■保険営業における「大きな関門」
ゴールデンウイークに休日出勤し、吉井代理とあるお宅を訪問した。70代男性・春日さんはかんぽの既契約者。事前にアポイントを取っていたことから、同居する娘さんも同席していた。
「このところ、ずいぶん暑くなってきましたねえ。今年の夏もかなり暑くなりそうですよ。元気に乗り越えないといけませんね」
初対面でもフトコロに飛び込むのが吉井代理のやり方だ。
「今回、新しい特約ができたんよね。春日さんの主契約を見ると、いかんせん保障の額が少ないんですよ。娘さんに少しでも残してあげられるよう、せっかくだから主契約ごと乗り換えちゃうのも手だと思うんやけどね」
吉井代理の話し方には押しつけがましさがなく聞きやすい。同席している娘さんもうんうんうなずきながら会話を聞いている。
「お父さん、いいんじゃない? 吉井さんの言うとおりのやつにしたら?」
「そうかね」
横で見ていて感じるが、春日さん本人は保障の中身が乗り換えによってどう変わるかまできちんと理解しているとは思えない。とはいえ、ひと通り契約内容を説明し、娘さんも納得しており、その部分で営業方法としての問題はない。
話はとんとん拍子に進み、契約の手続きとなった。私がタブレットの設定をして、春日さんに画面を向ける。専用のペン(※1)で本人に記入してもらうのだ。
すべての保険営業では契約を結ぶ際に大きな関門がある。それが健康告知だ。
※1 専用のペン
このペンでないとタブレットは反応しない。ある猛暑の日、タブレットだけ持ってこのペンを局に置いてきてしまったことがあった。契約の段になって気づき、局に戻りペンを取ってお客のお宅に引き返した。汗だくの私をお客は憐れみの目で見ていた。
■耳元で囁かれた同僚からの「不正の誘い」
保険に加入する際、申込者は自分の健康状態について保険会社に告知しなければならない。過去の病歴、通院や入院の有無、服薬状況などの申告をもとに、保険会社は、保険への加入を引き受けるかどうか、また保険料や保障内容に制限を加えるかどうかを判断する(※2)。虚偽の告知があると、保険金の支払いが拒否されることもあるため、正確かつ誠実な告知は必須だ。
高齢者の場合、健康告知では「お薬手帳」を持ってきてもらうのが一番手っ取り早い。自分の持病をきっちりと把握している人は多くないため、「お薬手帳」にある薬の名称から、その人の持病を確認するほうが効率的なのだ。
娘さんが取り出してきた、春日さんのお薬手帳にはたくさんのシールが貼られていた。高齢者になれば、お薬手帳がシールでいっぱいというのはよくあるパターンだ。
「アムロジピン」。これは高血圧の薬。ほかの家でも何度も目にしているので、錠剤名だけでわかる。
「グリベンクラミド」。これはインスリンを出しやすくして血糖値を下げる薬。以前はかんぽでは告知の審査が難しかったらしいが、今はそうでもないらしい。
そうやってお薬手帳をチェックしていくと、吉井代理があるページを指差しながら、私の耳元でささやいた。
「半沢さん、これ、名前見るの初めてだったけど、今スマホで調べたら(※3)心臓の薬ですね。
※2 判断する
保険を引き受けるかんぽ生命側が被保険者のリスクを勘案する。高所作業員、建設作業員などの「危険作業従事者」、漁師、船員などの「海上・漁業関係者」、スタントマンなどが保険に入りにくいのは、それぞれの職業のリスクを勘案してのことである。
※3 スマホで調べたら
私用スマホは内規で営業先への持ち出しが禁止されていた。ただ、金融渉外部のメンバーはみな黙って持ち出して使用していた。とくに土地勘のない私はスマホなしではアポイント先にもたどり着けないのだ。
■あっさり覆された保険契約の前提
私は言葉に詰まった。これは外しておきましょうか? 心臓に持病があることを知りながら、それを告知しなければ、「告知義務違反」にあたるのではないか。
前職の保険代理店時代、新規開拓営業でどれほど契約取りに苦しんでいるときでも健康告知で不正をしたことはない。それをごまかせば、業界全体での公平性が失われるし、保険契約の根底を覆してしまうことにもつながる。保険の営業マンとして絶対超えてはいけないライン(※4)が告知義務違反だ。
「それはまずいでしょう」という言葉がノドまで出かかった。いや、ノドに届く前に私が押しつぶしていたのかもしれない。
ここで「NO」と言えば、契約は潰(つい)える。いろいろと気遣ってくれる吉井代理の顔を潰すことにもなるし、関係性も悪くなるだろう。
私は黙ってその指示に従い、春日さんに言った。
「『持病』のところには『高血圧』とお書きください」
※4 絶対超えてはいけないライン
保険代理店時代、健康告知になったタイミングではお客に自発的に告知事項を記入してもらっていた。これが保険募集におけるもっともオーソドックスなやり方だ。持病についてよくわかっていないというお客がいた場合のみ、「お薬手帳」の持参を依頼した。また、契約金額が大きいものなどは、ドクターとの面接を入れるなど徹底していた。なお、どうしても取りたい契約の場合に事前にドクターに裏金を渡すケースについては耳にしたことがある。これも絶対超えてはいけないラインであるが……。
■「不告知教唆」という立派な犯罪
お客が本当はある持病を申告せずに契約申し込みをすることを「告知義務違反」と呼ぶのに対し、お客が告知事項を告知しようとしているのに、営業マンが告知しないように勧める行為を「不告知教唆(きょうさ)」と呼ぶ。いずれも露見(※5)すれば、保険金が支払われなかったり、場合によって詐欺罪に問われる可能性さえある。
春日さんのケースでは、「お薬手帳」に記載された薬を知らなかったと主張すれば、厳密にはそのどちらにも当てはまらないかもしれない。
契約手続きが終わり、いつものようにバイクで休憩スポットとなっている公民館に向かった。さきほどのことがしこりになり、私は吉井代理に何も話しかけずにいた。電子タバコをふかしながら、吉井代理が言う。
「半沢さん、お疲れさまでした。バイアグラって知ってますよね。あれ、もともとは血流をよくする、心臓の薬なんですよ。それが、今ではアソコの血流をよくする薬になっちゃってるんですよね。薬なんてそんなもんなんですよね」
吉井代理は何が言いたいのだろう。心臓の薬もいろいろだから、春日さんの件も大丈夫ってことなのか?
吉井代理は、さっきのやりとりに私が疑念を抱いたことを感じ取り、少しでも言い逃れをしたかったのだ。これも彼の気遣い、やさしさなのだろうか……。
※5 露見
「告知義務違反」が露見するケースは2つ。
※6 道義的にアウト
金融渉外部では、程度の差こそあれ、ほとんどの者が不告知教唆まがいのことをやっていたはずだ。というのも、ほかの保険会社にくらべ、郵便局の顧客は圧倒的に高齢者が多い。必然的に持病のあるお客が多く、なんとしてでも契約を取りたければ、見て見ぬふりをすればいいからだ。言ってみれば、「正直者がバカを見る」世界なのだ。
■40歳を過ぎてタバコデビューしたワケ
金融渉外部の班分けは便宜上のものにすぎず営業マンは自由に動ける。給料はボテ(編集部注 郵便局で支払われる「募集手当」のこと)次第なので、それぞれが個人事業主のようなものだ。吉井代理から独立し、自分流のかんぽ営業を見いだそうと考えていた私はある人物に目を留めた。
Y郵便局金融渉外部主任の寺尾だ。寺尾はY郵便局金融渉外部では断トツ、東海支社管内でも5本の指に入る挙績をたたき出していたエース社員だった。私と同年代の40代半ば、長身でスーツの着こなしもスマートだが、表情に抑揚がなく、部内のほかのメンバーとの交流もほとんどないローンウルフだ。
Y郵便局では、2階の金融渉外部の隣に休憩スペースが設けられていた。ジュースの自販機が2台とソファー、机があり、社員がタバコ片手に息抜きする場である。金融渉外部のメンバーの半数以上は喫煙者で、始業前や終業後また業務途中にここへ足を運んだ。事実上の喫煙部屋かつ情報交換の場でもあった。ノンスモーカーの私にすれば、タバコの煙がもうもうとしているところにわざわざ行くのも馬鹿らしい。最初はそう考えていた。
ところが、自販機でジュースを買ったタイミングで喫煙部屋の吉井代理と雑談していると「ちょっと吸ってみますか?」と電子タバコを勧められた。興味本位で一服してみると紙タバコのような嫌な臭いがない。ここはたくさんの社員が垣根を越えて集まるコミュニケーション地点で、時に大っぴらにしにくいテーマも交わされる。ここで情報収集してみよう。そんな好奇心と下心から私は「プルームテック」を吸い始めた(※7)。
※7 吸い始めた
それまで私は1本のタバコも吸ったことはなかった。ノンスモーカーの私が突然吸い始めたものだから、タッコーから「40すぎてタバコやめましたは聞くけど、40すぎてタバコ始めましたは珍しいがね」と大笑いされた。
■エース社員の営業手法
喫煙部屋で“取材”しつつ寺尾の動きを観察しているうちに、彼の手法がわかってきた。得意とするのは「乗り換え契約」と「料済み契約」だ。
寺尾はかんぽ生命の既契約者をターゲットにしてアプローチする。20年満期の養老保険に加入していてもうすぐ満期の三井さん(68歳)が相手だ。
「三井さんに今入ってもらっているこの養老保険、本当にいいものにご加入されていますね」
まずはお客の既契約を褒める。これは保険営業マンの常道だ。
「ただ養老保険なので満期があるんですよ。満期の時点で結構なお金が下りてくる楽しみがあるんですけど、裏返せば、その時点で保障が終わってしまうんです。そこで一生涯の死亡保障ができる終身保険というものがあります。一生涯の保障だとご家族も安心できますし、こちらに乗り換えてみませんか?」
「たしかに死ぬまでの保障のほうが安心かもね」
68歳でまだまだ元気な三井さんも乗り気になる。
■“負担なく?”高額保険に誘導
「既存の養老保険を解約していただくと解約返戻金が350万円くらい(※8)戻ってきます。すごくよい時期に入ってもらっていたご契約なので戻りの額がすごいんですよ」
昔の保険は積立利率がよく、必然的に解約返戻金も膨らんでいる。高齢者ほど高額な保険を契約しているケースが多い。以前のかんぽ保険は積立利率も高く、「貯める手段」として契約している人も多かったからだ。
「新しい保険が不成立となってしまうと無保険の状態になってしまいます。大事なお客さまである三井さんのためにもそれは避けたい。なので、新契約成立を確認してからの解約のほうが安心です。新しい契約の初回保険料引き落としは来月下旬ですから、今の保険の解約返戻金を原資に使うこともできます」
既存の養老保険を解約することで三井さんが手にする解約返戻金350万円を次の契約の支払いに使ってもらう。こうすることで「月額10万円」などという常識から外れた高額保険料の支払いがしばらくのあいだ可能になる。
ただ、支払い保険料が高額になるため、「もし払えなくなったらどうしよう」と心配するお客もいる。そういうときに持ち出すのが「料済(りょうず)み契約」だ。
「2年とか3年で“料済み(※9)”にすることも可能ですよ」
「料済み」とはその時点で保険料の支払いをストップすることを指す。これによりお客は毎月の保険料を支払わなくて済むようになる。
「2年以上はがんばって掛けていただいて、その後ライフプランに沿ってどうするか考えてみるのがいいのではないでしょうか? その時点で料済みにしたとしても、しっかり保障は残るわけですし」
※8 解約返戻金が350万円くらい
既存の保険契約の解約返戻金はパソコンで検索すれば一発でわかるから寺尾はそれを頭にたたき込んである。
※9 料済み
保険“料”を支払い“済み”にすることから、郵便局員たちはこう呼んでいる
■営業マンが触れない「保障の減額」
たとえば、1000万円の死亡保障がついた終身保険(10年払い)を3年で料済みにしたとする。お客はその時点で保険料支払いをやめるが、死亡保障としては300万円が残る。逆に言うと、1000万円の保障は300万円に減額されているわけだが、寺尾は「しっかり保障は残る」を強調する。
本来、「料済み」はお客が保険料を払えなくなったときの最後の手段なのだが、契約時に寺尾のほうからそれを持ちかける。寺尾は支払い期間が短くなることだけを強調し、肝心の保障額が少なくなることには触れない。
なぜ「2年以上」なのか?
お客が契約後、2年以内に解約や料済みにすると、販売した局員に「ボテ返」が発生するためだ。「ボテ返」とは当初の契約に付いたボテを会社に返さねばならない(※10)仕組みで、給与明細にマイナス計上される。これを避けるため、2年以上はお客に“がんばって”もらう必要があるのだ。
※10 ボテを会社に返さねばならない
返納の割合は契約の経過期間によって変わる。契約してすぐの解約であれば100%の「ボテ返」になるが、契約期間が長くなればボテ返の割合も減っていく。
■お客のことは二の次
この寺尾の提案には2つの落とし穴がある。
保険料を支払わなくて済む分、保障額が大幅に減るというのが1点。もう1つは、昔の契約のほうが間違いなく積立利率がいいので乗り換えによってほとんどの場合お客は損をする(※11)という点。要はお客のことは二の次、三の次で、少なくとも2年間はできるだけ高い保険料を払ってもらうことで自分のボテを稼げるだけ稼ぐ。これが寺尾の戦略なのだった。
寺尾は頻繁にかんぽ生命の高額契約を取ってくる「できる営業マン」だ。局内の成績もつねにトップを独走している。局の年度目標達成に多大な貢献をしてくれる寺尾は、タッコーや真島課長にとっても貴重な存在(※12)だった。
その手法に異議を唱える者は局内にいなかった。
※11 お客は損をする
基本的に昔の保険ほど積立利率がいい。とくにバブル時代に契約した保険については、業界内では「お宝保険」と呼ばれ、解約返戻金が非常に大きくなっている。直近、「失われた30年」で経済も停滞し、積立利率も1%台半ばまで下がっている。よって乗り換えによって新たな契約をするとほとんどのケースで返戻率は大きく減少することになる。
※12 貴重な存在
とはいえ寺尾の役職は「主任」だった。郵便局には、局長↓部長↓課長↓課長代理↓主任↓ヒラという序列がある。年齢的にもまた挙績からいっても、寺尾が「主任」どまりなのが不思議だった。上層部は寺尾の手法がグレーゾーンだということを認識していたため、昇格させなかったのではないかと私は勘繰っていた。
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半沢 直助(はんざわ・なおすけ)
元かんぽ生命 営業マン
1975年、愛知県生まれ。大学卒業後、大手都市銀行に入行。その後、地方銀行、信用金庫、乗合保険代理店を経て、40歳をすぎて日本郵便に入社。東海地区の郵便局に配属され、かんぽ生命の保険営業に従事。かんぽ営業の手法、その裏側を実体験から描き出す。
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(元かんぽ生命 営業マン 半沢 直助)

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