バレンタインの季節がやってきた。チョコレートの価格帯は、1箱数千円で買えるものから、2万円を超えるものまで幅広い。
富裕層マーケティングを長く手掛ける西田理一郎さんは「世界には1粒100万円超という高価格チョコも存在する。ただし、それを買っているのは“本物の富裕層”ではない。彼らが本命に贈るチョコレートは、全くの別次元の代物だ」という――。
■「女性→男性」は日本だけ
2月14日。バレンタインデーである。
東京のデパート各社が、この日に向けて特設会場を設け、連日長蛇の列ができる。義理チョコ、本命チョコ、友チョコ、日本の女性たちが、職場や学校の人間関係に配慮しながら、チョコレートを配り歩く。そして男性はそれをただ待つ――。
今は崩れつつあるが、かつてはこの光景を、私たち日本人は当たり前のように、受け入れてきた。
だが、少し立ち止まって考えてみてほしい。
この「女性から男性にチョコレートを贈る」という風習は、実は世界的に見れば極めて特異なものである。
欧米諸国では、バレンタインデーは「カップルが相互に愛を確認し合う日」として定着している。
アメリカでは、男性が赤いバラやジュエリーを贈る一方、女性もカードやギフトで応える。イギリスでも、カップルが相互にギフトを交換し、匿名の「バレンタインカード」を送り合う伝統がある。統計では、男性は花を、女性はカードを贈る傾向が強いが、いずれも双方向の愛の表現だ。
「ホワイトデー」は1970年代に日本の菓子業界が生み出した概念で、現在は韓国・台湾など東アジアの一部に広まっているが、欧米には存在しない。欧米では、バレンタインデー当日にカップルが同時にギフトを交換するため、1カ月後の「お返し」という発想自体が不要なのだ。日本のように女性が一方的に贈る構造ではなく、バレンタインデーそのものが相互的な愛の表現の機会として機能している。
この事実を知ったとき、私は日本のバレンタイン商戦の滑稽さに気づかされた。チョコレート業界の販促キャンペーンが、いつの間にか「文化」として定着してしまったこの国で、本当の愛の表現とは何かを考え直す必要があるのではないか。
そして、その問いに対する答えを、すでに実践している人々がいる。いわゆる「富裕層」と呼ばれる人々である。
■「1粒100万円」超高級チョコレート
まず、高額チョコレートの世界から見てみよう。
ポルトガルの中世の街オビドスで開催されるチョコレートフェア。
2018年、このイベントでポルトガル人ショコラティエのダニエル・ゴメス氏が発表したダイヤモンド型のチョコレートは、世界中のメディアを騒がせた。価格は7728ユーロ、当時のレートで約100万円である。
食用金で覆われたその表面の下には、サフランの糸、白トリュフ、マダガスカル産バニラ、金片が散りばめられている。限定1000個のうちの1つが展示され、制服を着た警備員2名に守られていたという。ゴメス氏は、ギネスブックから「世界で最も高価なチョコレート」として認定されたと述べている。
だが、冷静に考えると100万円のチョコレートは、1000円のチョコレートの1000倍美味しいのだろうか(1粒1000円でも充分高級な部類に入るだろうが)。
答えは明らかにノーである。
しかし、それでいいのだ。このチョコレートの価値は「味」ではない。「物語」なのである。限定生産という希少性、警備員に守られるという演出、そして「世界一高価」という称号。それらが織りなす物語こそが、100万円という価格を正当化する。

■3700万円のチョコレートドリンク
さらに極端な例がある。
ニューヨークの老舗レストラン「Serendipity 3」が提供した25万ドル(約3700万円)の「フローズン・ホットチョコレート」だ。
ただし、ここで重要なのは、価格の内訳である。CNBCの報道によれば、25万ドルの大部分は、宝飾デザイナーのロレイン・シュワルツがデザインした18Kホワイトゴールド製の指輪――ピンクのハート形ダイヤがあしらわれた一点物――の価格なのである。
つまり、これは「25万ドルの飲み物」ではない。「宝飾品購入という行為を、飲食体験という舞台装置で演出した」商品なのだ。プロポーズの瞬間を、最高級のホットチョコレートとともに演出する。その「体験」に25万ドルを払う人がいるということである。
日本にも同様の事例がある。ブルガリが販売する1粒1750円のチョコレートだ。
東京・ブルガリ銀座タワーの8階にある工房で、専属ショコラティエが一粒ずつ手作りする。海外の「100万円チョコ」や「3700万円の儀式」に比べれば桁は小さいが、本質は同じである。

価格の中身が「原料」ではなく、「場所」「職人」「物語」「宝石ブランドというラベル」で構成されているのだ。
■本物の富裕層は「超高級チョコ」に興味を示さない
しかし、本当の富裕層は、高額チョコレートを「買う」ことにすら興味を示さない。
なぜか。それは、いくら高額であっても「買う」という行為が受動的だからである。真の贅沢とは、能動的に参加することなのだ。
その最たる例が、カリブ海の島国セントルシアにある「ラボット・エステート」である。
英国のプレミアムチョコレートブランド「Hotel Chocolat」が所有するこのカカオ農園は、単なる生産拠点ではない。世界中のチョコレート愛好家が訪れる「体験の聖地」となっている。
140エーカーの広大なラボット・エステートでは、その中の6エーカーのエリアで「Tree to Bar(カカオの木からチョコレートバーまで)」と呼ばれるプログラムが提供されている。
参加者はまず、ユネスコ世界遺産に登録されているピトン山を望む熱帯雨林の中を歩き、カカオの栽培について学ぶ。そして実際にカカオポッドを収穫し、発酵から乾燥、そして最終的なチョコレートバーの製造まで、すべての工程を自らの手で体験するのである。
「バレンタインにチョコを贈る」のではなく、「バレンタインにチョコの起源へ身体ごと入り込む」。
この発想の転換こそが、富裕層的な消費パターンの本質なのだ。
コスタリカの「フィンカ・ラ・アミスタッド」は、さらに一歩進んでいる。95ヘクタールの農園の半分を高品質カカオに充て、農園内にチョコレート製造設備を完備。滞在者は自分で収穫したカカオから、その場でチョコレートを作ることができる。宿泊施設も農園内にあり、朝起きればカカオの木々が窓の外に広がる。チョコレートの「所有」ではなく、カカオ農園での「生活」そのものを体験できるのである。
そして、究極の形態が存在する。マダガスカル北西部のサンビラノ渓谷に広がる「ベジョフォ・エステート」だ。2000ヘクタールという広大な土地を所有し、単一プランテーションからのカカオでチョコレートを生産している。
ポイントは、ここでの「富裕層の気分」が、単なる「高価格」ではない点にある。「原料調達」ではなく「土地の所有」にまで降りていくこと。それこそが、本当の意味での「オリジン」への到達なのだ。

恋愛の贈り物が、いつの間にか「土地と起源の所有ゲーム」に変質している。この現象は、現代の富裕層消費を理解する上で極めて重要な示唆を与えてくれる。
■海底に潜り、自らダイヤを採取する
さて、ここまでの話はあくまでチョコレートの世界にとどまっていた。
もう一歩踏み込んで、「バレンタイン=チョコレート」という枠組みを超えて富裕層の世界を覗いてみると、彼らの贈り物に「ダイヤモンド」は欠かせない。
そして、世界で一つしかない「唯一無二のダイヤモンド」を、自らの手で海底から採取し、研磨し、ジュエリーに仕立てる――そんな体験が、南アフリカにある。
南アフリカ西海岸を流れる「ベンゲラ海流」。
喜望峰付近から北上し、アンゴラ沖まで達するこの寒流は、アフリカの小川や河口から流れ出る水を運び、海底に大量のダイヤモンドを堆積させている。鉱山で採掘される「第一のダイヤ」でも、人工合成の「第二のダイヤ」でもない。川に流され、数千年の間に雨や風の浸食を受け、海にたどり着いた「第三のダイヤ」――オーシャン・フロア・ダイヤモンドと呼ばれる、極めて希少な存在である。
この海底ダイヤモンドを自ら採取できる「ダイヤモンド・サファリ」を提供しているのが、ベンゲラ・ダイヤモンド社である。
■プライベートジェットから始まる1日
体験の1日を追ってみよう。
早朝7時、ケープタウンの5つ星ブティックホテル「エラーマン・ハウス」を専用リムジンで出発。ケープタウン国際空港からプライベートジェット(ピラタスPC12またはキングエア200)に搭乗し、大西洋の海岸線に沿って北上する。
約75分のフライトで到着するのは、ミネラル豊富なポートノロスの海岸だ。
海を見下ろす豪華なビーチヴィラで、プライベートシェフが用意する朝食をゆっくりと味わった後、ダイブマスターからブリーフィングを受ける。そしていよいよ、ダイヤモンド・ダイビングの時間だ。
必要なのは、PADIオープンウォーター1の資格と、冒険心だけである。比較的浅い水深でのダイビングのため、経験が浅くても参加できる。すべてのダイビング機材は用意されており、安全で快適な体験が保証されている。
海底では、専門のダイバーたちが巨大な吸引パイプを操作し、海底の砂利を水面に汲み上げる。分類器で大きな石と砂利を分離し、さらに振動パンシステムで重い石を選別していく。ガーネット、オリビン、そしてダイヤモンド――重力の法則に従って、宝石たちがその姿を現す瞬間を、自らの目で見届けることができるのだ。
午後はビーチヴィラのテラスで、南アフリカならではのシーフードランチを楽しむ。新鮮な釣りたての魚、あるいは西海岸産のロブスター。エラーマン・ハウスから同行したプライベートシェフが、極上のグルメランチを準備し、受賞歴のある南アフリカワインとのペアリングを提案してくれる。
そして食事の後、いよいよダイヤモンドの選別が始まる。ベンゲラ・ダイヤモンド社の専門家とともに、未研磨のダイヤモンド原石を一つひとつ手に取り、その輝きを確かめる。自らが海底から引き揚げた石の中から、最も心に響く一粒を選ぶ。その瞬間の高揚感は、いかなる宝飾店での購入体験とも比較にならないだろう。
選ばれたダイヤモンドは、ステレンボッシュのスタジオに送られる。そこで熟練の職人が研磨を施し、カット、ポリッシュを経て、輝くジュエリーへと姿を変える。デザインから完成まで、わずか3営業日。世界でたった一つ、自らが海底から見つけ出したダイヤモンドが、永遠の輝きを放つリングやネックレスとなるのである。
夕方、プライベートジェットでケープタウンに戻る。エラーマン・ハウスでは、シグネチャー体験「ドン・ペリニヨン・エクスペリエンス」が待っている。夕陽が大西洋に沈む中、ヴィンテージのドン・ペリニヨンを開け、エグゼクティブシェフが用意した弁当箱スタイルのディナーを堪能する。
一連の体験にかかる料金は、宿泊費、ポート・ノロスまでの往復交通費、ドン・ペリニヨン・エクスペリエンスを含む飲食費、あわせて1万6125ドル/人、日本円にして250万円ほど。これに、採掘したダイヤモンド、ジュエリーのデザイン、製作にかかる費用が上乗せされる形だ。
この体験のもう一つの美しさは、その「倫理性」にある。
従来の鉱山採掘に伴う児童労働や環境破壊といった社会問題とは無縁の、まさにエシカルなダイヤモンド。労働環境も配慮され、海が穏やかな日にのみ船を出すという自然との調和。「ブラッド・ダイヤモンド」の影を払拭した、新時代の宝石である。
■贅沢=高額な物を所有することではない
バレンタインデー、大切な人に、デパ地下で1箱3000円、あるいは奮発して2万円のチョコレートを贈る。それが悪いとは言わない。愛を伝えるジェスチャーとして、一定の機能を果たしていることは確かだろう。
だが、もし本当に大切な人に、本当の愛を伝えたいと思うなら、「何を買うか」ではなく「何を体験するか」を考えてみてはいかがだろうか。
カリブ海の農園でカカオの木に触れ、自らの手でチョコレートを作る。アフリカの海底に潜り、数千年の時を経たダイヤモンドを自ら見つけ出し、世界で一つだけのジュエリーに仕立てる。
それは確かに、誰もが簡単に手が届くものではないかもしれない。しかし重要なのは、金額の大小ではない。「買う」という受動的な行為から、「体験する」という能動的な行為への転換である。
近所のチョコレート工房で、二人でトリュフを手作りしてみる。それだけでも、デパ地下で高級チョコを「買う」こととは、まったく異なる意味を持つはずだ。
富裕層が示しているのは、「贅沢とは高額な物を所有することではなく、かけがえのない体験を共有することだ」という真実である。その本質を理解したとき、バレンタインデーの意味は一変する。
デパートの行列を横目に、「本当の贈り物とは何か」を、もう一度考えてみてほしい。
物は時とともに色褪せる。しかし、体験の記憶は永遠に輝き続ける。世界で一つだけのダイヤモンドが放つ光のように。

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西田 理一郎(にしだ・りいちろう)

価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役

富裕層向けブランド体験の「物語」を紡ぐナラティブ・マーケティングをプロデュース。また、情報伝達を超えた行動を仕組化し、個の全盛時代において、ラグジュアリー市場での持続的成長を実現する知の「価値共創」戦略を構築する。プレミアムブランドの世界観を体現する戦略的プラットフォームの商品化を手がけ、ミシュラン・ガストロノミーから超高級ライフスタイルまで、文化的価値を経済価値に転換するマーケティング、ブランディングを専門とする。「to create a Real LIFE 敏腕マーケターが示唆するこれからの真の生き方とは」「Life is a Journey」「食と文化の交差点 ガストロノミーへの飽くなき情熱」などのメディア掲載・連載を通じて真のラグジュアリーとは「所有」ではなく「体験」であり、その体験に宿る物語こそがブランド価値の源泉である――という信念のもと、富裕層マーケティングの新境地を開拓し続けている。主要著書に『予測感性マーケティング』(幻冬舎)、『アフターコロナ時代のトラベルトランスフォーメーション』(ゴマブックス)、『GRAND MICHELIN ミシュラン調査員のことば[特別編集版]』(アンドエト)がある。個人サイト

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(価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役 西田 理一郎)
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