日々のコミュニケーションの中で、感情をうまく表現できない子どもたちがいる。どうすればよいのか。
発達心理学者の渡辺弥生氏は「非行に走る子どもの中には、感情表現が苦手な子も多い。まずは、自らが抱くネガティブな感情に気づくことから始めてほしい」という――。
※本稿は、渡辺弥生『怒っている子どもはほんとうは悲しい 「感情リテラシー」をはぐくむ』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■非行に走る子どもと「感情リテラシー」
2025年に入り、思春期や青年期の子どもによる事件がたびたび報道されています。5月9日、愛知県田原市で16歳の高校2年生の男子生徒が、同居する祖父(75歳)と祖母(72歳)を殺害したとして逮捕。祖父母には全身に多数の刺し傷がありました。
5月21日には、広島県福山市の通信制高校で、17歳の女子生徒が同級生の女子生徒3人を刃物で刺す事件が発生。被害に遭った生徒たちの命に別状はありませんでしたが、加害生徒は「殺してやろうと思った」と供述したとされ、衝動的な行動に出た可能性があります。
なぜ子どもたちは非行に走ってしまうのでしょうか。もちろん、世の中で起きるさまざまな事件をひとくくりに語ることはできず、それぞれの背景には、複雑な環境や個々の事情があります。
しかしその中で共通して見えてくるのは「子どもが自らの感情と向き合う力」、つまり「感情リテラシー」の重要性です。この力が十分に培われていないとどんな現象が起こるのか、子どもの日常生活から紐解いてみましょう。

■何気ない会話の中で湧き上がる複雑な気持ち
子どもたちは、日常生活の中で、じつは大人以上に、自分の「気持ち」に振り回されながら生きています。「えーと、えーと」と呟(つぶや)いているだけのように見えても、懸命に何かを自覚し、密(ひそ)かに悩んでいます。
誰かとうまく関わりたい、仲良くなりたいと思っていても、日々の暮らしの中では、さまざまな場面に出会い、さまざまな感情が湧き起こってきます。
たとえば、何気ないコミュニケーションの中で……。
「あれ? ひとり?」

「今日のテストの点どうだった?」

「そのランドセルの色、変わってるね」
そんなふうに声をかけられたり、話題にされたりすることがあります。
一見すると何気ないやりとり。でも、そうしたひと言ひと言の中に、子どもたちは戸惑いや気まずさ、不安や気後れといった、複雑な気持ちを抱くことがあるのです。
話しかけている人は、他意もなく、ふと思いついたことを口に出しただけかもしれません。受け手の方も、こうしたことに何のわだかまりもなければ、すらすらっと反応できるし、「そうなんだよ」と嬉しそうに、会話を続けることも何てことないでしょう。
■「空気を壊すこと」への嫌悪感
ところが、コミュニケーションにいろいろと悩んでいる人にとっては、そうした一見軽~いトークこそが、けっこう長い時間、気分を沈ませる引き金にもなったりしているのです。
その状況によっては、重たく、冷たく、抱えづらい思い出や事実の数々とつながったりします。瞬時にブワッとネットワークのようにひろがって、自分ではコントロールできない巨大な情報の塊のようになってしまうこともあるでしょう。

大きな「不自然な間」を、コミュニケーションの中で作ってしまうわけです。
「あ、どうしたの、なんか悪いことでも言っちゃった?」と軽く、間を埋める言葉がけをもらっても、ますます一人で、その場に深い穴を掘ってしまい、何も返すことができません。
空気を壊したことへの自責や悲しみ、嫌悪感を、さらに抱えることになってしまう人も少なくありません。
こうしたことが日常の中でちょくちょくあるということを、先生方からもお聞きし、高校生たちと一緒に、「苦手な話題をふられたときに自分を守る」ためのスキルについて、練習したことがあります。
この活動は、「うまくいかないことを性格のせいにせず、未熟なソーシャルスキルとして捉え、事前に練習して備えておこう」という考えに基づいたものです。さまざまな対人場面での不安やトラブルを予防する「ソーシャル・スキル・トレーニング(SST)」の一環として行ないました。
■葬式のシーンで垣間見える人間らしさ
感情リテラシーがどれほど成熟しているかは、日常の何気ないやりとりの中に表われることがあります。
このことを思うと、私は伊丹十三監督の映画『お葬式』(1984年公開)を思い出さずにはいられません。作品の中で、葬儀が粛々と進む最中、ふと目に留まるのは、遺族の一人の「靴下の小さな穴」。張りつめた空気の中で、そのささやかな出来事が、思わず人の心を和(なご)ませる瞬間となっていました。
今では、葬儀も家族葬が一般的になり、畳に正座をするような場面は少なくなりました。ホールでパイプ椅子に座る形式も増え、形式ばらない雰囲気であることも多くなっています。

しかし、この映画が描かれた時代には、葬儀とは、厳粛で格式を重んじるものであり、服装や立ち居振る舞いにも“完璧さ”が求められていました。
ですから、そんな雰囲気の中での「靴下の穴」というささやかな“ほころび”は、一見、場違いに思えるかもしれません。けれども、そうした小さな失敗は、誰にでも起こりうる「人間らしさ」の象徴であり、だからこそ見る人の心に残ります。厳粛な場面であるにもかかわらず、慌てて駆けつけた人の人間味を垣間見ることができます。
伊丹監督は、そうした瞬間のあたたかさや滑稽(こっけい)さを丁寧にすくい取り、映画の中に織り込んでいました。感情の抑制と揺らぎ、人間のふるまいの豊かさを描き出した、深みのある作品だと思います。
■「靴下に穴があいてるよ」と言われたら
これは、映画としての表現ですから、後からさまざまに自由に解釈すればよいのでしょうが、日常生活で、「あ、靴下に穴があいてるよ!」と不意に、誰かから言われたら、あなたはどう感じるでしょう? また、どう反応するでしょう。
「あ、どうしよう、困った」

「えー、恥ずかしい」

「ショックー」

「あー、やっちゃった」

「やばい!」
さまざまなリアクションが想像できます。
どんなリアクションでも、とにかく言葉にできる人は、とりあえずは間を埋めて、パニックにはならないでしょう。
「大丈夫だよ」

「貸してあげようか」

「見えないようにこう折り返せば」
とか何とか、状況にはよりますが、コミュニケーションは続きます。不本意にも大きな声で指摘してしまった方も、ある程度優しい人柄であれば、「大きな声で言っちゃってごめん!」とか「こうしてみる?」などと言葉をつないで、あるある場面として過ぎ去っていくものです。
その場に、ギャグのセンスがある人がいれば、失敗をユーモアで包み込むことで、空気が一気にやわらぐこともあります。

「お、その穴もっと広げてファッションにしちゃおうか」

「そこから世界が見えるで!」
■気まずい瞬間が苦手な子どもたち
そんなひと言が飛び出せば、誰かの失敗も、誰かの恥ずかしさも、「ひどいことを言われた・言ってしまった」という重たい空気に変わることなく、笑いとともに受け流すことができます。場が救われる瞬間です。
……とはいえ、これは私が関西育ちだからかもしれません。こういう“ちょっとした失敗”は、ある意味、日常の風景。だからこそ、「恥ずかしい」と感じるより先に、「自分をちょっと落として場を回す」術のようなものが、自然と身についているのかもしれません。
でも実際には、こうした気まずい“瞬間”が大の苦手、という人も少なくないのです。
そこで、このスキルが未熟な高校生たちと、「ふいに恥ずかしい指摘をされたとき、自分をどう守るか」というテーマで授業を行なったわけです。
授業では、まず先生が、「生活の中で誰にでも、困った場面に遭遇することがあるよね」という話からスタートします。そして、「こういうとき、何も言えなくて固まってしまって、あとでまた落ち込んじゃって……ってこと、ない?」と、自己嫌悪につながるパターンを紹介しながら、「今日は、そんなときにどう行動すればいいか、みんなで一緒に考えてみよう」と問いかけました。
■まずは「ネガティブな感情に気づくこと」
授業の中では、先生方がまずちょっとした寸劇(ソーシャル・スキル・トレーニングでは、モデリングと呼ばれます)を見せてくれました。
たとえば、先ほども例に出したような、突然知り合いから「あ、靴下に穴があいてるよ!」と大きな声で指摘される――そんな場面の寸劇です。
このとき、自分だったらどんなリアクションをとるのか。
そして、そのとき、自分はどんな気持ちになっていたのか。
「恥ずかしい」「失敗した感じ」「自己嫌悪」「ショック」など、ふいに湧き上がるネガティ
ブな感情に、自分で気づくためのモデルをいくつか示していきます。
ポイントは、「なぜうまく反応できなかったのか?」という問いに、感情面からアプローチすることです。
つまり、「反応できなかった自分」を責めるのではなく、「それほどショックだった」「恥ずかしかった」という気持ちに、まずは気づき、受けとめることが大切なのです。
そのうえで、「じゃあ、そんな気持ちになったら、どうしたらいいだろう?」と話し合います。生徒自身も役割を演じてみたり、思いついた行動を試してみたりします。
大切なのは、「正解」を探すことではありません。恥ずかしいと思う気持ちは自然なことで、それ自体は決して悪いことではない、という気づきが出発点です。
■恥ずかしい感情を表現する「予行練習」
ただ、その気持ちを消すことはありません。そもそも消せないものです。消そうという焦りに押し流されず、それを表現してみましょう。「うわ、はずかし~!」と。
それでいいのです。練習しているうちに、ちょっと余裕が出てきて、笑いに変えて受けとめてみる。受け止めれば、次は、対策です。「誰かに借りる」「買いに行く」「履き替えに帰る」といった現実的な対処をいろいろ考えることができます。
こうした体験をあらかじめしておくことには、大きな意味があります。
ふいにやってくるからこそ動揺してしまうけれど、「あ、これ経験した場面だ」と思えるだけで、「たいしたことない」のカテゴリーに入れられるようになるからです。
そんな“心の予行練習”を、授業の中で積んでいくのです。

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渡辺 弥生(わたなべ・やよい)

教育学博士

大阪府生まれ。専門は発達心理学、教育心理学。1983年筑波大学卒業、同大学大学院博士課程で心理学を学んだあと、筑波大学、静岡大学を経て、法政大学文学部心理学科教授。同大学大学院ライフスキル教育研究所所長。途中、ハーバード大学教育学研究科、カリフォルニア大学サンタバーバラ校で客員研究員。感情や社会性の発達研究をエビデンスにして、いじめなどの学校危機予防のための教育実践を開発および展開中。主な著書に『子どもの「10歳の壁」とは何か?――乗り越えるための発達心理学』(光文社新書)、『感情の正体――発達心理学で気持ちをマネジメントする』(ちくま新書)、監修に『よくわかる発達心理学』(ナツメ社)、『まんがでわかる発達心理学』(講談社)など多数。

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(教育学博士 渡辺 弥生)
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