■NHK朝ドラへの描き方への違和感
松江新報に「ヘブン先生日録」が連載されるようになって以来、松江では松野トキ(髙石あかり)も、彼女を娶ったレフカタ・ヘブン(トミー・バストウ)も、注目されるばかりかスターのようなあつかいを受けるようになり、とりわけトキはシンデレラにたとえられるなど、すっかり時の人になった。NHK連続テレビ小説「ばけばけ」の第17週「ナント、イウカ。」(1月26日~30日放送)。
しかし、じつをいえば、筆者は違和感をいだいていた。
トキのモデルの小泉セツは、ヘブンのモデルのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、人との付き合いを避けようとするのに苦労した。ハーンの死後、セツが口述した回想が筆記された『思ひ出の記』にも、「ヘルン(註・ハーンのこと)は面倒なおつき合いを一切避けていまして」と書かれている。それなのに、「ばけばけ」では毎日、朝食時に松江新報の記者の梶谷吾郎(岩崎う大)の取材に答える、という展開が不自然に見えたこともある。
だが、それ以上に、セツは松江では「シンデレラ」だなどと称揚されるよりも、むしろ差別的な目を向けられたのではなかったか、と思っていた。そうしたら、第18週「マツエ、スバラシ。」(2月2日~6日放送)で状況が大きく転換した。
■史実のセツは正真正銘の「ラシャメン」だった
松野家が抱える膨大な借金が、ヘブンのおかげでついに完済され、なぜか借金取りの森山銭太郎(前原瑞樹)まで参加してお祝いパーティが開かれた。そこに梶谷が訪れ、借金を返すことができた理由を取材した結果、翌朝の「ヘブン先生日録」に「松野トキさんがヘブン先生と夫婦になったことで、松野家はすべての借金をヘブン先生に返してもらい」云々と書かれた。
その途端、松江の市中でトキに向けられる目が激変した。
ちなみに「ラシャメン」とは、西洋人の妾のことを指す。しまいにはトキは石までぶつけられ、額にケガを負ってしまう。そのうえ夫婦とトキの両親らが暮らす家の前には、それまで持てはやされていたヘブン一家のグッズが、大量に廃棄されるまでになる。
ドラマだから、トキが町のヒロインのように持ち上げられる様子も、そこから一気に落とされ、叩きつけられる状況も、かなり極端に描かれてはいる。だが、どちらが当時の実態に近い描写かといえば、後者だと考えられる。「ばけばけ」では、トキは新聞記事のせいで「ラシャメン」だと誤解されてしまった。しかし、史実のセツは、当初はまぎれもない「ラシャメン」だったはずだからである。
■新聞に書かれた「ヘルン氏の妾」
「ばけばけ」のトキは、家からヘブンのもとに通って女中奉公し、次第にヘブンと心を通わせるようになり、結婚に至った。だが、史実では、ハーンが住み込みの女中を求め、細かい経緯はわからないがセツがそれに応えた。それが明治24年(1891)2月上旬のことだった。
その後、6月22日に2人が、塩見縄手(「ばけばけ」では高見縄手)の旧武家屋敷(現・小泉八雲旧居)に転居したときは、すでに事実上の夫婦だったので、セツは住み込みで働きはじめて間もなく、ハーンとの関係が深まったと考えられる。
だが、最初はセツが事実上の「ラシャメン」だったことは疑いない。その証拠に、ハーンにとっては日本で一番の親友だった西田千太郎(「ばけばけ」で吉沢亮が演じる錦織友一のモデル)にして、日記にセツのことを「ヘルン(註・ハーンのこと)ノ妾」と書き、セツ夫妻が旧武家屋敷に引っ越して1カ月経っても、まだそう書き続けていたのである。
だから、新聞がセツのことを「ラシャメン」と捉えたのも当然で、すでに「夫妻」の武家屋敷への転居後である6月28日付「山陰新聞」は、ハーンの私生活を報道した記事のなかでセツのことを「ヘルン氏の妾」と明記している。
■ハーンを一目見ようと黒山の人だかり
このようにセツは、事実上のラシャメンとしての道を選んだわけだが、さりとてそう呼ばれるのを嫌った。ハーンのひ孫の小泉凡氏も『セツと八雲』(朝日新書)にこう書く。「セツは八雲と暮らすようになり、『洋妾(ラシャメン)』と後ろ指をさされたそうです。それが本当につらかった、とセツは後年、明かしています。西洋人の妾になると、日本人の妾以上に偏見を持たれたそうです」。
愛妻がそのように見られることに、ハーンも心を痛めたようだ。前掲書には、夫婦が松江を離れてからのハーンの逸話として、次のような記述もある。「自分の家に寄宿させ、面倒を見ていた少年が洋妾(らしゃめん)の唄を歌ったのを聞きとがめ、実家に送り返した、という話も伝わっています」
だが、ラシャメンが偏見をもたれた背景には、いうまでもなく、当時の欧米人に対する偏見が存在した。まず、西洋人が憧れである前に、好奇の対象であったことを理解する必要がある。
セツの『思ひ出の記』には、夫妻が松江から熊本に転居後、隠岐を旅した際の以下の逸話が記されている。「西洋人は初めてというわけで、浦郷などでは見物が全く山のようで、宿屋の向かいの家のひさしに上って見物しようと致しますと、そのひさしが落ちて、幸いに怪我人がなかったが、巡査が来るなどという大騒ぎがありました」。
■東京に移住したワケ
欧米人を一目見たい、というだけで済むならまだいい。だが、ハーンが1年3カ月にわたって暮らした松江の人たちは、英語教育の面でも、郷土の魅力を見出し広く伝えてもらった点でも、ハーンから大きな恩恵を蒙ったはずなのに、ハーンが住んだ界隈について、「赤鬼が住むから近づくな」といい続けたと伝わる。
小泉凡氏は前掲書にこう記している。「明治の社会では、外国人はともすると、そうした得体の知れない存在だったのでしょう。それに来日したばかりの八雲が知事に次ぐような高給取りだったことが、地元の人々に複雑な感情を招いた面もあるようです」。
「ばけばけ」では、ヘブンが松江を離れる決断をするのは(第19週で熊本に転出する決断をするはずである)、トキを見ず知らずの土地に連れていって、心ない偏見から解放してあげたいと思ったから、という描き方をするようだ。
ハーンも同様の気持ちをいだいたのかもしれない。というのも、松江を離れてから5年後の明治29年(1896)の話だが、夫妻が東京に引っ越す際には、ハーンのそうした意志が働いていたからである。
■「東京は地獄」と言っていたが…
小泉凡氏は前掲書でこう述べている。「なによりセツは、大都市の匿名性を好んでもいました。
そのことをだれよりも理解していたのが、夫のハーンだったということだろう。
セツの『思ひ出の記』には、次のように記されている。「ヘルンはもともと東京は好みませんで、地獄のようなところだと申していました。東京を見たいというのが、私のかねての望みでした。(中略)私に東京見物をさせるのが、東京に参る事になりました原因の一つだといっていました」。
トキがシンデレラのように持てはやされたのには、違和感を拭えなかった。だが、周囲の偏見にさらされ、それにヘブンが心を痛めるこれからの展開は、小泉セツと八雲の実際を知るためにも見どころになるのではないだろうか。
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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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