国のトップが働く場所には国家機密が集まる。軍事アナリストの小川和久さんは「先進国の大統領・首相の官邸や執務室には高度なセキュリティ対策が施されているが、私が2002年に完成間近の首相官邸をチェックしたときは26カ所の穴が見つかった」という――。

※本稿は、小川和久『総理、国防も安全も穴だらけ! 国民を守れない国・ニッポン』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
■「元首相が銃撃される」という大事件
2022年7月8日、安倍晋三元首相が銃撃された。
それをネットの速報で知ったとき、私の中にはくるべきものが現実になったという、醒めた気持ちしか湧いてこなかった。悲しみの感情はなかった。ただ、シンゾーを死なせたのは自分だという思いだけが強まっていった。
安倍氏とは面識もある。食事をしながら意見交換したこともある。首相官邸の会議のメンバーとして日本版NSC(国家安全保障会議)の創設に取り組んだこともある。好感も抱いていた。安倍氏の秘書官時代の仲間に倣(なら)って、心の中ではシンゾーと呼ばせてもらってもいた。日本国の未来を託せる人物だと期待もしていた。
通行人が撮ったスマホの画像の中で、シンゾーは顔を苦痛に歪めることもなく駆け付けた人びとの心臓マッサージを受けていた。
一目で即死状態だと分かった。息絶えていく安倍氏の姿が、日本国の姿と二重写しになって私の脳裏から離れなかった。
■日本は本当に安全な国なのか?
安倍氏は日本のセキュリティの未熟さゆえに命を失った。安倍氏は権力維持のために巧みに「官邸ポリス」と呼ばれる警察官僚OBらを使って憲政史上最長の政権という金字塔を打ち立てたものの、頼りにしてきた警察の無力さに気づかなかったせいで自らの首を絞めることになった。
私は20年以上前から指摘してきた日本警察の短所が2022年段階になってもまったく改善されていないのに愕然とし、天を仰いだ。日本が苦手としている国家・社会の安全面の課題が安倍元首相の暗殺という形で噴き出したのだ。専門家の一員として役に立たなかったことが悔やまれた。
このまま放置すれば日本は危機管理の面から国を滅ぼしかねない。それは自分たちの家族や縁者の、愛する者たちの生死にも関わる。安倍氏の絶命が報じられる頃には、私はタイミングを失しない時期に世論喚起の書を世に出しておこうと心を決めていた。
■首相官邸は完成当初から「穴だらけ」
私が首相官邸と関わることになったのは、小渕恵三内閣の野中広務官房長官との出会いからだと言ってよい。短期間のうちに野中氏から大きな仕事を任せられることになり、私は国家の危機管理の中枢に引きずり込まれることになった。
具体的には情報収集衛星とドクターヘリの実現である。
初対面の野中氏の印象は、初めて会った相手の急所、つまり男性のシンボルをいきなり掴んだという田中角栄流の「手口」を思い起こさせた。私は野中氏を人たらしだと思ったが、事実、野中氏の笑顔には抗しがたい魅力があった。
私たちはたちまち波長が合い、会って半月後の1998年8月、北朝鮮の弾道ミサイル・テポドン1号の発射を受けて偵察衛星導入の議論が巻き起こったとき、野中氏は私の考え方でまとめるよう指示した。現在の情報収集衛星(IGS)はそれが形になったものである。IGSの誕生の内幕は本書の第3章で詳しく述べたい。
首相官邸側と関わりを重ねるうち、2002年3月20日、私は坂本森男内閣参事官から完成間近な首相官邸のセキュリティ・チェックを依頼された。このとき発見された数々のセキュリティ・ホールは2025年現在も放置され、古くて新しい「内なる脅威」として国家国民の安全を脅かしているから本書を書かざるを得なくなったのだ。
■専用車の防弾ガラスの厚さも知らない官僚
坂本氏からのメールには「内田総務官と相談いたしまして、小川さんに新官邸を見ていただくことになりました。来週のご都合がよい日時について教えていただきたいと存じます」とある。まだ官邸職員以外には内部を見せていないという。
内閣総務官の内田俊一氏は内閣官房のすべてを取り仕切る責任者、総務官僚の坂本氏は小泉純一郎首相(当時)を支える特命参事官チームのヘッドである。
官僚機構の頂点に立つ古川貞二郎官房副長官の許可も得てあるという。知的好奇心をくすぐられる提案だったし、少しでも国家国民の役に立つのであればと、私は坂本氏の申し出を受けることにした。
依頼が来たきっかけは、前年(2001年)に坂本氏と交わした防弾ガラスについての会話だった。
2001年11月、私は出版したばかりの『生物化学兵器ハンドブック』(啓正社、2000年9月刊)を坂本氏経由で小泉首相に渡したおり、坂本氏に首相専用車の防弾ガラスの厚さが何ミリか質(ただ)した。坂本氏は「知らない」と率直に答え、確かめてくるという。
■アメリカ基準の49ミリよりかなり薄かった
私は日本で唯一、防弾の研究をしている田之上俊朗氏が経営する株式会社セキュリコ(当時)の資料に基づき、アメリカの大統領専用車以外では厚さ49ミリの防弾ガラスが最強だと伝えた。
ブッシュ政権当時の大統領専用車の場合、その重さを支えるためと防弾化のため、ガラス収納部はアラミド繊維ケブラーⓇなどで補強され、厚さ12センチの窓ガラスは上下しない。運転席の窓も肉声でコミュニケーションするための3センチの空間以上は動かない。
首相専用車を確かめてきた坂本氏は、具体的な厚さを教える訳にはいかないが、49ミリどころではない、かなり薄いと白状した。私は、日本の首相専用車がアメリカ企業に送られて防弾処理されていること、その企業は売り込みのために外国の警備担当者を招き、日本の首相専用車の防弾を請け負っていることをアピールし、すべてを見せていること、その事実を日本の警察が知らないことを明かした。
そこまで日本警察のセキュリティ意識が低いとは坂本氏も思っていなかったようで、目を丸くして唇を噛みしめた。
■チェックに引っかかったのは26カ所
かくして私の官邸行きは3月26日に決まった。
まだ工事中のこと、旧首相官邸(現在の首相公邸)の厨房を通って新官邸の玄関にたどり着き、靴をスリッパに履き替えた。床はまだ汚れたままで、照明の自動点滅装置の感度も未調整の状態だった。参加する参事官チームには坂本氏の他、足立敏之氏(のちに国土交通省技監、自民党参議院議員、2024年12月、モルディブで死去)らが参加し、セキュリティの穴に目を光らせた。
国家機密だからすべてを明かす訳にはいかないが、私たちのチェックに引っかかったのは26カ所。3日で手直しできるものから、中には数年かかりそうなものまであった。私はそれをリストにして坂本氏経由で古川官房副長官と内田総務官、杉田和博内閣危機管理監に渡した。
本書の冒頭で首相執務室と防衛大臣執務室の盗聴防止対策の不備を明らかにしたが、ここでは先進国の大統領や首相の官邸や執務室に施されている対策を、初歩的な問題から順に紹介しておきたい。
■執務室に外部デバイスは持ち込めない
1.基本的な物理的対策
立ち入り制限:出入りする人物を厳格に管理し、清掃・整備も信頼性確認済みの人員に限定。

持ち込み制限:スマホ・電子機器・USBなどの外部デバイスを執務室に持ち込ませない。

定期点検:家具・配線・壁・天井などに異常がないか目視・点検。
2.電子機器・通信管理
機器検査:盗聴器・隠しマイクを発見するためのハンディスキャナや専用検査機器による点検。

通信遮断:携帯電話やWi-Fiの電波を遮断するジャマーやシールド。


専用回線の利用:暗号化された固定回線や専用ネットワークを使用。
3.構造・設備による対策
電磁シールド(ファラデーケージ):執務室全体を電磁的に遮蔽し、外部への電波漏洩を防ぐ。

防音施工:壁・床・天井を防音構造にして、音が外に漏れないようにする。

振動・共鳴対策:窓や壁越しに音をレーザーマイクで拾われないように二重窓・特殊フィルム・音波妨害装置を導入。
■首相執務室なのにスマホが使えた
4.専門的・高度な対策
TSCM(Technical Surveillance Counter Measures)専門部隊の常駐:専門の技術者が定期的・随時に盗聴検査を行う。

暗号化通信機器の常備:安全な電話・ビデオ会議用の専用端末を設置。

アクティブ・ノイズ・ジェネレーター:会話中に不可聴のホワイトノイズや超音波を発して盗聴を無効化。

定期的な模様替え・改装:盗聴器の仕込みを困難にするために、執務室の配置や装備を周期的に変更。
5.運用面での工夫
重要会議は“サウンドルーム”:完全防音・シールドされた専用室を別に用意して、特に機密性の高い話はそこで行う。

ダミー会話・欺瞞情報:あえて無価値な会話を流して、盗聴側を混乱させる。

複数重層のセキュリティ:物理・技術・人の面で多重防御を組み合わせる。
残念なことに、首相執務室でも防衛大臣執務室でも、スマホ・電子機器・USBなどの外部デバイスに対する持ち込み制限は課されていない。
そして持ち込んだスマホには受信圏内を示すアンテナマークがくっきり表示されている。
要するに、外部への電波漏洩を防ぐために執務室全体を電磁的に遮蔽する電磁シールド(ファラデーケージ)が施されていないということだ。
■政府側も業者も危機管理意識が薄い
それだけではない。
小泉政権時代、内閣府(当時)6階の内閣情報調査室(内調)に電磁シールドが施された直後、電話が使えないはずの会議室に外部から着電し、トップである兼元俊徳内閣情報官を激怒させたことがある。内調はアメリカならCIAにあたる。日本の情報機関の頂点に立つ組織だけに問題は深刻だった。
原因は明らかだった。電磁シールドを設置した業者がNTTドコモの携帯電話だけを意識し、周波数の違うauなどの携帯のことを考えていなかったのだ。
シールド設計は周波数帯を意識して作る必要がある。複数キャリアが混在する場合は、すべての周波数帯での遮蔽試験が必須なのに、政府側も業者も危機管理意識が薄く、漫画のような光景が出現してしまったのである。
本書を執筆している2025年秋になっても、官邸などのセキュリティにこの内調の教訓が活かされていないのだから、開いた口がふさがらない。

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小川 和久(おがわ・かずひさ)

軍事アナリスト

陸上自衛隊生徒教育隊・航空学校修了。同志社大学神学部中退。地方新聞記者、週刊誌記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。外交・安全保障・危機管理(防災、テロ対策、重要インフラ防護など)の分野で政府の政策立案に関わり、2012年4月から、静岡県立大学特任教授として静岡県の危機管理体制の改善に取り組んでいる。主な著書に『日本人が知らない台湾有事』(文藝春秋)『メディアが報じない戦争のリアル』(SBクリエイティブ)など。

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(軍事アナリスト 小川 和久)
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