すでに贅沢を知り尽くした富裕層は、一体なにに心を躍らせるのか。富裕層マーケティングを長く手掛ける西田理一郎さんは「エルメスのバーキンを持ち、フェラーリに乗り、3つ星レストランの高級フレンチを食べる……どれも最高の贅沢だが、これではもはやドーパミンが出ないのが本物の富裕層だ。
そんな彼らが行きついた“究極の遊び”を紹介したい」という――。
■トム・クルーズと同じ機体で「G」に耐える
今、世界の超富裕層の間で、「セットジェッティング(Set-jetting)」と呼ばれる潮流が爆発的な盛り上がりを見せている。映画のセット(Set)と、自家用ジェット機で飛び回るジェットセッター(Jet-setter)を掛け合わせた造語だ。
セットジェッティングの波が最も激しくうねっているのが、日本でも社会現象となった大ヒット作『トップガン マーヴェリック』の領域だ。
2022年に公開されたこの映画は、1986年のオリジナル版から実に36年ぶりの続編。トム・クルーズ演じるマーヴェリックが、若きパイロットたちを率いて不可能なミッションに挑む物語は、全世界で興行収入約15億ドルの大ヒットを記録した。そして今、この映画に触発された富裕層たちが、スクリーンの外で「本物の空」を求めている。
米国ラスベガスにある「スカイ・コンバット・エース(Sky Combat Ace)」は、元空軍F-16戦闘機パイロットが設立した究極のアビエーション・アトラクションである。ここで提供される「トップガン・エクスペリエンス」は、まさに映画の世界に飛び込む体験そのものだ。
特筆すべきは、使用される機体だ。「エクストラ330」は、世界最高峰のアクロバット機として知られ、映画『トップガン マーヴェリック』でトム・クルーズをはじめとするキャストの飛行訓練に実際に使われた機種である。
参加者はこの機体に搭乗し、「ブルーエア」と「レッドエア」に分かれて、本物のドッグファイトを繰り広げる。

フライトシミュレーターではない。本物の空で、本物のG(重力加速度)を浴びながら、敵機の「6時」(真後ろ)を取り合うのだ。映画でマーヴェリックが若いパイロットたちに叩き込んだ「キング・オブ・ザ・マウンテン」――勝者だけが空に残り、敗者は次の挑戦者に席を譲るサバイバル戦――を、自らの身体で体験する。
同社のウェブサイトには、こう記されている。
「これは、米軍以外で体験できる最もリアルな空中戦訓練です」
基本料金は約30万円(1999ドル)。4時間のプログラムには、ホテルからの送迎、プロのパイロットによるブリーフィング、フライトスーツの貸与、そして複数機によるドッグファイトが含まれる。参加者にはコールサイン(呼び名)が与えられ、映画さながらの「出撃」を体験する。
しかし、これはあくまで入口に過ぎない。
■50分で「高級外車1台分」が消える世界
富裕層が本気を出すと、金額は桁違いに跳ね上がる。
フロリダやカリフォルニアでは、実際のジェット戦闘機「L-39アルバトロス」の後席に搭乗できるプログラムが存在する。チェコスロバキア時代に開発されたこの練習機は、世界30カ国以上の空軍で使用された本物の軍用機だ。最高時速750キロ、急旋回時には4G以上の重力加速度がかかる。

前述の「エクストラ330」が、最高時速354キロであることを見れば、そのすさまじさがわかる。
料金体系は明確だ。30分のフライトで約75万円(4950ドル)、45分で約100万円(6400ドル)、1時間で約115万円(7750ドル)。これだけでも十分に高額だが、真の富裕層はここで満足しない。
敵機役として追加の機体をチャーターし、フォーメーション飛行を組む。自分が「マーヴェリック」なら、相手は「ハングマン」だ。プロの撮影クルーを手配し、チェイス機から自らの雄姿を収めさせる。プライベートジェットで現地入りし、専用ハンガーでVIP対応を受ける。
オプションを積み上げていけば、50分に満たないフライトで800万円を超える金額が消えることも珍しくない。ポルシェ911の新車が、文字通り「煙と消える」のである。
さらに上を目指す者もいる。
かつてロシアで提供されていたMiG-29の成層圏フライト体験は、50分で約280万円(1万7500ユーロ)。
音速を超え、高度2万メートルを超える「宇宙の入り口」まで上昇するこのプログラムは、まさに「大人の遊び」の極北だった(現在はウクライナ情勢により休止中)。
冒険旅行を専門とする米国の「インクレディブル・アドベンチャーズ」社によれば、同社が手掛ける体験の価格帯は「325ドルから100万ドル以上」。戦闘機体験やゼロG(無重力)フライト、潜水艦探検などを組み合わせたフルカスタムの冒険パッケージでは、1億円を超える案件も存在するという。
■「死と隣り合わせの生の実感」という最高級品
彼らは、なぜわずか1時間足らずに高級外車が買えるほどの金額を投じるのか。
答えは単純だ。「もはや普通の遊びではドーパミンが出ない」のである。
ビジネスの世界で修羅場をくぐり抜けてきた彼らにとって、テーマパークのアトラクションはあまりにも刺激が足りない。絶叫マシンの落下で叫んだところで、会議室で経験するプレッシャーの足元にも及ばない。遊園地は「安全」を前提に設計されている。レールの上を決められた通りに動く乗り物では、どれほど速くても、どれほど高くても、本質的に「受動的」な体験でしかない。
しかし彼らが求めているのは、コントロールされた「能動的な危険」の感覚なのだ。
L-39のコックピットで急旋回を決めれば、内臓が押しつぶされるような4Gの重力加速度が襲いかかる。
視界の端からグレーアウトが始まり、意識の淵をさまよう瞬間がある。それは、エルメスのバーキンを買っても、フェラーリに乗っても、ミシュラン三つ星で食事をしても、絶対に味わえない感覚だ。
「死と隣り合わせの生の実感」――これこそが、彼らにとっての最高のアドレナリンなのである。
本物のリスク、本物の重力、本物のスピード。フィクションの世界観を借りながらも、体験する負荷は「リアル」であること。これが現代の富裕層を熱狂させる条件だ。
映画『トップガン マーヴェリック』でトム・クルーズが見せた「まだ現役だ」という気概――それを自らの肉体で証明したいのである。
■「物語」というフレームがなぜ必要なのか
ここで一つ、重要な問いがある。
スリルを求めるなら、なぜわざわざ「トップガン」という看板にこだわるのか。純粋にアクロバット飛行を体験すればいいではないか、と。
しかし、「物語」というフレームこそが決定的に重要なのだ。
人間の脳は、単なる刺激よりも「意味のある刺激」に強く反応する。
同じ4Gの重力加速度でも、「アクロバット飛行を体験した」と「マーヴェリックと同じ訓練を乗り越えた」では、脳内で分泌されるドーパミンの量が違う。物語は、体験に「意味」を付与する装置なのだ。
数十万円から数百万円、時に1億円を超える金額を投じて、物語の「主人公」になる。肉体を極限まで追い込み、リスクを引き受け、自らの人生を「編集」する。
どのレベルが正しいということではない。それぞれの人が、自分の価値観と経済力に応じて、最適な「没入度」を選べばいい。
ただ、一つだけ確かなことがある。
現代の富裕層にとって、「消費」はもはや満足をもたらさない。彼らが求めているのは「体験」であり、それも受動的な体験ではなく、自らが主導権を握る能動的な体験だ。
モノを買う時代から、コトを買う時代へ。そしてコトを買う時代から、「自分自身を書き換える」時代へ――。
価値観は大きな変化を遂げている。


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西田 理一郎(にしだ・りいちろう)

価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役

富裕層向けブランド体験の「物語」を紡ぐナラティブ・マーケティングをプロデュース。また、情報伝達を超えた行動を仕組化し、個の全盛時代において、ラグジュアリー市場での持続的成長を実現する知の「価値共創」戦略を構築する。プレミアムブランドの世界観を体現する戦略的プラットフォームの商品化を手がけ、ミシュラン・ガストロノミーから超高級ライフスタイルまで、文化的価値を経済価値に転換するマーケティング、ブランディングを専門とする。「to create a Real LIFE 敏腕マーケターが示唆するこれからの真の生き方とは」「Life is a Journey」「食と文化の交差点 ガストロノミーへの飽くなき情熱」などのメディア掲載・連載を通じて真のラグジュアリーとは「所有」ではなく「体験」であり、その体験に宿る物語こそがブランド価値の源泉である――という信念のもと、富裕層マーケティングの新境地を開拓し続けている。主要著書に『予測感性マーケティング』(幻冬舎)、『アフターコロナ時代のトラベルトランスフォーメーション』(ゴマブックス)、『GRAND MICHELIN ミシュラン調査員のことば[特別編集版]』(アンドエト)がある。個人サイト

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(価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役 西田 理一郎)
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