■過酷な現場こそ「エンジニアの戦場」
アメリカ・オレゴン州ポートランドの冬は、気温が氷点下の日も珍しくない。工具を持つ手はかじかみ、休憩時間の熱いコーヒーで全身が解凍されるようだ。
建設中のタワーマンションで、井上恭輔さんはスマートホームのデバイスをセットアップしていた。建築スタートアップのHOMMA(ホンマ)で自分が育てたプロダクトだ。作業着姿にヘルメットをかぶり、腰には工具を下げている。ITエンジニアであっても、オフィスでパソコンに向かうだけでは仕事にならない。チームで各地の現場を飛びまわり、システムの調査や設計、デバイスの設置や設定などを進めた。
ポートランドでは極寒の現場に私物のムービーカメラを持ち込み、プロダクトのデモ動画も撮影した。
「むちゃくちゃ寒くて、ザ・現場という感じでした」
自分が育てたプロダクトへの思い入れは強い。子どもの運動会を撮影する親の気分だった。
井上さんは自らを「フルスタックエンジニア(物理)」と呼ぶ。オフィスで設計図やソフトウェアのコードを書くだけでなく、建設現場に通ってデバイスの設置など実作業もこなす。全方位型エンジニアの看板に偽りはない。
■オフィス仕事だけでは分からないこと
「建築のルールや習慣、いろんなことを学びました。関連事業者のおっちゃんと仲よくなったり、施工方法や技術を吸収したり、ITで効率化できるビジネスチャンスに気づいたり……有益な情報が現場にあふれていました。ただし、現場至上主義が強すぎると問題も起こる。例えば、社内でうまくコミュニケーションが取れなくなる。現場ではロジックで説明できないこと、想像を超えた理不尽なことが山ほど発生するから、現場を見ていない人には話が通じない。相手に理解してもらうことの難しさを痛感しました」
現場の感覚が身につくほど、他のITエンジニアと衝突したり孤立したりといった事態が起こる。フルスタックエンジニア(物理)ゆえの苦労だろう。
井上さんはとにかく現場仕事が好きだ。
一軒家のガレージをオフィスに改築したこともある。
■予算がなければ、自分で作ればいい
スタート時はリモートワーク主体でオフィスは必要なかった。しかし事業が拡大するにつれ、スタッフが集まる拠点がほしくなる。ただし、予算はない。
井上さんはシリコンバレー近郊にある知人宅のガレージを借り受け、約2カ月かけてオフィスを施工。朝、夜、休日と業務外の時間にほぼ自分ひとりで作業を進めた。
「プログラミングができる自分は、ネットで調べればオフィスもつくれると思ったんです。無料の3D-CADサービスで設計図を作成し、壁の防音断熱材にもこだわりました。電気工事も自分でやったから何度も感電して。120ボルトはさすがにパンチが効いていて強烈でした(笑)」
ガレージ内の壁や床は、約2インチ×4インチの規格材を使うツーバイフォー工法を採用。
■DIYオフィスの経験が「キャリアの転機」に
「正直いってめちゃくちゃ大変でした。物理的なものづくりは、スキルに加えて筋力も要求される。完成した頃にはムキムキになっていました。なによりおもしろかったのは、興味本位の純粋なものづくりが32歳にして改めて体験できたこと。大工仕事の技術の一つひとつが新鮮で、プログラミングを勉強しはじめた中学時代を思い出しました」
DIYオフィスの経験は、キャリアの転機になるほど大きかった。ソフトウェアだけでなく、現場レベルの「物理」も手がける「フルスタックエンジニア(物理)」という独自のアイデンティティが確立したからだ。「地球上のありとあらゆるものを自分でつくれるようになる」という夢を描き、「超低レイヤー実装技術」へと活動領域が広がるきっかけとなった。
ガレージ内にオフィスができていく模様を紹介したブログは話題となった。ブログを読んだひとりにHOMMAの本間毅社長もいた。
■天才エンジニアの「原体験」
フルスタックエンジニア(物理)の原点は幼い頃にあった。
広島県福山市で生まれた井上さんは、ものごころがついた頃から父親の工具や機械に囲まれていた。地元のホテルで料理長を務めていた父は、利用客の経営者に見込まれてエンジニアに転身。手を動かすことが得意で、自宅にも工具をそろえていた。
父が突然亡くなったのは井上さんが3歳のとき。過労が原因と見られる心筋梗塞だった。お母さんは保険会社で働きながら井上さんと2歳下の妹を育てた。
「クラスメイトたちはゲーム機をもってるのに買ってもらえない。だから、父の道具を使って何か分解したり組み立てたり。図画工作に熱中するうちに電気や機械に詳しくなった。
■「産業スパイ疑惑」をかけられ…
初めて触ったのは、母親が会社で支給されたノートPCだった。通常は専用システムで動くのが隠しコマンドを叩くとWindows95に切り替わった。おもしろくなっていじっているうちにシステムを壊してしまった。
母が会社で修理を頼むと「ふつうの使い方じゃない」と産業スパイ疑惑をかけられ、広島の本店へ呼び出されて事情聴取を受けた。息子が壊したといくら説明しても、「小学生にこんな操作ができるはずない」と信じてもらえず、始末書を提出したという。当然、井上さんはパソコンに触ることを禁じられた。小学5年生のときだ。コンピュータの魅力に取り憑かれた井上さんは、泣く泣く家電量販店のパソコン売り場へ通うようになる。
中学1年の誕生日が近づくと、母に「20歳までの誕生日プレゼントを全部前借りするからパソコンを買ってください」と懇願。
「割引されて22万円ぐらい。うちでは誕生日プレゼントとして破格ですけど、ここから僕のパソコンライフがはじまりました」
結果からいえば、井上さんの将来を決めるほど大きな投資となった。当時、井上さんは情報工学系の大学院生から勉強を教わっていた。コンピュータについても指導を受け、英語の勉強に役立てるために英単語学習ソフトを自作するなど、本格的にプログラミングを開始した。
■日本のものづくりを支える「高専」とは
高校受験が近づくと、井上さんは「コンピュータだけやっていける道はないか」と考えて、高等専門学校(高専)への進学を決めた。調べてみると、全国の高専でサーバーのスペックが最も詳しく紹介されていたのが岡山県の津山高専。当時では 珍しい純粋な情報工学科があった。
中学の担任の先生に「高専にいきたい」と話すと、「井上くんが高専?」と鼻で笑われた。偏差値はまるで足りない。
「悔しくて猛烈に勉強しました。人生で一番、勉強したかも」
高専は理工系に特化した5年制の教育機関で、高校教育の必須科目に縛られず、1年から専門科目を集中的に学べる。教員は博士号をもつ教授や准教授、教わる側が「生徒」ではなく「学生」と呼ばれるのも大学に近い。
15歳から理工系の専門教育に専念できるから“ゴールデンエイジ”のメリットが最大限に活かされる。高専の教育システムは海外でも高く評価されている。
井上さんは2001年に津山高専の情報工学科に入学し、朝から晩までコンピュータに専念する。
「才能のある変なやつだらけで最高の環境でした」
■いまだに破られていない「ヤバい記録」
2年生になった2003年、井上さんは全国高専プログラミングコンテスト(プロコン)に初出場した。津山高専は初めて予選を通過し、鳥取県松江市で開催された全国大会に進んだ。
当時は、予算が豊富な学校のチームがアーケードゲームのようなハードウェアにも凝った作品で優勝することが主流だった。しかし井上さんたちは、純粋なソフトウェアのみで勝負した。
津山高専の作品は、ネットワーク対応型のタイピング練習システム。教授がフロッピーディスクで管理していた練習成果や問題配信をすべてネットワーク上で集中管理し、対戦や集計ができる。ネットワークを通して複数人で使える教育システムだった。
結果は、全国優勝。文部科学大臣賞を受賞した。
「ピュアなソフトウェアで全国優勝は過去にないことでした。低予算でもあり、エポックメイキングな出来事でした」
井上さんは本科の5年間でプロコンに4回出場し、3回の全国優勝を果たしている。高専全体でもいまだに破られていないレコードだという。
ソフトウェアだけで優勝を重ねた経験は、見た目の派手さではなく、本質的な課題解決に集中する技術者マインドを培った。
■「未踏プロジェクト」が開いた扉
本科から専攻科へ進んだ2006年、井上さんは「未踏ソフトウェア創造事業」(現・未踏事業)に応募した。経産省が支援して独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が主催する人材発掘・育成プログラムで、斬新なソフトウェアを生みだす若手エンジニアを選抜し、プロジェクトごとに資金提供と指導がある。毎年10~20人程度が採択され、約1年かけてソフトウェアを開発し、優秀者は「スーパークリエータ」に認定される。プロコンでの活躍を見た大学教授が、井上さんに応募をすすめたのだ。
井上さんの提案「誰かを感じるウェブコミュニケーション――ブラウジングコミュニケータ『Antwave』の開発」は2006年度上期に採択され、「スーパークリエータ」にも認定された。
「東京に呼ばれて、全国の優秀な人材や業界の有名人が集まるブースト会議に参加しました。ソフトイーサの登大遊さんにおもしろがられて、発表後にいきなりクルマで筑波大に連れていかれました(笑)」
未踏プロジェクトへの参加で、井上さんの人脈は広がった。アイデアと技術力さえあれば、年齢や学歴にかかわらず、トッププレイヤーのコミュニティに仲間入りできる。“シリコンバレー流のつながり”が重要であることを学んだ。
■ミクシィ笠原社長への直談判
未踏のネットワークでミクシィの笠原健治社長とも出会った。
井上さんは2008年に津山高専を卒業すると、新卒1期生としてミクシィに入社した。採用の競争倍率は約300倍を超えていたという。同社のSNSサービスは若者に大人気で、2006年9月に東京証券取引所マザーズに上場したばかりの急成長期だった。
入社翌年の春、井上さんはシリコンバレーで開催されたオラクルのMySQLカンファレンスに参加した。初めての海外だった。
「シリコンバレーの乾いた風と最先端技術に触れて感激しました。絶対ここに戻ってくるぞ! と決意したことはよく覚えています」
帰国後、シリコンバレーで働きたいという思いは日に日に強くなる。しかしミクシィを辞めての渡米はリスクが大きい。何かいい方法はないかと就業規則を読んでいると、メンタルに不調がある場合は最大で半年休める、という規定を見つけた。
井上さんは笠原社長と副社長に直談判した。
「心を壊していいですか?」
■「1年分給料を払うから、好きなことをやってこい」
シリコンバレーで働いてみたいと伝えると、相談した副社長の答えは意外なものだった。
「おもしろすぎるから壊さなくていい(笑)。行ってこい」
笠原氏からも逆に思いがけない提案があった。
「1年分給料を払うから、好きなことをやっておいで。レポートもいらない。ただし1カ月でいいから帰ってくること。むこうで学んだスタートアップのエコシステムをミクシィに還元してほしい」
井上さんは2010年から1年間、FluxFlexという会社に出向する形で、シリコンバレーへ渡った。のちにメルペイのCTOを務め、現在はnewmoCTOの曾川景介氏を誘って、一緒に渡米した。
翌年、約束通りに帰国すると、シリコンバレーで学んだ開発者向けSaaSという新しい分野の知見を活かして新規事業を立ち上げた。「DeployGate」だ。同期入社の藤﨑友樹氏たちと日本のアプリ開発現場のデファクトスタンダードに育てた。
2014年、井上さんは結婚を機にミクシィを辞め、再びアメリカへ渡った。妻は未踏プロジェクトの後輩エンジニアで、ネット界隈では「@hatone」で知られる大島孝子さん。大島さんは結婚前に就労ビザを取得し、米国のサイバーエージェントに就職していた。
■やっぱり日本人エンジニアは優秀
「結婚が決まると、彼女が帰国するか、僕が渡米するかの二択になりました。当然、僕がミクシィを“寿退職”しました」
井上さんが活動の場としてアメリカ、なかでもシリコンバレーにこだわってきたのは、日本人エンジニアは優秀だという確信を実証するためでもあった。HOMMAではチーム拡大前の初期メンバーに日本のエンジニアを招いた。現在も若手エンジニアの渡米をサポートしている。
「インフラからアプリ開発まで幅広い領域を担当できるエンジニアは、分業と専門化が進んだアメリカでは採用するのが非常に困難です。何でもできるフルスタックなエンジニアは、ごく少数の本当に優秀な人たちだけ。アメリカの一般的なIT企業では、専門特化してない人材は給料が上がらないという構造上の理由です。
一方で、日本にはフルスタックに近い優秀なエンジニアがたくさんいます。何でも手広くできる貴重な存在。僕が日本の若手エンジニアたちを招き、ビザ取得を手助けできたのはよかったと思います。僕自身が渡米に苦労した分、日本からどんどん送り出したい。これからも海外を目指す日本のエンジニアは支援していくつもりです」
自ら日本人エンジニアの優秀さを証明した井上さんは、後輩たちにも可能な限りチャンスを与えたいのだという。
■カリフォルニアで「足湯」に挑戦したワケ
井上さん夫婦は現在もカリフォルニアに住み、それぞれITエンジニアとして活躍しながらワインづくりに精を出す。ワイナリー「SUNSET CELLARS」はワイン好きが集まる場として賑わっているが、これまで順風満帆だったわけではない。
コロナ禍には休業命令を受けて経営危機に陥った。営業停止の期間中、井上さんは再開の日に備えてテイスティングルームをリノベーションし、施設内に足湯の施設をつくった。
日本の温泉文化を愛する井上さんは、DIYで温泉施設をつくるのが長年の夢。服を着たまま気軽に温泉を楽しめる足湯は、アメリカでもウケるのではないかと思いついた。
ただ、実際に計画を進めると大きなハードルがあった。カリフォルニア州では、商業施設に足湯を設置した前例はなく、関連する法律が見つからないのだ。地元の公衆衛生局に問い合わせると、法律では水深12インチ(約30センチ)以下はただの水たまりと見なすという回答だった。井上さんが設計した湯船は水深6インチ(約15センチ)だから「温かい水たまり」になる。局員も「とりあえず営業してみたら?」と許可を出してくれた。
DIYオフィスと同様、材料を買ってきて施工を進める。営業規制が解除され、日本式の本格足湯「Zen Zin Onsen」がオープンしたのは2021年5月。
■AI時代に求められる「ものづくり」の本質
「お湯は、地下から汲み上げたミネラル豊富な天然水です。木材の加工は得意分野でしたが、水漏れ対策には苦労して解決まで1週間かかりました。ITも駆使して、水位や温度を管理しています」
水位センサーや電磁バルブを用いて、専用のソフトウェア「Onsen OS」も開発した。趣味のDIYではなく、フルスタックエンジニア(物理)の実践という位置づけだ。
技術の抽象的なロジックを組み立てるだけでなく、物理的な現実世界で実装しきる。井上さんが「超低レイヤー」と呼ぶ領域を重視している点は注目していい。
「知識を蓄えたり、計画をまとめたりするなら、AIのほうが得意です。自分の手を動かし、現場で泥臭く課題を解決することこそがエンジニアリングの本質。僕が高専などで学んできたものづくり哲学は、これからの時代にますます求められると思います」
井上さんが目指す「フルスタックエンジニア(物理)」や「世界のあらゆるものを自分の手でつくれるようになる」は、日本のものづくり文化が根底にあることがわかる。
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井上 恭輔(いのうえ・きょうすけ)
SANU執行役員CCXO
1985年広島県福山市生まれ。津山工業高等専門学校専攻科卒業。2008年ミクシィ(現・MIXI)に新卒入社。新規事業としてアプリ開発支援サービスDeployGateを共同創業。2013年に米国シリコンバレーに渡米し、クックパッド米国法人の技術責任者、DeployGate米国法人代表、スマートホーム開発を行うHOMMAのInterim CTOなどを歴任。現在はシェア別荘開発を行うSANUにおいて執行役員CCXO(Chief Connected-Experience Officer)を務める。個人ではカリフォルニアに住みながら小規模ワイナリー「SUNSET CELLARS」を経営し、ワイン造りにも取り組む。料理とワイン、自然とDIYを愛するフルスタックエンジニア。
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(SANU執行役員CCXO 井上 恭輔、ライター 伊田 欣司)

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