
0葬に移行することで、私たちは墓の重荷から完全に解放される。墓を造る必要も墓を守っていく必要もなくなるからだ(『0葬 あっさり死ぬ』集英社文庫)
実際1990年代以降は、葬儀の見直しが起こり、特に2000年代以降のネット化の進展によって「葬儀価格の見える化」が始まり、お布施や戒名料などの再検討もあって葬儀の簡素・簡略化が進んだ。
通夜なしの一日葬が人を呼ばない家族葬とともに一般化し、炉前に遺族が集まりただ焼くだけの直葬も増加した。
そうしたここ30年近い薄葬の流れをコロナ禍が後押しした。「拾骨に立ち会わない火葬」は、コロナ禍が長引けば、それが一般化する可能性も秘めていた。拾骨の慣習は戻ったが、「立ち会わなくてもいい」「遺骨は諸外国のように粉末でもらってもいい」という意識は、水面下で広がっている。

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伊藤 博敏(いとう・ひろとし)

ジャーナリスト

1955年福岡県生まれ。東洋大学文学部哲学科卒業後、編集プロダクションを経て、1984年よりフリーのジャーナリストに。経済事件をはじめとしたノンフィクション分野における圧倒的な取材力に定評がある。著書に『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』(小学館)、『同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史』(講談社)、『「カネ儲け」至上主義が陥った「罠」』(講談社)など。

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(ジャーナリスト 伊藤 博敏)
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